3月9日
コンタクト使いたいなあ。
昨日家から持ってきた使い捨てのコンタクトレンズを見つめる。
だが、私は先生たちに使用の許可を取っていない。
とりあえず私は眼鏡をかけた。
今の私は何をするのも先生の許可が必要だろう。
リハビリにいくと、まず足首に重りをつけて片足ずつ水平に上げる。
そのあと片足立ちをするのだが、まだ私は左右のバランスが悪い。
どうしても片方だけすぐに崩れてしまう。
そのアンバランスさに、医師たちも眉根を寄せ始め、本格的にリハビリ施設の算段を始めたので、思い切って先生に尋ねた。
「先生、眼鏡じゃなく、コンタクトにかえてもいいですか?」
って。
先生たちはなんでこのタイミングっていうように疑問符いっぱいの顔をしたけれど
「いいよ? けど、どうして?」
とりあえず許可をくれた。
「私、視力は眼鏡じゃなく最初からコンタクトレンズで矯正してたんです。それ以来、寝る時間以外はずっとコンタクトで生活してたから、逆に眼鏡でいるのも違和感がある感じで……。あの日は、もしまずい病気だったらいけないと思って眼鏡で病院に来たんですが、それはそれで正解だったんですけど、もうコンタクトにしていいのなら戻したいなって」
私の説明に、医師二人が疑問符を浮かべつつ頷いた。
コンタクトレンズに変更すると、一瞬見え方が違ったのでくらっとしたけれど、しばらくすればそれも治る。
そして、なんと。
「え……?」
白田先生や先生たちも驚くことに、私のそれまでの左右のバランスの悪さがすっかり改善された。
……なんということでしょう。
これには私自身も驚きだ。
あんなにできなかった片足立ちも、両方が同じくらい長くできるようになったのだ。
ただ、眼鏡からコンタクトにしただけだというのに。
これは病気をする前から自分自身でもわかっていたことだが、恥ずかしい話、私の視力は良くない。
左に至ってはけっこうな乱視が入っている。
ただ、最初に先生に言ったように、はじめから眼鏡が嫌でコンタクトレンズで矯正をした。毎日寝る時間以外ずっとコンタクトだ。
とはいえ、もしもの時のために眼鏡も作っている。
眼鏡は簡単に乱視を矯正できたが、困ったことに眼鏡で歩くと逆にものにぶつかる。左は乱視がある状態でものを見ることに慣れてしまって、見えすぎると遠近感が逆に取りづらかったのだ。
そしてコンタクトレンズの乱視用。これも使い捨てで出たときに眼科で試したことがあるのだが……。
あれはレンズの下のほうに重りが入っていて上下を安定させるらしいのだが、私は逆まつげがひどすぎて、その重りが安定せず目を開けているだけで目まいをおこし、全く歩けないという結果に終わり、眼科の先生たちに「コンタクトレンズを希望するなら近視用でしのぐしかないわね」と見切りをつけられた過去を持つ。
まあ、そんなこんなで普段慣れた視界を取り戻した私のバランス感覚は、その状態でベストなバランス感覚を発揮したらしい……。
慣れって怖い。
そしてその日以来、先生たちは私のリハビリ施設の話を完全に白紙撤回した。
バランスに視覚がどれだけ大事か、よくわかった瞬間だった。
さてさて。
そんなやりとりを隣で見ていたお母さんが
「本当によかったねえ」
ってしみじみ言うので、改めてあの日のことを聞いてみた。
昨日で1か月たったから。
「お母さんは、あの日のこと有志さんから聞いたの?」
すると母は苦笑いした。
「そうよ。あの日、お父さんは帯状疱疹で寝てて、私も体調が悪くて……うん、あの日はとてもしんどくて寝てたのよ。そしたら電話が鳴って、日曜だったからお義姉ちゃんが電話に出てね。『おかーさん、有志さんから電話よー』って呼ぶの。あなたからじゃなく、有志さんからかかったっていうから嫌な予感したわ」
