??月??日
長い夢を見ていた。
たくさんたくさん夢を見ていたため、時間も何もわけがわからない。
ふと前を見れば子どものときに亡くなった祖父母が夢に出てきた。
祖父母が私の頭を撫でては実家の前を流れる川の向こうに消えていく。まだ、お前はこっちにこれないよって、置いていかれた。
次の夢の中は、母が泣いていた。私の髪が後ろでぐしゃぐしゃに毛玉みたいに絡まってしまって、母が、こんなになっちゃったらほどけないじゃないと嘆きながら少しずつほどこうとしてくれる夢だった。けれど、私はそんな母をなだめた。
でもね、お母さん。この髪、職場の人にそれはそれは芸術的に編んでもらったんだよ、編んでもらったときはとても綺麗だったんだよ、すごくきれいだったから写真に撮ったんだよって。
「どうせ剃っちゃうんだから、切っていいよ」そう言ったのに、「嫌よ。ちゃんとほどく」母はそういって少しずつ髪をほぐしてくれた。
母だけじゃない。
「こんなになるなんて思わなくて、ごめんね」髪を編んでくれた人もほどこうと髪を梳いてくれた。
そんな気にしなくていいのに。私はごわごわの塊になった髪をぎゅっと握った。
また別の場面の夢の中の私は、高校生に戻っていた。
その夢は結構しんどいものだった。
皮膚移植をした時の記憶が混ざっていた。
夢の中で私は手術した足が動かないと嘆いた。
寝返りも打てないと頭だけを動かす。
そして今度はその頭が痛いと喚いた。
自分の足で立ちあがりたいと泣いた。
気持ち悪い、気持ち悪い。
息ができない。
喉に入っているこれをとって。
とって。
気持ち悪い、気持ち悪い。
ねえ、気持ち悪いの!
かきむしる手を押さえつけられる。
「はずしちゃだめだよ」
やめて、やめて。
放して。
気持ち悪いの、これをとって、ねえ、ねえ!!
手が動かないよ?
なんで?
手を伸ばしたい、手を伸ばしたいの。
なんでこの手は動かないの?
どこまでが夢?
全部、夢?
夢の合間に音楽も聞こえた。
私が中学生のころから爆発的に流行した2人組ユニット。
ビジュアルと音楽が格好良くて、CDアルバムをほぼそろえた。
その2人の、一番売れたアルバムだ。
懐かしい曲。
「わお、懐かしいのが一杯!」
「本当に、どれも懐かしいよね! 今度こっちのをかけよう」
聞いたことない声の女の人たちが楽しそうに次々に音楽をかけている。
ああ、このアルバム私も持ってる。
次のもそうだ。
同じだね……ん? 同じ?
私、このアルバム、実家においてきたよね?
でもこの曲は好き。
ああ、うん。まだ歌える。
……でも、この曲、うるさいなぁ。こんなにうるさかったっけ……?
他のアーティストが聞きたい。
今だったらOWL CITYとか、スキマとか聞きたいのに。
どうせだったら夢の中で思い出せたらいいのに。
ねえ、今はいつなの?
私、なにをしているの?
どこにいるの?
もしかして、もう生きてないの?
時折、指先にバシュッという音とともにするどい痛みが走る。
体が跳ねそうになると、誰かがごめんね、痛かったねと手を握ってくれた。
痛みがあるっていうことは、生きているのかしら?
夢は持続性がなく次々に変わる。
しかし、そのたび私は誰かと話をしていた。
ねむい、ねむいよ、ねかせてよと言いながら。
かけられる声で多いものが二つあった。
「僕は誰だ?」
夢の中で何度も繰り返される質問だ。
「今日は何月何日?」
「ここはどこ?」
「君はなんでここにいるの?」
何度も何度も繰り返し尋ねられた。
そんなの、私が知りたい。
ねえ、今は
いったいいつ?
