1 ある平和な日
1 ある平和な日
その日は夏休みへ踏み出す第一歩目の日。七月某日、終業式。
通学路をフラフラと歩きながら、三嶋駿平は丸い物を探していた。
「おい、駿平、何やってんだ」
キョトキョトと忙しなく首をめぐらす駿平の姿を奇異に思ったか、通りがかりのクラスメイトが声をかける。
振り返った駿平の額には汗が浮いていた。真夏の炎天下で探し物なんかしていればこうなる。
「丸い物を、探してるんだ」
「丸い物ぉ? ざっくりした探し物だな」
「特定の何かを探してるわけじゃなくてね。なんか、適当な丸っこいものがあれば嬉しいんだけど」
駿平の返答に、クラスメイトはポケットの中をあさる。
しかし、出てきたのは丸めた糸くずだけ。
「悪ぃ、手持ちがねぇ」
「うん、別に構わないよ。あ、でも何か見つけたら譲って欲しい」
「ああ、小銭でもなければ譲ってやっても良いよ。じゃあ、先行ってるぞ」
これから始まる長期休暇に足も軽やかになったか、クラスメイトは跳ねる様にして通学路を歩いていった。
駿平もここでの探し物を諦め、校舎を目指して足を速める。
そうそう都合よく丸い物なんて落ちていないものだ。
「今日の占い、丸い物がラッキーアイテムなんだけどなぁ」
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その頃、昇降口にいた女子、湯浅いおりは見慣れぬ人影を見ていた。
背広姿の初老の男性。ピシッとノリの利いているようなスーツを着て背筋を伸ばすその姿は、白髪の老人であっても歳若く見えた。
「あんなセンコー、いたっけ……?」
「おっはよ、いおり! センコーなんて言葉は死語だと思うよ!」
そんな彼女の背中を叩くのは友人の女子生徒。
いおりの視線の先を見て、彼女の言葉の真意を汲み取る。
「ああ、あの人。最近よく見るよね」
「え? 最近って、あんなヤツいた?」
「いおりは世事に疎いなぁ。なんかねぇ、あの人はどっかの大学の教授なんだって。なんでも、この学校に有望な生徒がいるらしいから、今のうちにツバ付けとこうって算段らしいよ」
「へぇ。ウチの学校の生徒で有望なヤツって言うと……生徒会長とか?」
「生徒会長は国内の大学って感じじゃないなぁ。あの人なら留学! とか?」
「だから、留学させないためにツバを付けに来たんじゃないの? 知らないけど」
「もー、いおりってばテキトー」
「アンタに言われたくないわ」
見えなくなった背広姿を追いかける事もなく、いおりは友人と共に階段を上がっていった。
****
二階、特別教室が集まるこの階では、朝から掃除に耽る女子生徒が一人。名を鶴木かなめと言う。
「鶴木さん、朝から何やってるの?」
かなめの後姿を見つけた女子生徒が声をかける。
「え、えと……掃除です」
「掃除だったら、この後全校大掃除があるじゃん。その時で良くね?」
「う、うん……ちょっと埃が気になっちゃったので」
「えー、キチョーメンだなぁ、鶴木さんは。あ、私は手伝わないよ?」
「いいですよ、一人でやります。ちょこっとですから」
「そ? じゃあ、先行ってるね」
女子生徒は軽く挨拶すると、そのまま上階を目指して駆けていく。
かなめも軽く手を振ってそれを見送り、手に持っている箒を握りなおす。
目端に映ったのは、床を這う小虫。
山の中に建っているこの学校では、小虫が入り込む事は多い。
それを見たかなめは、特に感情も篭っていない目で、踏み潰した。
「今日で三十二匹目。そろそろ大物を潰したいな……。その点、昨日の猫は良かったな」
ぺしゃんこに潰れた虫の死体を箒とちりとりで片付け、かなめは廊下の奥へと消えた。
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三階から上は各学年の教室が並ぶ階層。三階から階を上がっていく順に三年生、二年生、一年生となっている。
そんな三階、三年生のトイレにて。
「あ? 何言ってんだ、センパイ?」
校章の色で学年がわかるこの学校の制服。それを見れば二年生であるらしい男子生徒がそこにいた。
