帰り道
とある年の7月、梅雨も明けていざ夏になろうとしているのに今夜はだいぶ涼しい。
そのせいだろうか、私は今上機嫌に夜道を歩いている。
さて、今の私は久しぶりにお酒に酔っている。実は歩いて帰っているのはそれが理由なのかもしれない。
あまりにも機嫌がいいので割れそうな頭に強いて鞭打って今日のことを書き記したくなった。
仕事終わりの夜9時過ぎ、家から1時間も離れている場所のバーでお酒をしこたま飲んでいた私はそこの近くに住んでいる友人、女の友人にこれから飲まないかと誘ったわけだが、生憎今日は平日、その子からは明日も仕事だからと振られてしまったのである。
その子とは飲み仲間であり、今日行った場所だけでなくその子の家の近くでも飲んだりするのだが、いくら酔っぱらっていた私とはいえ、今日と明日が平日なのは承知の上、まさに寄こしてきた言い訳に備えてその子の家の近くまで移動しながら誘ったのである。案の定の言い訳にも食い下がり、一緒に飲んだりした飲み屋で待ってはみたもののその子の意思もなかなか硬かったらしく、ついにその飲み屋に寄ることはなく帰ったらしい。確かに飲み屋を出てその子のアパートに行ってみるとその部屋の明かりはついていて嘘をつかれたわけではないことに胸を撫でおろしつつ私は最寄り駅から家に帰ることにした。
さて、電車を待ち乗り込むと何故か満員電車に当たってしまった。明日が平日だろうと終電近くの電車、そして取り分け繁華街の駅には降りる人も多ければ乗る人も多いらしい。それが何故か私はおかしくて降りてくる人々の肩にぶつかりつつ、そして乗った後に乗り込んでくる人々に圧迫されながら急いで帰ろうとする人たちが愛おしくなってしまった。
電車に乗って二三駅目だろうか、私の体と体を寄せていた周りの人たちはぞろぞろ降りていき、運よく席が一つ空いたので私は何とか座ろうと人をかき分け、そしてその席を勝ち取った。席に座り一つ息を吐いてそれまで身動きも取れなかった手でやっと音楽プレイヤーを耳に差して周りの音を遮断した。しかし、なんせ飲みすぎてしまっていたので耳から直接頭に響いてくる音楽が相当私を苦しめていたが折角外界を遮断したのをやめたくもなかったのでボリュームを下げ、別の方法でさらに周りを断とうと携帯でウェブ小説を読むことにした。
ここ最近の私は文豪と言われていた人たちの小説を読むことが好きだった。だからその時もその時代の小説を検索し、文豪たちの中で一番好きな方の小説を読み始めた。その人の小説は私の性癖をひどく刺激してくるもので出来るだけ避けていたのだが、いくら避けても避けても私の目に留まりついに読み始めたのであった。
耳と目を周りから全て遮断し、一つの画面だけに夢中になっていた時、私の膝に柔らかい感触が時折触れてきたことに気づいた。ついに画面から目を離して見上げてみると、なるほどだいぶ顔が赤くなるまでお酒を飲んだらしい女性の太ももが当たってきていたのだ。その人の顔をよく見ると私よりは10歳近くは若いと推測された。そして辛うじて手すりに掴みながらも船を漕いでいる様は何とも可愛らしかった。明日も平日なのにこの子は一体何があってここまで酔っぱらってしまったのであろうかとその人の一日を勝手に想像してみる。そしてもし私が声をかけて介抱してやったらこの子はどうなってしまうのだろうと想像してみると顔がにやけてしまう。だが、いくら酔っているとはいえ、私には頑固な理性が備わっており、そんな非紳士的な行動は決してとることはなく、いつの間にか彼女は電車から降りてしまった。何となく口惜しい気持ちを持ちつつも改めて画面に目を戻したのだが何十分も電車に心地よく揺られた私はついついまどろみ、次に目を開けた時は地元の最寄り駅から数十キロは離れた駅にいた。
これはいかんと思って地元の駅まで行く電車のホームに移動した時、もはやそんな電車はないことに気づき、私は深くため息をついてその駅の改札を出て帰路に着いたのであった。
さて、冒頭に戻り、私はそういうわけで家まで歩いて帰っている。
