2月23日
週が明けて、朝。
まずうれしいことから書くと、尿の管が取れた。
歩くたびついて回る重りがなくなったのは、とてもうれしい。
それに伴い、おしめがパンツ型に変わった。
……別に今まで失敗したことはなかったのだが、おしめは外れなかった。残念だ。
で。
ポータブルトイレが再び導入された。
ん? 排便は部屋のトイレでしてたから、今更必要ないと思うんだけど?
そう思ったのだが、尿の比重検査や、尿の量がいるので、便はトイレで、尿はポータブルでしてください、と言われた。
あ、はい。
なにはともあれ、尿管が抜けたのはとても良い。
それから。
朝食の後、私は上司に連絡を取った。
休職していることで、ほかの人たちにかけてしまう迷惑は身をもって知っている、だから退職する、と。
そしてその手続きについて、義母を頼った。
退職手続きをする部署について義母が明るいこと、そしてやはり上司と義母が知り合いだという理由が大きいから頼りやすいと思ってのことだが、義母は「せっかく休職扱いにしてくれているのに、なぜわざわざ辞めるの」と難色を示した。このご時世、職を得るのは大変だが、私は退職にチェンジしてもらってよかったと思っている。
一応、仕事については嵯峨先生と西田先生にも相談をしたのだ。
「いずれ復職できるよ」二人の医師はそう言ったけれど、いずれでは困るのだ。
もう3月。修了式の練習も佳境に入っている頃だ。
4月になれば新年度。4月1日で仕事復帰ができるのか聞いたらそれは焦りすぎだといわれた。
今のままではわからない、と。
ならしかたないではないか。
年度末も新年度も何かと忙しい。本当にやることが多いのだ。
それを期限が分からずに休職したままでは、その間雇った人にも迷惑をかけてしまう。
それに……。
私は西田先生に少しずつ感じていた自分の不安を打ち明けた。
「先生、私ね。昨日や一昨日したことを覚えてないんだよ」と。
お風呂を入ったことを覚えていても、リハビリまで何をしたかとか、だれと会ったかとか、そんな記憶が抜け落ちている。
もし覚えていたとしても、その出来事の順番はてんでばらばらだ。
私が言うと西田先生は眉根を寄せて頭を横に振った。
「でもそれを決めつけるのは早いよ。だって高橋さん、今は一日中寝てばかりいる。生活にメリハリがないじゃないか」
「それはわかってます。記憶って、一日の出来事で楽しかったり忙しかったり悔しかったりした、そんな行動や感情のでこぼこした部分に何をしたかが一緒に残ると思ってる。たしかに今の生活はそんな起伏が少ないから、残りづらいんだろうって思ってます。けど、こんなに残ってないのは、不安だ」
たまに病室を出ると、それだけで位置関係が心もとなくなることもあった。
このフロアだけでもそうなるのだ。
もしこのフロア以外にそれが広がってたら、どうすればいい?
私は今の自分を信用できない。
少なくとも、今の自分は今までの私とは若干勝手が違うことを自分でも理解していた。
「まあ、仕事は僕らが言うことじゃないからあれだけど。そっか、そんなに不安だったんだね」
先生は遠くを見ながら頷いた。
それから私を見ると
「高橋さん。まず、メモを取るようにしよう。自分がしたこと思ったこと、細かく書いてみて、記憶を残す練習をしよう」
そう提案した。
それについては私も思うところがあるので同意した。
「書くことでより覚えていられそうですね」
書きながら覚えるのは、暗記物のやり方の一つでもある。
私はお母さんが持ってきてくれていたノートに、それから携帯やパソコンからSNSにもその時の心情やら何やらをつぶやくようにした。
仕事のことや自分の変化を感じ取ってしまうと、確かに不安で怖い。
だが、入院生活は怖いことばかりではなかった。
「高橋さん。今日のリハビリは1階のリハビリルームで行うって。行こうか」
看護助手さんが車いすをもって部屋にやってきた。
「お願いします」
パジャマの上にパーカーを羽織って車いすに乗る。
「お使いがあるから途中でちょっと寄り道させてね」
看護助手さんが職員専用エレベータの中で私に言った。
1階に降りて、少し行ったところで、ごめん待っててね、と車いすを止める。そのそばの扉を開けると中で事務員さんが忙しく働いていた。
反対側を見ると図書コーナーが目に入った。患者が利用できるもので、司書さんがいる時間はいろいろ借りれるらしい。
へえ、こんなのがあるんだ。
私はそっちをうかがった。
今日は来れないけれど、動けるようになったら来たいな。
「ごめんね、おまたせ」
看護助士さんが戻ってきて、再び車いすを押してくれる。
実のところ、別に自分で車輪を回してもいいと思っていたのだけれど、どうやらまだそれは許可が下りていないらしい。
一つ一つ動きに制限がかかるって、変な感じ。
