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2 壊れる平和な日

2 壊れる平和な日


 朝のHRが終わると、生徒が昇降口からゾロゾロとグラウンドへと出てくる。

 グラウンドにはお立ち台が設置されてあり、そこには既にスタンドとマイクが置いてあった。スピーカーなども準備万端である。

 これからここで終業式が行われる。

 生徒たちは炎天下に駆り出されて不平不満ばかり口にしているが、それでも教師の言う事を聞いてグラウンドへと整列する。

 全校生徒千人ほどがグラウンドに集まると、お立ち台に教頭が立った。

『えぇ~、これより終業式を始めます。まず最初に、校長先生の挨拶から』

 教頭から紹介されると、今度は校長が登壇する。マイクの前に恰幅の良い禿頭の中年親父が立った。

『みなさん、こんにちわ。今日はまず、夏休みに入るに際して、大変ためになるお話をしようと思います』

 お決まりのパターンで、式がしめやかに開始される。

 ここから校長先生の長い話が、この炎天下でうだうだと繰り広げられると思うと、生徒だけでなく、心なしか教師陣もうんざりしているように見えた。

『近所の神社に奉られている神様をご存知でしょうか? 厄除けと縁結びのご利益がある神様なのだそうですが、その神様は元々、普通の人間だったそうなのです』

 普通の人間が何かと持ち上げられて神様になる話はそれほど珍しくはない。

 昔話の英雄さえ、話が時代と共に移り変わるにつれ、尾ひれがついて誇張されて超人と化し、元々村の中でちょっと腕の立つ人間が近くのいのししでも倒した話を鬼退治にまで昇華されるなんてのはザラだ。

 神様だってその手法で作られる。

『ここの土地神様は元々悪神だったと言われております。昔、不作が続いた時期に人柱にされて亡くなった女性がいまして、彼女の死後、土地は富み、安定した作物が取れるようになったと聞きます。しかし、土地が豊かになった後はみな、女性の事を忘れ蔑ろにするようになったそうです』

 信心などは長く続かない。困った時こそ神頼みするが、窮地を脱すればすがった藁などゴミ同然に捨てられてしまうものだ。

『怒った彼女は様々な災害をもたらしました。困り果てた土地の人々は供物を捧げ、社を立てることで彼女を神として奉り、その怒りを治めたのだと聞きます。皆さんも彼女を見習って献身の心を持ち、土地の人々の行いを戒めに礼に報いる心を忘れないように……』

