<新たな出会いとチームとしての完成と④ 五位鷺知美の場合>
「そうじゃないっ! もっと速く!!」
「は……はい……!」
早朝の体育館。夏はまだ先の話なのに、梅雨時特有のジメジメした湿気と朝練の熱気が混じり合って不快指数はうなぎ上り。拭っても拭っても汗が滴り落ちる。練習が上手く行かなくてコーチの怒声もついでに絡み付いて来る。学生とは言え、ストレス社会には変わりがない。世知辛い世の中だ。
私立葦切学園中学校の第四体育館。ここでは女子バレー部が部活に勤しんでいる。今はサインプレーの練習中。セッターが上げたトスを上がり切る前にスパイクする、所謂クイックプレーを繰り返し練習しているのだけど……これがどうも上手く行かない。根本的にタイミングを合わせられる気がしない。あたしにはきっとバレーの才能がない……とか言い訳して逃げられたらどんなに楽だろう。多分そう簡単に逃がしてはくれないと思うけど。
あたしの名前は『五位鷺 友美』。中学一年の女の子で、バレー部に所属している。血液型はA型で四月生まれの牡牛座、好きなものは乳製品と読書と80年代フォークソング。この辺は親の影響みたい。身長173cmで体重は秘密。
……そう、身長173cm。中学一年の時点でこの長身だ。同級生と並ぶとそれこそ大人と子供。頭一つ分なんてレベルじゃなく飛び抜けている。何を隠そう、いい歳こいたおっさんである作者よりも実に5cmも高……ごほんごほん。
男子にデカ女とからかわれるとか、着れる服が少ないとか、色々悩みは尽きないけど……目下最大の悩みは、部活の事だ。入学当初、この身長の所為でとても目立っていたあたしを、様々な運動部がスカウトに来た。あたしはまあ運動自体別に嫌いでも苦手でもないが、かと言って特にやりたい部活もなかった為、最終的にバスケ部との競合に勝ったバレー部に身を置く事になったんだけど……これが正直間違っていたのかも知れない。
『あなたなら間違いなくエースになれるわ!』
そんな言葉を事ある毎に聞かされる。それもコーチだけじゃない、上級生を含めた部員の殆どに、だ。この台詞を言わない少数派はあたしの身長やら立ち位置やらに嫉妬した根暗な連中。多少部内でイジメにも遭ったけど、先輩達が言う所の『次期エースの逸材』をイジメていたなんて知られたら自分らの立場が危ういと分かっているのか、あんまり表立った事はされていない。まあ隠れてコソコソ人を貶める事しか出来ない陰険な連中のやる事だし、気にしてもしょうがない。……強がってなんていない……よ?
エースねぇ……。期待されるのは嬉しいんだけど、いまいちピンと来ない。この学校のバレー部、昔は強かったけどここ最近はパッとしないみたいで、あたしへの期待ってのはそれなりの重圧でのし掛かって来る訳だ。でも……正直言うと、そんな期待掛けられても応えられる気がしないと言うか、そもそも期待されても困ると言うか。それはあたしの能力的な話じゃなくて、むしろ資質の問題……なのかな。何故ならあたしは……
「コーチ、あたし、リベロがやりたいんですけど……」
「……またその話? あなたにはエースになれる才能があるのよ。期待してるんだから、失望させないで。そんなポジションはもっと小さな人がやればいいのよ」
何度目かの申し入れも、あっさり同じ答えで却下される。最早コーチもうんざりと言った表情で、聞く耳すら持って貰えない。……あたしにエースの才能なんてないと思うんだけどな。スパイクのタイミングの取り方とかさっぱりだし。多分あの人はあたしの『身長』だけを見てそう言っているんだと思う。
因みに『リベロ』とは守備専門のポジションだ。ローテーションから外れて何度も交代出来る代わりにスパイクやサーブが打てない特殊なポジション。仕事と言えば大半がレシーブと言う、まあ要するにチーム一の身長を持つあたしがリベロなんてやろうものなら、宝の持ち腐れ以外の何物でもない訳だ。その点で言えばコーチの言い分は実に正しい。……正しい、のだけど……。
この場合正しくないのは、あたしの志向の方かも。だって仕方ないじゃん、スパイクやサーブよりもレシーブの方が好きなんだもん。相手のアタックを正面から受け止めたり、コートに落ちそうになるボールを手一本で拾い上げたり。そう言うプレーにあたしは喜びを感じるんだ。あ、決して『悦び』じゃないよ? あたしはドMじゃないからね?