うちの母の家系は妙に勘が鋭いところがある。
母は、親族に召される前の人ができると、自分もきつくなってよく眠ることがある。その方が召されるまで続く。すごいのは母のいとこのおばさんだ。親戚で召されそうな方のところへ、突然時間を問わずに「顔が見たくなった」そういってやってきて看取る。……亡くなる直前にふらっと呼ばれるように、会いに行くのだ。これまでにそんなことが何度もあった。
そんな人たちが多いので、母が特別無理をしたとかそういうのがないのに、ものすごく頭痛くて具合が悪かったというのも、ああごめんね、私のをもらっちゃったんだね、っていうくらいにしか思わない程度に私も慣れている。
「有志君からあなたがくも膜下出血になったって言われたとき、悲鳴が出そうになったわ。逆に有志君がすごく落ち着いてて、本当に何にもなさそうに冷静で『あの、落ち着いてください』っていつもの調子で言うから、その声で頭が冷えたわ」
あー……。
私の実家サイドの場合、くも膜下出血=死という図式が完全に出来上がっている。
そういう実例が多すぎた。
「で、お父さんはあんな調子だから、私が運転しなくちゃって、玄関で靴を履いてたんだけど……」
言いながら母が言葉を詰まらせた。「……行かなきゃって思うのに、立てなくなってね……」
……。
聞きながら申し訳ない気持ちになった。
私は母からずっと私が生まれてきたときのことを聞いていた。
男の子二人生んで、女の子が欲しかったから、女の子が出てきたとき大威張りでベッドで寝てた、とか。とにかく女の子が生まれてうれしかったんだ、と、兄たちのこともとても大事にしていたけれど、私のこともちゃんと思い入れあるんだよ、そのことをずっと教えてくれた人だったから、先に私が逝くかもしれない、それは母にすればとんでもない恐怖だっただろう。
「……何考えてたの?」
尋ねると
「あなたの葬式の段取り」
母は苦笑いしながらきっぱりといった。
ああ、うん。そうですよね?
さすが私の母だ。申し訳ないなんて気持ちも霧散する。
もう、私が死んじゃう覚悟、その段階でしちゃってたんですね?
苦笑いがもれる。
「ああ、うん。段取り、大事だよね。誰を呼ぶとか」
「そうなのよ。……でもまあ、まずは病院に行かなくちゃって思うんだけど、手が震えて止まらなくてね。そうしたらお父さんが運転して連れて行ってくれたんだけど。あの時の有志さんは本当に落ち着いてて見直したわ」
あはははは。
お母さん、あなたは見直したらしいですが、その真実をお話ししましょう。
「有志さん、実はくも膜下出血っていうのをよくわかってなかったらしくって、お母さんが電話の向こうで卒倒しそうになったのが分かって、逆に慌てたらしいよ? で、あとでくも膜下出血っていう病気を調べて震えあがったらしい」
すると、しばらくしてお母さんは笑った。
「なるほど、そういうこと。まあ、知らないならあの態度も頷けるわ」
うん。
でも、やっぱりお母さんやお父さんにはものすごく心配をかけたということか。
「まあ、元気になってよかったわ。これからはせいぜい長生きして、ちゃんと順番どおりに行くようにしてちょうだい」
うん。
子どもが親より先に行ってしまうのは寂しすぎる。
私は気を付けますと頷いた。
夕食の後トレイを戻しに詰所の前に行くと、カウンターのところで嵯峨先生と西田先生が並んで座っていた。
その時の嵯峨先生の顔を見てたらやっぱりあの時の中学の同級生の顔に似ているって思って、気持ちへこんだ。
「高橋さん? どうしたの?」
その嵯峨先生に尋ねられて私は苦笑いした。
「やー……帰宅したときに同級生に嵯峨先生とそっくりの顔した男の子がいてね……」
そういった瞬間、嵯峨先生顔色も変えずに何言ったと思います?
「その子、性格悪いでしょ」
は?
