【その後】どSな先生と私
入院中常々思っていたことがある。
一度でいいから嵯峨先生にぎゃふん(死語)といわせたい!
一度でいいんだ、一度で。
その目標は入院中はついに叶うことはなかった。
ただ、入院中に嵯峨先生が言ったように退院後も定期的に通院している。
長い目で経過観察がいるらしい。
風邪とは全く違う病気だったんだなあって、今更思ってしまった。
ところで、西田先生はだいたい「嵯峨先生と一緒の時がいいでしょ?」と、嵯峨先生と西田先生が外来担当の日に私の予約を入れてくれるんですけど……西田先生、一つよろしいですか?
脳外科の外来の診察室は2つ。それぞれに3人の脳外科の先生がローテーションで入っている。たとえば今日は西田先生と嵯峨先生が入っている。
部屋の作りは一番奥ではつながっているようだけれど、基本的に入り口から奥に向かっての三分の二は壁で仕切っているため、ここからでは嵯峨先生の姿かたちを拝見することは全くできない。とりあえず途切れた壁の向こうから嵯峨先生の声が聞こえることがあるけれど、直接顔を合わせて話したことなんてない。
……だったらなんで、いつも嵯峨先生と一緒の日、って予約を入れるんだろう?
これは、あれか?
壁越しに、「ああ、相変わらずお元気そうですね」っていう空気を感じ取って楽しんでいってね、っていう新たなプレイかなんかですかね?
そんなに私のMっこ部分を開拓されても……。
うーん、それはそれで面白いけれど、残念ながら、面白いで終わるなあ。
いや待て、落ち着け、先生にそんな意図はない。
そんなこんなで、相変わらず目つきの悪いイケメン主治医と、主に私と看護師さんの間で笑いの絶えない順調な経過観察報告をする診察光景を繰り広げていたのだけれど(他の患者さんの診察の様子見ても、そこまで医師や看護師さんが爆笑する診察風景、ないよね? あれ?)。
7月のある日、私は自分の車を車検に出していたのだが、その受け取りの時に車屋さんの自動扉に衝突した。
結構したたかに額を打った。痛かった……。
もともとなにかにぶつかりやすいほうではあったのだけれど、退院してからは特に頭を打つことが増えた。
タケノコほりに行った際も竹と衝突したし、スーパーの自動扉にもご挨拶したことが何度かあった。
そして、だいたいその時は痛くなくて帰る。
が、1週間ほどして痛くなったりするようになった。
最初は何で痛いのかわからなかったけれど、頭を打った記憶を2,3日以上遡らないといけないと気づいてからは、頭を打った日は必ず血圧手帳に記録を入れることにした。……血圧手帳をそんな風に使うのが辛い……。
今回もそうなるだろうかと気を付けていたのだが、やはりその車検の時に打った痛みが1週間以上たってから出てきた。
別に痛みだけだったら気にしなかったのだが、今回は瞼あたりが腫れあがっていた。前日の夜、シップをして寝てみたけれど、朝起きるともっと腫れてしまった。
これはひどい。
今日は金曜日。週明けに西田先生の外来予約が入っているけれど、このまま土日を迎えて万が一のことがあってもいけない、やはり開いてるんだから診てもらったほうがいいだろうと夫やお義母さんに言われて、急遽病院に向かった。
今なら脳外科の外来をやっているはず。
ただし、今日は西田先生は外来にはいない。きょう外来にいるのは、大御所先生と嵯峨先生だ。
車の運転はできそうだったので自分で運転をしながら(4月の後半から、車の運転が解禁になっている)、仕方ない、嵯峨先生の外来を受けるか、と覚悟を決めた。
嵯峨先生と話をするのは実に3か月ぶりくらいだろうか。
病棟を引っ越しして以来、姿こそ外来の待合室で見ていたけれど、話はしていなかった。
なんだか久々すぎて緊張する。
受付を済ませ外来の待合室に行くと中から看護師さんが出てきた。外来看護師さんの中では結構年配の方だ。
「高橋さん、今日はどうされました?」
尋ねられて、私は眼鏡をはずした。
「頭を打って、この状態です」
「あら。いつぶつけたんですか?」
「先週です」
「わかりました。順番でお呼びしますので、しばらくお待ちください。あ、今具合悪くないですか? 大丈夫ですか?」
問われて頷く。
「今は大丈夫です」
中に戻っていく看護師さんを見送って私は椅子に腰かけた。
ほどなくして診察室に呼ばれた。
「久しぶり。元気だった?」
問われて、おかげさまでと頷く。
嵯峨先生とこの距離で話するの久々だ。少し緊張したけれど。
「しかし、それ、いつぶつけたの」
先生は腫れあがったそこを見て首を傾げた。
私は鞄の中から血圧手帳を取り出した。毎日起きた直後と寝る前に計測していて、ちょっとした記録も書いている。
「8日前にぶつけたって書いてます。車屋さんの自動扉に挨拶しちゃいました」
私が言うと
「そんな挨拶いやだよ」
笑いながら、私の会話記録をパソコンに入力していく。
先生たちは、患者との会話の記録も入力して、他の科の先生も私のカルテを見るときに見ているらしい(ということをこの病院の産婦人科に検診に行ったときに気づいた)。
「まずは、高橋さん。頭の傷跡見せてね」
「はい」
私はヘアバンドを外した。
手術した際に剃った部分の髪の毛が伸びてきて、立ち上がり、もうヘアピンでは抑えきれなくなったので、今はヘアバンドで押さえつけている。
もう少しで、前髪を作れそうだけれど、今は気持ち長さが足りない。
嵯峨先生が髪の毛を探って傷跡を見て、頷くと
「高橋さんてどれくらいあの時期を覚えてるの?」
私に問うた。
え?
