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元悪神の戯れ

元悪神の戯れ ―When she was God of the evil―

作者: 天城恭助

この作品は、大学のサークルの活動で書きC87で頒布されたものです。

さらに、元悪神の戯れの前日譚にあたります。話は繋がってはいますが、前作を見ていなくてもわかる内容になっています。

 紀元前幾年か、どこかの森の奥深くには、ある部族がいた。

 彼らの住む土地は肥沃な大地であり、気候にも恵まれていた。

 しかし、深い森に囲まれ、獣も多いために半ば陸の孤島となっていた。

 そして、そこに暮らす彼らは特殊な思想を持っていた。

〈人は絶対の善性を持ち、それに仇を成すものごとは全て悪神のせいである〉と。

 

 

「それじゃあ、行ってくるよ」

 森のそば、老若男女の三百人程の人々に囲まれた一人の青年――ヴァイがいた。

「頑張ってこい。ただ、何度も言うようだが剣は抜くなよ」

 この村の長であるヴァイの父親はそう言う。

「わかっているよ」

 周りの人々はヴァイにエールを送る。

 そして、森の中へと歩みを進めた。

ヴァイが現在しようとしていることは、部族の長となるための試験だった。

試験内容は森の奥にある祠から鍵を取ってくること。

 だが、その祠には同時に悪の神が封印されていた。

それは言い伝えによるものでしかなかったが村の誰もが信じており、自然災害、不作などの事故は全て封印から漏れ出た悪神の力によるものだと考えられている。

故に村の誰もが恐れ、憎んでいた。ただし、例外もいた。

その例外とはヴァイだ。

 ヴァイは悪神の存在を端から信じておらず、口には出さないものの村人を馬鹿にしていた。「どうして、そんな存在するかどうかわからないものに恐怖するのか」と。

 居もしない存在に恐怖するなど馬鹿らしく、哀れにすら思えていた。


「やっと着いた」

 ヴァイは祠のある洞窟の奥にたどり着いた。

 そこには、人が一人分入れる横長の四角い木製の箱に短剣が突き刺さっていた。

「それにしても、不思議だ。森の外にある国でしか見たことがないような剣がここにあるなんて」

 ヴァイの部族は、一切の金属を使わず新石器時代のような暮らしをしていた。そのため何故、自分たちの祖先がこのような技術を持っていたのか、誰がなんの目的で突き立てたのかが疑問だった。

「まぁ、いいや。この小さい金属の棒が鍵かな?」

 自然にはない色、形をしたその銀色の物体を手に取った。

 もう用はないと、洞窟を出ようとすると外は大雨になっていた。

 試験に制限時間があるわけでもなかったので、しばらく待つことにした。

 奥に戻りしばらく剣と木の箱を眺めていた。

『剣を抜いてくれ』

 声もなにも聞こえなかった。

 なのに、突然そう言われた気がした。

 周りを見渡しても誰もいない。

木の箱も調べてみるが、固くて開けられそうにもない。

「誰だ! 姿を見せろ」

『見せてもいい。その前に剣を抜いてくれ』

 聞こえもしないのに伝わってくるという奇妙な感覚に戸惑い剣を抜いてしまおうかと思った。そして、剣に手をかける。

 だが、父親に再三抜くなと言われている。

 剣を抜くと悪神の封印が解けてしまうから、と。

『早くしてくれ』

 この奇妙な感覚が少し不快だった。

「だあぁ、もう!」

 しかし、悪神のことなんて一切信じていないので抜いてしまうことにした。

「ま、元に戻せば、ばれないだろ」

 そう言って、剣を引き抜いた。

 そして、箱の蓋が開いた。

「触れてもいないのに、蓋が開いたぞ。まさか、本当に居たのか?」

 しかし、中身は空っぽだった。

「一体なんなんだ?」

『感謝する』

「礼はいいから姿を見せてくれないか」

『すまない。姿が存在しない。悪神の姿や声の想像をしてくれ』

「それが何になるんだ?」

『私の姿になる』

 よく理解はできなかったが、とりあえず言われた通りにすることにした。

 悪神とはいえ、醜いのは嫌だからとりあえず美人のイメージをした。健康的で、出るところは出ていて、顔立ちが整っている感じを。服は異国の白い服かな。でも、悪神なので人とはかけ離れた感じが持てるように、髪は血のように赤く染まっているイメージを浮かべた。その姿からする声はきっと美しく人を惑わしてしまうようなものなのだろう、とイメージした。

