1話・前世で因縁のある相手に求婚されました
極寒の時期を迎えたクロスライト国。そこは大陸のどの国よりも広い国土を擁しながら、大陸の先端に位置し、大陸の中心に位置する先進国の王族らには、田舎者の集団で富とは無縁の国と侮られてもいた。
それを十五年前、先進国へ視察に訪れた事で社交界を賑わせたクロスライト国王イヴァンは、希少価値のある宝石や高級な毛皮を惜しげもなくお土産として渡して回ったので、すっかり先進国のトップ達に今までの自分達の認識が間違っていたと改めさせることに成功した。
クロスライト国は豊かな穀倉地帯を持ち、各国へ輸出している。先進国の大概は穀物の多くをクロスライト国からの輸入に頼っているのだが、そのことを先進国の王族達は学ばない。
何故ならば彼らは政務とは雑事と考えている節があり、自分達は遊興にふけるのが当然と考えていた。政治など宰相や大臣に任せっきりでイヴァン陛下のように、王自ら政務を執るとは感心しないと思っていたのだ。
その彼らは無責任にも、一度もクロスライト国を訪れた事も無いのに田舎者と蔑んでいたのだから馬鹿にした話だ。
その仕返しではないだろうが、イヴァン陛下は視察の際、有能な職人や技術者をこぞって我が国に引き抜いたらしい。それを知って先進国の宰相らが真っ青になっていたらしいが、陛下はどこ吹く風で連れ帰って来た。その恩恵で国はどんどん開けて行き、交通機関や、医療、学校、市場、工場などが次々と出来て、これまで以上に栄える事となった。
学校や病院などでは、子供達の授業料や医療費は免除となり、それまでお金がなく学校に行きたくても行けなかった者や、病気になっても医者にかかることが出来ずに困っていた者達は大いに喜んだ。皆が陛下の改革に感謝し、さすがはイヴァン陛下だと褒め称えた。
その今や国一番の功労者で、人気者といっても言い存在であるイヴァン陛下を前にして、私は困惑していた。
「はぁ? 陛下。今、なんと?」
「だから言っているだろう? レナータ。婚約破棄されて行き場の無いおまえを、この余がもらってやると言っているのだ」
私の間抜けな声が緋色の間と呼ばれる謁見室に響く。窓の外では雪がちらつき始めた。今夜は積もるかも知れない。そうならないうちに宮殿をお暇した方がいいかもしれないと思っていた時だった。
十四歳の私を呼び出した陛下が思わぬ事を言い出したのだ。
精悍な体つきをした国王は、濡羽色した黒髪に黒い顎髭を生やし、神秘的な青緑色した瞳でこちらの反応を窺うように見つめてくる。
御年四十歳と聞いているのに見た目は二十代半ばと言っても通用するぐらいに若々しいというか、雄々しい。
私はそれに対し、亜麻色の髪に菫色の瞳をしたもの凄い美少女ではないが、世間一般的にみれば、人並みに容姿は整っている可憐な少女だ。
前世の姿に比べればかなり可愛い方。ついでに言わせてもらえれば、イヴァン陛下の取った政策の大概は前世、私が考えていたものだ。
今生で前世の記憶を取り戻して私が思ったことは、やられた!だった。
今生での私は両親を亡くし、田舎でのんびり暮らす祖父母のもとで育てられた。もちろん大きな後ろ盾などない。
物好きにもそんな私に、前世に深い因縁のある男が嫁に来いと言ってくる。おかしいだろう。仮にも息子の許婚であった私にだ。大体、この婚約だって納得がいってなかった。
八年前に祖父共々、宮殿に呼び出され、勝手に気に入ったとの一言で、この男の息子と婚約させられた。
「私と婚姻されても陛下には何もメリットなどないように思われますが?」
態度が不敬だと非難されようが、それぐらいは言わせてもらいたい。こいつとは無理だ。
見た目は可愛い十四歳の少女でも、中身は前世の摂政姫ソニアの記憶が根付いている私は結構、辛口だったりする。
私が前世の記憶持ちであることを知らない陛下は、ツンケンする私の態度が面白いと言って、たまにからかってきたりするのだけど。ここでは頂けない。
「堅苦しく考えるな。おまえは余のお気に入り。お気に入りのおまえの為に用意した縁談が駄目になったのだ。その責任を余が取ると言っている」
「別に陛下に責任を取って頂かなくとも構いませんよ」
「余が構う」
なんだそれ? 大の大人が何言っているのやら。拗らせ君か。
私よりも二十六歳も年上のはずなのに。大きな図体をして、精神年齢ははるかに低かったらしい。
何だか目の前のこの男が、大きな犬にしか見えなくなってきた。呆れた。
「その……、他に懇意にしている女性はおられないのですか?」
陛下なら一声かければ幾らでもお誘いに乗る女性はいるだろう。どうせならその女性を王妃に迎えたらいい。親子ほど年の離れた自分と無理に結婚しなくてもいいのでは?
そう言うと、陛下は玉座から下りてこちらに近づいてきた。身構える私の前に立ち、身を屈めて顔を寄せてくる。
「他の女のことなどどうでもいい。おまえは余が嫌いか?」
「べ、別に……。嫌いとかではなく……」
「嫌いではないのだな?」
「は、はい」
私は自分の立場を理解している。単なる伯爵家の娘。その娘が国一番の権力者に自分のことが嫌いか? と、聞かれて馬鹿真面目に嫌いだと認めるはずもない。
自分の背後には今まで育ててくれた祖父母らがいる。その二人に恩を感じている私は、自分の発言で二人に咎がいくような結果は招きたくなかった。
すると陛下がその場で膝をついた。ぎょっとした。
「……!」
何が始まるのかと警戒すれば、跪く陛下が見上げていた。
「レナータ・ゼレノイ。可愛い余のお気に入り。どうか余の伴侶となっておくれ」
「陛下」
陛下が懇願していた。嘘だろう? 空よりも高く、海よりも深くプライドの高い男が私への求婚の為に?
前世では私の前に立ちはだかった天敵が、こちらを見上げていた。私からの返事を求めて待っている。
何だかそれがお手を待つ犬のように思えて笑いそうになった。
「レナータ」
「……はい」
馴染み深い瞳がこちらを窺っていた。どうして今生でこの男になど出会ってしまったのだろう?
完全に敗北した気持ちで顎を縦に動かせば、陛下は破顔させて立ち上がった。
「良かった。レナ。断られるかと思ったぞ」
陛下は感極まったように私を愛称で呼び、抱きしめてくる。これでは私のことを特別思っているように聞こえて困る。
大の大人が子供のように……。
イヴァンのくせに。
脳裏に彼の子供の姿が思い浮かんでそれを振り払う。この場には必要ではない過去世の虚像。
深呼吸をして最後のあがきとばかりに、陛下に意趣返しをすることにした。
「陛下のお髭は見苦しいので嫌いです」
「では今日から剃ることにする。それでいいか?」
気のせいか、見上げた先の青緑色した瞳が潤んでいるように思えた。




