3月10日
姉さん、ピンチです。
2月の終わりに可愛い河野先生の言語のリハビリが終了しました。
そしてなんと。
次回にする作業リハビリのテストをもって今井先生のリハビリも終わってしまいそうです。
「いろいろ問題なさそうだから」
って。
えええええ。
そうしたら私、理学の白田先生のリハビリしか残らないんですけど!?
唯一のお花の要素の今井先生のリハビリがなくなっちゃったら、私の周り、どSズと腹黒しか残りませんけど!?
はわわわわ、由々しき事態でございますよ!?
けど、その話を聞いて、西田先生が動いてくれた。
「今井先生が忙しいのは知っているんだけど、でも高橋さんから作業のリハビリまで取っちゃったら、彼女かなり暇になって入院生活持て余しちゃうと思うから、退院するまで続けてあげてよ」って。
そのおかげで私のお花枠は確保された!
西田先生、大感謝!!!
今日は隣のベッドに新しいおばあちゃんが入院した。前のおばあちゃんは、私が一時帰宅している間に退院されていて、ご挨拶もできなかった。
この病室はなんだかんだと入れ替わり激しい。
今度のおばあちゃんは私と同じ西田先生が主治医らしい。
この日は天気も悪く、そのせいかどうかわからないけれど頭も痛くて、お父さんが様子を見に来てくれたにもかかわらずろくすっぽに相手もできずに寝てて、夕方近くに隣のおばあちゃんとその家族に病気の説明をする西田先生の声で、私は目を覚ました。
「くも膜下出血を起こすと、三人に一人亡くなり、一人が何らかの障害を起こし、社会復帰される方は一人です」
私はぼんやりとその言葉を聞いていた。
これまで幾度となく言われてきた言葉だ。
社会復帰をする三分の一、その人に私はなれるだろうか?
動作のほうもバランス感覚が戻ったことで、かなり近づいただろうか?
その西田先生は、緊急処置の呼び出しがかかり、家族への説明を急いで終わらせると忙しそうに退室していったけれど……。
起き上がり、私はティーポットを引き寄せた。
イン・アウトのチェックは続いている。
ただ、ティーポットを持ってきたおかげで、飲水ははかどるようになった。
いろんなティーバッグをもってきたので、いろんな味が楽しめるし。
嵯峨先生は紅茶はカフェインがあるから2杯までって言ったけれど、今持ち込んでいるのはすべてカフェインレスのお茶だから問題ないはずだ。
と、そのティーポットの中が空っぽになったので私は給湯室に向かった。
ティーポットにお湯をくんで湯冷ましを作るのだ。
白湯のまま飲むこともあるけれど、だいたいは窓辺において冷まし、そこにティーバッグを入れて水だしのお茶にしている。
1度に1リットルくらい作れるので、はかどるはかどる。
それから私は退屈しのぎに編み針セットと毛糸を10玉ほど持ち込んでいた。
先日今井先生のリハビリで編み物をした時になんとなくやりたくなったので。
編み図を見ながら、一つ図案を決めて、それを編みはじめた。
ストールにしようと思う。
入院中に完成したらいいと思うのだけど。
と、そこに
「こんにちは。失礼しますよ」
聞いたことがない男の人の声と同時に、シャッとカーテンが開いたので振り返ったら、見知らぬオジサマ医師が立っていた。
互いに一瞬顔を見合わせて硬直する。
すると先生はぺこりと頭を下げた。
「失礼、ベッドを間違えました」
「いえ」
私はお気になさらずに、そういって先生を見送ったけれど。
……そっか、そういうことあるんだなあ。
西田先生をはじめ、リハビリの先生たちも病室を訪れるときは必ず扉の前で、名札の扉を開けて(この病院は、名札が廊下を歩く分には見えないように隠されている)患者さんの位置を確認するのだが、年かさの医師はそれがなく覚えで入ってくる。
ま、こういうこともあるさ。
私は再び編み物を始めたのだが。
しばらくしたら、今度は看護師さんがやってきた。
「高橋さん、今から皮膚科受診いくよー」
え?
「皮膚科?」
「そう。この前血液検査受けたでしょ? 結果聞きに行くの」
なるほど。
私は頷いた。
そして看護師さんと一緒に今まで足を踏み込めたことのない病棟に向かった。
皮膚科の外来はけっこう奥まった場所にあった。
しばらく待って呼ばれて入ると、眼鏡をかけた若い女医さんが椅子に座って、パソコンの画面を見つめていた。
「高橋由乃さん。タケノコ食べたら手に湿疹が出たりしたって聞いたけど……」
手、見せて?