「イメージしたぞ」

「ありがとう」

 今度はちゃんと声が聞こえた。それは艶っぽい声だった。

 そして、気づいたら目の前にはイメージ通りの美人が立っていた。

「お前は一体何なんだ?」

「私はディザルム。あなたたち一族が悪神と呼ぶものよ」

「え?」

 間の抜けた声が出た。

「またまた、そんな嘘言って何もいいことないよ」

「嘘じゃない」

 確かに理解できないことが多く起こったわけだが、目の前にいる人を悪神だとは信じられそうにもなかった。

「それじゃ、証明してみせてくれ」

「わかった。でも、どうすればいい?」

 全く考えていなかった。

「……なら、外を晴れにしてみてくれ」

 悪神に関する言い伝えでは、全ての厄災を操ることができるという。

 ならば、天気を操ることも造作もないことだろうと思ったのだ。

「お安い御用よ。晴れになったわ」

 返事をするのに一秒とかかってはいなかった。

「何を言ってるんだ?」

「外に出ればわかる」

 言われた通り外に出たら、晴れていた。

「そ、そんなはずは……なら、今度は雨を降らせてくれ」

「仕方ないわね」

 そう言った後にはもう雨が降り始めていた。

「嘘だろ……」

「本当よ」

 しばらく呆然としていた。

「そういえば、名乗ってなかったな。俺はヴァイって言うんだ」

 ディザルムは興味なさそうに「そう」とだけ応えた。

「ところで、これから何をするんだ?」

「なにも決めていないわ。しばらくはこの中で過ごすつもり」

「そうか。行く当てがないなら、俺の村に来るか?」

「遠慮しておく」

「ま、無理にとは言わない。そろそろ村に戻りたいから晴れにしてくれないか?」

「別に構わない」

 そう言うと、すぐに晴れた。

「ありがとよ」

「礼はいらない。既に助けてもらったから」

「そっか。俺は村に帰るけど、また今度ここに来るよ」

 その言葉にディザルムは微笑み、ヴァイの心拍数は少しだけ上がった。

「楽しみにしている」


 ヴァイは村へと帰った。

 村に着くと村人全員で出迎えられた。

「お帰り!」と皆に言われ、それに応えるように手を振る。

 村の長がヴァイの目の前に立つ。

「鍵は持って来たようだな。これで試験は合格になるわけだが、お前には伝えておかなければならないことがある。鍵を持って付いてこい」

 ヴァイは言われたとおり、長に付いて行った

 村人に見送られながら、長だけが住める村で一番大きな建物に入った。

 そして、ヴァイは父親に今まで「入るな」と言われてきた、部屋に入った。

「父さん、なんで今までここに入っちゃいけなかったんだ?」

「それは後で説明する。とにかく付いてこい」

 部屋の中には地面に穴が空いており、階段になっていた。

 その少し奥に行くと扉があった。

 その扉は銀色――金属製だった。

「鍵を渡せ」

 言われた通りに鍵を渡す。

 ヴァイの父親は扉に空いている穴に鍵を差し込む。

 すると、扉はひとりでに横に開き始めた。

「なっ」

 ヴァイは軽く驚きの声を上げてしまう。

 そして、その部屋の中には大きな金属製の棚があり、大量の本が並べられていた。

「これは一体?」

 ヴァイが見たことがある記録するためのものは動物の皮、岩や洞窟の壁などだ。ヴァイが知っているはずもなかった。

「ここにあるのは我らの先祖が書き残した歴史だ」

「書き残したって俺らの部族に文字はないぞ。俺は外の国で少し見たことがあるけど」

「お前、この村の外の国に行ったのか!?」

「う、うん。まぁ、そうだけど?」

 本来、村の周りの森を抜けるのは非常に困難であり故に他の民族との接触はなかった。しかし、ヴァイは自分の知的好奇心を満たすため行動に移した。ヴァイが何日も帰ってこなくても心配されることもなく森の外に出たのがバレなかったのは、普段から森の中で過ごすことが多く二、三日帰ってこないのが普通だったためである。

「まぁいい。文字に関しては私もあまり読めん。ここにある本の中身の話を先祖代々ついで来ただけだからな。これらの本は我らの祖先――特にこの部族の長となってきた人間だけが書き残し、この書物を閲覧する。理由は我ら部族には特殊な力があり、それを管理するのが長の役目だからだ」

「はぁ?」

 ヴァイはおおよそ父親に向けるようなものではない軽蔑の表情を浮かべていた。

「……そんな目を私に向けるんじゃない。お前の言いたいことはわかる。お前はそもそも、悪神を信じていないしな。だが、私も信じてなどいなかった。親父――つまり、お前の祖父にあたるわけだが、私もこの話を聞かされたときは親父の頭がおかしくなってしまったのかと思ったものだ」

 懐かしむように語り始めた。

「だが、さっき言ったことも悪神の存在も本当だ」

 ヴァイは悪神という言葉に少し反応してしまった。

「その特殊な力というのは、信じ込んだものを現実に変えてしまうというものだ」

「意味がわからないよ」

「例をあげてやる。我らの直系が長をやってきたわけだが、どうしてだと思う?」

「それは世襲制だからだろ」

「違うな。確かにそう言っても疑問に思う奴はいないだろう。しかし、実際のところは試験に合格したものが長になる。つまり、実力次第で誰にでもなれる。なのに、今まで我らの直系しかいない。それはなぜか――部族の皆が、長の子供だから長になるに違いないと思っているからだ」

 僅かな沈黙が訪れる。

「……そう言われても本当かどうかわからないな。ただ、悪神の方の話は気になる」

 ヴァイは悪神を信じていなかったが、実際に会ってしまったのだから信じないわけにもいかない。本当に村の皆に災厄をもたらすのかどうかもわからない。故にヴァイは知っておかなければならないことだと考えた。

「悪神についてもさっき言った特殊な力が絡んでくる。ついでに昔話も話してやる」

 長は棚にある本を指でなぞっていき、一冊の本を取り出し開いた。

「ずっと昔、我らの祖先は我ら部族に特殊な力があることに気づいた。そこから、百年程で、簡単に火の元を作り出したり、鉄の塊は馬が走るよりも速く人を運んだりと技術の進歩を重ねた。しかし、長の一族は皆にその力があることを隠し、それらを独占し弾圧し始めた。当然、皆怒った。そして、一人の男が立ち上がった。彼らに信じられた男は人知の及ばない神にも届き得る力を身につけた。そう、信じられたからだ」

「ちょっと待ってくれ。その話は悪神と関係あるのか?」

「急かすな。すぐに出てくる」

「長の一族は英雄のその恐ろしさをよくわかっていた。一番、その力の恩恵に預かっていたわけだからな。だから、悪神を創ったのさ。自分たちは悪神によって悪いことをさせられたのであって自分たちは悪くないってな」

「創ったって……仮に存在したとして、誰がそんなことを信じるのさ」

「信じるんだよ。そんな誰も信じないような嘘を。そして、嘘は皆が信じれば真実になる。特にこの部族はな」

 さっき言われたことを本当とするならば、悪神とは想像によって創られた存在。ただ、それだけでは本当に害をもたらす存在かはわからない。

「結局、悪神とは一体なんだ?」

「悪神とは我ら部族の力によって誕生し実在する。そして、本当に厄災をもたらす力を持っている。だが、事実は責任を押し付けるためだけに存在している」

「それじゃあ、その悪神はなんで封印されてい、いるんだ」

 ヴァイは思わず過去形にしてしまいそうになった。

 こんなことで封印を解いたことがバレてしまったら何ともアホらしい。

「今後も悪神を利用できると考えた奴がいて、英雄を暗殺して周りには英雄が命を賭して、悪神を封印してくれたって言ったのさ。悪神自体には然程、意思が無いらしく言われた通りに封印されたそうだ」

