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2月18日

 2月18日


 朝二度寝から目が覚めるとと、父が隣で本を読んでいた。

 (1度目は朝6時ごろ、看護師さんの巡回で目が覚めて、血糖値、血圧、採血などを測定して、それから朝ごはんまでごろごろしている)

 手は、父がほどいてくれていた。

 「おはよう。今日はお父さんがいてくれるの?」

 「ああ。今日はかあさん、習い事の日だからな」

 そういって室内の洗面台で、蒸しタオルを作ってくれる。

 「そっか。ありがとう」

 蒸しタオルを受け取り、顔を拭いていると、眉間のところがいたんだ。

 手鏡で見れば、眉間のところに、普通は縦に入るしわが真横に入っていた。血が出たのか、かさぶたになっていた。

 不自然なそれがとても痛い。

 思えば、目が痛い、開けにくい、その痛みはすべてここからきているともいえる。

 私は眉間に蒸しタオルを当て、しばらくじっとしていた。

 と、そこに

 「おはようございます」

 看護助手さんがやってきてポータブルトイレのバケツ交換をして、管の先の前日の尿の計量をし、始末してくれた。

 そうそう。

 この部屋は個室で、洗面だけでなくトイレも病室内にある。

 が、ベッドの近くにポータブルトイレもおいてくれている。いつからあったか定かではないが、気が付いたあたりから、ずっと毎日持ってきてくれていた。

 だが、私はこの部屋のトイレで用を足したことがない。

 というか、足させてもらえないのだ。

 そもそも私は勝手にこのベッドから降りてはいけないのだから。

 「素朴な疑問があるんだけど」

 「なんだ?」

 私の問いかけに父も、ついでに看護助手さんも私を見た。

 「私、今尿管が入っています」

 「ああ。そうだな」

 「前にトイレはトイレでしたいって言ったら、めちゃ怒られました」

 「ああ、立てろうとして怒られてたな(嵯峨先生に)」

 「うん。てゆかリハビリ以外に私ベッドから降りていいのかどうかもわからないし」

 「それはまだ降りちゃだめだろう」

 父が首を横に振る。

 ああ、やっぱりそうなんだ。

 でもだったらさ余計に疑問なんだけど。

 「なのに、なんでここにポータブルトイレがあるのかな?」

 私の疑問に、父も看護助手さんも首を傾げた。

 「そうだな。なんであるんだろうな」

 このポータブルトイレは使われもしないのに、ずっとここにある。

 そして毎朝、看護助手さんがこうやって中のバケツを交換してくれる。

 「てことは、私、こっちで用を足していいんだよね!?」

 父を見たら、父が頭を押さえていた。

 「いや、だめだろう」

 「なんでよ! ダメだったら、こんなもの運んでこないよ!」

 今、私は切に排泄するべき場所を求めている!

 私はアラフォーだ!

 いずれおむつのお世話になるかもしれないがまだ嫌なんだ!

 立つリハビリも始まったし、ここからそこまでだ! きっと歩くまでもなく届くはずだ!

 別におもつの中でしろというならしてもいい!

 とにかくベッドの上じゃなく、座って用を足したいのだ!

 私の熱意がどう伝わったのかはわからないが

 「……高橋さん、このポータブルトイレ、あずかりますね」

 見かねたのか、看護助手さんが退出の際にポータブルトイレをもっていってしまった。

 ええ!? そういう展開!?

