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2月21日

  

 朝いつもより少し早く目が覚めたので、壁伝いに部屋を歩いて、顔を洗う。

 ついでに眼鏡も洗って、きれいに拭き上げて再びかけた。

 そういや、長い間コンタクトしてないなあ。

 洗面所の大きな鏡にくっついて自分の目を覗き込む。

 ……なんだか顔が変わった気がする。

 痩せたから、とかじゃなく。なんか違う。どこが、それがわからないのが残念だ。

 それから髪を整え、前髪をピンでとめると、手術の傷口は見えなくなった。

 なんとなく気分がいいので、長く伸びた髪を久々にアレンジした。

 いつもだったら後ろで一つくらいにしかしないけれど、たまにはおさげもいいだろう。

 二つに分けておさげにしていると、ノックがあった。

 「おはようございま……わ、ここにいた。あ、髪型かわいいね」

 看護婦さんがワゴンを押しながら入ってきた。

 ワゴンの下には体重計が乗っている。

 「おはようございます。ええと?」

 なんだっけ?

 私は首を傾げた。

 看護師さんが笑って体重計を私の前に置く。

 「朝の採血と点滴と血圧と体重測定のお時間です」

 デスヨネ。

 そのまま体重計に乗り、降りてからゆっくりとベッドに移動して血圧を測ってもらった。

 それから前日の飲水量を聞かれる。

 そうそう、この飲水量は自分で計算するようになった。

 計算といっても、飲んだ料と時間をメモしておき、それを加算していくもの。

 字が書けること、計算のリハビリにもなるからと、自分で管理するようにしたのだ。

 ついでに、食事の中身も服薬の記録もここにメモをしてたりする。

 「体調の変化ありますか?」

 聞かれて、ああそういえばと思った。

 「少し喉が痛いかも」

 体温を測れば、37度5分。

 「ちょっと熱あるね。アイスノンあとで持ってくるよ。のど、ひどくなるようなら声かけてね」

 看護師さんはそう言って次の部屋に回っていった。

 体重測定は苦痛ではあるけれど、最近毎日少しずつ体重が減っているので、そこだけは救われていた。

 朝ごはんを食べていると、お母さんがやってきた。

 うれしそうに私にトランプとナンプレの問題集をくれる。

 「暇つぶしにどう?」

 「おお、ありがたい!」

 それをありがたく受け取り、机の隅に置いた。

 ご飯を食べ、歯磨きの後、早速そのナンプレをめくって解き始めた。

 けど、トランプは一人でできない。

 手に取り眺めていると

 「あ、昼からお兄ちゃんが加奈子と誠治をつれてくるって」

 お母さんが教えてくれた。

 加奈子と誠治は兄の子どもで、二人とも中学生だ。

 加奈子はもうすぐ受験が控えた受験生でもある。

 「え? いいの? 加奈子勉強しないでも」

 「最近頑張って勉強してたからたまにはいいのよ」

 お母さんは笑ってそういった。

 今日は土曜日なのでリハビリがない。日曜日も。

 だからとてもたいくつだ。

 ナンプレもずっとするのは無理だった。

 すぐ疲れてしまう。

 少し休んでいるとお昼がきて、母と義母が交代した。

 ご飯が終わってぼうっとしていると、嵯峨先生と西田先生がそろって様子を見に来た。

 ……今日、土曜日ですよね?

 二人とも、毎日いますね?

 嵯峨先生にいつものように体重を聞かれて、それから調子を聞かれ、それにこたえていると扉が数度ノックされた。

 返事をする間もなく扉が開いて

 「由乃ちゃーーん!」

 中の様子を確認もせず加奈子が飛び込んできて私に抱き着く。

 「加奈子……」

 私は苦笑いしながら姪っ子の頭をポンポンたたいた。

 加奈子も他に人がいたのに気付いて、私に抱きついたまま、しまったとばかりに先生たちを振り返ったまま固まっていた。

 「これはこれは、なんとも高橋さんにそっくりな子だね。妹さん?」

 嵯峨先生が突然の乱入者に目を丸めた。

 そして私と加奈子の顔を見比べる。

 「姪っ子です。そっくりでしょ? よく言われます」

 私は加奈子を先生たちのほうに向けた。

 加奈子の顔は驚くほど私にそっくりだ。体系は似ても似つかないが。

 「うん。DNAの神秘だね。じゃ、高橋さんもダイエット頑張って」

 嵯峨先生は姪っ子を見てそう言うと、西田先生と二人そろって出て行った。

 やっぱり嵯峨のSはどSのS!

 私はおでこを手で覆った。

 兄たちもお辞儀をして先生を見送る。

 扉が閉まった後

 「加奈子、急に飛び込んだら駄目じゃない」

 義姉が加奈子にめっというと、加奈子はしゅんとうなだれてごめんなさいと謝った。

 ああ、なんて素直!

