表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/50

2月17日

 それでも私の手は、ご飯が終わればまた、丸いミトンに包まれて、ベッドの柵にくくられていた。

 意識がある間はまだいい。

 けれど、眠ったあとが体は正直だ。

 もどかしい。

 ほどいて欲しい。

 はずして。

 はずして。

 手が痒い。

 点滴の管を余裕もたせるために腕に貼られたナイロンのシールが痒い。

 針が刺さった付近が痒い。

 痒いよ。

 頭も痒い。

 背中だって痒い、痒いんだ。

 ねえ、この手をほどいて。

 この腕をかいて。

 背中をかいて。

 もどかしいよ。

 トイレに行きたい。自分で行きたいの。

 ギシギシ身をよじった。

 体を縮ませ頭を手首に近づけると、蝶々結びになったミトンの結び目の端っこにとどきそうだ。もう一度勢いをつけてひもの端っこを歯で噛むと、ぐいっと引っ張った。

 ひもはしゅるりとほどけ、ベッドの柵からようやく解放された。動く手を口元にもっていくとミトンの端っこをかんで引っ張って忌々しい手かせを外す。

 片方が自由になればもう片方なんて簡単だ。

 ひんやりした空気に手を振れば、久々に自由になったとほっとした。

 ああ、これでやっと痒いところがかける。

 ぞんぶんに痒い所をかいて、痒みがおさまると、私は再び眠りに落ちた。

 

 手を誰かが障っている感覚と、頬に触れる冷たさに目が覚めた。

 目をあけると看護師さんが困った顔で私の腕に点滴の針をさしていた。

 「……あれ? こんばんは?」

 私が声をかけると

 「高橋さん、こんばんはじゃないよ。点滴抜いたら、ダメじゃん。大事な薬なんだよ。いつから抜いてたの」

 そういって、私の腕に新たな点滴の針を刺し、またあのテープで管を腕に貼り付ける。

 どうやら今夜もまたやらかしたらしい。

 今回はうっすら自分で手かせをほどいた記憶が残っているだけに、記憶にありませんととぼけることもできない。

 「ごめんなさい」

 謝ると、鼻の頭を指先でチョンとつつかれた。

 「タオルひとつとるよ。冷たいでしょ?」

 棚にあったタオルを顔の下に敷いてくれる。

 どうやら漏れ出た点滴でシーツをぐっしょりぬらしてしまったらしい。

 本当に申し訳ない気持ちになった。

 「ごめんなさい」

 処置しなおしてくれた看護師さんにもう一度謝罪すると、

 「自分の体、大事にしなきゃ。……いやだろうけど、手、またベッドに結ぶよ」

 看護師さんはそういって、またあのミトンを手にはめた。

 これもまた、私が全面に悪い。

 私はおとなしくされるがままになった。



 朝、やってきたお母さんに手を外してもらい、二人で眉を寄せた。

 「あんた、その手で何をしたの」

 「……痒い所かいた、みたい」

 私の指先というより爪の中は赤黒くなっていた。

 血が固まったあとだ。

 昨夜は部屋が暗かったこともあり全く気付かなかった。

 お母さんに渡された蒸しタオルで指先を拭けば、血液独特の鉄のにおいがするが、指先に傷はない。

 そういや昨日、点滴を抜いたときに腕も血まみれだったが、そっちは点滴をさしなおす間に看護師さんが拭いてくれたのだろう。ひじの裏側に少し血の跡が残っていたけれど、ほかは大丈夫だった。

 一通りチェックを終えてパジャマを着替え終わると、扉がノックされた。お義母さんが入ってきたと思ったら、そのあとに先生たちと看護師さんが神妙な顔つきで入ってくる。

 お母さんとお義母さんが並ぶと、先生たちもその前に並んで謝罪された。

 要約すると、夜間に私がたびたびいろいろ抜いてしまうのをとめられなかったのは、病院が管理が足らなかったからだ、申し訳ない、と……。

 どうやら私がやらかすたびに繰り返されている光景らしい。

 いや、でも、やらかしてるのは全部私だから……。

 「ごめんなさい」

 先生や病院じゃなく謝るべきは私だと思う。

 どうしても自分を責めてしまう。

 けれど、先生たちはそれは違うよと笑った。

 「あのさ、便宜上君の手を縛り付けてるけど、本来それは誰だっていやなことだよ。無意識で外そうとするのは自然な行為だ。点滴だってずっとされたままなのは僕が患者の立場でもいやだよ」