「なるほど。それで、どうして当時の技術は廃れたんだ?」

「当然のことながら、親と子の考え方が全く違った考え方になることがあるように特殊な考え方をする人もいる。技術の格差が争いになると考えた長が全て捨てたのさ。記録がなければ次第に事実も薄れていく。そうして今があるのさ」

 そう考えると、当時の人間は相当馬鹿なのではないかとヴァイは思った。父親の前で言うつもりはなかったが。

「これで、長以外に誰もここに入れない理由がわかっただろう。知られてはいけないことがここにはたくさんあるんだ」

 この後は長としての心構えだとかを説教がましく言われた。現長である父親がこの部屋を出た後は、しばらくこの部屋にいることにした。文字は一つとして読むことはできないが、なんとなく昔に触れられているそんな気分を味わいたかったのだろう。


 ヴァイは翌日から長としての仕事を始めた……ということはなく、気ままに放浪していた。本来なら長となる者は、長の(もと)でこれからのことを学ばなくてはいけないのだが、ヴァイは「幼いころに十分に見てきた」と言うことを聞かなかった。

 そもそも長となる試験を受けたのも単なる暇つぶしであり、長になりたいわけではなかった。父親に言われ続けてきたというのもある。周りがそう言うのだからそういうものであるという認識しかなかった。

 故に村人達はヴァイを不真面目だと言う。そして、一部の村人は「悪神に好かれているのでは?」と不謹慎と思いながら口にしてしまうものもいた。

 ヴァイはそう言われていることに気づいてはいたが、格下に見ている人間に言われても特に何も思うことはなかった。

 そんなヴァイには最近、夢中になっていることがあった。ディザルムに会うことだ。

 災厄を司る神と村人達は恐れるが、ヴァイにとっては不思議で興味の絶えない存在でしかなかった。父親の話を聞いても実態は見えてこない上に文献を読むことはできない。ならば、自ら調べるしかないと思ったが故の行動だった。

「なぁなぁ、触ってもいいか?」

「別に構わない」

 ヴァイはディザルムの腕に触れる。

「おぉ、人と変わんない」

「ヴァイが人の姿をイメージしたから、その通りになったのだろう」

「へぇー。女の子に触ったことないけどこんな感じなのか」

 ヴァイはディザルムの手から腕、足からふとももと触り続けていた。

「……いつまで触っているの」

「全身を触り終えるまで」

「別に構わないけど、君のようなやつを変態というのではない?」

「そうかもしれない。でも、単に知りたいだけだから」

 そしてヴァイは宣言通り、頭の天辺から足の爪先まで触った。

「なんか思ったより面白くないな」

「そんなことは知らない。ただ、くすぐったかった」

「そういう感覚はあるんだな」

「さっきも言ったけど人と同じような姿にしたから、その通りになっているのだろう」

「つまり、基本的には人と変わらないということか」

 ディザルムはそれを肯定するとヴァイはつまらないと心底がっかりした。

「私はヴァイの遊び相手ではないのだけれど」

「そうだけど、ディザルムのことを知りたいんだ。君を封印から解放して本当に悪いことが起こらないとも限らないし」

「仕方ない。そこまで言うのなら、私がわかる限りで人と異なる点を教えてあげる」

「それは気になる。教えてくれ」

 さっきとは打って変わって興味津々といった表情を浮かべた。

「一つは君も知っているだろうが、災厄を操れることよ。天気はもちろん地震や噴火、人の心理を操り、村を襲わせることも可能よ」

「さらっと、恐ろしいことを言うな」

「知っていたことだろう? それに恐ろしいという割には怯えているようには見えないわ」

「怯える必要なんてないだろ。村を壊す気だったり、俺を殺す気なら既にやっているだろうし、何より俺はディザルムという存在が気になって仕様がないんだ」

 ディザルムは笑みを浮かべる。

「なるほど。君はおかしな人間だな。さて、もう一つのほうだが私は生きてはいないということよ」

「ディザルムは時々よくわからないことを言う」

「それはすまない。違う言い方をすれば私は死なないということよ」

 ヴァイはますますわからないといったポーズをとる。

「仮に槍が私の心臓を貫いたとする。その場合でも私は絶対に死ぬことはない」

「それって、生物じゃないような……」

「その通り。私は生物ではないから生きてはいない。けど、存在はしている。私は存在を認識されているからこそ、ここに居て実在している」

「ちょっと待て。ディザルムは元々存在しないはずだろ。つまりはいない存在を認識しているから存在するってことだろう? 意味が分からない」

「そのあたりは君らの部族の力が絡んでいるとしか言いようがない。つまり、私にもよくわからない」

「そうか。でも、俺は知りたい」

「何故?」

「特に理由はない。ただ、面白そうだと思ったから」

「変わっている……とは一概には言えないか。何かに疑問を覚え、それを解決しようとするのは人間の常だから」

 君たちの部族にその数は圧倒的に少ないだろうけど、とディザルムは付け加える。

 その言葉から信じて疑わない部族故に教えられれば、疑問に思うことなどない。そのせいで自分の村が全く発展しないのではないかとヴァイは考え始めていた。

 


