ニセモノ
少女が白い両開きの扉を開くと中は想像していたよりも狭かった。数歩中へ足を踏み入れると後ろで音もなく扉が閉まる。学校の教室をひと回り小さくした程度の室内には壁際にたくさんの機械が設置されていた。正面には大きめのモニターが3つ並んでいるが、今はどれも電源が入っていないようで黒い画面が鏡のように少女の姿を映していた。床も壁も天井も、透き通るような白だった。中ほどに無造作に置かれた3脚の丸椅子だけが黒い。
「ようこそ、LSRへ。」
後ろから低い、男性の声がかけられる。少女が振り返るとちょうど今通ってきた扉から白衣の男性が入ってくるところだった。頭は白みがかっており柔和な笑みを浮かべている。よく見るとその後ろにも白衣の男性が控えていた。こちらはまだ若く仏頂面で無骨そうな印象を受ける。
ここはライフシミュレーションルーム。通称LSRと呼ばれる部屋だ。彼らは15歳になると全員この部屋を訪れる。そして『幸せ』を決定される。
2人の男性は前に進み出るとモニターの電源を入れた。黒かった画面が真っ白に光る。優しげな方の男性が少女の方へ振り返って話し始めた。
「えーっと、、、では。」
パンと軽く胸の前で手を叩く。
「もうやることはわかっていると思いますのでさっそく始めていきますね。」
そう言ってにっこりと笑ったところでモニターの白い画面に少女が映し出された。いや、正確には少女のコピーが。直立して目を閉じている。精巧な3dモデルのようだ。
この国では数年前からライフシミュレーションが全国民に義務化された。ライフシミュレーションとは文字通り人生をシミュレートするものだ。まず個人の記憶をスキャンしてその人物の精巧なコピー、クローンをデジタルの世界に作り出す。そして予め用意された環境設定の中で人生をシミュレートさせるのだ。予定通りの進路へ進んだ場合、専門職に進んだ場合、友人の不幸にあった場合の精神への影響などなど、多くの可能性をシミュレートし分析した上で最もその才能が発揮され社会に貢献する『幸せ』な道を決定される。
「どうぞ、お座りください。」
優しげな男性はそう言って中ほどに置かれる黒い丸椅子を勧めた。
少女は3脚あるうちの真ん中の椅子に腰掛ける。
ウイィィィ...
周囲の機械が稼働し始めた。部屋に電子音が飛び交う。よくわからない波形が表示されている機械もある。正面のモニターを見ると3つある画面がいづれも細かく分割され、それぞれの画面で少女のコピーが動いている。見慣れた教室、知らないオフィスのような場所、家族が映っているものもあるようだ。しかし動きがどんどん加速されていき次第に目で追えなくなっていった。
10分ほどその光景を眺めていただろうか、次第に映像の速度が緩やかになっていく。いくつかの画面では既に映像が止まり始めていた。どうやらシミュレーションが済んだようだ。最後まで動いていた真ん中のモニターの右下の画面が止まると周囲の機械の稼働音が変化する。急激に高い音をあげたかと思ったらプツンと音を立てて停止した。モニターのすぐ左側にあったプリンターのような機械からウィーン...と音がして何枚かの紙が吐き出される。待ち構えていた若い方の男性がその用紙を手に取って少女の方を振り返る...ところで、唐突に世界が停止した。
優しげな男性がその顔に笑みを貼り付けたまま静止している。若い方の男性も相変わらずの仏頂面でこれから振り返ろうというところで止まっている。完全な無音。何が起きたのかすぐには理解が追いつかず少女が呆然としているとパッ...と光が消えた。完全な闇。自分の手足すらもわからない。いや、感覚もない。先ほどまで黒い椅子に腰掛けていたはずだが、今は自分が立っているのか座っているのかさえもわからなかった。訳が分からずパニックに陥りそうになるが何かがそれを許さなかった。
パッ...と少女の背後で光が灯った。いつのまにか少女は暗闇の中に立っていた。振り返ると空間が何かの画面のように四角く切り取られ、その向こうから光が射している。そこには大きな男性が立っていた。白衣の後ろ姿、黒い短髪、足元は見えない。
「あなたの『幸せ』が決定されました。」
男性がそう言ったところで、少女はようやく気がついた。自分もまた、コピーだったのだ。
(昨日話した友達。この施設まで一緒に来た母親。友達とハズレだと嘆いた先生。みんな...ニセモノだった。)
喉が、詰まったような気がした。涙が、溢れそうな気がした。悲しいような気がした。だんだんと感情が曖昧になっていく中で、しかし、デジタルな少女に流れる涙はなかった。
画面の向こうの男性が動いて視界が開ける。感覚が完全に消える直前、黒い椅子にちょこんと腰掛ける幼き日の少女が見えた。