ああ、うん。血管攣縮の時期のことだろう。
私は後頭部をかいた。
「手術する前に嵯峨先生と握手して、そこでいったん記憶が途切れて、次、私が嵯峨先生の名前を言えた日に嵯峨先生がありがとうって握手しましたよね。そこでいったん浮上しました」
「うん。君、なかなか僕の名前を憶えてくれなかったから、あれは本当にうれしかったよ」
「わあ、すみません」
もう、嵯峨先生見たら怖くて体が竦みそうな時期でしたからね。洒落じゃなく。
怖い先生、としか思えなかったのだ、仕方あるまい。
謝罪してから続けた。
「その後またあやふやな時期があって、で血管攣縮終わった日に嵯峨先生と西田先生と3人で握手した。あの日からは大体覚えてます。あと、西田先生をとしゆきってよんで、『としゆきじゃないよ』って突込み入ってたの、とか」
私が笑いながら言うと
「そんなことあったんだ? 変なことも覚えてるね」
嵯峨先生が笑う。
うん。
本当は、私の中にもう一つ記憶ボイスがあるけれど、それについては秘密だ。
なんとなく。
「先生、私が手術中に再出血したときに、夫に『再出血するはずじゃなかったのにした』って言ったって聞いたんですが、どういうことですか?」
問うと
「ああ、うん。あれね、本当に再出血するはずじゃなかったんだよね」
先生がやっぱり同じことを言う。そしてそこで終わる。
いや、だからなんで?
心の中で突っ込みながら笑う。
さすが嵯峨先生だ、意味がわからん。
でも、なんとなく。この数か月、血栓を探すCTを撮ったり、家でくも膜下出血のことを調べたりしたからしたからなんとなく想像ついた。
もしかして、あのとき、私の頭の中には再破裂の危険があるほどの大きな脳動脈瘤はなかったんじゃないかって。
だから先生たち、どこが出血したか探すのに時間がかかったんじゃないか、って。
そんな風に考えている。間違ってるかもしれないけれど。
つまり私の脳の血管は、それだけもろい、ということか。
「でも、君は本当にきれいに治ったよね」
先生が私を見てしみじみ言った。
「本当ですか?」
私が問うと
「うん。だって、君には麻痺も高次機能障害もなんにも残ってないでしょ? もしそういうのが出てたら、もっと前に症状があるからわかるよ。ああ、あと君にもし障害が残ってたら、それは僕のせいだから」
嵯峨先生はさっぱりと言い切った。
いや、私にそういうのが残ってないから言い切ったんだろうけど、でも、よく言い切ったな。
心の中で、あっぱれ、って思ってしまう。
「君はラッキーだよ」
嵯峨先生が笑顔で言った。
先生たちは何度も言ってた。
くも膜下出血をしたら、3人に一人が亡くなり、3人に一人が何らかの障害を持ち、社会復帰できる幸運な人は3人に一人。
どうやら私はその幸運な人になれたらしい。
「ありがとうございます」
お礼を言うと、じゃ、廊下で待ってて、そういわれて廊下に出た。
……あれ?
今の会話の中で、いつこのこぶの話したっけ?
最初、少し?
首をかしげているとさっきの看護師さんが出てきた。
「高橋さん、今からCTをとりに行っていただきますが、場所わかりますか?」
は?
「CT、とるんですか?」
「はい。先生、そうお話しされたでしょ?」
私の表情はピシッとひきつった。
いえ、まったく?
ああ、うん。
頭打った話はほとんどしなかったなあって思ったけど……そうか。CTとればいいんですね?
