3月11日
朝、今井先生のリハビリでテストを受けた。
個室で、先生と二人になって、計算力だけじゃなく記憶力に理解力も加わったようなまるでIQテストのようなかんじだった。
長いテストに途中で頭が飽和しそうになる。
それをどうにか終えて、私は深く息をついた。
「高橋さん、本当にこの手のテスト、全く問題ないですよねぇ」
今井先生が小さく笑う。
「そうですか? なら、よかった」
でもつまるところ、問題がないから、打ち切られそうになっているんでしょうね。
「今度、ここの調理室で料理作ってみますか。また何を作りたいか、考えておいてくださいね」
新たな宿題をもらって、私は小さく頷いた。
今日は有志が休みらしい。
「病院行くの何時ごろ行ったらいい?」
聞かれたので、
「午前中はリハビリしてシャワー浴びたりするから、お昼からかな」
そういったら、昼一番に来てくれた。
あと、父も今日は皮膚科で帯状疱疹の診察があるらしく有志と一緒に入ってきた。
「今日は元気なのか?」
座って編み物をしている私に父は安堵したように言った。
先日の時は、頭痛でまともじゃなかったからね。
その節はとても心配をおかけしてすみません。
父は少し顔を見に来ただけだから、そういうと診察を受けに行った。
お礼を言って見送ると、有志と二人暇になった。
もうすぐホワイトデーだが、そういえば私は有志にそもそもバレンタインを何もしていない。
バレンタインの時期はそれどころではなかった。そういえばくも膜下出血前にデパートでチョコをたくさん買ったけれど、有志は自分が食べたいチョコは自分で購入していたので、私はまだ何も渡していなかった。
そうだ。
私はベッドから降りると足早に詰所に向かった。
詰所のカウンターでは嵯峨先生と西田先生が並んで座っていた。
「先生、先生」
とりあえずどっちでもいいから返事して。
私の呼びかけに二人が顔をあげた。私の位置から近いということで嵯峨先生がどうしたの? と首をかしげる。
「すごく突然なのでダメもとで言いますが、今から外出してもいいですか?」
私が尋ねると嵯峨先生は、ああって笑った。
「今旦那さんがきてるもんね。いいよ、行っておいでよ」
すんなりオッケーが出た。
あまりにあっさり許可が出たものだからちょっと驚きだ。
嵯峨先生が後ろにいた看護師さんに外出許可の用紙頂戴って声をかけて、看護師さんが私の前にどうぞと用紙を置いてくれた。
それから嵯峨先生が私にボールペンをくれたので、お礼を言ってそこに必要事項を記入していく。
とりあえず今が1時だから、戻るのは4時くらいでいいか。
戻る予定を16時って書いたら、嵯峨先生が目を丸めた。
「もっとゆっくりしていいのに」
「いや、別にちょっと買い物に行きたいくらいなので」
私は笑って、先生のハンコをもらうと病室に戻った。
ベッドのところでカーテンを閉めて私服に着替える。
大丈夫、ちゃんと自分で組み合わせて持ってきているのでこの間みたいなことはない。
コートを羽織れば
「本当にまるきり見舞客ね」
通りかかった看護師さんが笑った。
ああ、なんかそんな感じですね。
最近、ここら辺を歩いているといろんなおじいちゃんたちに声をかけられるのだ。
「あんた、若くて見た感じ普通にも歩いてるし、いったいどこが悪いんな」
って。
頭が悪いんですよ?
特に血管がもろいんです。
ああ、せめて中身は賢くなりたかった!!
そう返事をするのが私の通例だ。
このころには、私の中にも希望が大きくなっていた。
くも膜下出血をすると、三人に一人が亡くなり、三人に一人は体に何らかの障害が残る、そして社会復帰をできるのは残る一人。
もしかすると、社会復帰できる、障害のない幸運な一人になれるかもしれない、と。
ただ、天気によって苦しめられる頭痛がどこまで影響するか……それはまだわからない。
思ったよりあっさりいただいた外出許可に少し浮かれつつ、有志と近くのショッピングセンターに行き、電気屋さんに入った。
道中、バレンタインで何か買うよ、何がいい? あなたの好きなメーカーのカバンにする? って尋ねたら、防水のタブレットがほしいという。
前々から言っていて、パンフレットを集めていたのも知っているので、種類が決まっているなら買ってあげる、そういった。
そして目的のものを買うと、現金の持ち合わせはそこまでなかったので、クレジットで決済をする。
それから家に帰ってお義母さんと話をした。
修了式の朝をどういう段取りで行くかという話しをしていたのだが、どうも病院からいったのでは間に合わない。という風向きになった。
修了式なので朝9時には会場に入りたい、ということは朝の8時には身支度をして出発なのだが……朝8時って、病院にいたら食事の時間だ。
ちなみに、修了式があるのは火曜日。
私は次兄の帰省に合わせて、土日の外泊許可はとっていたのだが、これは月曜日も外泊で戻る必要があるのか。
土日に続いて、月曜火曜の外泊……果たして、それが許されるか?
