<希望の兆しと意外や意外なライバル達と>
「成る程ね、大学生のお兄さんか」
曇天模様から一転、快晴とは行かないまでも季節を考えれば充分に晴れ間が覗いている明くる朝、自主練習となっている葦切学園中学校女子サッカー部の部室には、三名の女子生徒がいた。雲雀愛歌と雲雀舞歌、そしてサッカー部主将の『翡翠 弥生』である。
「そーなんですっ! ウチのアスにーさまはスゴイんですよ!?」
「そーなんですっ! ウチのアスにーちゃんはカッコイイんですよ!?」
昨日までの絶望感は何処へやら、双子は目を爛々と輝かせて主将に訴えている。
「な、何だかちょっと方向性が間違ってる気がするけど……でも二人のお兄さんなら条件としては申し分ないわね。この地区でサッカーやっててお兄さんを知らない人はいないでしょう。元地区選抜の頭脳派ボランチ、クレバーなディフェンスと類稀な展開力はチームの心臓とまで言われた、あの雲雀飛鳥さんだもの」
「「えへへ~♪」」
双子は別に自分達が褒められている訳でもないのに、破顔して喜んでいる。兄を褒められた事が余程嬉しいらしい。
「でも大ケガしてもうボール蹴れなくなったって聞いたけど……大丈夫なのかしら?」
「あ、練習を指導したりベンチに座ってる位なら大丈夫だって言ってました」
「それにアスにーちゃん、ちょっと大学には居辛いらしくて……外部からそういう正式なオファーがあれば喜んで受けるそうです」
「そう、なのね。良かった……」
確認する弥生にも安堵が浮かぶ。それは何処か、期待に満ち溢れた表情にも見える。当然と言えば当然だろう、まだ全ての問題がクリアされた訳ではないとは言え、大きな問題の一つである監督の件がこうもあっさり、それもかなり理想に近い形で解決しようとは。
今回飛鳥が葦切女子サッカー部の監督に申し出たのは、勿論家族である愛歌と舞歌を救う為という名目もあるが、もう一つ、ケガをして彼自身がボールを蹴れなくなったとしてもサッカーに関わっていたい、という強い願いがあったからこそ。やはり妹達にも負けない位、彼もサッカーが好きなのだ。密かに将来は監督職に着きたいとも考えていたようで、今回の件は彼にとって利害が一致した側面も大きい。幸い中学のサッカー部を指導するのにライセンスは必要ない。言い方は悪くなってしまうが、将来S級ライセンス取得を目指す飛鳥にとっても格好の練習台となるのであった。
「……でも、まだ問題が片付いた訳じゃないわ。もう一つの大きな障害が残ってる」
安堵も束の間、弥生は気を引き締める。もう一つの問題、それは勿論『部員数』である。
葦切学園中学校の校則に依れば、部を存続させる条件は『当校の教職員による顧問若しくは外部有識者による監督役が一人以上在籍している事』ともう一つ、『公式戦出場可能人数を満たす事』である。
これは部活動に力を入れている葦切学園ならではの少し珍しい事例で、部に一定人数加入していれば良いのではなく、公式戦に出場出来る人数さえ揃っていれば『部』として認められるのだ。それはどの競技に於いても例外ではない。つまり、陸上や柔剣道などの武道、更には将棋やオセロなどと言った『個人競技』であれば、極端な話、部員がたったの一人であっても部として成立する仕組みという訳だ。逆に野球やサッカーのような『団体競技』は、それに応じた人数が必要になる。
サッカーは本来11人で行うスポーツ。しかし11人集めなければいけないかと言えばそうでもない。公式戦への出場最低人数は7人である。現在の女子サッカー部に残っている人数は6人。つまり公式戦に出場出来る人数である7人まで後1人以上の部員を確保すれば、サッカー部は存続出来る公算な訳だ。
……しかし、それはあくまで『部を存続させる』だけの話であって、実際に7人で公式戦に出場すると言う事が、どれ程バカげた話か。サッカーと言うスポーツは縦105m×横68mもある広大なピッチをフィールドプレイヤー10人+ゴールキーパー1人で走り回り、同じ人数の相手選手と競り合って相手ゴールにボールを叩き込む。前後半45分ずつ、ハーフタイムを除けば休憩らしい休憩はほぼ取れない、常に走りっぱなしと言っていいスポーツの中でも過酷な部類に入るスポーツである。無論、中学女子などの低年齢カテゴリーではピッチやゴールのサイズは少し小さくなるしプレー時間も短くなる。が、基本ルールは変わらない以上、その過酷さに大差はない。
