3月15日
病院だと睡眠薬のお世話になるのに、家だと薬を飲まなくてもいい感じに眠れる。
なんだろう、この差。
いや、睡眠薬までは持って帰ってきてないんだけれども。
困ったのが痛み止めだ。微妙に頭痛があったのだけれど、私が病院から持ち帰った薬の中に痛み止めがなく(朝と夜の定期で飲む薬は自分で管理させてもらえたのだけど、睡眠薬と痛み止めといった不定期の薬は、病院管理になっていた)、しかし、実は歯医者さんでもらったカロナールやボルタレンといった、今病院で飲んでるものと同じ痛み止めはあるんだけれど、あの医師たちが把握していない処方でもらったものを勝手に飲んでいいのかの判断がつかない今、とりあえずアイスノンでごまかして我慢するしかなかった。
どうにか眠ってしまえばこっちのもの。
やっぱ、家のベッドはよく眠れる……。
日曜日、実家に行くと母と義姉が忙しく料理を作っていた。
父が頼んでいたオードブルや大きなタイとヒラメの姿盛りの刺身を座敷に並べる。
料理が豪華なのは、次兄一家がお正月に帰省できなかったからだ。お正月の時は次兄一家にインフルエンザが蔓延してしまい、こっちには受験生もいるからと帰省しなかった。
で、その次兄一家の久々の帰省と加奈子と芹香の進級のお祝い、それから私のくも膜下出血からの生還おめでとう会が一緒くたになった、というわけだ。
私もできる範囲でお手伝いを、と思っていたら、次兄一家がやってきた。
にゃんこも一緒だ。
去年の秋の終わりに次兄は庭に迷い込んできた生まれて間もない子猫を2匹保護し、そのまま飼っている。
今日はその猫を連れてきてくれた。
次兄の娘の芹香と佳純が大事そうにキャリーバッグを運んできて、奥の部屋で放した。
次兄一家の到着というより猫の到着を聞いて、2階から加奈子と誠治が降りてくる。
奥の部屋は一気に人だかりになった。
この部屋は広い。結婚前に私が使っていた部屋だ。私は最初は2階の子ども部屋を使っていたのだが、いろいろ理由あって家を増築した際にこの部屋をもらった。まだ私の使っていた机や服なんかも残っている。
そして今この部屋は次兄一家が戻ったときに使っている。
ついでに、この部屋の一部は、ピアノを置くために床を増強していた。
その理由から床を増強している壁側は、現在本棚になっていて私たち兄弟3人が学生時代にそろえた漫画が全部収められている。数にして数千冊以上。
ただしこれらは義姉からの要望で、父が扉を作り、きれいに本棚をすべて隠した。扉は施錠式で、最初のころは鍵をしていたけれど今はしていない。
今は帰ってきた次兄がさっそくそこから漫画を選び出して読んでいる。
……もうひとつ言うと私は、結婚してから実家に泊まっていないので、特に部屋はない。
ま、車で7分だから泊まる必要もない。泊まっていいよとは言われているけれど、なんとなく。
そうはいってもいざとなれば寝る部屋はどうとでもなる。無駄に部屋数はあるのだ。田舎の家だから。
それはさておき。
キャリーバッグからかわいらしいサバとトラの猫が2匹、おびえたように出てきた。そして見たことのない人間に囲まれていたのが怖かったのか、私が使っていた勉強机の下に隠れこんだ。
実家は今は猫を飼っていない。
家族はみんな猫好きなのだが、実家は大工だった祖父が最後に建てた家だったため、柱や壁を猫によって傷つけられるのを祖母が嫌がったのだ。
祖母は一番の猫好きだったのだが、夫の作品を傷つけられるほうが辛かったらしい。
そのため、祖父母が亡くなってずいぶん経った今も、猫を飼っていない。
しばらくして猫が慣れてきたのか出てきて、あたりを散策する。兄がキャットフードを与えると、嬉しそうに2匹が食べた。
ああ、猫かわいい……。
人の手でミルクを与えて育った猫はとくに人懐こくなる。
その通りで2匹の猫はすぐ人の手によってきて甘えるようになった。