 先生が私をかばい看護師長さんもそれに頷く。

 でも、私がミトンをはずす技を覚えてしまったことは困ったことにちがいはなく、医師たちは私の点滴を減らす算段を始めた。

 「高橋さん。今は24時間の点滴でかなり水分を取っているんです。点滴を減らすなら口から水分を飲んでもらわなくちゃいけません。僕らは毎日あなたのインアウトを管理しています。今日からどれだけ飲んだか記録をつけてください」

 そう言って、私の前に今まで使っていた青いマグカップだけでなく、プラスチックの使い捨てのカップを置いた。母たちにはバインダーも渡す。

 プラスチックのカップには100ccごとにマジックで印が入っていて、最大300ccまで入る。

 母が先生に「あの飲ませるのはお茶? それともスポーツドリンクがいいんですか?」と尋ねると、嵯峨先生の目がつりあがった。

 「スポーツドリンクなんて、砂糖の塊ですよ! お茶や水で十分です。ジュースや炭酸も砂糖の塊ですから絶対に飲ませないでください」

 でた、砂糖の固まり!

 私は心の中で笑った。

 余談だが、嵯峨先生は最初、白い食べ物を悪魔の食べ物だといっていたため、私の母と義母は、白糖がダメだと言われたと思い、『三温糖や黒糖に変えたらいいですか?』と聞いて、「いったい何を聞いているんですか! 砂糖自体がいけないといっているんですよ!」と、二人そろって説教されたらしい。

 以来母たちも『嵯峨先生、怖い』と2人でぼそりといっているのを知っている。

 この日も言われた嵯峨先生の砂糖の塊に母たちは肩をすくめ、互いに顔を合わせて笑った。

 話は脱線するが私の実母も義母も仲は良好だ。それもそのはず。二人は幼稚園から高校まで同じの同級生で、そもそも有志との見合い話が来た時も、有志の人柄云々じゃなく「息子さんのことは知らないけれど、その子を産んだお母さんとなら親戚づきあいしてもいい」という、母の不思議な審査を通過し釣り書きが私のもとに来て結婚に至った経緯がある(それまでの釣り書きは、母審査をクリアするのが少なく、私のもとまであまり来なかった)。

 実際、同居してみても義母は素晴らしい人で、頼りになる存在だった。

 今、私がこうのんびり入院し、家のことを全く心配していないのは、この義母の存在が大きい。

 家のことはもちろん「由乃さんの高額医療の手続き、下でできるから行ってくるわね」と、なにからなにまでお世話になっている。

 義母が出て行ったあと

 「あっちに給湯室があったね。お茶サーバーがあったから、汲み置きしておくわ」

 母がそういってマグカップとプラコップを持っていく。

 そして、もどってくるとバインダーに何やら書き込んでいた。

 それからは夫や父も私の周りにお茶を置くとバインダーに数字を書き込む。

 定期的にお茶を運んでくれる看護助手さんもそうだ。

 ベッドから降りることができない私は、手の届かないところにあるそれを何を書いているのかなと首をかしげることしかできなかった。


 

 リハビリは、最初に言語があった。

 いつもにこにこしている河野先生は今日もかわいい。

 河野先生とは世間話もするようになった。

 「西田先生って、朝もですけど、夜もふらって病室に来るんですが、いったいいつ家に帰ってるんですかね?」

 話題を振ったら

 「ああ、西田先生が長時間病院にいるのは有名な話ですよ。よく椅子で寝てますし」

 「え? 椅子で!? 家族は? 結婚してないの?」

 「結婚してるみたいですよ。一昨年だったかな、この病院に来た時に結婚式あげたとか聞きましたけど」

 おおおお! それはそれは重要な話!!