 それは考えもしなかった展開だ。

 トイレで用が足したいと思っていっただけなのに……。

 はわわわわ……私のトイレ……。


 ポータブルトイレがなくなり、うちひしがれていると

 「高橋さん、おはよう。今ポータブル片付けられてたけど、なんかあったの?」

 西田先生が笑いながら入ってきた。

 「あ、おはようございます。いや、そのトイレはちゃんとトイレの場所でしたいなあって……」

 いう話をしてたつもりなんですが。

 「ああ。無理言ったの? そうだねえ」

 西田先生は遠くを見ながら考える様子だった。

 「まあ、今は立つ練習を始めたばかりだからねえ。尿管も入ってるし、もうちょっと少し様子見てよ」

 出てきた結論は、非常に残念だった。

 いや、本当に……。

 でもこの朝の西田先生はうれしいお知らせも持ってきてくれた。

 「手術から十日たったからね。月曜と木曜日はシャワー浴びていいよ」

 「本当ですか!?」

 それはすごくうれしいお知らせかもしれない。

 「うん。介助はつくけどね」

 いやいや、それでもですよ!

 「すごくうれしいです!」

 冬場とはいえ、十日もお風呂に入れないのはつらい。

 毎日着替えたり、体を拭いてもらったりしたとしてもそういうのとは違う。

 「すごくうれしいです」

 ああ、早くシャワー浴びたいなあ。

 

 この日、父が持ってきてくれたものの中に、

 「これ、母さんから」

 と、目がとても粗い櫛があった。

 「あ、髪用?」

 「ああ。自分でといたほうがほどけるんじゃないかって」

 あれからもいろんな人が私の髪をほどこうと試みた。

 母はオリーブオイルを髪に垂らして潤滑剤にしようとしたけれど、あまりうまくいかず、相変わらずくしゃくしゃのままだ。

 病院が貸してくれた櫛は、目が細かくて逆に髪が絡まるので、わざわざ母が探し出したようだ。

 ……これぞ母の愛。

 たしかに他人はあまり髪を強く引っ張ったりしないので、人任せにしていたのではいつまでもほどけないだろう。

 私はもらった櫛で、髪を自分で解くことにした。

 一番先のほうから少しずつ丁寧にすく。

 ほどきながら、考えた。

 そういやこれ……なんでこんなに絡まったのかな? って。

 たしか職場で編んでもらって……いや、職場?

 職場で? いつ?

 疑問がわいたところで、

 「あら、おとうさん。ありがとうございます」

 義母が頭を下げながら部屋に入ってきた。

 廊下でもらってきてくれたのか、私の食事を運んできてくれる。

 もう、そんな時間? と思って時計を見たらもうお昼だった。

 再び父に作ってもらった蒸しタオルで手を拭いて、お昼ご飯を食べはじめると、父はまた来るよと帰った。

 義母はパジャマやタオルの洗濯物を片付けて、今日の洗い物を袋にしまい、読書を始めた。

 お昼御飯が終わって、眠くて眠くてうとうとしかけていると、嵯峨先生と西田先生が入ってきた。後ろに看護師さんもいる。

 「ごはん、終わった? 最近ちゃんと食べれてるみたいだけど、今日も食べた?」

 聞かれて

 「ええ、おかげさまで」

 と頷くと

 「そっか、食べれるようになったらよかったよ。水分もちゃんととってくれてるみたいだし。だからさ、今入れてるこの点滴が終わったら、この大きい点滴は終わりになるから」

 嵯峨先生が大きなパックの少しだけ残った点滴袋を指さした。

 「おしまい、ですか?」

 「うん。ほかの点滴はまだあるけど、24時間点滴はこれでお終いかな」

 おおお!

 今日すごい!

 朝のシャワーの知らせに、この24時間点滴終了のお知らせに!

 なんていい日!

 「でも」

 嵯峨先生の続く言葉に私は首を傾げた。

 「水分、もっととってね。あと眠いからっていつでも寝たらいけないよ。夜、眠れなくなるからね」

 今まさに寝ようとしていたところだっただけに、私は乾いた笑みを浮かべた。

 だって、ものすごく、今現在進行形で、眠いんですよ?

