退院まで……(3)
白田先生のリハビリのあと。
今日は今井先生のリハビリで調理実習する日だった。
事前にメニューを決め必要材料を伝えそろえてもらう。
私は簡単薬味寿司を作ることにした。ついでにお吸い物も。
まずは炊飯器に洗ったお米と水とお塩を入れてふたをした。
しばし給水させて、その間に私は今井先生に調理器の場所を聞いて野菜の準備を始めた。使う道具はあらかじめ水洗いする。
はじめに作るのは、薬味寿司だ。
炊飯のスイッチを入れて、しょうが、みょうが、大葉をそれぞれ千切りにして水にさらした。
今井先生は、最初数分間私の手つきを観察していたけれど、問題ないと判断するとほかの患者さんの様子を見に行った。
一人になってもだかだか作業を進める。
合わせ酢を作っていると
「いい匂いだね」
他の作業の先生が見て笑った。「高橋さん、手慣れてるね」
「ありがとうございます」
お礼を言って冷蔵庫を開けた。
あ、きゅうりの輪切り作らなくちゃ。
スライサーお願いしてたけど、わからなかったので、仕方なく包丁で薄く輪切りを量産し、塩もみする。
下の皮の部分で連なってるなんてことがないよう、しっかりバラバラにさせて、これで具材はオッケーか? 見渡して、あっと苦笑いした。
うす焼卵も作らねば。
しょうがミョウガ大葉の千切りはざるにあげて、それに使ってたボウルを洗い、一つに溶き卵を作って、フライパンで薄焼きを作る。
焼けたらまな板で冷まして、それを何枚か重ねて巻き、それから切って錦糸卵にした。それもこぶりなボウルに入れて、今度はお吸い物の準備をする。
とはいえ、こっちは簡単なので、準備だけ。豆腐を切ったり油揚げを切ったり、くらい。
そんなこんなしているうちにご飯が炊けた。
大ぶりなボウルにご飯を入れて、合わせ酢をかけて、手早く混ぜて少し蒸らす。
それから冷ますのだけど、冷ます時間に鍋に水を入れて吸い物用に沸かせた。
今度、それが沸騰するまでの時間に薬味やシラスといった具材を入れて寿司を完成させる。
お湯が沸けば豆腐に油揚げ、だしのもとに調味をしてわかめを入れれば吸い物も完成だ。
使った調理道具を洗って片付けていると
「片づけまでありがとうございます。美味しそうですね」
今井先生が戻ってきた。
「うまくいっているといいんですが」
こっそり味見したときは、どうにか行けると思ったのだけど、味覚は個人差あるからわからない。
「嵯峨先生と西田先生にも持っていきますか?」
今井先生が言うので目を丸めた。「もっていって食べてもらいましょう」
そ、それは。嵯峨先生は、怖いな……。
とりあえず、小皿に二つごはんと卵を盛って持っていく。
調理実習をしたとはいえ、この料理、自分では食べられない。
残ったこれらはリハビリの先生たちで食べるそうだ。
久々に病棟に行くと、詰所に先生たちはいなかった。
どうしようかなと思っていたら、患者さん巡回をしていた嵯峨先生が出てきたので今井先生が
「嵯峨先生」
すかさず声をかけた。
先生が今井先生と私を見て目を丸めた。
「どうしたの?」
「きょう調理実習で高橋さんがお寿司を作られたので、嵯峨先生と西田先生にお味見にと」
嵯峨先生が今井先生の持つトレイの上を見て首をかしげる。
「高橋さんが作ったの? 寿司?」
「はい。薬味寿司」
私が言うと嵯峨先生と一緒に巡回していた看護師長さんがあらと目を輝かせた。
「美味しそうですね」
看護師長さんが言うと、
「じゃ、僕と半分こしよう。分けといてください」
嵯峨先生が今井先生から受け取ると、看護師長さんに渡した。
「はい。高橋さん、ありがとう。いただくわね」
看護師長さんはそういって詰所の奥にそれをもっていく。
それを見送っていたら嵯峨先生が笑った。
「しかし、調理実習でご飯ものばーんって作るのがやっぱ高橋さんだね」
は!?
久々に顔を見たら早速これだよ。っていうか、それどういう意味だよ!?
やー、嵯峨先生はやっぱ嵯峨先生だな。
私は苦笑いした。
午後、西田先生が現れた。
「お寿司美味しかったです、ごちそうさま」
そういってもらえて、私は安堵した。
そして。
「そろそろ退院、どうする? いつしたい?」
私に問うた。
うん。そういう話になるよね。
私がもう退屈をこじらせてこじらせて、持て余してるものね。
ていうかね。
「私が決めていいんですか?」
私は首を傾げた。
「うん」
先生は私を見たまま頷く。
そうか。
私が自分で決めていいのか。
この部屋のカレンダーに六曜は書いていない。
できれば日取りがいい日にって思うんだけど、そんなの今更だな。
今日は29日。
明日というわけにはいかないだろう。
となれば。
「31日に」
私は先生を見上げた。「31日に退院します」
早く帰りたい。
少しでも早く帰りたい。
31日は明後日だ。
「うん。わかった」
先生が頷く。
そっか、結構簡単なことだったんだな。
簡単なこと、って言えるくらいになったんだな。
私は先生を見上げた。
「先生。西田先生に言うのが一番遅くなっちゃったけど、助けてくれて本当にありがとうございました」
嵯峨先生には言ったけど、西田先生にはまだちゃんと言ってなかった。
西田先生は、あの日最初から、こうしてずっと見てくれている先生だからちゃんと言いたい。
命をつないでくれて、本当にありがとうございました。
心から言える。
私が言うと
「元気になってくれて、本当によかったよ」
西田先生は笑ってくれた。
こんなに失礼で好き放題した患者もそういなかっただろう。
命を助けた相手に面と向かってあなたの仕事はブラックだって言われるなんて、自分で言っておきながらなんだけどひどすぎる。
けれど、楽しかった。
うん。退屈ではあったけど、いろんな楽しいことがあちこちにちりばめられてて、それを思うと楽しかったんだよ。
西田先生が去った後、私は遠くなった海を眺めた。
この2か月弱。
いろんなことがあった。
いろんな気持ちがあった。
早く退院したい。
不安なこともたくさんあるけれど、でも。
ここは退屈だ。
すごく退屈だ。
でも、おもしろい。
すごく、面白いんだ。
このままここにいたら、帰れなくなるかもしれない。
だから早く帰ろう。
早く、家に帰りたい。
……実際問題、早く帰って家を掃除せねば……。
あ、現実を思い出して、やっぱもう少し入院したいかも、と目をそむけたくなった。
あれ?