寝たおかげか頭は割りと冴えている。そして今も耳から聞こえてくる音楽のリズムが非常に心地よく私の機嫌を持ち上げている。さっきまで私を苦しませていた音楽のボリュームを上げて私はまるでダンサーにでもなったかのように体を刻みつつ歩いている。
皆さんはどうか知らないが私はこういう気分になると無性にタバコを吸いたくなる。夜風の気持ちいい帰路の上で私はタバコに火をつけ実は何度か歩いたことのあるこの帰路に着いているのである。だがどうしてだろう、さっきまで私の気分を上げていたはずの音楽はむしろ私の気分を沈ませている。周りを見渡すと人影は一つもない。街灯だけが照らしている道を私一人だけが歩いていることにひどく孤独を感じてしまう。するとタバコが非常にまずくなってくる。だけど貧乏性な質の為、フィルターの近くまでも吸ってないこのタバコを捨てることも出来ず、そんな自分が嫌になり更に気分が沈んでしまう。
どれほど歩いたのだろう、駅から10分も歩いてないしタバコに火をつけてから5分も経っていないだろうその時、私は住宅街を歩いていた。するとどうした、私の目の前にゴミ収集場のようなものがあるのではないか。今日―日付はとっくに変わったのだからこの今日というのはさっきまで言っていた明日―は古紙の日なのか雑誌が括り付けられているものが何個もそこに置いてあった。ちょうどフィルター付近まで吸ってしまったタバコを私はその雑誌に火も消さずに投げてみた。指で弾いて飛ばしたタバコは火元が辺りに散らばりもはやフィルターだけのタバコがその雑誌たちの合間に落ちたのだが、もし仮に火をつけたままのタバコがそこに落ちていたのならどうなってしまったのだろう。きっとボヤ騒ぎになり、こんな夜更けに消防車が出動し、周りの人々は寝間着のまま見物に出てきて、さらには警察まで来て現場検証を行って近くの監視カメラに火をつけた放火犯がいないか探したのではないだろうか。このご時世の監視カメラの性能はどれほどのものか門外漢なのでよく知らないが下手したら私の顔がばっちり映ってしまい翌日には私の家に警察官たちが押し寄せてしまうかもしれない。
そんなことを考えてみたらさっきまでどん底まで沈んでいた私の気分は再び持ち上がっていた。そんな非日常的な経験が出来ることへの憧れ、もしくは恐怖に身が震え、それを高揚だと私の脳はもしくは心は勘違いしたのかもしれない。しかし、何と楽しい勘違いだろうか。私はもう一度タバコに火をつけさらに歩みを進める。
さて、さっきから絶え間なく聞こえてくる音楽は実は私の趣味の音楽ではない。重低音が激しく響いてくるこの音楽は職場の人に勧められて付き合い程度に聞いてみた音楽なのだ。それなのに私は実は昔からそういう音楽を嗜んできたかのように心持で体を揺すりながら聴いているのではないか。これが本来の私であってそれまで好きだと思っていたジャンルの音楽は実は別の、世間体を気にしている自律的なもう一人の私の趣味だったのではないか。何とも滑稽な想像につい笑い声が漏れてしまう。しかし、どうして自分が笑ってしまったのか私の脳は理解できない。すると非常に空しくなってしまうのだがそれに反して私の体は相変わらずリズムに乗っている。もはや理性と本能のどちらに従うべきでどちらにコントロールしてもらいたいか分からなくなっている。
その時ふと思った。私は誰だろうか。私には私の名前があり、これまで確かな人格が備わっていると思っていた。しかし、私は誰だろうか、その考えが頭にこびりついて離れない。そんな考えを逡巡しているうちに左手の指に熱源を感じた。一口しか吸わなかったタバコはいつの間にかフィルターを燃やすほど尽きていたのだった。
その時私はまたしても笑ってしまった。そして考え至った。理性も本能もどうでもいい、今指先で熱いと感じた私こそ私なんだと。もはやおかしなことを考える理性的な自分も、そんなことを考えながらも音楽に身を任せている自分も、本当の自分ではないと。
そんな究極的で哲学的なことに考え至った自分がとても誇らしく、私は歩みのスピードを上げると同時にタバコをその辺の茂みに投げ捨てたのであった。