 校長の話がやっと一段落つきそうな時だった。

「……今、揺れなかった?」

「地震?」

 生徒たちが俄かにざわめく。

 確かに、地面が揺れたような気がした。だが、それはとても小さな揺れだった。

「静かに! 静かにしなさい!」

 教師陣の中から生徒たちを鎮める声が上がる。しかし、教師たちも先程の揺れを感じる者もいたようで、ヒソヒソと耳打ちをし合っている様子も見える。

 そして、もう一度地面が揺れる。

「うわぁ!」

「今度のはでかいぞ!」

 立っていられないほどグラグラと地面が揺れ、周りの景色が歪む。

 そうかと思うと、突然、学校の敷地を囲むように黒い壁が出現し、ドームを形作るようにして天井が収束する。

 やがて地震が収まると、学校の敷地一体は黒いドームの中にすっぽり囲まれたような状態になっていた。

「……な、なんだ?」

「なんなの、あの壁……」

 普通の地震ではなかったし、周りを取り囲んだ壁は不可思議な現象だ。突然、あんな壁が出現するわけがない。

 生徒たちがざわつき始め、マイクの傍に立っていた教頭が声を張る。

『静かに! 静かに! 生徒はその場で待機、先生方は集まってください』

 どうやら学校側のイベントでもないらしい。

 慌てた教頭は教師陣の集まる輪に収まり、なにやら会議を始めている。

 そんな様子を、三嶋駿平は遠巻きに窺っていた。

 ざわつく生徒たちの列は、自由に私語を始めている。やれ『何が起こった?』だの、やれ『世界の終わりだー』だの、ふざけ半分、不安半分の様である。

「なんなんだろう、アレ……。まさか僕のラッキーアイテムってワケでもなさそうだけど」

 半球状のドームに収束した黒い壁は、贔屓目に見れば『丸いもの』と言えよう。ラッキーアイテムである丸いものを探していた三嶋駿平は、周りの様子を見ながら呟いた。

 そんな時、肩が叩かれる。振り返ると、今朝のクラスメイトが。

「お前さ、丸いもん探してたろ? これなんかどうかな。さっきグラウンドに出る前、校舎の中で見つけたんだが……」

 こんなわけのわからない状況になっても、至極いつも通りのクラスメイトに苦笑し、駿平は軽くお礼を言ってそれを受け取る。

「なるほど、ビー玉か」

「礼ならいらんぞ。どうぜ拾い物だ」

「うん、ありがとう」

 渡されたのはまん丸のガラス球。特に傷らしき傷もない無色透明、何の変哲もないビー玉は、確かに駿平の望む『丸い物』だ。

 嬉しそうにそれをポケットにしまうと、壁の方から教師が走ってきた。どうやら壁の様子を窺ってきたらしい。

 遠目だが、表情を見るにあまり芳しい結果は得られなかったようだ。

 その内、もう一度教頭がお立ち台に立つ。

『生徒は教師の指示に従って校舎へ戻ってください。あとの指示は追って伝えます』

 どうやら突然の事態に対応しきれず、終業式は後回しにされるようだ。


****


 教室へと戻ってきた後、教師たちは職員室にこもり、生徒たちは教室で待機と言い渡されたまま、

「……もうすぐ三十分か」

 腕時計を見ながら駿平はそう零す。

 窓の外を見ると黒い壁は依然として消えていない。

 地震はあれから起きてはいないが、あの黒い壁はなんだか不安を煽る。

「なぁ、駿平」

 そこへクラスメイトがやってくる。

「ちょっとトイレ行かねぇ?」

「トイレ? 今は教室で待てって先生が……」

「周り、見てみ?」

 言われてグルリと見回すと、教室の中は自習の時間もかくやと言うレベルで無法地帯だった。生徒たちは自由気ままにお喋りしたり、トランプを持ち出したり、携帯電話を弄ったり、化粧を直している女子までいる。

「トイレぐらい行ったって、文句言われる筋合いもないだろ?」

「そうだね。うん、行こうか」

 黒い壁が見えるここでは、駿平の心がざわついて仕方がない。トイレなら落ち着くのに良いだろう。


 クラスメイトと連れ立ってトイレに入る。

 同じ考えの人間はやはりいるようで、立ちションの便器は幾つか埋まっているし、個室の方も幾つかドアが閉まっていた。

「僕は個室を使おうかな」

「おや、うんこかね、駿平くん」

「下品だな、君も」

 茶化しを適当にあしらい、駿平は空いていた個室に入る。

 洋式便器のその個室に入り、ドアを閉める。

「……ふぅ」

 一人になって、なんとなくため息をついた。

 あの黒い壁は一体なんなんだろう、と。

 見ているとなんだか不安になるあの壁。普通ではない、と本能が告げているようだ。

「あのぅ……」

 その時、場違いな声がすぐ傍から聞こえた。

 声のした方向は、便器の側。そこへ目を向けると、女子が座っていた。

「……へ?」

「あのぅ、ここはどこですか?」

 思考が停まる。

 入る前に確認した。この個室には誰もいなかったはず。いや、その前にここは男子トイレだったはずだ。女子がいる道理はない。

 しかもなんだ、今の質問は。

 ここはどこかと尋ねられたか。

「えと、男子トイレ、だけど」

 律儀な駿平は彼女の問いにも普通に答えてしまう。

 個室の外でもザワリと雰囲気が揺れている。確実に、外にまで彼女の声が聞こえている。

「男子トイレ、ですかぁ。それは異な場所ですねぇ」

「そ、そりゃそうでしょうよぉ!!」

 まともに思考を始めた駿平の頭は、異常事態を察してドアを開ける。

 急いで外に出ると、今の状況が幻覚でなかった事を悟る。

 確かに、女子がそこにいたのだ。

「あっれ、僕、誰もいない個室に入ったよね!? なんで、なんで女子が!?」

「おいおい、駿平くん、君は男子トイレに女子を連れ込んだのかい?」

「冗談言わないで! 僕だって混乱してるんだから!」

 クラスメイトに茶化されたが、それに軽口を返すような余裕もない。

 クラスメイトの方は女子へと近寄り、クルリと見回す。

「君、見ない顔だね、一年生?」

「えと、そうです?」

「ここは二年生の、男子トイレなの。ちょっと迷い込むにしては張り切りすぎだよね」

「あ、そうですね。……では、失礼しますね」

 そう言って女子はトイレを出て行こうとする。

 何故か、駿平の腕を掴んで。

「待って待って! なんで僕を連れて行こうとしてるの!?」

「え?」

 振り返る女子の顔をまじまじと見つめる。

 彼女は可愛い。大きな目に薄紅の薄い唇、小汚い電灯の光を跳ね返す艶やかな黒髪は肩口まで伸び、胸は出っ張り腰はしぼみ、お尻は程よく肉が盛られている。健脚にも美しさと肉感が入り混じり、とても扇情的であると言えよう。