 と、その時眉間のしわが傷んだ。

 「つっ」

 手で押さえうつむくと、二人の先生の反応が早く、両方から挟まれる。

 「どうした?」

 「いや、笑ったら眉間のところ痛くて。大丈夫です。すみません」

 眉間のところを抑えつつ顔をあげたら嵯峨先生が苦笑いした。

 「そっか。まあ痛いよね。クリームテープとってきてよ」

 嵯峨先生が一緒に入ってきた看護師さんに指示を出すと、「今ありますよ」と、看護師さんがポケットからはさみとシップのようなものを取り出した。

 嵯峨先生がそれを受け取ると丸く切って私の眉間のところに貼る。

 「ここは乾かさないほうがいいよ。あと丸く切ったから目玉を書くといい」

 は?

 目玉っておやじ?

 いやいや、

 「おでこに書くんですか? だったら『肉』でしょ」

 私が言ったら西田先生が噴出した。

 嵯峨先生も笑うけど、顔をしかめ

 「肉はないわ。肉じゃだめだよ、目玉だよ」

 やたらと三つ目押しした。

 「三つ目になっても写楽君にはなりません」

 変な方向に進みだした会話に、先生たちは明るく笑って、看護師さんたちと出て行った。

 いや、ところでさ。

 そもそも眉間になんでこんな不自然な横じわができているのかな?

 

 


 寝るな、寝るなと言われても。

 リハビリしたら疲れる。

 言語や作業のリハビリは、簡単な問題だけれど、すこしひねっているので頭をしっかり使うし、動作はベッドから降りて足踏みをしたり、片足立ちをしたりと、寝てばかりの身にはけっこうきつい。

 そしてやはり片足立ちでは左足だけバランスが崩れやすく、白田先生がほぼ真後ろにひかえ、いつでも支えられる状態で構えてくれていた。

 15分ほどの動作のリハビリなのに、すっかり疲れてしまい私は少しのつもりで目を閉じたけれど

 「由乃さん」

 有志の呼ぶ声で目を開けた。

 「夕ご飯、きたよ」

 そういって、ベッドを起こしてくれる。

 ああ、もうそんな時間なんだ。

 少しのつもりだったのに、2時間くらい寝てしまった。

 夫を見れば仕事を終えて、シャワーを浴びてから来たのだろう。こざっぱりした服装でまだ髪が湿っていた。

 お疲れさまと声をかけ、箸をとってもらう。

 のそりと起き上がると、机に美味しそうなご飯が並んでいた。

 そうそう。

 数日前から「おかゆには梅干しが付いていないと嫌だ! お母さんの梅干し食べたい! 持ってきてもらってもいいよね!?」と駄々をこねまくったところ、母の梅干しはかなわなかったが、カツオの味のする梅干しが付くようになった。

 梅干しが付くようになったのはいいが、カツオ味が大いに不満だ。

 シンプルに素朴な塩と梅と赤しそだけで付けたお母さんの梅干しがいいのに。

 きっと塩分量の関係で、病院が把握していないものをつけられないのだろうけれど、でも、きっとうちのお母さんの梅干しだったらこんな余計な味がしなくて、もっと塩も少ないのに!

 ああ、口惜しい……。

 しかし、梅干しは私の食欲を刺激する要素になったのは事実だ。

 「お義母さんは?」

 さっきまでいただろう姿が見当たらないので尋ねると

 「今、ごはん持ってきてくれたあと、夕飯作るからって帰ったよ」

 ふーん。

 お礼言えなかったなあ、そう思いながら私はおかずを口に運んだ。

 今日のおかずは、タケノコの煮物だった。

 出されたものは食べないとまずいだろうと、ちょっと苦手なタケノコを口に入れる。

 うん。痒い……。

 私はタケノコのえぐみが苦手だ。

 喉が痒くなる。

 お茶で流すように飲み込み、他のおかずやおかゆで残る味をごまかそうと試みたけれど、今日のかゆみはなかなか消えなかった。

 