彼の名は鬼頭虎勝。紛れもなく、この学校の二年生である。
虎勝は上級生に囲まれ、トイレで四面楚歌の状態であった。
「だぁかぁらぁよぉ、鬼頭くぅん、ちょっと詫びぃ入れろっつってんだよ、チョーシ乗ってんじゃねぇぞ、二年坊主」
「昨日お前、誰にケンカ売ったかわかってるわけ? 北村くんのカノジョに手ぇ出しといて知らねぇ顔はできねーっしょ?」
タバコ臭い息を吹き付けられ、虎勝は不機嫌を隠さず顔に出す。
それどころか、
「センパイら、人と話す時は最低限、エチケットくらい弁えてくださいますか? 息が臭くてかなわんのですよ」
「……あ? なんつった、オメェ」
「立場わかってんのか?」
「コゾー、自覚ねーなら、手っ取り早く教えてやろうか?」
虎勝の言葉に、三年生は俄かに殺気立つ。
その時、トイレのドアがノックされる。入り口にいる見張り役からの合図だ。
合図を聞いて、三年生は舌打ちをする。
「おい、鬼頭よ、これで終わったと思うなよ? これから夏休みに入るけどよ、楽しい夏休みになると良いなぁ? あ?」
「センパイたちこそ、教師から隠れてないと下級生も囲めないんじゃ、突っ張っててもかっこ悪いだけですよ?」
「……おぅ、マジでチョーシ乗るなよ?」
額に青筋を立てん勢いで、三年生は虎勝ににじり寄るが、
「おい、今はやめろ」
仲間に止められて、連れ立ってトイレを出て行く。
彼らの後姿を見送った後、虎勝は便器にツバを吐いて壁を蹴り飛ばした。
「……誰かいるのか」
トイレの外から声がする。虎勝の聞いた事のある声だ。
入ってきたのは男性教師、中堂則正。
「……鬼頭か、ここで何やってる。ここは三年生のトイレだ」
「センセーには関係ないでしょ?」
「関係ある。お前は素行に問題があるからな。……まさかとは思うが、終業式の日にまで良からぬ事を考えてるのでは、とな」
則正は個室トイレを一部屋一部屋眺めて回る。
そしてタイミングの悪い事に、便器の裏に吸殻を発見した。
「……これはなんだ?」
「知るかよ。大方、センパイたちが吸ったんじゃないっすか?」
「怪しいもんだ」
吸殻を拾った則正はそれをハンカチに包んでポケットに突っ込む。
「鬼頭、俺はルールを守らない人間が嫌いだ。タバコは未成年の内に吸ってはならない、と言うのは国が決めたルールだ。お前も知っているな?」
「……センセーよぉ。マジで俺がやったと思ってんのか?」
「可能性はないではないだろう。吸殻はここに落ちていて、お前はここにいるんだ」
「ここにいれば、誰だって容疑者かよ? ずさんな犯人当てだぜ」
「普段の行いと言うのはこう言う時にモノを言うんだ」
流石にイラつきがピークに達したか、虎勝は則正に一歩近づき、思い切り睨みつける。
「よぉ、センセー。人に勉強を教える立場なら、人を信じるって事を覚えた方が良い」
「お前も生徒と言う身分なら目上を敬うって事を覚えるんだな」
火花すら散りそうな二人の睨み合い。
それが数秒続いた後、スピーカーからチャイムの音が聞こえてくる。
「予鈴だ。鬼頭も早く教室へ入れ」
「……ちっ」
もう一発、壁を蹴った後、虎勝はトイレを後にした。
****
予鈴を聞きながら、屋上で風を感じる男が一人。
「ふーむ、良い風だなぁ。夏の盛りには涼風が心地良いね」
屋上のフェンスに寄りかかりながら、空を見上げて呆ける。
既に時刻は開始のHRが始まっている頃だが、彼は動く気配もない。
彼の名は林隼人。学校内でもかなり変人と言われている有名人である。
「でも、こんな良い日なのに、無粋なのはアレだよなぁ」
眼下に広がる光景は、立ち入り禁止の柵と立て看板、そして体育館を覆う白い幕と更にそれを取り囲むように組まれた鉄の足場。
現在、体育館は工事中なのである。その影響で今日の終業式も、グラウンドでやる事になっていた。
「なぁんか……僕の求めるものと違う。……だがまぁ、これも良し」
隼人はまた顎を上げ、空を見る。
「さぁて、今日はなにをしようかな」
楽しそうに呟く顔は、少年のようだった。