ぞんぶんにモフモフを堪能していると、叔母一家と従弟一家も到着した。
従弟一家のちびっこが、猫を見て興奮して駆け寄ってくる。
……ちなみに、猫は子どもが苦手だ。
予測できない動きにすぐさま避難行動に出た。
なんてわかりやすい。
それでも猫に触りたくて追いかけるちびっこにみんなが笑っていると
「おなかすいたでしょう? ごはんにしよう」
お母さんが呼びに来たので、ぞろぞろと座敷に場所移動をした。
猫だけはこの部屋から出ないように注意して、豪華なごはんに舌鼓を打った。
みんな揃えば、とくに久々に会う次兄夫婦や、叔母夫婦は自然と私の頭が気になるのは当然のことで。
「ほんまに手術したん?」
義姉がそわそわして私の頭を気にしていた。
「してるよー」
ヘアピンを外して見せるお約束のことをしたら、ああ、と納得する。
どうやら本当にこれがなかったらみんなわからないらしい。
叔父も
「でも今からが大変やで」
真面目な顔をして言った。
叔父も医療機関の技師なので、この手の患者さんは常に診ているし、叔父自身も過去に病をした経験があるのでいろいろ詳しい。
私は頷いた。
「これまで通りには、やっぱり行かないですよね」
「今のところ前と比べて大きく不便を感じることはないの?」
その問いにも頷く。
「天気が悪くなる前に頭が痛むくらいですかね。担当の医師から、細かく観察記録つけて気象予報士目指せって言われたこともあります」
そういうとみんなが笑った。
長兄の兄嫁は医師たちの顔を知っているので
「でもあんな格好いい先生たちだったら、私も入院したいわ」
そういうけれど。
私と母はぶんぶんと頭を横に振った。
「見た目以上にすごくおっかないからお勧めしないよ!」
そういったら、父と有志が顔を背けて笑った。
あの人たちを知っていると、みんな言葉でなんだかんだやり込められた覚えがあるのだ。
しっかし。
かなり飲み食いしちゃっておなかがいっぱい。
「おなかおきた?」
お母さんが尋ねるけど
「もう十分おきたよ。ありがとう。ごちそうさまでした」
私たちはそろって手を合わせた。
姿盛りにされてたタイとヒラメの骨の部分は、今夜あら炊きになる。
本当は私はこっちの部分が食べたいけれど、これ以上贅沢は言うまい。
再び子どもたちは奥の部屋に飛んで行って猫に触れる。
ただ。
加奈子が猫アレルギーだったらしく、くしゃみと鼻水が止まらなくなったので、猫を連れてくるのが今回で最初で最後になった。
次兄一家が帰省するとき、これからは猫は義姉の実家で預かってもらうことになるらしい。
ああ、残念。
有志が姪っ子や甥っ子と一緒に遊びだしたので、私は台所でお茶を飲みながら叔母や母たちと話をしていた。だいたいいつもの光景だ。
そのうち遊び疲れて有志が戻ってくる。
案の定
「あの子ら、なんであんなにタフなん」
有志がへとへとになって戻ってきた。
「自分が四十路越えたおじさんだってこと忘れてない?」
私が言うと
「なんの! 精神年齢はまだまだ現役だ!」
有志が威張った。
あー、うん。
精神年齢はかなり幼いよね、うんうん。知ってる。
言葉に出さないけれど、その場にいた一同納得した言葉だった。
疲れたら横になっていいんだよって言われて、布団も出されてたんだけど、家に帰ってまた病院に行く準備もしなきゃいけないので、夕方実家を出た。
みんなにお礼を言って、次兄の義姉には次はGWの祖母の法事だね、なんて言いながら別れた。
季節が巡るのが早い。
入院したのは2月。
けれど、外に出ればもう、川の土手の木蓮が膨らんでいた。
夜、病院に戻り、おばあちゃんたちにただいまと声をかけ自分の場所に入るときに、ちらっと件のおばあちゃんのところを見やると空間がベッドごと空白だった。
今夜も詰所にいるらしい。
まあ、うん。
そうなるわな。
苦笑いして、私はパジャマに着替えた。