たった一人、人数のバランスが崩れただけでも戦況は大きく変わる。それ程サッカーと言うのは難しいスポーツでもある。こちらが7人でも、相手がそれに合わせて7人になってくれる事などない。7人しか出られないのであれば、7人で11人を相手にしなくてはならないのだ。
とは言え、このままでは公式戦出場人数に満たない為、試合云々以前に部活動停止を余儀なくされてしまう。一つ目の条件はほぼクリアしているとしても、二つ目の条件如何によっては飛鳥の決意も、そして彼女達の夢も潰えてしまうのだ。この条件は『どちらかを満たしていればいい』のではなく、『どちらも満たさなければならない』のだから。
「最悪でもあと1人。理想はあと5人と、控えが数人欲しい所ね。まずキーパーの確保が最優先かな」
「柄長センパイ、辞めちゃいましたもんね。何とか連れ戻せないんでしょうか?」
「勿論、昨日の夜みんなに電話してみたんだけど、色々難しいみたい。人によってはもう別の部に入っちゃったコもいるし。レギュラー組なんかは特に運動神経や体格に優れてるから、他の部としても格好の人材なんでしょうよ」
「むー……でもサッカー続けたいコも中にはいるんじゃないでしょうか。せっかく今まであの厳しい練習に耐えて来たのに……」
「だからその辺も含めて『難しい』のよ。本人の意志とは裏腹に『上』からの圧力でそう簡単に戻れない状況になってるみたい。……ホント、権力持ってる大人ってイヤだわ」
「「うーん……」」
三人は俯いてしまう。実際の所、現在の葦切女子サッカー部は弥生が言うように『出戻り』が難しい状態となっている。要約すると、『伝統ある葦切の部活動を私的な理由で辞めておいて、すぐさま出戻るとは何事か。そのような曖昧な志でその道を究めようなど、言語道断も甚だしい』という事らしい。
部活動に力を入れている葦切ではこのような風潮も昔からあるにはあったが、所詮は昔の話。部員の主観はさて置き、別段禁止されているという程の事もなかった。
この意見を殊更強く主張しているのは件のモンスターである。どう考えても『私的な理由』ではないのだが、客観的に見れば退部した事実に変わりはない。幾ら白くても、言う者が言えば黒になる。これはその類の事案なのだ。
会議というものは得てして、時間ばかりを浪費して結論が導かれるケースは稀である。今回もその負のスパイラルに陥るかのように思われたが―――
「話は全て聞かせて貰いましたわ!! 後はこのワタクシにお任せあれっ!!」
「よーそろー!!」
「モノ共出合え―。」
などという空気を読まないピーキーな発言群により寸での所で食い止められた。
「「「!!!??」」」
いきなりの来訪者に、三人は目を白黒させる。声のした方向に視線を移すと、そこには同様に三人の女子生徒がいた。最初の声の主は胸を張り、他の二人はその女子生徒に両脇をガッチリ固めている。
「何なの貴方達はおバカさんなの!? ワタクシ達を差し置いて三人だけで話し込むなんて!!」
「メンバーが足りなければ補充すればいーじゃーん!!」
「そう、これ真理。」
先程までの暗い空気は何処へやら、ピーキーな三人娘は矢継ぎ早に捲し立てる。
「アンタ達……いつからそこにいたの?」
弥生は呆れ顔で尋ねる。
「話は全部と言ったでしょう!! 勿論、最初からですわっ!!」
「部室の前で三人固まって聞き耳立ててたら他の生徒に変な目で見られたけどねー! てへぺろ☆」
「盗聴。ザ・盗聴。」
「「「……………」」」
返答は斜め上。弥生・愛歌・舞歌と他の三人の対比は落差が激しく、大きな隔たりを感じずにはいられない。
この三人も弥生達同様、葦切女子サッカー部の部員達である。今回の事件で残った6人の部員は、こうして一堂に会したのであった。