そうしてついたリハビリルームはとても広くて、中にはたくさんの患者さんとリハビリの先生が動いていた。
すごい、こんなに人がいるのか。
いろんな器具があって、おじいさんやおばあさんが一生懸命歩いていたり、窓側では自転車をこいでいたり、また反対側の奥では、塗り絵やパズルをしている姿もあった。老人の姿も多いけれど、子どもの姿もある。
だいたいが50歳以上の人たちばかりで、リハビリの先生を除くとここにいるので30代は私くらいだろうか。
きょろきょろしていると
「おはようございます。高橋さん、いらっしゃい」
白田先生が身軽な動作で器具を飛び越えやってくる。
「おはようございます。身軽ですね」
私が言うと白田先生はクスリと笑った。
「とりあえず、血圧計りましょうか」
白田先生はそう言って、古めかしい血圧測定器を出してきて、バンドを腕に巻き、そのバンドの隙間に聴診器を入れて空気を入れた。腕時計を見ながら心拍数も測る。
「先生、若いわりに結構アナログなやり方するんですね」
たしか25歳と言っていた。河野先生と大学が一緒らしい。
河野知識を思い出しながら言うと
「こっちのほうが確実なんですよ」
測定終わって白田先生は道具をてきぱき片付けた。
たしかに、デジタルよりアナログが確実なことあるよね。
私はうんうんと頷いた。
「高橋さん、ちょっと心拍数が高いですね。しんどくなったらすぐ言ってください」
そういって、
「じゃ、こっちのいすに座って」
すぐ近くにある椅子をポンポンたたいた。
歩くまでもない距離なので、そちらにうつると、先生は車いすを片付けた。
「片足ずつ交互にまっすぐあげてください」
いつも病室のベッドでやっていたことと同じこと。
片足ずつひざの高さまでまっすぐあげて、ゆっくり下す。それを交互にしばらくしていると
私の前に歩行器のようなもの……下に車輪がなく、立つ姿勢を補助する道具を持ってきた。
「はい、立って」
言われるままに立ち上がる。
「最初は掴まっていていいです。それで片足立ち。どっちでもいいのでよーい、スタート」
え!? いきなり!?
パンと合図の手をたたかれて、私は急いで片方の足をあげた。
掴まっていいとのことなので、遠慮なく掴まっている。
30秒ほどで、反対側に交代、と声がかかった。
次の足は少しふらつきはしたけれど、どうにか30秒耐えた。
「じゃあ、今度、できるだけ手すりにつかまらずやってみてください。よーい、スタート」
またいきなりだな、おい。
片方の足は、ちゃんときれいに立った。だがもう片方の足は……。
やはりふらつきこけそうになって、手すりにつかまった。
「大丈夫ですか?」
白田先生が私を覗き込む。
……精神的に大丈夫じゃありませんが
「一応大丈夫です」
「一応ですか。なら大丈夫ですね」
何気に白田先生も容赦ない。
なんだろう、この空気。
そこはかとなく、Sっぽいものを感じる気がする。
「高橋さん、始めたばかりですからね、まだ休めませんよ」
しかも、なんかいつもより容赦ない。
再び片足立ちを始めて、どれくらい頑張っただろう。
やっと座って良しの許可をもらい、椅子に腰かけると、再び血圧測定を始めた。
「心拍数、意外に上がってませんね」
安堵したように言うので私もほっとした。
「白田先生って、Sっ気強いって言われませんか?」
ぼそりというと
「ほめ言葉ですよね」
白田先生がにやりと笑った。
いや褒めてませんよね?
けれど白田先生は全く気にした様子もなく
「最近草食男子とか言いますけど、僕ロールキャベツ男子がいいんですよ」
「は? ロールキャベツ? それまたなんで?」
「草食に見えて中がっつり肉食でしょ?」
……。
私は頭を抑えた。
……ちがう、この人はSじゃない。
Sっていうのは、嵯峨先生とか西田先生みたいな人だ。
とくにどSな嵯峨先生だ。
今朝だって「たまにはお菓子食べたい!」っていったら「は? 何言ってるの。食べれるわけないでしょ。でもたまに食べたくなるよね、僕も昨日、うす塩のポテチ食べたんだよ」とか、「さっきシュークリームもらって食べた」とか私に向かって言いまくって、「嵯峨先生、ひどすぎるよ」と私が泣きごとを言うのを楽しんでいるのだから。
ジャンルが違う。
これは腹黒だ……。
「先生、それ、言ったらあかんやつや」
私が頭を押さえながら言うと、白田先生はくつくつと笑った。
誰だ、この人の苗字を白にしたの、がっつり黒いよ!!
「さ、高橋さん。休憩終わったら、次はあそこの並行手すりへどうぞ。歩きますよ」
白田先生は日焼けのない白い手を差し出して私の手を引っ張った。
こういうことをさらりとしちゃうし、姿かたちは本当王子さまって感じなんだけどなあ。
ちらりと見えた腹黒さは、なんとも減点対象だ。