そういわれて両手を差し出す。
今は湿疹もかぶれも出ていない。
先生は手を放すと、私に検査結果を印刷して渡してくれた。
「結果的に言うと、タケノコとメロンにアレルギー反応は見られませんでした」
……え。
「まあ、食べたらかゆみが出てるということなので、食べるのはやめておきましょうか。それから今はアレルギーが出ていなくても、今後何らかの症状が出るかもしれないグレーゾーンのものが、いくつかあります」
先生はそう言って、数値が他のよりも高いものをマーカーで塗った。「エビ、小麦、ハウスダスト……これらは今後注意してくださいね」
ハウスダストはともかく、エビと、小麦!?
私は渡された結果を見て、マーカーの部分を穴が開くほど凝視した。
よりによって、エビと小麦、だと!?
それ、讃岐人にとって致命的じゃないか!?
だって、天ぷらうどんが食べられなくなるってこと!?
病室に戻る道中、私は打ちひしがれてた。
……なんということでしょう……。
夜、睡眠薬をもらいたくて詰所に行ったら西田先生がパソコンを見つつ座っていた。
今夜は西田先生が当直らしい。
「こんばんは」
あいさつしたら西田先生もこんばんはって返してくれて
「高橋さん。明日から血圧の薬が処方されたからね」
西田先生がいつもよりゆっくりした口調で言った。
この時間になったらゆっくりになるよね。
いや、先生の口調って、もともとお年寄りのためにわざとゆっくりにしてるんだろうけど、これくらいの時間になるともう一つゆっくりになってる気がする。
「そうなんですか」
そうか、とうとう私にも血圧の薬が……。
先日見舞いに来てくれたかなちゃんに「血圧の薬は絶対に飲み忘れちゃだめだよ! これから先ずっとほぼ一生涯飲み続けなきゃいけないだろうけど、絶対に忘れちゃだめだからね!」ってきつくきつく言われていたのを思い出す。
が、実はあの段階で血圧の薬は処方されていなかった。
「逆に今まで飲んでなかったのは、なぜですか?」
尋ねると
「それは、血管攣縮って、血管が細くなりやすくて血流が滞る可能性がある期間を血圧高めで血流よくして乗り切りたかったんだよ」
そんな感じのことを教えてくれた。「もうその期間も終わったし、そろそろ血圧のコントロールを始めないとね」
ふうん?
まあ、与えられたものは、なんでも飲みますよ?
そこに今夜の担当の看護師さんが戻ってきた。今夜の看護師さんは例の4人の娘さんを持つメガネの背の高いパパだ。
「あれ? 高橋さんどうしたの? アイスノン? 痛み止め、睡眠薬? どれ?」
聞かれたので、睡眠薬くださいとお願いした。
本当はこの時もらう薬って薬本体でもらわないといけないらしい。
パッケージに包んだままだと誤飲するお年寄りがいるから、とのことなんだけど。
私は寝るまでもう少しかかるからって、先生たちの許可をもらって包装されたままもらっている。
目的のブツをもらったし、看護師さんは忙しそうに詰所を出ていく。
「じゃ」
お礼を言って部屋に戻ろうとしたら
「あれ?」
もう行くの? みたいなニュアンスで西田先生に笑いながら呼び止められた。
なんだよ、珍しく暇なのかよ?
しょうがないなーって思って、カウンターに戻る。
そういえば、私が個室だった時にこれくらいの時間に部屋に来てたのは、先生は当直で退屈だったとかそういうことか?
なるほど。
さて、何を話ししようか?
「先生。この前の嵯峨先生の話の時さ……あの手の顔は意地悪云々の話」
「うん?」
「あれって、どうかえしたらベストだったんですかね?」
私が問うと先生はくすくすと笑った。「そんなの」
「ご自分をよく理解してるんですね、しかないでしょ」
わお、さすがだ!
あ、でもそれ先生言ってたね。
「私もよっぽどここまで言いそうになりましたけどね? でもさすがに私がそれ言っちゃうとまずいでしょ」
一緒に働いてる西田先生だからこそ許される。(本当か?)