そう、とどのつまり、あたしは『攻撃』よりも『守備』の方が好きなのだ。あたしの性格と言うか趣向と言うか、こればっかりはもうどうしようもない。幾らエースになれる身体を持っていようが、あたし自身は攻撃よりも守備がしたい。幾ら期待されようがもったいないと言われようが、好きじゃないものは好きじゃないのだ。……あたしってちょっと変わってるのかな? 普通なら守備なんて地味だから好きじゃない人の方が多そう。
「よーし今日の朝練はここまで! 身体を冷やさないようにしつつ、授業にも遅れないようにね!」
『お疲れ様でしたー!』
結局、今日も気分は乗らず練習も上手く行かないまま朝練が終了した。ああ、これからの授業よりもむしろ放課後の練習がもう今から憂鬱だ……。多分また『エース養成プログラム』とか言う狂気の沙汰としか思えないあたし専用の個人特訓とかさせられるんだろうな。どれだけ上手く行かなくても『まだ始めて二ヶ月だから』とか『焦る必要は何もない』などの優しい言葉で慰めて逃がさず殺さず見放さず、じっくりじっとりとあたしをバレー地獄へと閉じ込める。
「はぁ……」
それを思うととーっても気が重い。いっそ退部してしまおうか。でも余程の理由がないとダメなんだろうな。なんたってあたしは『次期エース』だ。そう簡単に手放してはくれないだろう。
チームメイトに気づかれないように自嘲気味に溜息を吐いて、手早く準備を済ませ、よっこらせと荷物を担いで、逃げるように部室を後にする。ように、じゃなくて実際逃げているのかも知れない。下がり続ける気分とは逆に速まり続ける足の速度はそれを裏付けていた。あと少しで教室棟に差し掛かろうという廊下の曲がり角で
「「こんにちは!」」
唐突に、場違いというか時間違いな声を掛けられた。
「……あれ? こんにちはって時間的に変……だよね?」
「で、でも、年下に対して『おはようございます』も何か変だし、かと言って初対面の人にいきなり『おはよう』ってタメ語使うのも何か変だし……」
「でもやっぱりこんにちはよりはマシな感じじゃない? ほら、今朝な訳だし……」
「もー、マイちゃんは文句ばっかり! 二人で考えたんだからいーじゃーん!」
……何だろう、この可愛い生き物。あたしの目の前で何だか微笑ましいケンカをしている二人の女の子。小さくてそっくりな顔で、とてもどうでもいい事で言い争いをしている。あたしに声を掛けたのではないのだろうか? その割に蚊帳の外だ、あたし。
ああ、この二人がそうか。クラスの男子達が噂をしていたのを聞いた事がある。二年生にとにかく可愛い双子の先輩がいるんだって。実際目にしたのは初めてだけど、確かに小さくてお人形さんみたいな可愛らしい二人組だ。しかも双子ならではのシンメトリーなそっくりさが更にその魅力を引き上げている。あたしみたいな大女と比べるのも烏滸がましい位、同じ生き物とは思えない位、女の子らしい可愛さに満ち溢れた二人組だった。
「えっと、あたしに何か用ですか?」
このまま二人の言い争いを眺めてほっこりしたい所ではあるけど、もうすぐ授業が始まってしまうのでそういう訳にも行かない。埒が明かないので、あたしの方から声を掛けた。
「あ、ごめんなさい、私達は二年の雲雀という者で……」
「わー、やっぱりおっきいねー。近くで見るとホントに凄いなー。羨ましいなー。あたしももう少し身長伸びないかなー」
「ま、マイちゃん! いきなり失礼だよっ! いくら後輩でも初対面なんだからちゃんと礼儀を持って……」
……うーん、何だろうこの自由な感じ。これがもしかしたらクラスの男子共を虜にしている理由なのかも知れない。難しい言葉を使うと天真爛漫と言うか何と言うか、そんなセミショートヘアピンのコをこれまた難しい言葉を使うと品行方正と言うか何と言うか、そんなセミロングストレートのコが止めると言う一種のコンビ芸みたいな感じ。こりゃ確かに男の子には人気出そう。
朝練の疲れもさっきまでの悩みも忘れてそんな事を考えていると―――
「「女子サッカー部に入りませんかっ!?」」
これまた唐突に、そんな事を言われた。
「……え?」
