1-3
「……魔法陣?」
「うん。魔法陣」
仁王立ちで高らかに宣言するが、正直なところ何を言っているんだ此奴は。な気分である。魔法陣と言えば、アニメで魔法使いが魔力で何たらかんたらしたり、悪魔を呼んだりする、黒魔術で用いられるもの。それを運動場に描いている?いかん、これは謎が深まるばかりだ。これでは逸島の好奇心が薄れるとは思えない。
当然のように逸島が食らいついた。
「それは何かを召喚したいから描いているのかしら」
目の前の女子は、逸島の問いに少しだけ首を傾げて考える。ほんの数秒、彼女は口を開いた。
「そうだね、詳しく言えば違うけど、大まかに言えばそうよ」
「それは人かしら」
彼女の答えに逸島が間髪入れずに突っ込んだ。もっと核心の奥底へと踏み込みたいのだろう。対して、彼女は困った表情を浮かべて一歩引く。何故こんなにも自分のする事に興味を持っているのか理解出来ていない様子だ。
だが、それが逸島だ。自分のだろうと他人のだろうと、謎を解明するのが逸島の何よりも幸せな事なのだ。俺はただただ魔法陣を描く少女に、諦めろと視線を送る事しか出来なかった。
視線を受け止めてかどうかは知らないが、彼女は諦めたように一つため息を吐いて語り始める。
「はいはい、細かい事は言いたくないから言わないけど、それなりには説明してはあげる。まず、私が魔法陣を描く理由は、私が知らない、知りたい情報を持つ奴をここに呼びたいの」
ここよ、そう言って彼女は手元のライン引きを数度叩く。運動場と言いたいのだろうか。彼女がライン引きを叩く度に、地面へ石灰が溢れる。
「それで、メッセージ性を含んだ魔法陣を描いて、その情報を持つ奴を引っ張りだしてやるの。ってな感じでもう何回かやってるけど、一向に現れないんだよねぇ」
少女は死んだ魚の目をしながら校舎を眺め、体重をライン引きに乗せて、脱力をしている体のバランスをとる。
「あら、そんな回りくどい事をしなくても、この時間帯にこの学校にいる人物である事まで把握している貴方なら、ある程度まで絞れるのでは?」
「ううん、そんな簡単な話ならライン引きで魔法陣を描いてないわよ」
「簡単な話じゃない?」
「ええ、そうとも。……ねぇ、そろそろ再開していい?」
と、俺達に聞きながらも、はい、いいえの返答を待たずに、彼女はライン引きを従えて魔法陣制作を続行し始める。食い下がるように擦れ合う程の距離へと逸島が詰め寄った。少女は一瞬の嫌な顔を直ぐに収納して、何も言わずにラインを引き続ける。
少し間が出来て、静まり返る運動場。
校舎の様子を伺うが、特に変わった所は見つからず、幾つかの教室に明かりが点いているだけだ。
また少しして、少女が口を開いた。
「私と貴方たちなら分かるだろうけど、私達はまだ一年生でしょ?もし目的の相手が上級生担当の先生や学生なら、手当たり次第に当たるのは難しいの」
話の続きをする気になったのか、機会的作業を続けていた少女が、次々と言葉を発していく。
「それに、下手な動きを見せたらどんな事をされるか分からない相手だもん。自ら話に来る方向に仕向けなければ心配よ」
少女の目付きが鋭いものに変わる。余程何かを相手に握られているらしい。が、其処を掘り下て俺たちに喋るつもりは無いらしいのか、それ以上は語ろうとしない。
が、そこに逸島が噛み付く。
「あら、相当な何かを握られてるのね。其処までし欲しいのにはどんな理由があるのかしら」
少女が急停止する。
数秒、少女は空を見上げた。
そして振り返る。
「私は伏見京子。一組所属」
唐突に自己紹介が飛んで来た。理解が遅れるが、逸島が伏見に手を伸ばしたのを見て我に帰る。
「逸島茉利子よ。三組に属しているわ。これからよろしくしましょう」
「ええ」
明らかにこれは決闘だ。二人とも口で笑みを作っているが、目が笑っていない。伏見は逸島を信頼していないし、逸島も逸島で、伏見の嘘を今にも暴いてやろうって腹の内が丸見えだ。二人の目線の間では鋭い電撃がぶつかり合っているのが見える気がした。
「で、君は?」
「え、あ、俺?」
二人の世界へと突然引き込まれ、思わず仰け反ってしまうが、一度だけ咳払いして名前を告げる。
「月等 輝也だ。同じく三組所属」
「へー」
目を細めてどこか悪ガキみたいな視線を伏見は俺に向けてくる。なんかこう擽ったい気分だ。目を背けたらケタケタと笑われる。
「なに、逸島の彼氏?いや、これはペットに近いかな?」
「あら、そう見えるかしら?残念ながら私は飼い主になるタイプでは無いわね。そうね……寧ろ首輪をつけてリードを握ってもらう方が得意かもしれないわ」
急な舌戦だ。と言うか俺を巻き込まないでくれ、心臓が縮んでしまう感覚が襲う。ひえ、吐いてしまいそうだ。
俺が胸を押さえて吐き気と戦っていると、また伏見は空を見上げる。
眼を閉じ、息を吸って吐いての深呼吸の過程を終え、再度俺達の方へ顔を向ける。そして口を開いた。
「覚悟を決めた。特別に貴方達には教えてあげる。私が知りたいって事をね」
突如、舌戦が終わりを迎える。だが、それ以上の重圧が空気にのしかかった。伏見から溢れ出る雰囲気が空気を一変させているのだ。
その空気を楽しむように伏見が笑みを浮かべる。
唇がゆっくり開いた。
ーーーーー私の姉が自殺した秘密を知りたいのよ
一陣の風が、俺達と伏見の間を駆け抜けていった。
それぞれの世界を引き裂くようにーーーーー
☆
重たい空気は、校舎に戻った今でもべったりと自分に張り付いたままだった。
あの後、伏見は魔法陣を完成させて去って行った。ご機嫌な表情を隠さず鼻歌交じりに去って行く彼女は、とても満足した様子だった。
そして、逸島はと言うと。ずっと難しい表情を見せ続けている。考え事をしているようで、余分な事を頭に入れない為に、視覚からの情報供給を一切止めているのか、真っ直ぐ歩けていない。
その所為で先程から柱にぶつからないよう、俺が逸島を操縦して廊下を歩く、とても面倒くさい事をやらされている。
ミーティング終わりで教室に残っている生徒達から変な目で見られるのが辛い。
頼むからしっかりと歩いてくれ。
操縦する事、数分。逸島が校舎に戻って来て初めて自らの意思で停止した。
視線は一点、窓の向こう側の運動場を向いている。
運動場では、荷物を持ってまた戻って来たのか、伏見らしき人物が見える。
が、運動場を見て、息を飲んでしまう。
「これが彼女の伝えたい言葉」
小さく逸島が呟いた。
夕焼けに照らされる運動場、白色の線が引かられているが、それはトラックではない。
大きな瞳。
大きな瞳が空を見上げていた。
「『私は何時でもあなたを見ている』。成る程、あれはただの魔法陣によるメッセージでは無いわよ、月等くん」
夕焼けに照らされた逸島の顔が子供のように輝いて見えた。
ーーーー叫ぶ魔法陣
「あの魔法陣は彼女の意思を叫んでいるのよ」