16 彼女の記憶の意味
16 彼女の記憶の意味
この事件が終わりに近づいている実感があった。
「どうしたんですか、駿平さん?」
「あ、いや……なんか、もうすぐ終わると思ってさ」
ゴンベエと一緒に校舎の中を歩いている駿平。その胸中にはモヤモヤしたものが存在している。
黒い壁を取り払えるかもしれないと言う希望と、それによって失ってしまうモノ。
それらが天秤にかけられ、その揺らぎが駿平の心を濁していた。
「プレイトミルさんが言った事、気にしてるんですか?」
「そりゃ気にするよ。……ゴンベエが、神様だなんて、未だに信じられない」
先程、体育館近くで聞かされた話は、俄かには信用できない話だった。
プレイトミルは言った。
ゴンベエは神様である、と。
それは突拍子もない話だ。神様なんて存在がいるなんて、黒い壁なんて超常現象が起きたこんな状況でも信じられない。
だが、プレイトミルはキッパリ事実だと告げる。
「彼女は今、不完全な状態で現世に顕現しています。本来ならば神も人と同じように器である肉体と内容物である魂を有しています。それが今のところ、彼女は肉体のみで動いているという事になっていますね。肉体と魂が分離した影響で記憶を失っているのでしょう。記憶を取り戻すには魂を取り戻すのが早道でしょうね」
肉体と魂。それらのどちらかが欠落している状況と言うのはとても不安定なものだ。普通ならば数分、いや数秒で存在を現世に固定出来ず、神様がいるべき次元へと帰還される。ゴンベエが何時間も現世に定着しているのは、この黒い壁に覆われた空間が異常であるからだと言う。
「現在、この学校は黒い壁に覆われ、普通の世界とはズレた次元となっています。故に魔術の行使が容易い。どんな大魔法でも大した手順を踏まずに行使出来てしまう。その影響で覚醒者という異能力を持った人間が現れ、ゴンベエさんのような特異な例まで現れる。現状はとてつもなく異常です」
その引き起こされた異常。だがそれは天災などではなく、間違いなく人災なのだと言う。根拠は黒い壁の根元に張り巡らされた魔法術式。古いモノは一ヶ月前から書き記されている。これはプレイトミル自身が確認した事なので、間違いはない。
かなり前からこのような事態を起こす事を計画し、一ヶ月前に学校へ来て行動を始め、今日、やっと実を結んだこの異常な世界。
「誰がこれを望んだのかはわかりません。……ですが、手がかりはあります」
プレイトミルが取り出したのは一枚の紙切れ。なにやら文字が書かれてあるようだ。
「これは私たち魔女が危険視していた魔術師の遺書とも言える手紙です。彼の自宅に放置してあり、これを発見した時には彼は既に死んでいました。代わりに、彼の研究の全てを記した魔術書がなくなっていたのです。そしてこの手紙の内容は、ある男に魔術書を渡した、と」
それはプレイトミルに対する挑戦だった。
その死んだ魔術師と言う男も、プレイトミルたち魔女の存在は知っていたし、敵対していた事も承知の上だった。故に手紙を残した。『俺が死んで終わりだと思っただろうが、俺の継承者はいるぞ』と。
「私たちは必死に魔術書の行方を探りましたが、今日まで見つける事が出来ませんでした。……恐らく、この事件を起こした犯人が彼の魔術書を持っているのでしょう。魔術書を受け継いだ人間が何をしようとしているのかは大体予想がつきます」
プレイトミルたち魔女が総出で情報を集めた結果、死んだ魔術師が研究していた魔法は神の魂を生贄に、自分の希望を叶える魔法。
その魔法の生贄のために選ばれた神と言うのがゴンベエである。
「現在もゴンベエさんの存在が消えていないと言う事は、儀式は完璧に行使されていないと言う事です。まだ準備段階であるのか、まだ手順が残っているのか……詳細は定かではありませんが、これはチャンスです」
ゴンベエの魂が生贄に捧げられれば、ゴンベエの肉体も消える。
彼女がまだここにいるのならば希望はまだある。
継承者が行おうとしている魔法の儀式を中止させ、黒い壁を取り払う事が出来れば、継承者は儀式を行う事は不可能となる。
「私たち魔女は魔法と言う存在が公になる事を防ごうとしています。が、魔術師たちはそんな考えを持っていない。自分の利や知識の追求にしか興味がないんです。ですから、こんな大それた事を堂々とやってのける。これが世界にどれほどの影響を及ぼすかも考えずに」
今回の事件によって世界に及ぼされる影響は計り知れないだろう。魔女はそれを危険視しており、影ながら魔術師の妨害をする事で世界の常識とやらを守り続けていたのだ。
しかしこの黒い壁の事件では後手に回り、結局は儀式が始められてしまうという失態を見せる事になった。これ以上は失敗できない。
つまり、儀式が完全に成功するのを阻止しなければならないのだ。
「魔術書を受け継いだ人間が何を望んでいるかは知りませんが、儀式の成功を見過ごすわけにはいきません。私はそれを止めるためにこの学校へ来たのです」
プレイトミルの話はそんな感じだった。