肩までのソバージュヘアを靡かせ、お嬢様口調で弥生達を圧倒する彼女は『鶺鴒 鈴花』。栗毛のショートカットでボーイッシュな雰囲気の彼女は『鷹野 早羽』。ボブカットでジト目の独特な口調の彼女は『烏丸 忍』である。こう見えても全員レギュラーであり、鈴花と忍に至ってはU-15日本女子代表の候補に選ばれた事もある実力者だ。
「こーしちゃいられませんわっ!! 今すぐにスカウトへ向かうとしましょう!! あ、もしもしミタさん? 早急にリストアップして貰いたいのだけど……え? エステ? そんなの後になさい!! 貴方はワタクシのげぼ……こほん、鶺鴒家の家政婦でしょう!? 主の命令が聞けないってーの!? 『あーらミタさん、このサッシの埃は何ざます? お~っほっほっほ♪』とかやりますわよ!? それでもいいんですの!?」
「ゴメンねー、鈴花、さっきの話聞いてテンション上がっちゃったみたい。まあかく言うボクもすっげー嬉しいけどねー☆ あ、待ってよ鈴花、ボクも手伝うからー!」
「アイマイ、ぐっじょぶ。」
嵐のような勢いで部室に顔を出しては去って行く三人娘。昨日、絶望に打ちひしがれ部室で千切れそうな身と心を寄せ合って泣き明かした彼女達からは想像も出来ないアグレッシブさである。
「えー……っと……何だったんでしょうか、鶺鴒センパイ達……」
「最初から聞いてたんなら部室に入ってくれば良かったのに……」
愛歌と舞歌が口々に呟く。鈴花達があまりに怒涛の勢いだった為、若干気後れ気味だ。
「まあ……テンション上がる理由なら分からなくもないけどね。私も似たようなものだし」
「「えっ?」」
そう言って三人を見送る弥生にも意味ありげな笑みが浮かぶ。片や展開に着いて行けない双子は、揃って小首を傾げていた。
「忍が最後に『ぐっじょぶ。』って言ったでしょ? あれが理由よ。部員なんて頑張れば学校内でどうにかなる。でも監督、それも懸巣監督までとは行かなくてもそれなりに有能な人を確保するのは、そう上手い具合にどうにか出来るものじゃないのよ。先生達は上に睨まれていて難しいしね。その問題が真っ先に片付いたって言うのは、サッカー部再建にとってとても大きな足掛かりになる。そりゃあテンションも上がるってものよ。つまり、二人は凄く良い話を持って来てくれたって訳。本当にありがとうね、二人共」
「……! マイちゃん……!」
「うん、アイちゃん……!」
二人は手を取り合い顔を見合わせて表情を輝かせる。それは二人が本来持つ魅力。理不尽な現実により奪われた、心の底から放つ無垢な笑顔だった。そしてそれは、飛鳥が重要な決断を下してまで守りたかったものに他ならない。
「それと……もう一つ、むしろこっちの方が重要だったりするんだけど……理由があるのよね。あ、二人には聞かせない方がいいかもだけど……」
「「えっ……?」」
いつも冷静沈着で大人びた雰囲気の弥生が、珍しく含みのある悪戯っぽい笑みを漏らす。片や双子は一転、困惑した声を漏らす。
「新しい監督が、あの『雲雀飛鳥』さんである事が今回一番重要な点なのよ。あの三人、特に同じポジションの忍やプレースタイルの似ている早羽は前々から飛鳥さんの大ファンだったりするのよ。その二人に関しては目標だった、って言ってもいいわね。鈴花は顔が好みらしいけど」
「「……え……えええええええ!?」」
「それに……実は密かに私も……ポッ///」
「「えええええええええええええええええええええ!!??」」
頬を赤らめる弥生のその表情は、完全に恋する乙女のそれである。衝撃的な告白に、対する雲雀姉妹は心中穏やかではいられない。急転直下とは正にこの事だ。
「さーて、私もスカウトに行って来ようかなっと。あ、二人共、部室の戸締まり宜しくねー♪」
「「か、かかか翡翠センパイ~~~!?」」
スキップでもせんが勢いで、弥生は部室を後にする。想いを口に出す事で抑圧されていた感情が解き放たれたのか、普段の彼女からは想像も出来ない陽気さだ。最後に残された双子は、突然数多のライバル(?)出現に頭を抱えるばかりである。
こうして、葦切女子サッカー部は再建に向けて走り出したのであった―――
「「にーさま(にーちゃん)はこれからもずっとアイ(マイ)達だけのにーさま(にーちゃん)だよねっ!?」」
「……はぁ?」