そういうと西田先生が笑った。
てゆかさ。
……夢から覚めてしばらくしたころに、私、なんで西田先生のことまでどSズに入れてたのかなあって思ってたんだけど。でも、あの時期の私の判断は正しいと思う。この人時折こういうことさらっと言っちゃうからどSに分類しちゃってたんだよなあ……。
……私、嵯峨先生と西田先生っていいコンビだと思います。
言わないけど。
そこからなんとなく
「先生の奥さんって、看護婦さんとかでしょ」
ずっと思ってたことを言ってみた。
そうしたら先生が、あれ? と目を丸めた。
「言ったっけ? うん、3歳上の元看護師さん」
ほう、年上か。
ものすごく、納得。
「そうだと思った。だって、先生みたいな働き方だったら、同業者じゃないと理解とか許容とかされないでしょ」
きっぱり言ったものだから先生が苦笑いする。
だって、普通に先生の年収だけを見たらおいしい物件だと思う。だがまじめに伴侶として考えると、いかがなものか。
いや、患者にとっては本当に助かる。とてもありがたい。こうして暇な時間におしゃべりの相手もしてもらえるし。
だがやっぱり家族としてみると難しすぎる。だって、家にいないのだ。地域の行事に夫の力が全くあてにできないという話になってしまう。
加えて緊急災害時にも存在を当てにできない可能性が極めて高い。
だから医者の奥さまは看護師が多いというのは頷ける話だった。
聞いてるうちに、時期的に見て、結婚したのは先生が研修医時代だな、って逆算しちゃったのは内緒だ。
あと、かなちゃんやほかにもいる看護師勤めの友人たちから、病院の看護師と医者にまつわるいろいろな話を聞いていたせいもあって、この場合頑張ったのは西田先生か、それとも奥さまのほうかって下世話なことまで考えちゃったのも内緒だ。
一応先生が頑張って捕まえたと思いたい。
「でもさ、高橋さんのところって本当に夫婦仲いいよね? 結婚したのうちより新しいでしょ?」
唐突に言われて、私は固まった。
「え? そう見えますか? 先生のところが何年?」
「うちは3年。少なくともうちよりかは新婚さんかなって」
ほう、そうですか?
私は苦笑いした。
「うち8年たちましたよ。次の七夕で9年になります」
そういったら、先生が目を丸めた。
「え!? 本当に!? ものすごく仲いいから、そんなにたってるとは思わなかった」
「あはは。あの阿呆阿呆とかですかね? まあうち、子どもいないですからね。互いに依存するのは多いと思います」
子どもがもしいたら、いろいろ違ってたかな?
そんなこと気にしだしたらしょうがないけど。
そんなかんじで先生のプライベートなとこまで根掘り葉掘り聞いて満足したので部屋に戻ることにした。
今度こそお休みって声をかけたとき
「高橋さん。次は外泊してみようか」
先生が言った。
外泊!
それは思ってもみない言葉だったけど、嬉しい!
「じゃ、土日にお願いしたいです! 真ん中の兄が帰ってきて実家で集まるって言ってたから」
私が言うと、先生はわかったって頷いた。
「それから、先生! 猫! 猫触ってもいいですか? その兄が猫連れて帰省するって言ってたから、触りたい!」
テンションあげて尋ねたら先生は笑いながら、それもいいよって言ってくれた。
やった!!
ねこねこねこ~。
私はるんたったとスキップしそうな勢いで部屋に戻った。
なんだかんだと30分くらい話したような気がする。
長いこと話したなあ。
……ところでさ。
なんであれから看護師さん誰も戻ってこなかったの?
私はいまだ西田先生しかいない詰所を見て首を傾げた。
夜も看護師さんて忙しいのねぇ。
そうそう。
うちのお父さんもよく言ってたんだけど。
嵯峨先生と西田先生のコンビはつくづくいい組み合わせだって。
私がここまで回復したのはあの二人だったからだろうなって。
嵯峨先生の知識と指導を西田先生が手際よくこなしてちゃんと実行できてるからだって。
私もそう思う。
嵯峨先生はあの性格だから下になる人はすごく大変だと思うけれど、西田先生には負けずに頑張ってほしい。切に思う。
そしてできることなら、長くこの病院にいて私の主治医でいてほしい。
……でも、もし西田先生が異動しても、県内だったら頑張って病院追いかけそうな私もいる。
ははははは……。
部屋に入る前、年配の看護師さんがうちの病室から出てきた。
私の顔を見ると
「あ、もうお話終わったの?」
普通の調子で尋ねられた。
とりあえず、はい、と返事したら
「高橋さんと西田先生、仲いいよね」
くすくす笑われた。
は?
思わず固まる。それは、どういう?
言葉の真意を測りかねて
「え、そうですかね?」
わざとおどけたように尋ねたけど、私は正直次の看護師さんの言葉を聞いて背筋が凍った。
「ほら、この前にあなたがひどく落ち込んで西田先生に耳打ちしながら話してた時があったでしょ? 西田先生もものすごく心配そうにあなたに寄り添ってて、見ててきゅんきゅんしちゃったわ」
み ら れ て た ……。
ものすごく埋めてほしい。
ていうか、えええと。
「話の内容はたしかあれもそこまで深刻ではなかったんですけどね。……てゆかきゅんきゅんって」
私は苦笑いした。
さっきももしかして気を使われてたのか?