 ディザルムは目的を持っていない。ただ、存在しているだけである。悪神とは呼ばれているがそう呼ばれるだけの力があるだけで実質は何もしていない。

封印からの解放を願ったのは、なんとなく出たかっただけ。

生きるための食事は必要ない。死が存在しないために性交の必要もない。

ディザルム自身、世界に何の変化を及ぼさない自分を無価値だと考えていた。

しかし、ヴァイはディザルムという存在が楽しみだと言う。

その言葉には偽りはなく、ヴァイは毎日ディザルムの下へと通った。

ディザルムはそんなヴァイに人でいう愛おしさに近いものを感じていた。

次第にヴァイと一緒に居たいという思いは強くなり、村に滞在することを望んだ。

ヴァイはそのことを嬉しく思った。さらに言えば都合がよかった。

現在は収穫の季節となっており、ヴァイは収穫を手伝わなければならなかった。長としての仕事を嫌がる彼もさすがに生活の根幹に関わる部分を放棄するわけにもいかなかった。つまり、ディザルムと会えなくなるはずだったのだが村に来ているので、簡単に会えるのだ。

 ただディザルムが悪神だとばれるのはまずいので、ヴァイはディザルムを森で行き倒れていた娘ということにした。

 村人たちはといえば、ディザルムの姿には多くの男が目を奪われた。そして、妻を持つものは何人か引っ叩かれていた。

 長は少し渋っていたが、ディザルムが滞在することを許可した。

 その様子にヴァイはばれたのではないかと少しだけ焦った。

 しばらく村で過ごすとディザルムは村に馴染んでいった。

 ヴァイは常にディザルムと一緒に居ようとし、ディザルムもヴァイから離れるのを少し嫌がるので、本気半分からかい半分でヴァイとディザルムはお似合いの二人だと言われていた。


 さらに時は少し進み、食糧の貯蓄を終え、毛皮などの整理が終わった頃。

「さて……ディザルムー!」

「そんなに大きな声を出さなくても聞こえる」

 ディザルムはゆっくりとヴァイのもとに近づく。

「ようやく終わったよ」

「言われなくてもわかっているよ」

 突如、ヴァイはディザルムの胸に顔を埋めた。

 すると、ディザルムの顔は真っ赤になった。

「いっ、一体何をしているんだ!?」

「疲れたから、癒してもらおうと思ってさ。頭撫でてくれ」

「こんなところで……村の皆も見ている」

「人がいないところならいいのか?」

「そういう問題じゃない!」

 ヴァイはディザルムから離れ、顔をじっと見つめる。

「な、何だ?」

「随分と表情豊かになったなと思って」

「それは多分、皆が私を人として見ているせいだろう。私は人からの印象で姿かたち性格が変わることがある」

「へぇ~。それだけなのか?」

「……ヴァイが私の反応をみて面白くないって言うから」

 ディザルムは消え入りそうなほど小さな声で言った。

 ヴァイはしばらく固まった。

「そっか。本当に変わったな」

「そうかもね」

 ディザルムは突然、森の方に顔を向けた。

「……?」

「どうした?」

「人が来る。それもかなりの人数」

「こんな森の奥に人が来るのか?」

「理由は知らない。でも、嫌な予感しかしない」

 しばらくすると、低く音が響いてくる。

 次第にその音は大きくなり、森から人の姿が見えた。

 そして、ぞろぞろと鎧を纏った人が村に入り込んできた。

「やっと人を見つけたぞ」

 多くいるうちの誰かがそう言った。

 騒ぎを聞きつけ村人達も集まってくる。

 長がその集団の前に立つ。

「何の用でここに来た」

 一人だけ馬に乗っていたその集団の隊長である男が降りて、長の目の前に来た。

「我らはローマの遠征軍だ。未開の地を開き、お前らのような蛮族に技術を与え仕事を与えるために来た」

「余計なお世話だ。さっさと国に帰るんだな」

「勘違いするなよ。これは願い出ているのではない。命令だ。その命令に反するというのなら、殺すまでだ」

 長は悩んだ。彼らの言うことを聞くことは非常にまずい。まず、物資は間違いなく押収される。そうなれば本の存在を知り、訳されて自分たち部族の力を知られてしまうかもしれない。そうなれば、何をされるかわかったものではない。しかし、この集団に勝つ術は持ち合わせていない。皆殺しにされてしまうだけだ。ならば選択肢は一つだけだった。

「わかった。だが、私一人で判断するわけにはいかん。相談をするから少し待っていてくれ」

「……いいだろう」

 隊長は振り返る。

「ありがとう。皆、集まってくれ!」

「言い忘れたが、よもや逃げようなどと考えているのではないだろうな? もしそうなら、ただでは済まぬぞ」

 図星だった。しかし、長にはそれ以外の術は思いつかなかった。

 そして、村人全員が集まった。

「皆、聞いてくれ。ほとんどの者は聞いたと思うが、あの誘いに乗れば禄なことはない。だが、反発して勝てる相手でもない」

「ならどうするんです」

 村人内の一人の青年は不安そうに疑問を口にする。

「逃げるしかない。この村を捨て、森の中に逃げ込むのだ。……ただし、生き残れる保証はない。命が惜しいのなら、降伏してくれ」

「大丈夫ですよ。我らにはジュスト様が付いている」

 それに乗っかるように、周りの村人逹も自信満々の表情だ。

 

 ジュストとは、この部族が信仰している守り神だ。そもそもは悪神を封じた英雄として称えられていたのだが、いつしか守り神と名を変え希望の象徴のようになっていた。そして、その愚直なまでの信仰が、部族が持つ力を発揮し奇跡を起こすことを可能にしていた。


