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体育祭は順調に進んでいる。
という事は、大きな事故、事件も無いため、俺のいるテントは閑古鳥が鳴いてるのだ。
だが、それがまた良い。日差しに照らされる事無く、テントの中は影がいっぱいで快適な空間が出来上がっている。もし許可が下りるのならば、今すぐにもベッドへダイブしているだろう。
まあ、その許可を出す人間である養護教諭は、ふらふらと何処かへ行ってしまっているが。
このまま日陰に飲み込まれてしまうのだろうか。どっぷり底無し沼の如く日陰が誘う眠気に食われそうだ。食われてしまったら最後、俺は赤鬼に五体満足で帰してもらえないだろうが。
程良いくらいに怪我人な出る事を祈るしかない。少ないのが良いのは当たり前の事だが。
「ねえ、ちょっと」
と、ここで。瞬時に俺の願いを神様が聞き入れてくれたのか、お客様を用意してくれた。が、振り返って見たお客様の顔は、正直相手はしたくなかった人物だった。
「いらっしゃいませ」
「目に見えてわかるよ、すごーっく嫌そうなの。安心して、貴方に恨みは特に無いから」
伏見だ。今は逸島がいないので、威圧感とか、刺々しい雰囲気は感じないのだが、それでも何かを警戒しているのか、表情に笑顔は無いし、寧ろ怒り顔だ。
そんな顔で恨みはありません。なんて言われても、説得力なんて皆無である。とは言え、ここを任されている人間として仕事をしなければならない。
「それで、要件を聞こうじゃ無いか」
「要件なんて一つしか無いじゃん。ここが何処だと思ってるのよ」
容赦無くツッコミのパンチを振るって来たな。確かにそうだ。あの逸島ですら怪我の案件だったのに、伏見なら尚更そうでなきゃ来ないだろう。
「それで、どんな感じなの」
「転んで擦りむいた」
先程の逸島と似たような場所を擦りむいており、その周りが土で汚れていた。見るからに盛大に転んだのが分かる。
「割と派手にやったんだな」
「ただの借り物競争の筈だったけど、張り切りすぎた」
「借り物競争、そんな競技もあったな」
言った瞬間、伏見に鋭く睨まれた。何とか踏み止まった様だが、もう少しで罵詈雑言を浴びせかけられたかも知れない。
此奴、実は体育祭本気勢だな。ここは一つ、気合を入れるか、よし。
「取り敢えず、この傷なら一度水で洗い流した方が良いな。冷たいだろうから気を付けろよ」
「ちょ、ちょっと、」
何やら抗議をしようとした伏見の制止を尻目に、クーラーボックスに入っていた、仰々しくまほうのみずと書かれた水の入ったペットボトルを取り出し、傷へ水を掛けた。
伏見が大きく仰け反った。
「ちょーーーっと!や、やめなっさい!」
「あ、ごめん」
凄い目で睨まれた。流石に急な冷水はこたえたらしい。傷口を大事そうに抱く様にして、守っている。
何だか申し訳なくなってきた。
「ま、まあ、絆創膏貼っとけよ」
「……それは貰っとく」
今すぐにでも噛み付いて来そうな表情で、俺の手から絆創膏を取る。これは逸島と同じく嫌われたかも知れない。というよりか敵として見なされたかも。どちらにしろ自業自得と言える。
「貴方、逸島の言う通り飼い主の素質があるね。申し訳ないって表情してない、気持ちが良いって表情してる!」
思わず顔を手で押さえた。
本当かも知れない。少し気持ちが良かったと思っているのだろうか。心も何だかさっきよりも晴れている気分だ。
「図星かよ、そうなのかよ」
「あー……そうかもしれん」
より一層、伏見の瞳が鋭さを増した。
荒々しく絆創膏を傷口に貼ると、勢いよく伏見は立ち上がった。
そのままテントを出て行く、
が、急に立ち止まり、ゆっくりとこちらに振り返る。
「そう言えば、借り物競争のタイムリミット。まだ一分くらいあるのよねぇ」
「ーーーーっ」
振り返った伏見の顔は、どんな般若よりも怖い顔をしていた。息を大きく飲み込んでしまう程に。
「今気が付いたけど、私のお題とあんたってちょうど良いんだよねぇ」
悪魔の微笑みなんて名前が付きそうなほど、表情が崩れていく。
「付いてくるよね?」
「……ひっ」
☆
結局、俺は伏見に半ば引きずられる形で、借り物競争に参加させられた。
走らされる中で見た、あの逸島の顔が脳裏にコベリ付いて忘れられない。
ーーーお前は何をやっている
ゴールをした後、見せてもらった紙には、二文字で「暇人」と書かれていた。
俺はただ、その二文字を飲み込み、否定する事が出来ない悲しみに包み込まれた。そして、マイクを持った体育委員の確認に対して、はい暇人です。と答えるしか出来なかった。
心で泣いた。