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幻実記 黒薔薇  作者: Silly
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Episode0 脱獄

 底知れない暗闇に包まれた牢屋の中で私は目を覚ました。両腕を拘束していた鎖は外れ、常に私のことを見張っていた兵士の姿もない。そもそも、人の気配すらないのだ。この王宮地下の無駄に広い牢獄に私一人だけがいる。気味が悪かった。


 遡ること一週間、私は仕事でエイギリカ大陸北方の国ベルトリア王宮への潜入の依頼を受けた。だが、ベルトリア王宮は国中で大陸有数の警備態勢が敷かれており。一般人の立ち入りは許されていない。ならば、潜入する方法は一つだ。王宮地下に存在する牢獄にわざと捕まる。それが一番手っ取り早い。地下の牢獄と王宮内が繋がっていることは事前に調べがついている。


 ベルトリア城下街でゴロツキを何十人か叩きのめすと狙い通り憲兵が駆け付け、私は牢獄にぶち込まれた。脱獄の時期を見計らっていた今この時に、鬱陶しい見張りと邪魔な鎖が同時に消えてくれて非常に感謝している。……まずはここから出ることが先決だ。長い監禁で疲れ切った体を起こし、鍵が壊された鉄格子の扉を開けた。


 ただ、どうにも変だ。階段を登りどこまでも続く長い廊下に出ても、人一人見掛けない。寝静まったかのように静かだ。辺りへの警戒をしながら歩いている内に、遂には王宮の前に来てしまった。そこでふと、嗅ぎ慣れた嫌な臭いが部屋から漏れていることに気付いた。……行けるところまで行ってみるか。胸元に隠し持っていた短剣を取り出して臨戦態勢に入り、私は慎重に扉を開けた。


 ……酷い光景だった。私がこれまで見てきた地獄絵図によく似ている。いや、それ以上に惨い。何人もの人間の四肢が引き裂かれ、内臓はあちこちに散らばり、どの死体も耐え難い苦痛に顔が歪んでいる。深紅の高級絨毯は鮮血で更に赤黒く染まっていた。


 その部屋の中心、玉座の前で“国王だった肉塊”を黙々と啜り食らう漆黒の影があった。あらかた察しはついていたが、これほどの業を成せる者は早々いない。故に、その影の正体が何かは一瞬で分かった。我が祖国を壊滅状態にした、漆黒の鱗を持つ忌まわしき化け物“黒獣”であると。


 化け物はこちらに気付くと、のっそりと立ち上がり、血肉のこびり付いた黄色い鋭利な牙を見せた。徐々に全身の血管が浮かび上がり、狼にも似た巨大な顔が月明かりに照らされる。それから黒獣が姿を消すまで時間は掛からなかった。


 黒獣は既存の生物と比べて運動神経が異常に発達している。戦闘時では肉眼でぎりぎり見えるほどの速さで動き回るのだ。たとえ目視することはできても、その攻撃を避けるには血の滲むような鍛錬が必須となる。それができる人間は私の知る限り、今のところ一人しかいない。そう、私だ。


 背後から二メートル超はある巨大な爪が振り下ろされた。間一髪のところで私は前方に転がってそれをかわす。決して彼らの攻撃を真っ向から受けてはならない。かつて、祖国で屈指の実力を誇った重量級の戦士も、黒獣の一撃に沈んだ。


 化け物はそのまま態勢を整えて私の方に直進してくるが、それも予想の範囲内だ。下腹部に潜り込んで短剣の刃を突き立てる。大量の血が溢れて視界が遮られるが、気にせず短剣を腕ごと奥にのめり込ませた。化け物は悲鳴を上げながらのたうち回る。巻き込まれる前に私は腕を引き抜いて化け物から距離をとる。これだけの重傷を負わせれば先程のように俊敏に立ち回ることはできない。勝利を確信したその時、背後から忍び寄る気配に私は気付いた。


「何者だ」


 ビクッと、その者が身を震わせたのを感じた。どうやら私に敵意があるわけではないらしい。化け物への警戒をしつつ、後方に視線をやるとそこには育ちの良さそうな青年が立っていた。この戦地に華美で動き辛そうな外套を羽織って来ている辺り、戦いというものをまるでわかっていない。ヒーロー気取りかは知らないが彼は腰に差した細剣に手を掛け、今にも化け物に飛び掛かろうとしていた。


「やめておけ。深手を負わせたとはいえお前のようなひよっこの敵う相手ではない」


「でも、危険だし君のような女の子に戦わせるわけにはいかないよ。それに僕はひよっこなんかじゃない。厳しい修練を積んできたんだ。剣の腕にはそれなりに自信が……」


 聞き捨てならない単語に私は青年の首筋に短剣の刃を突き付けていた。彼は驚いたように目を見開き、恐怖でカチカチと歯を鳴らしていた。


「見掛けで人を判断するなよ。次にそんな呼び方をすれば殺すぞ」


「で、でも僕は」



 その時、後方で化け物が雄叫びを上げながら飛び上がった。そのまま私達をまとめて引き裂かんばかりに爪を立てて右腕を大きく振り被る。


「チッ……話の邪魔をするな!」


 迫り来る化け物に向き直り、外套から素早く拳銃を取り出して右腕に三発、両眼に一発ずつ弾丸を打ち込む。視界を奪われた化け物はもう片方の腕で撃たれた右腕を押さえながら、まともに着地できずに地面に転げ落ちた。腹部の傷も合わせて大量の血液を失い、息も絶え絶えでもうまともに動けやしないだろう。しかし、遂にエイギリカにまで勢力を伸ばしてきたか。……人類の滅ぶ日も近い。


