<新たな出会いとチームとしての完成と③ 鳳唯の場合>
「っと……ここですわね」
早朝だというのに若干薄暗い、ともすればうらぶれたと形容出来る葦切学園中学校の旧校舎。今では部室棟として活用されている建物である。女子サッカー部3年の鶺鴒鈴花は、メモ用紙を片手にとある部室に辿り着いた。
旧校舎特有の古めかしい引き戸に掛っている真新しいプレートには『アルペンスキー部』の手書き文字。ドアの古さとプレートの新しさのコントラストが微妙にチグハグだが、字体から発せられるその力強さが否応なしに独特な雰囲気を醸し出している。
早羽・忍と共に愛歌達の会合を立ち聞きした後、部室を出た鈴花は自身の家に出入りしている家政婦である『ミタ』という人物から勧誘出来そうな人材の情報を仕入れ、今正にスカウトへと立ち行かんとしているのであった。この家政婦は見た……もとい、家政婦『の』ミタという人物が何者なのかは神ですら分からない。そう、分からない。大事なことなので二回言いましたとも。
そんな訳で、旧校舎の部室棟である。部員数が多く結果を残している部活ほど新しく大きな部室を割り当てられるこの葦切学園。本校舎の一室からグラウンドのプレハブ、そしてこの旧校舎と大小様々な部室が存在し、そして数多の部活動が日々研鑽している。
旧校舎に部室を割り当てられるのは人数が極端に少ない、発足したばかり、今一結果が芳しくないなどの理由がある訳ありの部活だ。その中の一つ、鈴花が訪れた『アルペンスキー部』は、実績はあったものの昨年の部長が暴力沙汰を起こし、廃部寸前にまで零落れこの旧校舎へと追いやられてしまった過去があった。その元部長も卒業し、現在の部員は一年生たった一人。スキーは個人競技であり一人でも大会に出場出来る為、一応は部活動として認可されているものの昨年の事件があるだけに、女子サッカー部同様学校側からの風当たりは厳しい。
「お邪魔しますわ」
数度のノックの後、鈴花はドアを開ける。埃とカビの匂いが鼻に点く。段ボールやら棚やらが乱雑に置かれた部室は、一見すると人の気配がない。
「……お留守ですの?」
拍子抜けしたように、鈴花が呟く。冷静に考えれば、妥当な線ではある。アルペンスキー部ならば今はシーズンオフだろう。近くにスキー場がある訳でもない。朝練を実施しているとは考え難い。
「無駄足でしたわね……」
無人の部室を尻目に鈴花が踵を返した、その瞬間―――
「いや、居るよ。育ちの良さそうなお嬢様がこんな所に一体何の用だい?」
部室の一角、衣類が散乱している所からぬっと一人の人物が顔を上げた。
「きゃあぁぁっ!? 貴方いつからそこに居ましたのっ!?」
「最初からだが。昨日やっとこの部室を宛がわれてね。荷物の搬入をしてたんだが、あまりの億劫さに途中で力尽きちまった。ふわぁぁぁぁ……」
「そう、昨日から……って、貴方お家に帰っておりませんのー!? てゆーか服っ! 服を着なさいな貴方っ!!」
「五月蝿いお嬢様だな、別にそう珍しい事じゃないだろ。それに素っ裸な訳じゃないんだし、下着くらいでいちいち喧しい……ふわぁぁぁぁまだ眠い……」
あまりの大らかさに圧倒される鈴花。片や部屋の主は心底気だるげに頭を掻いている。格好も身綺麗な制服姿とあられもない下着姿という、何ともギャップの大きい二人であった。
鈴花は我に返り、一つ咳払い。本来の用件を思い出す。
「こほん……えっと、貴方が唯一のアルペンスキー部、1年の『鳳 唯』さんで宜しくて?」
「如何にも、オレが鳳唯だが。そう言うアンタは女子サッカー部、3年の鶺鴒センパイ……だろ?」
「ワタクシの事をご存じですの?」
「そりゃ女子サッカー部は有名だし、今は校内の噂の的だしなー。まあウチもあんまり人の事言えんけど」
唯は大口を開けてカラカラと男子のように快活に笑う。その実に女の子らしい名前とは裏腹に、中身は実に男らしい。伸ばしっぱなしの腰まである長い黒髪を乱雑に掻き上げる。その所作にもおよそ女の子らしい仕草は見受けられない。一人称の『オレ』も、その雰囲気をより一層増長させている。初対面とは言え、上級生に敬語を使わないなど体育会系にはあるまじき禁忌であるが、彼女の人徳故か嫌味は些かも感じられない。如何にもお嬢様然としている鈴花との対比は、某ヅカファン辺りには垂涎ものだろう。
「で、オレに何か用かい? 何となく察しは付くけど、起こしてくれたお礼に話くらいは聞くよ」
「別に貴方を起こしに来たつもりはないのですけど……」
あくまでマイペースな唯に対して、鈴花は若干気後れ気味。これではどちらが上級生か分かったものではない。