思い返してみれば、ゴンベエには不思議な事が幾つもあった。
まず、出会いからして不思議である。誰もいなかったはずの男子トイレの個室に唐突に現れた事。魔術師によって唐突に呼び出されたのだから、唐突に現れるのは無理もない。何故男子トイレに呼び出されたのかは全くの謎だが、それを知る術もあるまい。
そして同学年であるはずの一年生が、一人としてゴンベエの事を知らなかった事。それはそうだ。そもそもゴンベエと言う生徒はいないのだから。
彼女の制服は恐らく無意識の内に近場にいた女子の制服を真似して具現化してしまったのだろう。故に駿平に怪しまれる事もなく、学校に馴染んでしまった。そのお陰で学校を歩いていても怪しまれなかったのだが。これは幸か不幸か。
そして原因不明の記憶喪失。魔術師によって肉体と記憶と魂を分離されたのだから、記憶がないのも当然である。
「駿平さん……」
考え事の途中で、ゴンベエが駿平の制服の裾を掴む。
「どうしたの?」
「やっぱり、私の事、嫌いになりました?」
「ど、どど、どうしてさ!?」
突然、予想だにしない質問をされて、面白いぐらいにキョドる駿平。
対照的にゴンベエは酷く静かだ。
「私、プレイトミルさん言葉が、とても自然に受け入れられました。多分、記憶をなくしていても前々から知っていた事だったから、すんなりと納得できたんだと思います。多分、彼女の言う通り、私は神様なんです」
「……もしかして、自分が神様なんて特別な存在だから、僕が君を嫌いになるとでも思ってるの?」
「それだけじゃありません。私の所為で、駿平さんはもう少しで死ぬところでした。私に関わらなければ、駿平さんは……」
「平穏無事に過ごせてたかもって?」
ゴンベエは素直に頷く。
それを見て、駿平は憮然とした態度で向き直る。
「がっかりだよ、ゴンベエ。僕はそんなに信用がなかったのかい?」
「え!? そ、そんな事ありません! 私は俊平さんの事、信じてますよ!?」
「だったら、僕が君を嫌いになったなんて勘違いして欲しくない」
駿平はまっすぐにゴンベエの瞳を見つめる。
「確かに、君と出会わなければ僕は今頃、どこか特別教室の生徒たちにまぎれて、膝を抱えながら事態が収束するのをただただ待ち続けていただろうね。君の記憶を探すために学校中を歩き回って聞き込みしたり、その途中で白マントに二度も殺されかける事もなかっただろう。それは危険からは最も遠いかもしれない。でも、僕は今、そうしていなくて良かったと思っているよ」
「どうしてです?」
「男の子はやっぱり、生まれつきヒーローってのに憧れがあるんだよ。お話の中心にいたい。何かを成し遂げてやりたい。困ってる女の子を助けてあげたい、ってね。だから僕が君を助けるのは当然とも言えるし……そうでないとも言える」
駿平はポケットの中にあるビー玉を手で転がした。
これは今日のラッキーアイテム。きっとこのビー玉が駿平とゴンベエを引き合わせてくれたのだろう。確かに駿平にとってはラッキーだ。
「僕のお話のヒロインが君で良かったと思う。君じゃなければこれほど助けてあげたいとは思わなかったかもしれない」
そこまで言って、駿平は気恥ずかしくなって一度咳払いする。
「べ、別に深い意味はないけどね! 友達として、君が困ってるなら助けてあげるぐらいの人情は持ち合わせてるよ」
駿平の気恥ずかしさが伝わったか、ゴンベエも少し顔を赤くする。
「と、友達として……そ、そうですよね」
二人で俯き、顔を赤くして黙り込む。
駿平とゴンベエが知り合って、まだ数時間。
人が恋に落ちるのには、わずかな瞬間で十分と言うが、それは本当なのだろう。
駿平は今、それを痛いくらいに実感していた。
「あ……えと」
沈黙に耐えられなくなったゴンベエが、慌てて口を開く。
「た、確か、情報を集めるんでしたよね! もたもたしてないで、さっさと済ませちゃいましょう!」
「そ、そうだね!」
二人が校舎に来たのはそれが目的だ。
黒い壁を作り出した犯人を探し出す。それが出来ればプレイトミルが黒い壁を取り払ってくれると言う。ならば、こんな狂った状況を打開するためにも、何より優先するべきは犯人の捜索だ。
校舎側にも頼めば協力してくれる人間はいるはず。声をかけつつ、情報収集が今の駿平たちの目的である。
「行こう、まずは情報通くんでも探して、校舎側とグラウンド側の様子を調べたい」
「はい、行きましょう」
笑顔のゴンベエと一緒に、駿平は階段を上った。
駿平の胸中に渦巻く不安とは、ゴンベエに聞こえないようにプレイトミルが付け足した言葉だった。
「どの道、ゴンベエさんは消えてなくなります。魔術師が魔法に成功すれば魂が消えてなくなり、ゴンベエさんは神としても存在を維持できなくなる。魔術師の魔法を阻止したとしても、神であるゴンベエさんはこの世に顕現し続けてはいられません。あなたにとってはどちらに転がっても茨の道ですね」
プレイトミルの言葉が、これほどトゲトゲしく聞こえたのは、それが初めてだった。




