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夕日が遠くで沈んでいく。
顔の半分だけが夕日に晒されていて、片頬が焼けたように熱い。
日差しから避けられる席に移動すれば良い話なのだが、そうは問屋が卸さない話なのだ。
結局、俺は逸島に付き合ってしまっている。
図書委員が居眠りしている以外に、人の気配を感じない図書室で、窓際の席を陣取って運動場を只管監視をしている。
放課後、帰宅部や部活が休みの奴らが帰っていく背中を眺め、少しお喋りして遅れた奴らの背中も眺め、委員会で残っていた奴らの背中もガン見した。
それでも一向に動きは無かった。
運動場を横切って倉庫へ向かう人の姿は皆無。それどころかここ一時間外を出歩く人を見ていない。
「なあ、今日は動きがないんじゃないか?倉庫の鍵が持ってる奴が怪しいはずなのに、部活動は活動してないぞ」
俺の前の席で同じように監視をしている逸島に、遂に耐えられなくてなって聞いてしまう。
頬杖をついて外を見ていた逸島は、顔を動かさずに、目だけをこちらを向ける。
「わざわざ盗みを働く人が、正規の方法で倉庫の扉を開けるわけないでしょ。ピッキングだとか、泥棒なら泥棒らしい手段で開けてるわよ」
それだけ言ってまた窓の方に向いてしまった。こんな風に、監視を始めてから特に会話がある訳でも無く、イベントがある訳でも無い。時が無駄に消費されて行く勿体無さだけが残るだけだ。
取り敢えず、何か暇を潰せる書物を探してこよう。
鋭く睨みつけながら監視を続ける逸島を余所目に、俺は席を立つ。これから長く、下手をしたら数日間の放課後はここに居座る可能性が高い。なるべく長編の作品を選んでおいた方が良いかもしれない。願望的には、短編で終わってくれたら良いのだが。
ーーーー
それから三日が経った。
窓から見える風景は、恐ろしい程に変わり無く映り続ける。変わるとしたら、運動場で練習をする運動部だけである。詰まり、平和だ。盗みとか、神隠しだなんて起きているようには見えない。
田中からもその後を聞いているが、特に石灰が減った様子は無いらしい。
完全に停滞状態だ。荒川の時とは違い、被害がはっきりとしていない時点で、スタート地点にも立っていない事件なのだ。
「なあ逸島」
「なに」
もう何度目だろうか。窓に向いてる逸島に言葉を投げかけるのは。回数は覚えていないが、彼女が律儀に返事をしてくれている事は分かっている。少しずつ返事が簡略化されていっていることも。
「本当に石灰を盗んでる奴なんているのかよ」
「そうね、分からないわ」
三十回目くらいの質問で、三十回目の解答だ。"分からない"これが正直な答えだ。何かが詰まったみたいに物事は動かない。
「別のライン引きが壊れたから、仕方なく授業で使ったんじゃねーの?」
「それは無いわ。田中くん曰く、ライン引きが壊れたのは、前日最後の体育の授業だったらしいわ。しかも、代用にサッカー部の物を使ったらしいわよ」
完璧な答えが返ってくる。俺が居なくても、普通に調べ上げて来ている。本当に俺は必要なのだろうか?なぜこの場に居るのか分からなくなってくる。
天井のシミを眺めるのも飽きて来た。
何か無いかと机を見るが、先程まで見ていた三国志の漫画しか置かれていない。
もうこのまま化石になりそうだ。机とお尻が引っ付いて、彫刻な如く固くなって飾られる。それもまた幸せなのかもしれない。
「月等くん」
「え?」
前の席から伸びて来た手が、俺の手首を力強く握る。
前を見れば、逸島の瞳が真っ直ぐ俺を貫いていた。急な事過ぎて面を食らってしまうが、今度は逆の手が伸びて来て窓側に顔を無理矢理向けられてしまう。女の子に顎を掴まれるなんて、夢にも見た事が無いのだが、向けられたその先の光景を見て、そんな事も吹き飛んでしまう。
薄暗くなって、灯りが乏しくなっている運動場に、誰かが居た。
運動部の誰かか。いや、今日は体育祭の部活対抗リレーに向けてのミーティングが有るから、もう引き上げている時間帯だ。
なら答えは一つだ。
無言で俺と逸島は走り出した。
驚いて図書委員が目を覚めるのを横目に、俺たちは駆けていく。
数日掛けてやっと掴んだチャンスだ。逃すものかと無我夢中に走り抜けて行く。
幸いにも赤鬼はミーティング中だ。止める者もいない。
階段を飛ぶように駆け下りながら、曲がり角は滑り込むように曲がる。靴を変えてる時間ももどかしくて、そのまま外へと飛び出した。
急激な運動で視界が歪むが、はっきりと運動場に立つ人物を確認出来る。
ゆっくりと俺たちは人影へと歩み寄る。数日間の監視が漸く実った瞬間だ。高い肉を食べる時みたいに、勿体振って時間を掛ける。
やがて、目の前の人物も俺たちに気が付いて振り返った。
黒髪のポニーテールがふらふらと揺らぐ。女の子だった。それも、俺らと同じ学年のネクタイだ。
「貴女が、そのライン引きのラインパウダーを消耗させていた犯人?」
逸島の鋭い問いに、少女は少し首を傾げ、「だからなに?」と言って見せた。まるで悪気なしだ。
ただ、此方も被害届けとかが出されている訳でもない。少しだけ答えに詰まる。
「それは野球部の所有物だ。勝手に消費されている事が先日分かって、野球部員が困っていた。だから俺らが代わりに調査してたんだよ」
詰まった結果の答えがコレだった。半分本当で、半分嘘だ。田中は困っている素振りはあまり見せなかったし、もう忘れている段階まで考えられる。こんなの俺らの遊びとか、お節介でやってる事でしかない。だが、その言葉を聞いた少女は、げっとしたら顔をして、「つまり赤鬼のかよ」と嫌そうな顔をした。
「それで、貴女はなにをしているの?」
ここで逸島が核心に迫る一言を告げた。少女も手を止める。そして眼鏡の奥の瞳が俺たちを睨みつける。汗が腕を伝って地面に落ちる。一瞬が永遠に感じる。
「それを聞いてどうするのよ」
敵意を持った声、言葉。明らかなる警戒だった。それでも逸島はバッサリと告げる。
「決まってるじゃない。謎だからよ」
相手の顔が疑問で染まる。何を言ってるんだと、そう言いたいのが容易に想像出来た。
「貴女のしている事、その意味、全てが謎なのよ。数日間考えていたけれど、私には分からなかった。運動場に絵でも描きたかった?そんか芸術意識がある人なのか。いえ、だったら誰かの目に付く場所に描きたがる筈よ。其処までの意識を、持っている人間ならば、絶対に他人に見せて感想を聞く筈だから。なら、貴女は何のためにやっているの?」
好奇心が逸島から溢れ出て来ている。知りたくて堪らない。そんな雰囲気が隣に居る俺の肌をチクチクと刺してくる。
それを真正面から受ける相手も、眉をひそめて怪訝な表情を浮かべるが、やがて口を開いた。
「そんな芸術意識は持ち合わせていない。残念だけどね」
ーーーでも、少しだけ掠ってる。
少女は仁王立ちして、高らかに宣言する。
「私が描いているのは魔方陣よ」