2月15日
気がつくと夫が謝っている声がした。
看護師さんも誰かに謝罪していて先生たちの低い声もする。
手を動かそうにも私の手は更にきつくベッドに結び付けられていた。
夫は私の結び付けられた手を握って
「ダメじゃないか。勝手に立てるだなんて! 前だって呼吸器抜いたのにドレーンまで抜いちゃってさ! もし死んだりしたらどうするんだよ!」
私に声を荒げた。
え?
ドレーンを抜く? 私がしたの?
私はぱちくりしながら夫を見た。
記憶にない。
「高橋さん。きっと奥さんに記憶はないです」
嵯峨先生が困ったように言う。
「だからって!」
夫は言うけれど
「そういう時期なんです」
先生たちは冷静だった。
そういう時期ってなに?
夫いわく。どうやら私は夜中にベッドから降りて、あげく手を血まみれにしながら腰に入っていた針金を抜いたらしい。
説明を受けて自分自身の行動だと言うのに頭を押さえた。
「背中、痛いような気がする」
腰の辺りをさすりながら言うと
「そりゃそうだよ。そこに入ってたドレーンを君が抜いたんだから」
先生たちに苦笑いされた。
なんというか……なんというべきか。
これはもう、本当に申し訳ないわ。
「あと少しでもう一回鎮痛剤打ちに来るからね」
西田先生に言われて私は頷いた。
眠っている間の私はなんて危険なんだろう……。
今日は何月何日?
その質問には答えられるようになった。
だって、カレンダーが目の前にある。
時計には日付だけじゃなく曜日だって表示されている。曜日は日本語じゃなくアルファベットの略字だけど、それもちゃんと理解できた。
これってズルっこ?
けれど、それを見ていることもみんな承知で誰も気にしない。
ちゃんと道具を認識しているかって言うことだろうと解釈した。
少しずつ座ることにもなれて、少しの間だったら背もたれがなくても姿勢保持ができるようになった。
そして同じ時期、私の手元に携帯が戻ってきた。
医師から「食べたものでも人の名前でもちゃんと認識できているか見てください」といわれ、その日から食事のたびに夫や母たちに「これはなに?」と聞かれることになる。
家族が私の食事の献立をノートに記入していると気づいたので「自分で書くよ」私はそのノートと筆記具を借りた。
おかゆ、味噌汁、さといもの炊いたん、小松菜のおひたし、さんまの塩焼き。
久々に書いた字は、不揃いで震えていた。
義母の達筆の下にあると余計に悪筆が目立ち、苦笑いしてしまう。
ちょうど先生の回診があって、嵯峨先生と西田先生がそろって入ってきた。
私がノートを閉じようとしたら、
「何かいてたの?」
嵯峨先生に尋ねられた。
「今日の献立です」
「見せて」
他愛のないノートを二人が覗き込んだ。
「字、書けてるね」
「献立内容も、自分で書いたの?」
二人に聞かれて頷いた。
先生は机に残っていた食事の中身と私が書いた献立を照らし合わせると、ノートを返してくれた。
「これからもリハビリと思って自分で書くといいよ」
「はい」
文字もちゃんと認識できてるし、残っている。
こんな病気をする前はそれは当たり前だと思っていた。
けれど、脳をいじるということはもしかすると思っていた以上に慎重にならないといけないのかもしれない。
その日の夜、一人病室でぼうっとしていると静かにノックがあった。
「はい?」
時計を見れば夜の8時ごろ。
誰だろう?
そちらを見れば、西田先生がこんばんは、って入ってきた。
こんな時間にまだいるんだ?
首をかしげていると
「高橋さん。遅くなったけど、頭、抜糸しようか」
私の頭をちょんちょんと触った。
「もう大丈夫なんですか?」
尋ねると先生が頷く。
「うん。もうじゅうぶんたったし」
そっか、じゃいいよ。
私がうつむいて先生のほうに頭を向けると
「じゃ、はじめるよ」
ばし、ばし、ばし
数度、頭で音がして、数度傷口を確認するように触れた後
「はい、おしまい」
先生が離れた。
「ありがとうございます」
でも、あんなにあった糸がどこにあるのか分からなくて首をかしげていると
「あ、糸は頭洗ってるうちにとれちゃうから大丈夫だからね。ちょっと消毒とってくるから待ってて」
先生はふらっと出て行ってまたふらっと入ってきた。
病室が詰所の真ん前なので、とても速い。
とんとんと傷口周辺を消毒してもらい、これにて終了。
「じゃ、おやすみ」
先生も疲れているのかいつもよりゆっくりした口調でしゃべっていた。
それにしてもこの先生、朝ごはんの時もいたけど、こんな時間までいるのか?
「ありがとうございました。先生、相当お疲れですが大丈夫ですか?」
「うん、たぶん」
先生は疲れた顔で笑って、ひらひらと手を振った。
いや、大丈夫じゃないだろ、アレ。
結婚してるか知らないけど、独身だったらともかく結婚してたら奥さん大変だぞ……。
先生が出て行った扉を見つめながら肩をすくめた。