ある日は、皮膚移植をした大学病院の名を挙げた。皮膚移植をするために入院している、と。
ある日は、祖父が入院した大学病院の名前を挙げた。祖父が手術をしていたから、と。
僕は誰と問いかける人たちの名前が覚えられない。
目をあけられない。
目が痛い。
「ちゃんと目をあけて。ちゃんと見て。ちゃんと僕たちを見て」
いろんな人に繰り返される。
けれど、痛いの。
目をあけると痛いんだよ。
それに眠い。
とても眠いんだよ。
あとまだ頭が痛いの。
ぐっと圧縮されてるみたいに痛いんだ。
今なら三蔵法師に輪っかをつけられた孫悟空の窮屈さがわかる。
なのになんでそんなことばかり聞いてくるの。
私は眠りたいの。
今がいつかだなんて話したくないの。
なんでそんな意地悪ばかりするの?
なんで私の夢を邪魔ばかりするの?
そして唐突に気づいた。
夢の中で話していると思っていたのに、もしかして現実に誰かと話をしているの? と。
「僕は誰だ?」
私に問いかける声は2つある。
ひとつは喉の奥に丸みを含んだ声。もうひとつは少し、ほんの少しかすれを含んた声。
今聞いているのは、少しかすれた声音のほうだった。
この声の主は、あの目つきが悪い人。
「西田圭一先生」
そっかあ、この人医師だったんだなあ。
改めてそうまじまじと思う。
あのとき、散々私をにらみつけるように見ていた彼は看護師じゃなく、脳外科の医師だった。
「正解」
安堵したように言われて、私も安堵した。
うすっら記憶にあるのが、「にしだけいいち」という名前が覚えられずに、なぜか往年の俳優の名前を言っていた。
さらにその人の古いヒットソングも歌ってた。
苗字が一緒ではあるけれど、だからって年齢がぜんぜん違うだろうに……なぜだ……。
そうして、丸みを含んだ声は嵯峨孝之先生だった。
西田先生の名前を覚えるのにも苦労したが、嵯峨先生の名前を覚えるのももうひとつ苦労した。
声をかけられるたびにこの人は怖くて、意地悪な人だと体がすくんだ。
この声は怖い。
夢の中で「チョコが食べたい」と呟けば
「チョコレート!? どの口が言っているんだい! 君ね、痩せてたらそもそもこんな病気になってないよ! 君は太りすぎだ! だからチョコレートなんて食べられるわけないだろう!」
ひとつ言えば十くらいになって厳しい声が降って来た。
その声は容赦がなくて
「糖質を知りなさい。米は砂糖と一緒。パンだって砂糖と一緒。白い食べ物はね悪魔の食べ物だから食べちゃダメだよ!」
ばっさばっさと私の願いを切り捨てる。
おなか空いた。
何か食べたい。
ご飯でもうどんでも、なんでもいい。
甘いものも、食べたい。
食べたいんだよ。だってこの前チョコをたくさん買ったもの。
冷蔵庫に入れてあるんだよ! もってきてよ!
子どもみたいに駄々をこねればこねるほど
「まだいってるのか! こんなに言っているのに。砂糖なんてね、食べちゃいけないんだよ! 君、次に血管が裂けたら今度は死ぬよ!?」
夢と現の間、散々耳元で言われていた気がする。
夢かなって思ってたけど、どうやらずっと現実に説教されていたらしい。
説教された実感がまったく残っていないが、私の中でこの人は怖い意地悪な先生という記憶だけはしっかり根付いたわけだ。
なのに、だ。
ある日、何度目だったか、「僕は誰だ?」と聞かれ「嵯峨孝之先生」と答えたら「ありがとう」と突然強く手を握られた。
え?
驚いて閉じていた目をあければ、手術をする前に見たあの眼鏡の先生が嬉しそうに私の手をしっかりと握っていた。
「なんで? なんでありがとうなんですか?」
私が尋ねたら先生は嬉しそうにいった。
「だって、君が初めて僕の名前をちゃんと言ってくれた。今だって目をあけて僕を見ている。とても嬉しいよ。ありがとう」
それは手術をする前にしたときと同じ、暖かくて力強い手だった。
その手は、私の意識をこちらに引き寄せた。
「もう忘れないでね。僕らの名前」
先生がそういった日、私はICUから一般病棟に移った。
手術をして5日がすぎていた。