 こんな中学三年生がいまどきいるか!?

 もう、もう! なんともかわいい。

 義姉はそれから私を見て

 「今の二人が先生? 二人ともすごく格好良かったけどどっちが由乃ちゃんの先生なの?」

 首を傾げた。

 「んーと、若いほうの西田先生が一応主治医。背の高くて細い眼鏡の先生は嵯峨先生で、担当医だよ」

 私はベッドについている自分のネームカードを引っ張った。そこには主治医のところに西田圭一、その隣に担当医・嵯峨孝之と二人の名前がそういう表記で書かれていた。

 「へえ? 由乃ちゃんには先生が二人もついてるの? あんなに格好いい先生が?」

 義姉は驚いたように、先生が出て行った扉を見た。

 主治医と担当医の違いが判らないけれど、そういうことになるだろうか。

 「しかし、思ってたよりも元気そうでよかったな」

 兄が私をまじまじと観察して、それから笑顔になった。

 「お兄さんたち、今日はわざわざありがとうございます」

 お義母さんがお礼を言うと、兄と義姉が並んで、かしこまったように頭を下げた。

 「ごめんね、せっかくの貴重な休みに」

 私が言うと

 「そんなの健康ならまだこれから何度だって取れるよ」

 兄はそう言って笑った。

 けれども、兄は高校の教師で、義姉は小学校の教師だ。特に兄は部活で運動部の顧問もしているので、何かと忙しい。

 そして姪っ子はもうすぐ高校受験を控えている受験生。

 3月が来ようとしているこの時期、どう考えても4人がそろってそうそう動けることじゃない。

 「加奈子も息抜きさせたかったんだよ。とにかくお前の顔を見ないとみんな落ち着かないしな」

 兄がそういって、おとなしくついてきていた甥っ子を前に出す。

 「せいちゃんも、ありがとう」

 私がお礼を言うと、中学1年生の誠治は照れたように笑った。

 それから早速母が持ってきてくれていたトランプで遊んだ。

 ババ抜き、ジジ抜き、大富豪。

 楽しい時間はあっという間に過ぎて夕方になった。

 久々に大きな声で笑って、はしゃいで、とても楽しかった。

 「今日はありがとう」

 お礼を言うとまた来るよと言って兄たちは帰った。

 「久々に遊んだ」

 みんなが帰ったあと、心地よい疲れにベッドにもたれると、義母が笑いながらお茶を出してくれた。

 お礼を言ってありがたくそれを飲む。

 「今日は本当によかったわね」

 私は頷いた。

 夕方になり、義母も帰るというので、戸口までお見送りする。

 リハビリのおかげで歩行器がなくてもだいぶん歩けるようになった。

 一人で自立歩行はまだ怪しいけれど。

 

 義母が帰った後、静かになった病室で急に寂しくなった。

 楽しかった分、この静けさは寂しい。


 夕食を食べ終わって、歯磨きが終わり、一人ぼうっとしていると、こんこんとノックがあった。

 返事をすると、西田先生が調子はどう? と入ってきた。

 「今日は賑やかそうだったね」

 「ええ。すごく楽しかったです」

 「声が廊下まで聞こえてた」

 ああ、それはそれはご迷惑をおかけしました。

 謝罪すると、先生は小さく笑った。

 「あ、そうだ。先生」

 私は西田先生を見上げた。

 「何?」

 「ここのところ、くるくる回るピンがあるんですけど……」

 私は頭の中、脳天のところに近い場所に刺さっている小さな安全ピンのようなそれを指さした。

 「え!?」

 先生が驚いたように私の頭を見る。

 そしてピンを確認すると

 「わ、ごめん。とるとる。ちょっと待ってて」

 道具を取りにいった。

 すぐに戻ってきて

 「ごめん、抜糸の時に取ったと思ってたのに」

 謝りながらピンをペンチみたいなので切って外してくれる。

 「いえいえ。これですっきりしました。ありがとうございます」

 私はポンポンと何も余計なものが付いていない自分の頭をたたいて先生にお礼を言った。

 「そういや先生っていくつ? 結婚してましたっけ?」

 ずっと疑問に思ってたことを問うと先生が小さく笑った。

 「僕? 今29。結婚してるよ」

 「29! 若っ!」

 私は目を丸めた。

 若いと思ってたけど、そっか29か!

 そりゃ、私と嵯峨先生の古いネタについてこれないはずだよ。

 嵯峨先生も私よりずいぶん年上っぽいけど。

 たぶん長兄と同じくらいだと思うんだけどな。

 私は今日見舞いに来てくれた兄と嵯峨先生の顔を並べてみる。

 ただどうしても修羅場慣れしている嵯峨先生のほうが落ち着いて見えるけれど。

 それよりいまはこっち。

 私は西田先生を見上げた。

 嵯峨先生の体はすごく細いけれど、西田先生はどっちかというとがっしりしている。頬もこけていないし、健康的な体格だ。

 まあ、奥さん持ちには興味ない。

 けど

 「西田先生は研修医終わってこの病院きたの?」

 ついつい聞いてしまうよね。

 「そうだよ」

 先生が頷く。

 そっか、本当に若いな!