「そうだな。ただし、戦おうとは思うなよ。絶対に勝てない。あいつらは戦いのエキスパートだ。森の中でなら何人かは倒せるかもしれないが、誰かが死ぬことになるからな」

 奇跡は起こせても現実は覆らない。そう思っていた故の発言だった。

「わかっていますよ」

「私が引き付けるから、その間に皆は逃げろ」

「それでは長が!」

「よい。一人でも多く生き残るためだ」

 村人たちは、沈みながらも長の言うことを聞くことにした。


「ディザルム、大丈夫だと思うか?」

「大丈夫じゃないと思う。でも、皆には死んで欲しくない」

「何か策でもあるのか?」

「ないわけじゃないけど……。教えない」

「なんでだよ」

「最後の手段だから」

「よくわからん」

「わからなくていい」


 長は隊長の下へと向かった。

「どうやら決まったようだな」

「私の答えは、これだ!」

 長は手に持っていた、小さな槍で隊長の兜から出ている顔の部分を刺そうとした。

しかし、その槍が頭に刺さることはなかった。

隊長は長の手首を掴み、自分の顔に刺さる前に止めていた。

「それがお前の答えか……。よし! お前ら、殺していいぞ! ある程度は生かしておけよ!」

 隊長の声に呼応し、待っていたと言わんばかりに集団で声を上げる。

 ローマ軍は一人も逃さないように村を囲っていた。

 およそ百人程の兵は一斉に村人達に襲いかかった。

「皆、何人かで固まって四方に散れ! まとまっていたら皆殺されるぞ!」

 ヴァイは声を上げて、指示をする。

 ディザルムの腕を引っ張り、兵の横をすり抜けるように通ろうとした。

「逃がすか!」

 ヴァイは普段持ち歩いている石槍を使い、兵の足を狙った。

 その兵は軽装であったために足にほとんど鎧は付いていなかったために槍は突き刺さった。

 そして、痛がっている隙に森の奥へと進んだ。

 横目に何人かは森に進み、斬られている者を見ながら。

 

 ある程度森の奥へと進み、追ってくる様子がなくなった頃。

「祠に向かおう」

 ディザルムは突然口を開いた。

「何だ? 急に」

「あそこは少し見つけづらい場所にある。村の皆も向かっている者が多いはずだ」

「わ、わかった」

 ディザルムに言われた通り、祠のある洞窟に向かうと村人逹が集まっていた。

 村人たちはヴァイとディザルムの無事を喜んだ。

「ここには何人いる?」

 ディザルムはそばにいる青年に訪ねた。

「えーっと、ヴァイ逹を含めて六十人かな」

「……そう」

 ディザルムは落ち込んだ。

 青年は大丈夫だと励ましたがディザルムは反応をすることはなかった。


 夜になり、村人たちが眠り始めた頃。

 ディザルムは洞窟の外に出ていた。

 ヴァイはそれに気づき、ディザルムの後をつけた。

 ディザルムは外に出ると空を見上げていた。

「最後の手段を取るよ」

 ディザルムが空を見上げたままそう言うと雨が降ってきた。

「気づいていたのか?」

「私は悪神だからね。……濡れるよ。中に入って」

「あ、あぁ」

 ディザルムと共に洞窟の中に入ると雨は激しさを増した。

「それで最後の手段って何だ?」

「待っていればわかる」

 外から小さく低い音が響くように聞こえた。

「何の音だ?」

「雷鳴」

「雷鳴って何だ?」

「説明しづらいけど、空が鳴るんだよ。光と一緒に」

「なんかすごいな」

「地面に落ちてくればただでは済まないけどね」

 そう言った、直後には耳を劈く様な衝撃音が響いた。

「今度は一体何だ!?」

「雷が落ちたんだよ。いや、落とした」

 村人達はこの衝撃音で目覚めた。そして、戸惑っていた。

 何人かで確認しに行くことになり、ヴァイとディザルムも見に行く。

 洞窟の外、降り続く雨の中遠くで明るくなっているのが確認できた。

 時間が経つにつれ次第に明るさを増していく。

 そこからは煙が上がった。

「……燃えて、いるのか?」

「そうよ、森に雷が落ちればその熱で火災になる」

「なんで、そんなことを……!」

「村人を殺す敵を排除するため。このままあいつらを生かしておけばいずれこの場所が見つかって、殺される」

「だからってそんなことをしたら! 他の皆も……」

「死ぬわ」

 冷たく、ヴァイを突き放すように言い、洞窟の奥へと進む。

「許してなんて言わない。この事態を招いたこと自体私のせいである可能性が高い。私は私のためにあの軍隊を壊滅させる」

「ちょっと待ってくれ! 一体どういうことなんだ!?」

「自分で考えなさい。私は元々どういう存在かを知っていれば、答えは出る」

 ディザルムは村人に話しかけられても全て無視して、箱に突き刺さっている剣を握った。

 ディザルムが封印されていた箱。ヴァイがバレないように元通りに突き刺した剣。

 村人達はやめるように呼びかけるが、ディザルムが手を止めることはなかった。

 抜いた剣はうす暗い洞窟にも拘らずまるで発光しているかのように眩いばかりの銀色の刀身。

 鉄という存在を知らないために何百年、何千年と突き刺さっていた剣が錆び付いていないという異常事態に気付ける人はいない。しかし、悪神の封印を破ってしまったショック(実際には既に解かれているが)と剣の放つ神秘的光景に村人逹は何も言えなかった。