「察しているなら話は早いですわ。ならば単刀直入に申しましょう。貴方、女子サッカー部に入って下さらないかしら?」
ビシッ、という擬音が入りそうな仕草で唯を指差し、鈴花はようやく本題をぶつける。奪われていた主導権を取り戻すが如く、その慎ましやかな胸を張ったのだった。
しかし、鈴花には懸念があった。唯はただ一人のアルペンスキー部員。しかも問題を起こした上級生は去り、ようやく再始動したばかりである。そのような生徒が、同じく再建を目指す女子サッカー部になど力を貸してくれるだろうか? ミタさんからの情報とは言え、その可能性には若干懐疑的であった。
……だがそんな鈴花の懸念は
「いいぜー、別に」
唯の気負いの無い一言で、すわあっさりと霧散した。
「ええ分かっておりますわよ。アルペン部は再始動したばかりですもの、悩むのも無理ありませんわよね。ですが我が女子サッカー部においても最早形振り構っていられない状態でして、藁をも縋る思いで貴方にお尋ねしていますの。ご無礼は重々承知しておりますけれど、もしも入部して下さった暁にはウチのダメイドのミタを一日奴隷に………って決断早ーっ!?」
余りの即答に、一人ノリツッコミみたいになっている鈴花。この部室のドアを叩いてからと言うもの、調子を狂わされてばかりである。
「え、えっと、ワタクシの幻聴かも知れませんので、念の為今一度。女子サッカー部に入って下さいますの?」
「ああ、別にいいと言った」
迷いなどおくびも出さず、唯は言い切った。そも、迷っても悩んでもいない。鈴花の勧誘から唯の返答までの間隙は1秒以下。即断にも程がある。こう言った面でも唯は兎に角男らしい……否、『漢らしい』のであった。
「……あの、勧誘しておいてなんなのですけど、そんなあっさり決めてしまってもいいんですの? アルペン部は宜しくて?」
「うん? 部活っつったって、所詮スキーだからな。夏の間は結局地味な走り込みやウェイトトレーニング位しか出来ねーんだ。万年雪があるようなトコに遠征してられる予算は貰えねーし。それならオフシーズンは他の部活に入ってたって同じ。畑は多少違うけどトレーニングにはなるし、オレが入ればそっちも助かる。利害は一致してるだろ? それにオレ自身、スキーしか出来ねー人間にはなりたくねーしな」
再び唯はカラカラと笑う。確かに葦切学園の校則では部活動の掛け持ちは禁止されていない。シーズンが限られている部活はオフの間、別の部活の助っ人に入る事例も珍しくない。それはつまり……
「……と言う事は、冬になればサッカーを辞めてアルペンスキー部に戻ると仰いますの?」
「ああ、勿論。二ヶ月も懸けてようやく再建した部活だ。そう簡単に手放す訳に行かねーな。何よりオレは三度のメシより雪の上が好きだからな。まあ冬までは加入を約束するんだ。まだ時間はあるんだし、それまでにオレの代わりを見つけるなりなんなりすればいい」
迷いの無い瞳で唯は鈴花にそう告げる。そうなのだ、唯はあくまで『アルペンスキー部員』。女子サッカー部には『助っ人』という形でしか加入出来ないと言う事を明確に示している。
「…………」
逆に迷いが生じる鈴花。折角優秀な人材を見つけ了承を得た所だと言うのに、出鼻を挫かれた思いだった。……しかし、そんな鈴花の葛藤を見透かすように
「……それに、先の事は誰にも分からねーしな、その頃にはオレもサッカーにハマって辞めたくなくなってるかも知れねーぜ?」
唯は不敵に、そんな事を口にした。
「……………ふふっ」
思わず笑みが零れる。とことんまで快活なこの下級生に頼もしさを覚えると共に、女子サッカー部の再建に確かな一歩を刻んだ歓びに、鈴花は頬を緩ませたのだった。
「上等ですわ。これから貴方にイヤと言う程、サッカーの面白さを叩き込んで差し上げましょう」
「いいねぇ、面白い事は大好きだ。これから宜しくな、鶺鴒センパイ」
「こちらこそ。それと、貴方なら鈴花で結構ですわ」
「じゃあ鈴花、せいぜいオレを楽しませてくれよ?」
「だっ、誰が呼び捨てでいいと言いましたの!? 一応先輩ですわよ!? 鈴花先輩と呼びなさいな鈴花先輩と!!」
二人は固い握手を交わし、新たな未来へ思いを馳せる。最後までチグハグだった二人は、事ここへ至ってようやく同じものを見つめていた。それは未知なる挑戦への高揚か、それとも不安か。二人の表情から、それは前者で間違いない事は誰の目にも明らかだ。
因みに……これ程まで勧誘がスムーズに行ったのは何を隠そうミタさんの人選故なのだが、それは口にせぬが華というものだろう―――――