130話・あんな男を見習っては駄目よ
「おねえさまにちかづくな」
「ほほう。ずいぶんと懐かれたものですね? 殿下」
「何かご用かしら? 将軍」
「いえ、あなたさまにはご用はありませんが……。イヴァンさま。たまにはお母さまに顔を見せて差し上げたなら如何です? お母さまが寂しがっておられましたよ」
将軍が身を屈めて顔を覗き込んできた。ソニア殿下を庇うために前に出てきたので下手に下がれなかった。
「いきたくない。おかあさまはぼくをきらっている」
「イヴァン殿下。いつまで王妃さまのもとへ身を寄せられているのですか? お母さまが嘆かれていますよ。我が子を王妃さまに奪われたと泣いています。あなたさまに会いたがっておいでです。さあ、お母さまが待っておられます。一緒に参りましょう」
そう言いながら腕を掴まれ気持ち悪く思えた。一度この男が実母と裸でベッドの中にいたのを目撃したことから嫌悪感しか湧かなかった。
「いやだ。いかないっ」
目の前の手を振り払えばパシーンと音が鳴り、将軍は不快そうに片眉をあげた。
「イヴァン殿下」
「うそつき。おかあさまは、ぼくのことをじゃまにしかおもっていない。まってなんかいない。かえれ」
「イヴァン殿下。そのような我が儘を言わずにどうか……」
「将軍。本人が嫌がっているのだから放っておいたらどう?」
止めるソニアを将軍は不快そうに見て、再び自分の手を取ろうとした。
「殿下。そのように我が儘を言わずにお願い致します」
「いやだ。おかあさまのところへはもどらない」
「聞き分けのないことをおっしゃってはいけませんよ。あなたが王妃さまの所にいるとご迷惑がかかるのです。殿下達も困ってますよ」
将軍の言葉に思わずそうなのかとソニアを窺うと、ソニアは首を横に振り、将軍に言った。
「将軍。勝手なことを言ってもらっては困ります」
「どういう意味でしょう?」
「いつ、私達がイヴァンに迷惑だなどと言ったのですか? アニスさまがおっしゃっておられたの?」
ソニアは低い声を出していた。声音には怒りを抑えた感じがあった。
「違いましたか? てっきりそうだとばかり……」
将軍は悪びれる様子もなく言う。
「私達はイヴァンを可愛がっていますわ。実の母親以上にね」
お引き取りを。そう言ってソニアは自分の手を握った。そして身を屈めて言ってくる。
「気が削がれたわ。イヴァン、お部屋に戻ってリンゴパイでも食べましょう」
「はい。おねえさま」
「では失礼致しますね。ラーヴル将軍」
「酷い御方ですね。あの御方から我が子を奪おうというのですか?」
自分達とすれ違いざまに、将軍が悔しそうに言ってくる。ソニアは冷静に応えた。
「お母さま……いえ、王妃さまから話は聞いているのですよ。将軍」
「……!」
ソニアの言葉に、将軍はハッとした様子を見せた。
「イヴァンを手元に置かれると決めたのは王妃さまです。陛下もそれをお認めになられた。不服があるのなら王妃さま、もしくは陛下に言ったら如何です? こんな所で私相手に文句を言っている場合ではないと思いますが? 我が国の英雄は常識を戦場に置き忘れてきたのかしら?」
「……失礼します」
ソニアに批難され将軍は渋々踵を返した。将軍を見送ってからソニアは笑って言った。
「イヴァン。あんな男を見習っては駄目よ。あの人は武勇に優れているのだけど、どこかいかれているわ」
「はい。きをつけます」
「イヴァンは良い子ねぇ。どんな男性へと成長するのか楽しみね。きっとあと数年したら私の背などきっと追い越してしまうのでしょうけど、今のままの素直なあなたでいてね」
ソニアと手を繋ぎ、部屋へと戻る。そこには王妃さまがいて兄上達がいる。あの頃は幸せだった。いつまでもそのような日々が続くと信じていた。