 激しさの増す雨の中ディザルムは外へと向かった。

 ヴァイも村人逹同様何も言えず、ただ見送ることしかできなかった。


 しばらくして村人逹は落ち着きを取り戻した。

「あの子は一体何者何だ!? それに、悪神の封印を解いても何も起こらない! 俺たちにどうなっているのか教えてくれ!」

「……ディザルムは悪神だよ。封印は試験の時に俺が解いた。だから何も起こらない」

「つまりは全てあの女のせいというわけか」

「違う! ……って言いたいけど、俺にはわからない。でも、俺が責任を取る」

 ヴァイは洞窟の外に駆け出した。

「待て! 一体どうする気だ!」

 呼びかけに応え、洞窟の出口の前で振り返り、立ち止まる。

「ディザルムと一緒に兵を倒す! そして、ディザルムとこの森を出て、村に災厄を持ち込ませない!」

 言い終わると同時に外へと駆け出した。

 空は少し明るく、天気は小雨になっていた。

 地面は泥濘(ぬかるみ)、足を取られながらも懸命に走った。

 向かう先は村の方向。

森は雨によって然程燃え広がずに済んでいた。

 村のあった場所に到着し、そこにあったのは燃え尽きた炭と大量の死体だった。

 黒焦げになっている者、身体を両断されている者、心臓を貫かれている者など見渡す限り生きている人間は確認できなかった。

「ディザルム……」

 会いたいと思う相手の名を口にする。ヴァイには探す当てがここにしかない。

 しかし、まだ探す場所があることに気づいた。地下の書庫。

 焼け焦げた残骸の後には地下へと降りる階段が残っていた。

 地下に降りると金属製の扉が無傷であった。

 鍵を開けようとすると、前に影が映った。

 振り向くと軍の兵が剣を振りかざしていた。

「死ねぇ!」

 ヴァイは目を閉じ、死を悟った。が、その剣が振り下ろされることはなかった。

 目を開けた時、兵の胸からは血に濡れた刀身が突き出ていた。

 剣が引き抜かれ、兵が倒れたその先に立っていたのは――ディザルムだった。

 血と雨に濡れ、髪や服から滴る水は全て血のように見えた。元々赤い髪は血で染まってしまったのではないかと錯覚してしまうほど全身が血に塗れていた。

「どうして君がここに」

 驚きと嬉しさ、悲しみを綯い交ぜにしたような表情だった。

「ディザルムを探しに来たんだよ」

「どうして!? 私は君の仲間を殺したんだよ! それに、この事態を招いたのも私かもしれないのに!」

「俺は何もなしにディザルムがこんなことをするとは思えない。それに、悪神の封印を解いたのは他でもない俺だ。それなら、俺とお前も同罪だよ」

「君がそんな罪を背負う必要はないよ」

「いいんだ。ディザルムとこの森を出るって宣言しちゃったしね」

「まさか、自分で悪神の封印を解いたことを話したのか!?」

「あぁ、だから責任を取るって言ってきた」

「……本当に君は変な奴だ」

 呆れつつ、笑みを浮かべていた。

 ……ただ、目の前には槍の切っ先が突き立てられていた。正確には、ディザルムの胸を槍が貫いていた。

 階段の上には兵がいた。

「ハハ……ハハハハ! やったぞ! あの化け物を殺してやったぞ!」

「ディ、ディザルム……?」

 ディザルムは笑みを浮かべたままだ。

「大丈夫。前に言っただろう。私は死なないよ」

 ディザルムは槍を胸から引き抜いた。そこからは一滴も血は流れず、ただ穴が開いていた。しばらくすると、何事もなかったように元に戻っていた。

 階段を上り、兵のそばによった。兵はディザルムを殺したと思い込んだまま、歓喜に震え飛び跳ねていた。故に、ディザルムが近づいていることに全く気付かなかった。

「一体、何をそんなに喜んでいるのよ」

 ディザルムはその一言ともに兵の首をはねた。

 振り向くも兵は声を上げることすらできずに絶命した。

 剣を下ろし、ヴァイの下へ向かう。

「これで、全員かしらね」

「全員って、あの兵隊を全員殺したのか?」

「そうね。確認したわけではないから、絶対とは言えないけれど」

「……なんで、最初からそうしなかったんだ? やろうと思えばできたんだろ?」

 ディザルムはヴァイの質問に言い淀んだ。

「別に責めているわけじゃないんだ。ただ、訳を知りたいだけだ」

「……できるだけ、悪神だと知られたくなかった。悪神は存在するだけで疎まれる。私が悪神だと知られれば、ジュストが復活して……そうでなくても私は消える可能性が高くなる」

「わかったよ。なら、俺と一緒にこの森を出よう」

「ど、どうしてそうなるの?」

「ディザルムはもうここにはいられないんだろう?」

「そうだけれど……」

「俺は悪神の封印を解いてしまった責任を取らなくちゃいけない。それにディザルムとは一緒に居たい」

「仕方ないわね。それに私もヴァイと一緒に居たい。きっとヴァイとなら、楽しくなる」

 ヴァイは頷く。

「誰かと森の外に出るのは初めてだから楽しみだよ。 ここには戻らないから、もっと遠くにも行ける。ここに戻れないのは悲しいけど、楽しみはたくさんありそうだ」

「楽しみなのはいいけど、食べ物はどうするのよ。持っていくとしても、たくさん持って行けない上に時間が経てば腐る。当てはあるの?」

 ヴァイは腕を組み、下を向き、目を閉じる。三秒程たって、目を開けて顔を上げる。

「何もないな」

「はぁ……」

「なんだよ! 考えたこともなかったから、何もないんだよ!」

「もう少し賢いと思っていたからがっかりしただけよ」

「前よりさらに変わったな。今までならそんなこと言わなかっただろ」

「吹っ切れたからね。それに……」

 急に言葉が切れた。表情は苦しげだった。

「大丈夫か? (つら)そうだぞ」

 ヴァイがディザルムの肩に触れようとした瞬間、ディザルムは倒れた。

 前に倒れそうになったので、ヴァイは倒れないように支えた。

 そして、あることに気づいた。

 重くない。それどころか重さを感じない。さらに触った感触もない。血と雨水が混じった液体の感触だけが感じられた。その上、全身が少し透けて見える。

「どういうことだ!?」

「私の……存在……が消え…………そう」

 苦しそうであっても音量はしっかりある。なのに何故か聞き取りづらい。

「どうすればいい。何かできることはないのか?」

「手を……握って……」

 ヴァイはディザルムの右手を両手で握り締めた。ここに居ると存在を確かめるように。

 ディザルムの身体がどんどん透けていく。

「おい! 居なくなるなよ! なんで、急に! 死なないんじゃないのかよ!」

「…………」

 何かを言っているが完全に聞き取れなくなった。

 加速度的に身体は透明化していき、完全に見えなくなった。

 握っていたはずの手は空を掴む。

 静寂が訪れる。

 さっきまで楽しく話していた相手が消えてなくなった。

 その事実が重くのしかかり、涙を堪えられなかった。

「ぐっ……! ディザルムーーーーーーー!」

『うるさい!』

 どこからかディザルムの声が聞こえる。

「生きていたのか!? どこにいるんだよ!」

『死なないって言っているのに……。どこにいるかと言えば、ヴァイの中……っていうのが正しいのかな』

 ヴァイはまた理解することができなかった。

『私は村人達の恐怖を糧に力を使っている。そして、姿を現している時には常にその力を消費している。つまり、村人逹がたくさん死んだせいでエネルギー不足になったからヴァイの中で過ごすことにしたんだよ』