 てゆか、私、29歳くらいの研修終えてすぐぐらいの医者に主治医になってもらうパターンが多いな。

 たしか、前の皮膚移植をしてくれた医師もそうだった。

 そして、そろって若くても腕がいい医師にあたってきた。

 今度もそう。

 いやあ、ラッキーだ。

 そんなことを思い出しながら、好奇心がとまらない。

 「ちなみにお子さんは?」

 「いるよ。2歳児の男の子」

 「おお! それはかわいい盛り」

 初めて知る家族構成にテンション上がった。

 けど。

 「先生、なかなか家に帰れませんね」

 今だって夜にこうして患者の部屋にいる。

 「そうだね」

 先生も困ったように笑った。

 こう、一時とはいえ幼稚園保育に携わったものとして、老婆心というかおせっかいな心がうずうず疼いた。

 「この前、某放送局のアナウンサーの趣味の欄に、子どもって書いてあって、寝てようが何してようが帰ったら子ども抱っこして寝てるっていうのがあったんですけど、先生は? 何かそういうコミュニケーションしてる?」

 聞いたら、それこそ苦く笑った。

 「一緒になかんか寝られないよ。時間関係なくコールが鳴るから」

 ああ、そうか。

 医者って大変だな。

 緊急手術で助けてもらったもののセリフではないけれど、本当に大変だ。

 「しかし小さい子いいですよね。仕事がら、子どもとはしゃいで遊んでストレス発散してたっていうか、元気もらってたんですけど、最近それがないから子ども成分飢えてて。この前、美晴ちゃんに、娘のさっちゃんや下の子のみっちゃん貸してって言ったら、断られちゃって……」

 私が言うと先生がぶはっと笑った。

 「美晴さんと、そっか、同級生って言ってたっけ。栄子さんも同じ中学とか言ってたね」

 旧姓こそ違うけれど、今、美晴さんと栄子さんは苗字が偶然同じだからか、病棟でも下の名前で呼ばれていた。

 「そうなんです。まあ、美晴さんに断られちゃって寂しいから、先生んちの2歳児貸してください」

 お願いしますって言ったら

 「でも断ります」

 御免なさいって頭を下げられた。

 そりゃそうですよね。

 「ところで、先生。何か用事あった?」

 こうやっておしゃべりするのもいいけれど、用事があったのなら申し訳ない。

 私が尋ねると先生は思い出したようにそうだったと頷いた。

 「前に高橋さん、背中の針金抜いたでしょ」

 「は、はい。その節はすみませんでした」

 「いやいいんだけど。そのとき背中を縫ったんだよ。一針だけ。それの抜糸しようと思って」

 どうやら先生もこんな夜になるといろいろ鈍るようだ。

 ていうか、なんでこんな時間?

 土曜日の夜ですよ?

 「先生、今夜仕事?」

 恐る恐る聞くと

 「そう。今夜当直。とりあえずベッドにうつぶせになって」

 ……うーわー。

 お疲れ様です。

 心の中で合掌しながら私はベッドに横になった。

 「ちょっと失礼。パジャマめくるよ」

 「どうぞ」

 どこを縫ったかわからないので、縫った本人にお任せするしかない。

 すると

 「あれ? ごめん、下も少しめくるよ」

 先生はズボンも少し下げた。

 ペタペタ触って腰回りを確認する。そしてかさぶたっぽい塊のところを指先で押さえた。

 数度触った結果、先生はパジャマを元通り直してくれた。

 「糸がないんだ。縫った場所にかさぶたはあったんだけど糸がなくてさ、抜糸した覚え、ある?」

 へ?

 私は起き上がってベッドに座り、先生の顔を見た。

 抜糸をした覚えなんてないが……先生がさっき触っていたかさぶたに関しては身に覚えがある。

 「ちょっと前に、痒くて痒くて、手を血だらけにしながら背中のかさぶたをはいだことはあったかも。言われてみれば、かさぶたに結び目みたいな変なのがあったかな?」

 てへっと笑ったら、先生が顔を抑えた。

 「たぶん、それかな」

 「たぶんそれですよね」

 うん、記憶のない私の行動が本当にひどい!

 自分でも思っちゃうね!

 「でもまあ、かさぶたも治りかけてるんでいいよ。じゃ、おやすみ」

 「はい、おやすみなさい」

 手を振り先生を見送った後、私は布団をかぶった。

 さっきまでの寂しかった気持ちは和らいだ。

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