いきなり過ぎて思考が追い付かない。……女子サッカー部? それも何であたし? 全然分からない。疑問が疑問を呼び、頭の中でぐちゃぐちゃになって行く。
「ご、ごめんなさい、いきなり意味分かんないよね……」
「実は今ちょっと、女子サッカー部の部員集めをしててねー。それでキミに声を掛けたんだけど」
女子サッカー部って確か、今廃部の危機にあるとかって噂のあの女子サッカー部? 一応噂くらいは聞いた事があるけど、本当の事だったんだ。そう言えばクラスの女の子でサッカー部入ったコが二ヶ月もしない内に辞めただか辞めさせられただかってそんな話もセットで聞いたような。
「えっと、それで何であたしなんでしょうか……?」
もっともな疑問を口にする。部への勧誘なら、帰宅部とかもっと誘いやすい人はいるはずだ。正直嫌々やっているとは言え、一応あたしもバレー部所属だし。しかも先輩達の反対に遭うだろう事は目に見えている。
「さっきの朝練、ちょっと見せてもらったの。で、『あ、このコだ』ってピーンと来ちゃったというか」
「二人で満場一致だったよねー。このコがサッカー部に入ればカンペキなのにーって」
「……あたしのどの辺がカンペキなんでしょうか。アタックのタイミングもろくに取れないのに……」
この二人はあたしを買い被り過ぎだ。あの情けない部活を見られたのは少し恥ずかしいけど、それ以上に苛立ちが先に立った。しかしそんなあたしの苛立ちは―――
「「キミなら女子サッカー界最強の『守護神』になれるんじゃないかって」」
二人のユニゾンで、消し飛ばされた。
「……しゅ、守護神……?」
その言葉をしばし反芻する。スポーツ、主に球技の分野において『守護神』と言う言葉は度々使われる。サッカーならゴールキーパーやディフェンダー、野球やソフトボールなら抑えのピッチャー、そしてバレーなら……あたしがやりたがっていたリベロのポジションがそう呼ばれる。つまりそのチームにおける『守備の要』の事を守護神と呼ぶのだ。
「それにちょっと言いにくいんだけど……キミ、バレーと言うか『攻撃』ってあんまり好きじゃないでしょ?」
「ホントに好きな事やってるなら、上手く行かなくてもあんな辛そうな顔しないもんねー。アレはそう、悔しいってゆーより辛いって顔だったもん」
「そうだね。逆にレシーブやブロックの時はちょっと楽しそうだった。守備練習の時は活き活きしてたもんね」
「こんなコに攻撃練習を重点的にやらせるなんて、あのコーチ見る目ないんじゃないのー?」
「……………!」
恐ろしいほど的確に、あたしの資質を見抜かれた。多分さっきの朝練だけの僅かな時間見られただけの筈なのに。本物のアスリートってこう言うものなのか。この人達なら。この人達ならあたしを分かってくれるんじゃ……
「って、きゃー!? もう予鈴が鳴ってる!! 一限目理科で移動教室だよ!? 急がなきゃ!!」
「マズいー!! あのセンセイ怖いから遅刻すると怒られるよー!! 急ごうアイちゃん!!」
「あ……」
何か声を掛けようとした瞬間、予鈴が鳴り響いて二人は慌ただしく駆け出す。だがすぐにあたしに振り向いて
「そう言えば名前、ちゃんと聞いてないや。教えてくれる?」
「あたし達は女子サッカー部二年の雲雀舞歌と愛歌だよ。ヨロシクねー♪」
本当に遅ればせながら、自己紹介をしてくれた。
「あたし……あたしは、一年の五位鷺友美です。よ、宜しくお願いします」
「友美ちゃんかー。可愛い名前だねっ♪ それじゃ、またね友美ちゃん!」
「友美ちゃんも急がないと遅刻しちゃうよー? うえーん、間に合うかなー?」
嵐のように表れて、嵐のように去って行く双子の先輩を、何となく手を振って見送る。またね、か……。何か色々と凄い人達だったな。その言葉通り、多分また近い内に会う事になるだろう。あたしの事を分かってくれて、しかも『守護神になれる』だなんて。
「えへへ……」
今後どうするかはともかく、心に少し暖かいものが芽生えた気がして、あたしは頬を緩ませた。この出会いがあたしの今後の人生を左右する重要な決断へと導いて行く事になるのだが、あたしはまだ想像だにしていなかった。
……そして勿論、この後一限目には遅刻したのだった―――――