「俺が言いたいのはそうじゃなくて、どうやっているのかなんだが」

『私が悪神だから』

 納得してしまって、何も言うことはできなかった。

『ところでこれからどうするかだけど、本を持って行こうか』

「どうしてだ? 何の役にも立たないだろ。読めないし」

『役には立たないかもしれないけど、多分売れる』

「売る?」

『もしかして、売買って言葉を知らない?』

 ヴァイは頷いた。

『……そこからか』

 ディザルムは貨幣制度について説明した。

「なるほど。けど、それが森の外でやっているものなのか?」

『わからないけど可能性としては高いはずよ。兵隊のあの武具を見るに結構文化レベルは高そうだったからね』

「そういえば、ディザルムって昔の記憶あるのか?」

『何を唐突に……ないわけではないけど、かなり曖昧ね』

「へぇ~」

『聞いておいて、随分と興味なさそうね』

「ただ単に、博識だなと思ったから聞いただけだよ」


 その後、森を二日程かけて抜け街に出た。

 行商人を名乗る者に出逢い、本を売り、貨幣を手にすることができた。

 さらに、都心だというローマに向かい歩いた。

 道中、人の視線がこちらに向いていることに気づいた。その理由は、ディザルムの姿は見えず、声も聞こえないために独り言を言っているようにしか見えないからであった。ディザルムはそのことに気づいていたが、あえて黙ってヴァイが視線に気づいたときに話した。

 そうこうして、ローマに到着した。

 ローマに近づいた時点で気づいていたが、ここでは奴隷制度が適応されていた。

 基本的にローマ人以外が奴隷となっているため、奴隷と勘違いされたりもした。奴隷そのものにもされそうにもなった。

 貴族は立派な建物に住み、庶民はそうでもない。しかし、奴隷を除けば基本的には食うに困っている人間はいないようだった。こっそりと色んなところを見れば、奴隷の中でもいい生活をしているものもいるようだった。そうやって、興味を持ったところにバレないように歩いて回っていた。


 そうして、森を出てから数年の月日が流れた。


ある時、闘技会が行われるということでコロッセオに向かった。

 そこは、人と猛獣もしくは人同士が戦わされている場所だ。

 観戦は無料だった。

 午前中には人と猛獣との戦い。戦うのは剣闘士。緊迫感はあるもののおおよそ苦もなく剣闘士は猛獣を殺した。観客のテンションのボルテージはどんどん高まっていった。

 午後には剣闘士同士の戦いが行われた。

 二人の剣闘士が入場すると、歓声が一気に上がる。

 スパルタクスと多くの観客が叫ぶ。

 試合が始まり、互いににじり寄り斬り合いを開始する。

 剣がぶつかりあい金属音が響く。時に盾で防御をする。

 ヴァイはそこにどこか演技臭さのようなものを感じた気がした。

 決着はスパルタクスの勝利だった。

 相手の剣を弾き飛ばし、相手は盾を放り投げた。降伏の合図だ。

 しかし、剣闘士の命は観客が握っている部分がある。この試合に負けた者は観客の判断によっては殺されるのである。

 観客逹は、相手はスパルタクスだからしょうがないと言った様子で助命した。

 ヴァイは遠目でスパルタクスの表情を見ていた。

 試合に勝って喜んでいるわけではなく、観客の態度に怒っているわけでもない。ただ、何かを決心したようなそんな表情だった。ディザルムも同じ意見のようだった。

 特にすることもなく暇だったので、スパルタクスの様子を見に行くことにした。

 と、考えたものの剣闘士は養成所にほぼ監禁、監視されている状態にあるので様子を見に行こうにも行けない状態だった。ならばどうするか。答えは単純に忍び込むことだ。

 閉じられた扉はディザルムの知識で容易に開けることができた。監視の目は、忍び込むことを想定されていないのか、数が少ない。しかし、スパルタクスがどこにいるかわからない。しばらくさまようと、鉄柵で閉じられた牢屋のような部屋を見つけた。その前には監視役が立っていた。壁をよじ登り、壁を伝って気づかれずにその監視役の頭上にたどり着いた。人間離れした行動だが、無理がかかればディザルムが身体を動かすこともできる。ディザルムが身体を動かせば、自分の意思では無理な事も強制的に動かすことができる。ただし、本来無理な動きをしているので、身体に負担がかかるものであった。