 このかゆみは強烈だった。いつもだったら、1時間くらいで消えるのだが、まだ残っている。

 気にするから痒いのだろう、そう思って気を紛らわそうと何をするか考えた。

 そういえば

 『職場の人たちにお礼の電話かメール打ったほうがいいよ』

 義母に言われていたのを思い出した。

 お見舞いもらったし、迷惑はかけ続けているし、なにもあいさつしないままなのもいけないだろう。

 携帯を持ち

 『こんな大変な時期に突然あんなことになってしまい申し訳ありませんでした。手術も終え、今は元気にご飯を食べられるようになりましたので、ご連絡します。お世話になりありがとうございました。』

 そばにいた有志に文面を確認してもらう。

 それから送信者選択でアドレス帳を開き、職場の面々の名前を選択していく。

 そして最後に、送信! と。

 たかがこれだけの作業なのに、久々に携帯をいじったらとても疲れた。

 しばらく触りたくない。

 だから携帯はテレビの横において封印する。何通かすぐに返信来ていたけれど、それはもう明日にしようと思って無視をした。

 

 それよりも、だ。

 「痒いんだよ」

 指先が痒くて痒くてたまらない。

 光に手をかざせば、指先に小さな水泡がいくつもできていた。

 右手も左手も、指の側面にいくつも並んで……見るからに気持ち悪い。

 けど、これどうしたらいいのかな?

 「暖める?」

 有志が蒸しタオルを作ろうかというけれど、暖めたら逆効果な気がする。

 「もう少し我慢するよ」

 それよりも、夕飯を食べていない夫が気になったので、「きっともう夕飯できてるよ。帰って食べたら?」

 夫を見上げた。

 有志も時計を確認する。

 「そうだな」

 明日も夫の出勤時間は早朝だ。

 だから早く帰って休まないと差し障る。

 荷物を持つ夫に、いうべきことを思い出した。

 「有志さん。今、私仕事病休扱いになってるやん?」

 手を止めて夫が私を見る。

 「そうだな」

 「それをさ、やっぱり退職に切り替えようと思う。このままじゃ迷惑かけるし、次の人探さなきゃ向こうが大変だし」

 私が言うと、有志はそうだなと頷いた。

 「わかった。由乃さんが思うようにしたらいいよ」

 「うん。だからまた扶養に入るよう手続きお願いすると思うから」

 「いいよ。書類揃ったら手続きする」

 「うん。面倒かけるけどお願いね。あとついでに、お義母さんやお義父さんにも伝えてほしい。やめること」

 わかった、そういって有志は手を振った。

 不思議と仕事を辞めることにあまり実感がなかった。

 

 しかし、そんな会話をしながらも指先は痒いまま。

 

 結果……。

 夜、指先が痒くて痒くて、眠れなくなった。

 夜、いつも導眠剤が処方されていて、寝る前にもってきてくれるのを飲むんだけれど、それを飲んでも今日はあまり効果が得られなかった。

 うつらうつらはするんだけれど、手が、指先が痒くて痛い。

 見回りに来た看護師さんが 

 「ちょ!? 手、どしたの!? 血も出てるよ!?」

 驚いたようにそういって部屋の明かりをつけた。

 またしても勝手に手かせをほどき、血まみれになっていた私の手に驚きながらも、慌てて手をウェットティッシュで拭いてくれた。

 「なんか、痒くて」

 眠さも相まって、気が付くと結構かいていたらしい。

 明りの下で見た血まみれの手は、結構なホラーだ。

 「でもこれはひどいよ。けど、今の時間は皮膚科系の薬は処方できないよ」

 睡眠薬や痛み止めは主治医判断で処方されるが、軟膏になるといろいろ変わるようだ。

 「アイスノン頼んでいいですか? 冷やしたら違うかな」

 私が言うと看護師さんも頷いた。

 「それならすぐとってくるよ」

 看護師さんからアイスノンを受け取り、タオルで巻いて手を冷やす。

 若干かゆみはましになった気がした。

 うん、暖めるよりかはずっといいかもしれない。


 しかしそれにしても。こうなった思い当たる原因はタケノコしかない。

 

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