「行ってきます」
私は苦笑いをしながら、放射線撮影の場所に向かった。
途中、西田先生と会った。
「次の時に、薬の話、しようね」
「はい」
頷いて、私はふと先生を見上げた。
「先生、肌白いですね」
もう7月半ばですよ?
なんでそんなに白いの。うらやましいを通り越して、いっそ憎い……。
私が言うと先生が苦笑いした。
「頑張って焼きます」
うん。
でも、先生の働き方だったら、この日の長い夏でも、太陽に浴びる時間なんてないんだろうな。
CT撮影のあと、再び脳外科の待合に戻る。
しばらくして、嵯峨先生に呼ばれたので、中に入ると、私の脳血管と頭蓋骨の写真が画面に映されていた。
「うん。血管も無事だし、頭蓋骨もおかしくはなってないよ。その腫れは、眼科か皮膚科分野かもね」
嵯峨先生が結論を言った。
「うーん……昨日、腫れてきたからシップしたんですけど」
「シップ! 瞼に湿布なんかしたらだめだよ!」
それだよ!
先生が笑う。
ふぇ!?
私が固まっていると
「アイスノンや氷のうならともかく、シップは瞼に貼るものじゃないよ」
先生が笑う。
ああ、そっか。
刺激が強いものね。
「それに、たしか君、アレルギーあったでしょ」
そういって、今度は私が入院中に受けた血液検査の結果を引っ張り出してくる。
「ハウスダスト、ダニ、エビ、小麦……そうそう、君小麦あったんだよ。家にいるからってうどんとかパスタとかパンとか、食べまくってるんじゃないだろうね? 白いものは敵だよ!」
でた!
白いものは敵!
久々に聞いた。
「ちょっと、結果印刷してあげるから。そしてちゃんとわかるように塗ってあげるから」
先生が結果をプリントアウトして、そして蛍光ペンで小麦のところだけ色を塗る。
ここに至ると二人でもう爆笑モードだった。なんだかテンション上がりすぎてておかしい。
しかも、嵯峨先生は小麦の欄だけ何度も執拗なほど念入りに塗り付ける。
「先生、エビやハウスダストもちゃんとぬってくださいよ」
私が注文つけると
「そんなの知らないよ。小麦だけはちゃんと知らしめておかないと」
なんなの、この人。
面白すぎる。
笑いすぎて頭痛い。
「あー……でも、この前、実家からお中元でエビをもらったなあ」
私は嵯峨先生が丹念に小麦だけ塗ってくれた結果のプリントを見ながらつぶやいた。「従弟が、車エビの養殖関係で勤めてて。それで実家からお中元とお歳暮は生きた車エビが届くんです。その調理してて、手が痒く……ん?」
私は嵯峨先生を見やって、言葉を止めた。
嵯峨先生が大きく目を見開いて、口元がわなわななにか言っている。言葉になってないけど、なんか聞こえた。
『生きた車エビって……生きた車エビ、って!! なんてうらやま……』
いや、気のせい、ですよね?
「……そういうのはこっちにもってきてくれたらちゃんと美味しく食べてあげるから」
ぴしっといっても駄目ですよ?
「別に私も食べる分には問題ないですし」
言いながら私は心の中でガッツポーズをした。
なんだろう、初めて嵯峨先生にもしかしてぎゃふん(死語)といわせられた瞬間だったんじゃないだろうか?
お父さん、お母さん、ありがとう!
心の中で両親に感謝した。
ていうかね、先生……。
先生、高給取りなんだからもっといいものいっぱい食べてるでしょうに……。
あれ? 偏見ですか?
くすくす笑っていたら、隣の診察室から西田先生の声が聞こえた。
ん?
「西田先生、いらっしゃるんですね」
嵯峨先生を見上げたら、うんて頷いた。
いったいいつからいたんだ?
……なんとなく、さっきすれ違った時からいたのではないだろうか。とか思ってしまう。
「とりあえず、目薬出しておくよ。アレルギー対応で疲れ目の時にも使えるやつだから」
嵯峨先生がパソコンに処方を打ち込んで、それから受付表を返してくれる。
「はい。ありがとうございました」
お礼を言って立ち上がる。
……なんか、くだらない話ばっかりしてた気がするのは気のせいじゃない。
私が今日最後の患者さんだったからだろうけれど、久々の嵯峨先生はやっぱ面白い。
あのわなわなした顔だけは絶対に忘れないようにしなくちゃ。
私は小さく笑った。
退院しても どSな先生におもちゃにされる私……。
11月も主治医の診察のあと帰ろうとしたら、前からやってきたS先生に道をふさがれるという妨害を受け、正面を向いたまま10歩ほど後ずさるという案件が発生しました(笑)。
まあ私も楽しんでいるんでいいんですけどね。