私は首をかしげつつ、とりあえず病院に戻る時間が来ていたので、そこら辺は先生と相談することにした。
病院に戻り、まず詰め所で戻ったことを告げて、病室で着替える。
着替え終わってコートや服を片付けていると、
「高橋さん、戻ってるの?」
ちょうど患者さんの巡回中だったらしい先生たちから声がかかった。
「はい、もどってますよ」
返事をしてカーテンを開けると、嵯峨先生と西田先生が看護師さんと一緒に立っていた。
「外、楽しかった?」
「はい。ありがとうございました」
私は頷いた。
有志も椅子に座ったまま先生たちを見上げている。
「あ、先生」
私は二人の先生を交互に見た。
「なに?」
「土日に外泊許可を取ってるんですが」
「ああ、そうだったね」
「別の用事が出来たので、月火の外泊もとりたいっていうと、……できますか?」
私が言うと先生たちが顔を見合わせた。西田先生が指を折りながら数えて
「高橋さん、今回初めての外泊だから、いきなり3泊4日は許可できないよ?」
そう渋い顔をする。
先生たちの口で、許可できない、という言葉はこれまでで初めて聞いた気がする。
私も3泊4日は考えていない。
「あ、言い方悪くてすみません。土日で1泊2日、日曜日の夜は病院に帰ってきて、月曜の夜にまた迎えに来てもらって火曜日の夜戻るという、そういう意味です」
私がもう一度ちゃんと言いなおすと、先生たちは、あーと言いながらまだ顔を見合わせた。そして双方頷きあう。
「一泊二日を二回、それなら構わないよ」
西田先生が頷く。
あ、それはいいんだ?
私も有志もこれには正直驚いていた。
許されないかもしれないっていうほうが大きかったから。
「土日は親戚の人が集まるって言ってたっけ」
西田先生が私に確認する。
「はい。土曜日は友達が見舞いに来てくれるのと、日曜は真ん中のお兄ちゃんがお見舞いがてら関西から戻ってきてくれるそうなので」
私が言うと
「じゃあ、月曜火曜のほうは?」
嵯峨先生に聞かれて私は嵯峨先生を見上げた。
「火曜日に、私が勤めてた幼稚園の修了式があるんです。最後だからお見送りしようと思って出席することにしたんですが、時間的に病院から出発したのでは式の開始に間に合わなくなるので、それなら月曜日の夜に戻ったほうがいいかと思ったんです」
そういうと、先生たちはなるほど、と頷いた。
「そっか。無理しない程度に楽しんできてね」
先生たちに言われて私は頷いた。
「ありがとうございます」
いや、本当にありがとうございます。
先生たちが出た後、私は有志と顔を合わせた。
「そういうことなので、また迎えをお願いします」
そういうと
「土日のほうはいけるんだけど、月・火は父さん母さんに頼まないと。俺仕事だよ?」
有志が首をかしげる。
うん。
私は頷いた。
「お義母さんともだいたい話はできてるから、大丈夫だと思う。一応、伝えておいて? 私もまた連絡はするし」
それにいざとなれば、実家の両親に迎えを頼んでもいいから。
夜、痛み止めか睡眠薬か、さてどちらをもらおう? そう思いながら詰所に行くと、西田先生も嵯峨先生もまだ残ってた。
西田先生のあごには無精ひげが……。
ああ、この時間だから伸びちゃうよねえ。
嵯峨先生は髭の剃り跡すごいから多少伸びてもなんとも思わないけど、西田先生、ひげの毛穴が少ないから、結構目立つ。
そんな変な観察をしてしまうのをどうかお許し下さい。
もし、かなちゃんがここにいたら「髭を剃るか、髭を抜かせろ!」って、毛抜きをもって立ちはだかるところだ。
(過去彼女は現在の彼女の夫に、二人が付き合う前に仁王立ちで立ちはだかり髭を剃らせた実績を持っている)
まあ、朝早くからこんな時間まで頑張ってたら髭も伸びるさ。
私は見て見ぬふりをして先生に睡眠薬を注文した。
痛み止めもいいけど、睡眠薬で痛みを無視して眠る誘惑にはなかなか抗えない。
看護師さんが薬を出してくれるのを待つ間、嵯峨先生は私の眉間のところを見ながら
「ここ、ずいぶん治ってきたね」
そういって自分の眉間を指さした。
ああ、そうですね。かさぶたも取れたし、このくらいだったら、しばらくは目立つけれどケロイドになることはないだろう。
薬を持ってきてくれた看護師さんにお礼を言いつつ
「なんとか行けそうでよかったです」
言ってから、私は嵯峨先生に首を傾げた。「ところで嵯峨先生、この眉間のしわって、なんでこんな不自然に横になったんでしょうか」
だいたい眉間によるしわっていうのは縦じわが相場だ。
こんな真横なんて、皮膚がたるまない限りならないだろうに。
嵯峨先生に尋ねたらなんていったと思います?
あ。
ちょっとグロテスクな内容になりますが、ごめんなさいね?
先に謝りますけど。
「ああ、それ? ごめんね。手術の時に頭の皮膚を傷跡の通りに切ったじゃない? で、切った頭皮をかぱってめくったときにそこの線で折り返してたんだよ。その傷はその時のなごり」
……えーと。こめかみからこめかみの頭皮を、瞼と眉間の横線で折り曲げ、ぱかっとめくっていた、と?
想像すると結構グロテスクな光景だが、
「先生、それって……私が術後しばらくの間、目が痛くてあかなかったのって……わりと自然なこと?」
「うん。普通に目が開けづらいし、けっこう痛いだろうね」
先生、そんなしれっと言わないで。
お願いだから、さあ。
あのころって、私……見舞いに来た家族や先生に目を開けろ、寝るな、とにかく目を開けておけ、ってすごく言われてた時期ですよね?
私は顔面を手で覆った。
「あ、高橋さん。その眉間のところ、日焼け止め塗っちゃだめだよ。でも日焼けしちゃだめだから」
……さらにすごい矛盾きたーーー。
嵯峨のSはどSのS!!!
私の中ではすっかり合言葉になっていた。