私は固まった。
隣の西田先生は苦笑いしている。
「ええ、と? 嵯峨先生?」
何を突然おっしゃるのですか?
ヤツのこと先生知っているんですか?
突然なのはいつものことだけど、本当に話の開始点が突拍子すぎるから自分が会話のどこにいるのかわかんないよ。
「その子意地悪で性格悪いでしょ? この手の顔の奴はそういう性格なんです」
ああ、そういうこと?
私は顔面を手で覆った。
隣の西田先生は顔を背けて笑ってる。
ああ、うん。でも私も実は思い当たる節があったのだ。
ヤツの性格も意地悪だ。
一緒に働いてた時にどれだけ仕事調整を言われたか。(私は当時、仕事のスケジュールを管理する人の補助にいた。そして現場に仕事の催促をするのも手伝っていた)
ただ、私の無茶振りな仕事もこなしてくれてたので(互いに無茶振りの仕事を押し付けあってたので持ちつ持たれつだ)、そこまでいいたくはなかったが。
あああああ。
「……まあ、まっすぐな性格とは言えませんけどもね」
一応嵯峨先生は命を助けてもらった恩人だ。絞り出るようにした答えがそれなんだけど。
そう以外にどういえと?
しかし、しかしだよ。
勇者がいるものだ。
「ご自分をよく理解してるんですね」
って、西田先生、嵯峨先生に言っちゃってるし。
西田先生、強い……。
寝る前にアイスノンをもらおうと詰所に行くと、今夜は嵯峨先生が一人詰所で難しい顔をしてパソコンをにらんでいた。
こういう時は本当なら声をかけずにそっとしておいたほうがいいんだろうな、そう思ったんだけど。
逆に声をかけたくなっちゃうのが私の悪いところだろう。
「嵯峨先生、こんばんは。難しい顔されてますが、難しい案件ですか?」
遠巻きに声をかけると、嵯峨先生は私を見て小さく笑った。
「ああ、うん。また患者さんの頭を切るんだけど、どうやって助けようかなって思って。みんな、君みたいに元気になってくれるといいんだけど」
そういいながら先生の視線はパソコンに戻る。
そっか。あんまり邪魔しちゃいけないな。
そう思ったんだけど
「その節はありがとうございました」
私はお礼を言ってから、苦笑いをした。「私の母は、夫から第一報を受けたときに、私の葬式の段取り始めたみたいでしたけどね」
私が言った瞬間、嵯峨先生がぶはっと噴出した。
「葬式の、段取りって」
くつくつ笑いながら肩を震わせる。そして私を見上げて
「確かに20年前だったり、手当てが遅れたら難しい病気なんだけど、今は回復も多いよ」
嵯峨先生はぎしりと椅子の背もたれの音を立てて体を起こした。
「それに、君は自分の足で歩いて助けを求めにきたでしょ。だから絶対に助けなくちゃって思ったよ」
お?
私は目を丸めた。
まさか嵯峨先生の口からこんな言葉が聞けるとは思ってもいなかった。
「私、入り口から受付までの距離を歩きながら、あの瞬間が一番死にそうでした」
今思い出しても、あの時のことは気が遠くなる思いがする。
そしたら嵯峨先生に再び爆笑された。
「あー、アレは歩いちゃダメだったね。正しい本来するべき選択は、自分で救急車を呼んで運んでもらう、だったよ。ほんとう、よく生きてるよ、君」
「いや、脳の血管やっちゃったのはわかってましたけど今なら大丈夫だって思って病院に来ましたし。あんな理由で死ねませんよ、意地でも」
「うんうん。執念て大事だよね! 君は自分の意思で生きることを選んだんだよ」
嵯峨先生はおかしそうに笑いながら再びパソコンの画面を見つめた。
先生の視線の先にはいま助けなければいけない人がいる。
うん。
私も今度は邪魔をしない。静かにカウンターを離れて部屋に戻った。
でもなんか嵯峨先生の言葉で普通にありがたいって思ったの……今回が初めてな気がしました。
気のせいじゃないよね?




