3月17日
早朝に起きて、有志の弁当と朝ごはんを作り、仕事に送り出す。
それから身支度を整えれば、この日は濃霧で……。
「由乃さん、早いけれど出ようか」
お義母さんに声をかけられて、私は職場へと出発した。
途中お菓子屋さんで美味しいお饅頭を手土産に持参する。
道中の霧は本当に濃くて、10メートル先の車のテールランプが見えるか見えないかのひどさだった。
自然と車はノロノロ運転。
普通に走れば15分ほどの距離だが、倍以上の時間がかかった。
幼稚園まで送ってもらい、式が終わる時間を大雑把に告げて、でも職場に残している荷物を片付けたりするので、終わったら連絡すると告げ、私はお義母さんに送ってくれたことのお礼を言った。
自分で車の運転ができないのは厳しい。
まず手始めの目標は、車の運転だな。
そう心に決めた。
まず職員室に行くと、保育所の所長先生と園長先生が話をしていた。
挨拶に行くと、二人が笑顔で迎えてくれる。
所長先生も
「本当によかったね」
と回復を喜んでもらえた。
この所長先生は、加奈子が保育所に通っていた時代の担任の先生で、私が送迎を手伝っていたことで面識があったりする。
私は二人の前にお土産をそっと置いて、自分が使ってた机に向かうと、引き出しの中の私物をごそっと袋に入れた。
いらないプリントの大半は1月の終わりにシュレッダーにかけてたりしたので、少ない。
……そうなのだ。
1月の終わりに、私は自分の荷物の片づけをしていた。
なんとなく予感があったのだ。
私がしていた仕事だけは、なぜか2年続かないことが多い。
3年目更新した人があまりいない。
私の前任者の若い先生は、小学校の採用試験を受け合格し、今は小学校の先生としてバリバリ仕事をしている。
その前の先生は、2年近くしていたが、産休の先生が出たためクラス担任に変わった。
私はその前の加配期間を入れると4年以上勤めているけれど、今の仕事にかわって2年、一応次の3年目もこのままで行くことになっていたけれど、なんとなく何が起きるかわからないと警戒していた。
冗談めかしく、病気退職したらどうしようなんて笑って言ってたのは忘年会のあたりだったか。
……まさか本当に病気退職してしまって笑えない。
ロッカーにいって自分の着替えも袋に詰めて、隅に置いておく。
自分が預かっていた教室に入ると、中田先生がいて互いに目を丸めた。
「なんかそうやって歩いてたら、違和感ないね」
「うん。けど、中田先生は今日は朝からなんだ?」
私は首を傾げた。
中田先生は私と同じ職種だけれど時間が短く、いつも昼から夕方までの出勤、のはずだったのだが。
「ま、今日だからね」
「そうだね。すみません」
今日は修了式。
保護者対応などの人手が足りない。
私がいたら私がしていた仕事だ。
「……引継ぎ項目、って」
どうしようか、そう切り出そうとしたら、中田先生がそれだよって苦笑いした。
それだよってどれだよ。
「びっくりしたよ! 高橋先生、なんでこんなもの用意してたの、予期しすぎだろってみんなで震えあがったよ!」
教室の共有の机を指さした。
そこに挟んでいる紙には、私の字で、私がやってる業務内容を大雑把にかきだしたものが残っていた。
……そういえば、やっぱり1月の終わりに書いたような気がする。
私がする仕事の1か月のタイムスケジュール的なもの。
保護者へ希望調査のお便りを出す時期、その返答結果を給食の先生に出す時期、そして保護者へのお便りを書く時期、出席率などを本庁上司に報告する時期、保護者への請求書の打ち出す時期などなど。
請求書や出席入力の作り方は、エクセルのマクロ操作が関係してかなりややこしいので別紙で添付済みだ。
「ああ、よかった。作ってた」
私は苦笑いした。
うん。
これは完璧だ。引継ぎ項目として、これ以上ないほどいい出来だ。
「これあったらどうにかなる?」
尋ねたら
「どうにかするわ。パソコンは先生たちに背負ってもらってる部分もあるけど、どうにかいける」
「そか。じゃあよろしくお願いします」
私は中田先生に頭を下げた。
しかし、本当に私はいつから自分が病気になることを予測してたのか。
怖すぎる。
……。
「中田先生」
「なあに?」
「もう一つ怖い話していい?」
「何よ」
中田先生が苦笑いする。
「私さ、2月8日に入院したやん?」
「うん」
「2月7日にさ、家の中1階だけだけど、大掃除っていうかお義母さんに見られても困らないように片づけしてたんだけど……」
そういうと、先生が両手で口元を覆った。
私を知る人なら、だいたい私が片付けの類が苦手なことを察してくれる。
その私が、お姑さんに見られても恥ずかしくないところまで片づけをしたのだ。
ただし、1階に限る。
2階は足を踏み込めてほしくない魔窟だ。
「ちょ、やめてよ!」
中田先生が肩をすくめた。
うん。
でも、なんかすごいよね?