 壁から飛び降りながら監視役を剣の腹で叩き、気絶させた。

「何だ、お前は?」

 そこにいる三人は、明らかにヴァイを警戒していた。

「俺はヴァイ。ここには観光できているようなものだ」

「そのヴァイ君が何のためにこんなことを?」

「楽しむことが一番の目的かな。今日の試合見ていたんだけど、勝ったあと何考えているのかな、と思っただけだよ」

「それだけのためにここへ? 馬鹿か?」

「さぁ? ただ、そろそろこの国を出ようかとも思っていたし、状況が悪くなったらなったで国を出て行くだけだ」

「まぁいい。それで、聞いてどうする」

「俺の考えでは何か計画でもしていると思っている。それを手伝おうかとそう思っただけだよ」

「……不確かな考えでよくここまで来たものだ」

「言っただろ? 楽しむことが一番の目的だ」

「いいだろう。俺はここから脱走し他の奴隷の解放を考えている。しかし、この扉すら開けることは叶っていないがな。計画では次に出されるタイミングで殺して出るつもりだ」

「なら、ここで出ても変わらないだろ」

 手に持っている剣で牢の扉を切った。

「……お前は一体?」

「ただのしがない放浪人さ」

「計画をしっかり立てていたのだが……仕方ない。俺たちは奴隷を開放しながら、この国を出る。お前は?」

「俺は別方向から奴隷達を開放してくるよ」

「わかった。……達者でな」

 そして、スパルタクスと二度と会うことはなかった。


 宣言した通り、奴隷解放を行った。奴隷商人のところにいる奴隷を狙い、スパルタクスのことを話し、一緒に逃げるように言った。

 奴隷商人達は、気絶させ放置した。

 実際は一人でこんなことをするのは、不可能かと思ったがディザルムの助力もあり容易に完遂できた。

 そして逃げるように促している中、一人だけ残っていた。二十歳ぐらいの女の子だった。

 肌は浅黒い色をしていた。基本的に奴隷も白人が多いので珍しかった。

「どうした?」

「助けてくれてありがとうございます。あなたは仏様のようにお優しいのですね」

「お礼はいらない。それに別に優しいから助けたわけじゃない。面白そうだったからだよ」

「そうなのですか? 私にはあなたが話に聞いた悟りを開いた仏陀のように見えますが」

「俺は仏陀を知らない。……けど、俺が何か特別なものに見えるのなら、それは俺の中にいる神様のせいだな」

 ディザルムのことを話すのは避けるべきかとも思ったが、言っても信じないだろうと思い話した。

「そうですか。なら、その神様はとってもいい神様なのですね」

「地元じゃ、悪神って言われていたけどな」

 ヴァイはディザルムについて話し、彼女は、仏教について語った。

 彼女は、仏教徒というわけではなく知識としてあるだけらしい。

そして、ヴァイとディザルムに興味を示していた。

 日が傾き始め、奴隷商人から奪った馬車の中で過ごすことにした。

 夜になり、彼女が寝息を立てていたのを確認した頃、ディザルムが話しかけてきた。

『最近、力が僅かだけど戻ってきているわ』

「どういうことだ?」

『推測でしかないけど、あなたの噂が広まっているからかもしれない』

「俺はお前じゃないのに。それに俺の部族でもないぞ」

『私とヴァイは今や同一でしょ。それに人であれば誰でもいいのかもしれない。人の想像が現実になるのは誰しも持ちうる力で彼らがその力が異常に強かっただけなのかも』

「確証はないんだな」

『確かめようがないわ。でも、これからも私を生かしたいと思うならこういうことを繰り返すのがいいのかもね』

「もちろんディザルムがそういうのなら俺はそうするけど、ディザルム自身はこれからも俺と一緒に居たいのか?」

『愚問ね。当然よ』

「そっか。俺もだ」


 翌日から彼女とヴァイはともに行動することになった。しばらく奴隷解放を行っていたが風の噂で、スパルタクスの反乱が失敗したことを耳にした。

 それとともに、奴隷解放を促している(やから)がいるとも聞いた。間違いなく、ヴァイのことだった。捕まれば間違いなく処刑されることは目に見えていたので、ローマを遠く離れることにした。当てはない。ただ、ゆっくりと日が昇ってくる方向に足を進めることにした。ついでに、ただ逃げるだけでは面白みに欠けるので、一つ自分たちに名をつけてそれをなのることにした。

 その名は、彼女から教えてもらった知識から特に何も考えずにつけたものだった。仏教が伝来した中国や日本での元来の意味は仏教以外の教えを信仰する人。後に人の道や道徳を外れたものを意味するようになった。悪がアイデンティティーであるディザルムにはちょうどいい名称になるのだった。

 その後、彼らは義賊のような行為を繰り返しその名を広めた。それに伴いディザルムは力を取り戻していった。

 

 さらに、数十年の月日が流れた。

 ヴァイは年老い、死にかけていた。

ヴァイには息子も孫もいた。

そして、(いま)だに体の(うち)にディザルムがいた。

ヴァイは寝床に伏し、その周りにはヴァイの嫁である浅黒い肌の女性と息子とその嫁、まだ幼い孫がいた。

「最後に……一目……ディザルムの姿が見たい」

 心からの願いだった。結ばれることはなくとも、人生の半分を共に過ごした。にも拘わらず姿を見ていられたのは数ヶ月。最後の願いだった。

 家族にはディザルムのことを話してきたが、ディザルムは姿を現すことができないので完全に信用してはいなかった。そのために先ほどの発言もボケてしまった発言としてしか受け取られなかった。

『……いいよ。少しの時間ぐらいなら、あの姿でも大丈夫だから』

「ディザルム……ありがとう」

 光の粒が収束するように一ヶ所に集う。そして、赤い髪の美人――ディザルムが現れた。

「……ヴァイ」

 ヴァイは涙を流した。ここまでの成り行きを思い出し、幸せを感じる。

 ディザルムも涙を流していた。

「楽しかった。とっても楽しかった。ディザルムと過ごした日々は楽しかった」

「私もだよ。だから、ヴァイが寿命を迎えてしまうことが悲しいよ。ヴァイが私と同じように死ななければいいのに」

「それは君だけの特権だよ。だから、これからも生き続けてほしい」

「ヴァイが居なくなったら、私はどうしたらいいの? 私はヴァイと居続けることだけが全てだったのに」

「ディザルムは生き続けるだけでいい。僕の息子も孫もその子孫も絶対にディザルムを好きになる。そして、君を生かし続ける。それが、僕の最後の願いなんだ」

 息が絶え絶えになる。

「……大好きだった。ディザルムに……永遠の幸福がありますように」

 ヴァイの目が閉じられる。まるでまだ生きているかのように安らかな顔だった。


 この後、ディザルムはヴァイの子孫達に乗り移りながら存在し続けた。

 ヴァイの願いどおり子孫達に愛され続けた。しかし、いつしかディザルムの名は忘れ去られていき、特に意味もなくヴァイが付けた組織の名を使うようになった。ディザルムはその組織の常にトップであるため、こう呼ばれた。――外道屋社長と。

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