110話・ブリギットとは何もないからな
食事を終えるとイヴァンは側にいた女官に「ブリギットを部屋まで案内してやれ」と、指示を出し、彼女をその場から連れ出させる。
「昨晩は悪かった。ブリギットを滞在させることを勝手に決めて怒っているのか?」
「怒ってはいません。ただ気になって」
イヴァンが顔色を窺うように言ってくる。私が気分を害していた事には気がついていたようだ。
「何をだ?」
「先ほども言いましたが、人払いまでして彼女があなたに何を言ったのか気になったものですから」
私の言葉にはあと深いため息を漏らし、イヴァンが言った。
「おまえが気になるのは仕方ないか。ブリギットは宰相が差し出した人質だ。宰相は余が過去ブリジットに抱いていた想いまでご存じのようだ」
「その想いを利用しようと?」
「彼女を側室、もしくは愛妾に召し抱えてもらえないかと打診してきた」
「断るのでしょう?」
「勿論だ。おまえの命を狙っておきながら厚顔無恥にもほどがある。宰相の狙いが読めなくて取りあえず側に置いている」
「それだけですか?」
「どういう意味だ?」
「今朝方、彼女の部屋からあなたが出てきたのを目撃した者がいます。それが噂になっていましたわ。あなたは寝室に戻ってこなかったですし、ブリギットさまはあなたの愛人なのではないかと」
「馬鹿らしい。昨夜は寝室に戻って来たぞ。深夜になってしまったし、おまえを起こすのも不憫に思われて寝せておいた。それと朝は早かったからおまえとはすれ違っただけだ。まさかそのような噂を信じてはないよな?」
「ではブリギットさまの部屋から出てきたというのは?」
「あれは昨日、話の途中で気を失ったから、その様子を度々見に行っただけだ。一人でではないぞ。セルギウスも同行した」
「信じますわ」
少し疑ってしまったけれど、その事をあえて言う必要はないだろう。しかし、イヴァンは眉を潜めた。
「危険だな。単なる噂話にしては伝わり方も早い」
イヴァンは何やら考え込んでしまう。私はたかが噂話と思ったのに、何やら深刻な話となってきた。
「ブリギットをおまえから離しておく必要性があるな。女官長」
「はっ」
「あの二人から目を離さないでおいて欲しい」
「畏まりました」
「二人って?」
「ブリギットが連れてきた侍女と護衛だ」
イヴァンと女官長の言葉のやり取りで察したのは、ブリギットは二人の供を連れて来ているようで、そのお供を彼は警戒しているようだ。
私はブリギットの方が気になって仕方ないのだけど。宰相に何か言い含められて来たとしか思えない。イヴァンは修道女だった彼女は亡き許婚のことを思っていると信じて疑わない。
でも、彼女が時折彼へ見せる眼差しには、特別な想いが秘められているように感じられるのに。
「レナ。ブリギットとは何でもないからな」
私を安心させるように言ってくるイヴァンを前にして頷くことぐらいしか出来なかった。
イヴァンの過保護のおかげで私の周辺警護の者が格段に増えた。皆、私の視界に入らない距離で守りに付いているのが分かる。一度、ブリギットが私を見かけて近づこうとした時には女官がどこからともなく現れて、彼女を遠くに連れて行ったこともあった。
皆、イヴァンの命を守って私と彼女を接触させないようにしているようだ。そのせいなのか彼女がイヴァンと共にいる姿を度々見かけるようになってきた。
私は彼女が彼の側室か、愛妾を狙っているという話を聞かされただけに二人でいる姿を見て、そわそわして落ち着かなくなるのだけど、そんな時は大概、女官長や侍従長が気を逸らしてくれるようになっていた。