長いこと誰も帰ってこないなって思ってたんだけど。
「けど、高橋さんはすごいわよ。西田先生はもちろん嵯峨先生とも、仲いいもの」
私は看護師さんを見て首をかしげた。
私と嵯峨先生が仲がいい?
あのやり取りの数々、どこを見ればそう思うのか。
「あれだけ嵯峨先生に厳しいこと言われても、高橋さんへこたれずに嵯峨先生に立ち向かっていくし。嵯峨先生生き生きしてるし」
思わず顔面を手で押さえた。
嵯峨先生が私を前にすると、生き生きするのは何となくわかる。
だがしかし。
「いや、私の場合、嵯峨先生におもちゃにされてますよね? 完璧に遊ばれてますよね?」
私に砂糖をダメ出しするときのあの顔!
怒ってるように見せかけて、めっちゃ楽しそうに笑ってるからね。
そして自分はおいしそうなお菓子を食べたと自慢してくる、あのいい顔ときたら!
どう考えても私は嵯峨先生におもちゃにされている。
私が言うと看護師さんはくすくすと笑った。
「だからそれがすごいのよ。嵯峨先生にああいう態度をとらせてる患者さんてそういないわ」
あー、まあ、相手を見て態度の取り方を選んでるとは思いますよ、嵯峨先生。
てゆことはなにか?
私はおもちゃにしやすい、と!?
自分で考えておきながら、ブーメラン攻撃をクリティカルに食らった気分だ。
とりあえず
「お年寄りにまでああいう態度とってたら大変ですもんね」
私が言うとその通りよ、そう笑って看護師さんは詰所に戻っていった。
私は過去のいろいろやってきた仕事で培った笑顔仮面を崩さないまま看護師さんを見送ったのだけど、自分のベッドの上に戻って頭を押さえた。
うーん、さっきのはどういう風に取ればいいのかな?
私、もしかして西田先生にスキンシップ多すぎってことか!?
自重しろってことか!?
でも意思疎通がとりやすくていいってことか!?
わけわからん。
とりあえず睡眠薬飲んで寝よう、じゃないと明日のリハビリがもたないし。
別にやましいことがあるわけでもないし。
うん。
今更態度を変えてもよくないしな。
どうせ今だけなのだから。
私はお白湯で睡眠薬を一気に流し込んだ。
そこで、携帯がメール着信を告げているのに気づいた。
開けてみればさゆきからだった。
とりあえずまだ薬が効くまで時間がある。大丈夫だろう、そう思い急いで談話室に向かう。
睡眠薬を飲んでも、飲んだ瞬間眠るわけではない。
しばらくは起きている。
が。
ちゃんと布団の中でいないと、唐突に落ちる。
ここ何度も投薬に頼っているせいか、薬の効きは鈍くなっているけれど、でもその瞬間はやっぱり来るのだ。
が、今はこっちが先。
さゆきからのメールは土曜日にお見舞いに行きます、というものだった。
なおちゃんは現在妊娠中なので、いけません、とあったけど、私もなおちゃん自身に今が大事な時期だから、なおちゃんとはSNS上で会話をした際に、今は大事な時期で、病院はインフルエンザとかいろいろまずい菌もあるんだから、今はお見舞いにきちゃだめよと強く言ってある。
だからなおちゃんがお見舞いに来れないのは仕方ない。
さゆきは電話に出ると
『今電話大丈夫?』
私に確認した。
とりあえず睡眠薬飲んでるから時間ないので用件だけ手短に話をする。
「うん。ごめん、この土日、外泊で家に戻ることになったのよ」
そういうと
『あれ、そうなん? もう外泊できるんだ?』
さゆきが驚いたように言う。
「うん。高木君も日曜日にうちの実家に来てくれた。なので、次の土曜日、病院に来ても空っぽのベッドしかないよ?」
そういうとさゆきが笑った。
で。
話し合った結果、土曜日にご飯を食べに行こうか、という話になった。
嵯峨先生があれからランチいけ、ランチ食べてこいとしつこくいうので、せっかくならお言葉に甘えてランチに行くことにする。
場所は互いの家からそう遠くない店をさゆきに予約してもらって、さゆきに迎えに来てもらう段取りまでつけて、電話を切った。
久々のランチだ。
土曜日はさゆきとお出かけ、日曜日は実家でお食事。
ほそくそやってから我にかえった。
体重、どうか増えませんように……。