「手術前、よっぽど遺書書こうか迷ったんだけど」
「それもし書いてたら死んでたんじゃない?」
言われて苦笑いした。
その可能性が否定できないよね。手術中に再出血したとき結構な血の量が流れ出たって聞いているし。
嵯峨先生に『やー、本当に君よく生き残ってるよ』って言われたのはたぶん洒落じゃないんだろうなあ。
修了式。
子どもたちはみんなよく頑張っていた。
ドキドキする部分はあったけれど、そこはまあ幼稚園児。
みんなかわいらしくてほほえましい。
なにより。
私は今回、お客様だ。
素晴らしい。
ただ黙って座ってみているだけ。
一番きついと、歌の伴奏のピアノの役目を仰せつかったりするのだが、そういうのもない。
ただ座っているだけ。
素晴らしい。
何度も言うが、素晴らしい。
プレッシャーがない式って、こんなに安堵してみていられるのかと、初めて思った。
式は滞りなく終わり、卒園児を在園児が花道を作って見送る。近くの保育所の子どもたちや先生も一緒にお見送りをしてくれる。
私は勝手知ったるなんとやらで、中田先生と送るときに使う音楽を流すお手伝いをしたり、私が病気退職をしていたことを知る親たちには、「もう大丈夫なの?」と声をかけられたりもした。
一応、病名は伏せられているが、緊急入院というのは公表されているので相当心配をかけたらしい。
あと。
「痩せたね」
そういわれて肩をすくめた。
あまり褒められた痩せ方ではない。
卒園児を拍手で見送り、やがて在園児もお迎えに来た保護者に送り届ける。
今日は幼稚園は半日で終わる。
が。
全員が全員半日で帰れるわけではない。
この地域は保育所が3歳児まで、4歳児以上は幼稚園に行くのが慣例になっていて、つまり4歳児5歳児は、幼稚園の通常時間の保育では保護者が迎えに来れない事態が多発するのだ。
そこで必要になるのが預かり保育。
私がやっていた仕事だ。通常保育時間以降の、保育を受け持っていた。
中田先生がパタパタとそちらの準備に走る。
私はほかの先生と一緒に修了式の会場の片づけを手伝ってから、預かり保育の教室に入った。
「あ、高橋先生だ!」
子どもたちが足元によって来る。
修了式の前や見送りの際に年長児も私がいることに気づいて手を振ってくれた子もいた。
年中児さんもずっと私を見ていた子もいた。
「うん。みんな元気だった?」
尋ねるとみんな赤いほっぺをほころばせた。
3月は寒い。けれど、子どもたちのほとんどは半袖で教室にいた。
元気そうで何よりだ。ここの子どもたちは教室内は暖房をかけているとはいえ、1月や2月の寒さも半袖で乗り切る子が多い。幼稚園では寒くないらしい。
「高橋先生、また遊べるん?」
尋ねられて苦笑いしかできない。
私はまたこのあと病院に戻らねばならないのだから。
「ううん。前みたいにみんなとは遊べないかな。だからちゃんとお別れしようと思って来たんだよ」
私がしゃがんで子どもたちの視線の高さに合わせて言うと、子供たちの顔が引き締まった。
4歳でもちゃんとわかる。
私が突然幼稚園に来なくなったこと、そして今日がお別れだよ、その言葉もちゃんと理解できてる。
だから空気が変わった。
「ぎゅ、してお別れしよう」
そういうと近くにいた子から順番に抱き着いてくれた。
いつもだったら恥ずかしがって逃げちゃったりする子もいるのだけど、今日はそこにいた子全員がぎゅってきてくれた。
ありがとう。
小さくて、夢がいっぱいつまってそして元気な子どもたち。
「また会いに来るよ。元気に、みんなも小学生になってね」
やんちゃで可愛くて、隙あらば人の膝に乗ってきて。
本当にもう大好きだ。
また許されるのならば、ここで保育に携わりたい。
うん。
心からそう思うよ。
廊下で待っていてくれた他の先生たちに私は今までお世話になったお礼を言った。
ここは本当に暖かくて気持ちのいい職場だった。
「途中でもし手が必要なときは声かけてください」
そういって、私は自分の荷物を持った。
すると
「高橋先生にも」
年長の担任の先生二人からガーベラのお花を送られた。
毎年、修了児が教室でする最後のお話の時に、担任の先生に感謝をこめて一人一人から渡されるのだ。そのお花はその後、ほかの先生たちにも配られる。
「お疲れ様でした」
言葉をもらって私は頭を下げた。
途中でこんなことになってしまって本当にすみません。
「ありがとうございます」
私はもう一度頭を下げた。
外に出るとお義父さんが迎えに来てくれていた。
お礼を言って荷物をのせる。
「お別れできたかい?」
聞かれて頷いた。
「はい。ちゃんとお別れできました。ありがとうございました」
これで心置きなく病院に戻れる。
さあ、退院したら、どうしよう?
私は窓の外を見た。
朝の濃霧が嘘のように晴れ渡った空だった。
幼稚園の桜のつぼみはまだ硬い。
でも桜が咲くころには、退院できるといいな。
2本のガーベラ、1本は玄関に飾った。
もう1本は病院に連れて行った。
これは私の感傷だ。
病室に戻ると、あのおばあちゃんのスペースは空っぽになっていた。ベッドはあるけれど荷物すべてがなくなっていた。そしてどこからともなく、痛い痛いのという耳慣れた叫びが聞こえてくる。
どうやら個室が空いて引っ越したらしい。
おばあちゃんたちは落ち着いたように眠っていた。
私はパジャマに着替えてから、窓辺にガーベラを飾る。
ありがたいことに、私の病室から花が途切れることがない。
お見舞いにいただく花が次々途切れることなく病室に飾られている。
なんとなくガーベラを1輪だけ別にしていたら、夜の看護師さんにかわいいね、と言葉をもらった。
うん。
私の大事なかわいい思い出だ。
本当はこのまま感傷に浸って泣いてしまいたい。
なのに……。
こんなに心が寂しいのに、涙が出ない。
……なんでだろう。