 女は現金というかこういう話になるとがぜん食いつきがよくなる。

 調子に乗って

 「嵯峨先生も?」

 尋ねてみた。

 「ええ、嵯峨先生もたぶん結婚されてると思いますよ」

 おおお! あのどSズに奥さまがいた!!!

 「けど、ほとんど家にいない夫たちですね」

 そろいもそろって病院によくいる。

 だって、朝・昼・夜、西田先生は一日に3回は顔を見せにくる。

 嵯峨先生も毎日だ。

 ……土曜や日曜日も、毎日だ……。

 そこに気づいて河野先生を見上げた。

 「あの人たち、あんなに病院にいて、よく奥さんに愛想つかされませんね」

 いうと、河野先生が噴出して笑った。

 「まったくですね。まあそこはお財布の力ですかね」

 あああ、そうか!!

 医者の財布か!!

 「あの二人は稼いでますか」

 「相当稼いでますね」

 うわあ、亭主元気で留守がいい!! なんて素敵なお財布!

 そんなひどい会話をしたのは内緒だ。

 が、河野先生だってリハビリの先生、リハビリに関しては優しいながらもしっかりする。

 そんなふざけた話ばかりじゃない。

 リハビリ途中で顔を出した有志も一緒に問題をきいていた。

 関連性のある言葉を覚える問題はすぐにクリアした。だが関連性がない言葉を覚えるテストは正解率が半減した。河野先生が帰ったあと有志が「後の問題、難しかったな。俺も聞きながら考えてたけど、全然できなかった。由乃さんのほうがよっぽどできてたよ」と肩をすくめていた。

 今日は今井先生のリハビリがお休みで、白田先生はベッドのふちに腰を掛けて座って、片方ずつ足をまっすぐに上げた。それを足を交代しながら繰り返す。

 そしてベッドの横に立てる。

 昨日よりは上手に立てたけれど、しかしふらついた。

 白田先生は一見とても華奢っぽいけれど、そこは男の人というだけあって、私がふらつき、危なくなったところで手が伸びてきて、ちゃんと支えてくれた。

 「久々に立つとこうなりますよ。あせらずゆっくりいきましょう」

 先生はそう言って帰った。

 あせらずゆっくり……。

 またそうしたら、歩けるようになるかな?



 

 リハビリの後で、私は初めて自分の頭がどうなっているのかを見た。

 義母が持ってきてくれた鏡で、そっと自分の頭を覗き込む。

 それは衝撃的な光景だった。

 「うわ、髪がないところがあるのは知ってたけど、みごとになかった!」

 自分が見える範囲で、前髪はある、横髪も後ろ髪も前の長さがある。一見前と何ら変わらない。が。

 前髪を薄く残して、左右のこめかみをつなぐように3、4センチ幅のヘアバンド状に髪がそられていた。

 そして傷口はきれいな線だけになっていた。

 あれを縫ったのかそれともホッチキスみたいなもので止めたのかはわからないけれど、でもしかし、すごいことになっていたのはわかる。

 それにしてもこの髪だ。

 これは……どうしたものか。

 こんな一部剃るだなんて、とても中途半端じゃないか? いっそ全部剃ってくれたほうがましだったんじゃないだろうか?