「凄い……君は一体……」


 呆けたように私を見る青年に顔を向ける。


「お前は何者だ。王家の人間ではあるまい」


「僕は……ウォーレン。ウォーレン・ユートレッド。エイギリカ貴族、ユートレッド家の長男にして跡取り息子さ。でも、継ぐ筈だったその家はこの化け物に滅ぼされたんだけどね……。今はただの旅人だと思ってくれていいよ。君は?」


「ナギ。ダイダルからの難民だ」


「ダイダル……そうか、あの大陸はもう……」


「そろそろ私は行かせてもらうぞ。この国に用はないのでな」


 もう王宮内に私と青年……ウォーレン以外の生存者はいないだろう。これでは潜入の仕事は失敗も同然だ。

おそらく依頼人の元に赴いても報酬も受け取れまいし、このベルトリアにも黒獣が現れたのだから生死すら怪しい。ここで時間を浪費するよりも新しい稼ぎを見つけることが賢明といえるだろう。だが、私が踵を返して立ち去ろうとするとウォーレンが呼び止めてきた。


「待ってくれ! 君の目的は一体何なんだ?」


「話す理由でもあるのか?」


「いや……でも、もしかしたら僕と同じかもしれないから」


「何?」


「……黒獣狩り。違うかい?」


「それで……何が言いたい」


「僕の仲間になってほしい。一人よりも二人の方が戦力になるだろ?」


「何を言い出すかと思えば……寝言は寝て言え。お前のような役立たずはいらん」


 共闘したところで足手まといになるだけだし、行動も縛られる。そもそも、徒党を組むこと自体私は好きではないのだ。だが、ウォーレンは引く気がないらしく、自信ありげに細剣を手に構えている。


「役立たずじゃないって証明できたら、仲間になってくれるよね」


「私とやる気か? 良い度胸だが先程の戦いを見た筈だ。お前では私の足元にも及ばん」


「一矢報いてみせるさ。それに、少しは僕の実力を認めてほしいからね」


「……馬鹿な奴だ。痛い目を見ないと力の差がわからないらしいな」


「……行くよ!」


 掛け声と同時にウォーレンは細剣で素早く突いてきた。なるほど、私の持つ短剣では防ぎようのない攻撃で先手を打ってきたか。選択としては間違いではないが詰めが甘い。私は上体をそらしてそれをかわし、一気に踏み込んで青年の胸元に短剣を突き立てた。この程度の剣戟けんげきも防げないようなら私を仲間にするには程遠い。回避できなければ死。さて、どう出てくる。


 すると、次の瞬間、ウォーレンは後ろに飛んだ。離れ際に私の首に向かって細剣を振り抜きながら。

短剣でそれを弾き返して、私はウォーレンを見据えて“初めて”構えをとった。


「案外、やるじゃないか。どこで仕込まれた?」


「ユートレッド家流さ。小さい頃から父上に兵法は叩き込まれたからね。……これでも役立たずだとまだ言うかい?」


「あまり調子に乗るな。お前にはあるものが決定的に欠けている」


「え?」


 直後、ウォーレンの耳を掠めて一発の弾丸が通り過ぎた。もちろん、撃ったのは私だ。


「経験だ。お前にはそれがない。確かにそれなりに腕は立つようだが型通りだ。敵の武器が必ずしも短剣とは限らない。飛び道具を持っていた場合にはどうする? 敵が自分に合わせて近接武器を使ってくれると思うなよ。これが殺し合いならお前の命はない」


「……僕の負けだ」


 悔しそうな表情で言うウォーレン。自分の力を過信していただけあって駄目出しが相当堪えたらしい。やはり、まだまだひよっこだ。だが……太刀筋は悪くない。今は原石だが丹念に磨き上げればきっと化ける。


「ウォーレン、お前の仲間になってやってもいいぞ」


「え!?」


「お前がどこまで強くなれるのか、見てみたくなった」


 ほんの気まぐれに過ぎないが……せっかくの機会だ。この青年を鍛えてやるのもいいだろう。ふと、軍人時代、部下を持っていた頃を思い出す。しかし、もう私が一番に可愛がっていたあの青年はいない……。


「それは……僕の師匠になってくれるってこと?」


「まあ、そんなところか」


「では……これからよろしくお願いします、師匠」


 ウォーレンの貴族らしい上品な礼は実に美しく見ていて心地が良かった。


「呼び方はナギでいい。敬語も不要だ。仲間だからな。私もウォーレン……いや、長い。ウォーと呼ばせてもらおう」


「……わかった」


「では、まずはこのベルトリアから一番近い街、南東のイナンガを目指す。黒獣が現れた以上、そこも安全かどうかは分からないがな……。できれば、そこで稼ぎを見つけたい」


「了解」


 群れることを嫌悪しずっと一人で戦ってきたが、仲間ができるのは意外と気分が良い。……ふと、あの青年の影が脳裏にちらつく。もう、同じ過ちは繰り返さない。

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