 声は男心をくすぐるような甘ったるい声で、正直、彼女に腕を組まれているこの状況は、女性に免疫の少ない駿平にとってはかなりのドキドキ☆ハプニングであった。

「ちょっと、手ぇ離して!」

「どうしてです?」

「どうしてって、むしろどうして僕の腕を掴むんです!?」

「だって、それは……」

 小首を傾げて、彼女は言う。

「私の大事なもの、貴方が奪ったからじゃないですか」

 見掛けは良いが、どうやら性格はアレな様だ。


****


 一方その頃、職員室では全ての受話器がほぼ一斉に下ろされる。

「……ダメです。どれも通じません」

「パソコンも電源は入りますが、ネットが切断されてます」

「携帯電話も圏外……外との連絡が取れないか……」

 どうやら電気は通っているようだが、連絡手段を全て断たれている。黒い壁の外側と連絡を取るのは無理のようだ。

 通常、考えられない異常事態に対し、教師陣もほぼお手上げ状態。八方塞だ。

 そこへ、外の様子を見て回っていた教師たちも合流する。

「黒い壁の内側をぐるっと見て回りましたが、どこにも隙間はありませんね」

「外へ出ようにも、壁はどんなに叩いても崩れそうにありません」

「触り心地も気色悪くて、材質にも見当がつきませんでした」

 外に出る事も、外と連絡を取る事も出来ない。完全な陸の孤島状態。

 予想だにしない展開に、職員室もざわつき始める。

「皆さん、聞いてください」

 そこで声を上げたのは男性教師、中堂則正。

「このような状況で一番恐れるべきはパニック状態です。この学校の中には千人以上の人間がいますが、全員が混乱してしまえば最悪の事態を招きます。まずは担任の先生方は教室に戻り、生徒たちに事情を説明してください」

「し、しかし、こんな状況を説明したら逆に混乱させてしまうのでは?」

「情報は最低限です。そして希望観測も伝えます。そうですね……『ちょっとした事故で道が塞がれてしまった。すぐに収まる予定なので各自待機するように』とでも伝えておけば良いでしょう。くれぐれも我々すら事態を把握できていない事を悟られない事です」

「わ、わかりました」

 則正の意見を聞き、教師陣は職員室を後にする。

 しかし、これは苦し紛れの延命行為に過ぎない。生徒たちが事態に気付く前に打開策を打ち出さなければならない。

「職員室では絶えず、外との通信を試みてください。あとは私と数人、もう一度壁の近くを調べましょう。見落としがあったかもしれない。……それで良いですか、校長?」

「あ、ああ。中堂くん、よろしく頼む」

 校長のお墨付きを頂き、則正は行動を始めた。


****


「……こりゃ尋常じゃねぇな」

 工事の行われている体育館近く。そこには鬼頭虎勝がいた。

 当然のように終業式をサボっていた虎勝は他の生徒よりもいち早く、この異常事態がいかんともし難い状況だと把握していた。

 だが、その口元には笑みが。

 尋常ではない事態は、何も黒い壁に覆われたこの学校と言う場所だけではない。

 虎勝は工事の資材として置いてあった、長さ三メートルはあろうかという鉄の棒を、軽々と振り回していたのだ。

「き、君! 何をやっているんだ! 危ないからやめなさい!」

 工事のおじさんが事態に気付き、虎勝に近づく。

 しかし、虎勝に鉄の棒を突きつけられて立ち止まる。

「おい、おっさん。俺に指図するんじゃねぇよ」

 異様にぎらつく虎勝の眼光に気圧され、おじさんはわずかに退く。

「俺はルールを外れた。俺を従わせたいなら、俺に勝る力を見せてみやがれ」

「な、何を言っているんだ。と、とにかくその資材は下に置いて……」

「わっかんねぇかな、おっさん」

 呆れたようなため息と共に、鉄棒が一閃。

 まるで馬の尻を叩くムチのように、鉄の棒が地面のアスファルトに向けて叩き落される。

 轟音を立てて地面を割った鉄棒は中ほどから折れ曲がり、しかしそれでも虎勝の手は離れる事はなかった。

 実際にやってみればわかるのだが、棒で何かを殴りつけると衝撃が自分の腕にもやってくる。鉄の棒でアスファルトなんかを思い切り叩けば、その衝撃は恐ろしく強くなる。訓練しなければ鉄の棒を持っていられないほどだ。

 だが、虎勝はそれを成して平然としている。

 その鬼気迫る雰囲気と、鉄棒がアスファルトを砕く轟音に、おじさんの心根はいともたやすく折られる。

「おっさん、俺に命令したいなら力ずくにしろ」

「ひ、ひぃ!」

 逃げ出すおじさんを見送り、虎勝はひしゃげた鉄棒を放り投げる。

 その重量に見合った大音が鳴り、何事かと生徒が校舎から顔を出していた。

「騒がれても面倒、か。しばらくはどっかでやり過ごした方が良さそうだな」

 校舎からの視線を避けるように、虎勝は工事現場の方へと身を隠した。


****


 この異常事態の中で、それぞれが思うように動き始め、そして巻き込まれていく。

 個々の意志は関係なく、ただ大きな野望の渦に飲み込まれていく。

 それを知るのはこの状況を仕組んだ犯人のみ。

 中にいる人間は誰一人として漏れず、彼の術中にはまるばかり。

 勝利の鍵は、唯一つ。小さな小さなガラス球のみ。

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