 この部分の髪が元のほかの髪と同じ長さになるまであとどれだけかかるやら。

 考えたら気が遠くなる。

 私がしげしげ鏡を眺めていると、嵯峨先生と西田先生が入ってきた。

 「ああ、鏡見てるの?」

 嵯峨先生が聞きながら私の隣に立つ。西田先生も反対側に立ってベッドの両脇から挟まれた。

 一瞬河野先生との会話を思い出して、なぜか吹き出しそうになったけれどどうにか耐える。

 「はい。今初めてここがどうなってるのか見ました」

 「ああそうか。今日初めて見たんだ?」

 「いやー、剃るって聞いてたけど自分が見える範囲は髪の毛、元の長さあるし……どうなってるのかと思ったんですが、見事に剃ってましたね」

 私が嵯峨先生を見上げると

 「うん。せっかく伸ばしてたのに、こんなに剃ってごめんね」

 珍しく嵯峨先生が本当に申し訳なさそうに謝罪した。西田先生も同じくだ。

 「いえいえ。別に切っちゃっていいんですよ。このもつれた髪も、結局ほどけないし、みんなに切っちゃっていいよって言ってるのに誰も切ってくれないし」

 私がぼやいたら先生が、本当にごめんねとまた謝った。

 そんな謝られてもと思うんだけれど

 「切るのなら美容師さんに出張で来てもらうといいよ。この髪は……まあ、もう少し気長にしたらきっとほどけるよ。傷跡もね、前髪残したから持ち上げてリーゼントみたいにしたら隠せると思うんだけど」

 リーゼント!!

 久々に聞いたよ、その言葉!

 「リーゼントはないわ」

 って笑ったら

 「じゃあ、大五郎でもいいよ」

 先生がおでこのところで前髪を束ねる真似をした。

 「チャーンなんて言いませんからね!」

 てゆかそんな髪形もっとないわ!

 私が言うと嵯峨先生も爆笑していた。

 ただ、世代ギャップなのか、意味不明な顔をして西田先生がきょとんとする。

 「高橋さんて、よく間に合うよね」

 嵯峨先生はくつくつ笑いながらそういって、失礼と断ってから私の頭をくい、くいと右に左にしながら触れた。

 それから

 「西田君、もう少しこうしたら剃る幅を狭く行けそうだと思わない?」

 「ああ、そうですね」

 私の頭を使って二人で何やら話を始める。

 これは次の患者の話だろうか?

 てゆかね、人の頭で何をして……まあいいですが。

 でも、剃り幅が小さくなるのなら本当にいいよね。

 私の頭でも後学に生かしてもらえるなら、存分にみてもらいたい。


 

 その日の夕方、義母が現れてどうしたのかとおもっていると、私の職場の上司もお見舞いに来てくれた。

 上司から義母のもとに見舞いに来るという話ができていたらしい。

 久々に会う上司は、笑顔で

 「病気になったって聞いておどろいたけど、元気そうでよかった」

 そういって職場からの見舞いできれいなお花をくれた。

 「年度末の忙しい時期にほんとうにすみませんでした」

 私が頭を下げると

 「ううん。元気になってくれたらそれでいいの。ゆっくり休んでね」

 そういって、長居は体に負担だからと帰る。

 とはいえ、義母が上司と知り合いなので義母が追いかけてロビーで話をしたようだ。

 私が入院してもうすぐ十日。

 上司を見送り戻ってきた義母にお礼を言ってからふと思ったことを尋ねた。

 「私、退職届、書かなくていいんですかね?」

 たしか、手術の前に退職するようお願いしたと思う。

 急にやってきた現実に少し頭の回転が戻った。

 が。

 「え? なんて書くの? 由乃さん、仕事やめてないわよ」

 お義母さんがにこにこしながら、いただいたお花を私の見えるところにおいてくれる。

 が、私は目が点になった。

 「え?」

 「今、あなた休職扱いにしてくれてるわ」

 「え、でも」

 「病気休養中でいいっていってくれたから、まだやめてないわよ」

 ええと……。

 それは、どうだろう。

 私は頭を抱えた。

 私の仕事は、幼稚園の講師補助だ。

 そもそも保育資格を持っていないので、正規雇用じゃなく臨時雇用で、先生たちの手伝いをしている。事務仕事から、時と場合によっては保育のあくまでも補助的なことに関することまで請け負う。

 わりとなんでも屋さんぽい部分があった。

 今は年度末が差し迫っていて、修了式も近い。

 一番忙しい時期といっても過言ではない。

 この病休でいいと言ってくれている期間が、たしか3か月くらいあるんだけど、去年、同じように病休をとった先生がいて、その3か月でどれだけ大変だったか。

 私はあの職場においてたしかに正規雇用ではない、が仕事はしっかりと量をこなしていたと思っている。

 「まずいだろ……」

 残った面々を思い出し、私は頭が痛くなった。

 迷惑かけすぎだろう、この現状。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