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六 夜の帰り道 上

 美容室からの帰り道。

 往路と異なり、俺と石井さんのあいだには微妙な距離が生じていた。


 店を出てからの会話はゼロ。

 やや離れて隣を歩く彼女は、約一時間前とはまったく違う表情で下ばかり見て歩いている。

 前から接近してくる自転車にも気づかない。

 しかたなく注意をうながすと、泣きだしそうな顔でこっちを見た。

 ごめんなさい、と蚊の鳴くような声で謝ってくる。


 非常にやりづらい。

 無意識にため息がこぼれそうになる。

 どうしたものかと途方に暮れながら、行きよりもだいぶ足取りの重い彼女にペースを合わせてだらだらと歩く。

 そういや名前なんだっけ、なんてとても聞ける雰囲気ではない。

 見習いやめるの、とも。


 沈黙に耐えかね、なにかウケそうな一発芸はないかと考えはじめたころ。 

 最後の信号待ちで歩みを止めた石井さんがようやく口を開いた。


「同じ部屋で暮らしていたのに、どうして元カノさんはプロポーズにOKしなかったんでしょうね。もし私が元カノさんの立場だったら絶対に断ったりしないのに」


 あれ。吉田に言われたとおり考え直すんじゃなかったのか。

 イメージと違ったとかなんとかいって離れていくパターンじゃないのか。

 見習い辞退宣言を予想していた俺は、意外に思って右隣を見る。

 歩行者用信号の赤色をまっすぐに見つめる石井さんの横顔は、なめらかな曲線がバランス良く組み合わさってできている。完成度の高い彫刻みたいだ。


「あれは吉田が話盛っただけで、厳密にはプロポーズでもなんでもないけどね。OKしなかったのは、俺と違って根がまじめだったからだと思う」

「まじめだと断るんですか」


 彼女はなおも切りこんでくる。

 当たり障りのない言葉で煙に巻くわけにはいかないようだった。


「借金のせいで理不尽な生活を強いられてるけど、本心ではここから逃げだしたいと思ってるって言うから、だったら借金踏み倒してどっか遠くへ行こうかって言ったんだよ。そしたらごめんむりって。まあ、ふつうに考えたら当然の答えなんだろうけど」


 視線を合わせてきた石井さんは驚いたように目を丸くした。


「嶋本さんはそういう悪いことは考えない人だと思ってました」

「そう? ごめんね、期待はずれで」

「違うんです。私、好きな人のことぜんぜん知らなかったんだなあと思って。吉田さんのお店でも感じてはいたんですけど。できればもっと嶋本さんについていろいろなお話が聞きたいです」

「なに、うちの家紋の形とか?」

「え、わかるんですか」


 適当に言ってみたら予想外の食いつきだった。が、わかるわけがない。

 本気で知りたいんなら親の紋服見て模写でもしてくるけどさ。


「てかだいたい前に話したよね。誕生日とか血液型とか諸々」

「それは聞きましたけど、そういうプロフィール的なものではなくて、私に会う前のお話です」

「自分で自分の話すんのあんまり得意じゃないないんだけど」

「なんでもいいですよ」


 なんでもいいが一番困るんですよ。

 長い待機時間を経て信号が青に変わる。

 この信号をわたれば進路は国道からはずれる。

 石井さんの自宅マンションまであと十分もかからない。


 肩を並べて横断歩道を進むかたわら、石井さんと会う前の自分を振り返ってみる。

 三月。前期試験の不合格通知を受け取り、家族の目を避けるように廃人ハウス(谷村宅)に逃げこんでいた。後期試験は受かる気がしなかったので、いさぎよく受験自体あきらめた。

 二月。二次試験から目をそむけるように廃人ハウスに入り浸っていた。

 一月。センター試験対策をするつもりで廃人ハウスでぐだぐだしていた。


 つくづくろくなことしてねえな俺。

 大半は堀川か谷村か伊藤の予定につきあわされていたとはいえ、驚異の廃人ハウス率だ。

 そしてあの三狂というか三廃人の高尚なご趣味の都合上、石井さんにお披露目できるレベルの健全なお話が思い浮かばない。よって却下。


 さらに時間を巻き戻す。

 十二月、十一月、十月、九月。なんとかひとつは真っ当な話題を発掘できた。


「高校のときからなるべくバイトは避けて生きてきたんだけど、去年はちょっとわけがあって四か月間だけ中華料理店でウェイターやってたんだ。週に六日か七日、昼間からフルタイムで。店が都心の高層ビルの最上階にあったから、けっこう見晴らしがよくて、時間のあるときは車がゴミのようだとか思いながら窓からぼーっと外の景色眺めたりしてた。一応サーバーで料理を取り分けるのだけは得意になったよ」


 とりあえず思いついたまま記憶をたどってみた。しかし、なにかが違うような気がして肩をすくめる。

 いま気づいたけど、受験生が冬にぎっちりバイト詰めてる時点でろくなことしてるとはいえない。


「こんなんでいいの? やっぱ自分語りしたってつまんないよ」

「つまんなくはないですけど。反対に私から聞いてみてもいいですか」

「どうぞ。質問形式のほうが答えやすいかも」

「では、まずバイト先を中華屋さんにした動機を教えてください」

「友達がはたらいてたから」

「バイトをはじめた理由と辞めた理由は?」

「どうしてもほしいものがあったからはじめて、それが必要なくなったから辞めた」


 なるほど、と石井さんがなにかを考えこむように前を向いたので、黙ってつぎの質問を待つ。

 コンビニの灯りが見えてきたあたりで彼女は静かに尋ねてきた。


「いまは、どうしてもほしいものはないんですね」

「そうだね。どうしてもってほどのものは」


 それからはまた二人とも黙りこんだ。

 マンションまで残り数百メートル。

 石井さんは気むずかしい顔で、「なにから聞こうか迷っちゃいます」と悩んでいる。

 人の過去を知りたがる欲求はどこから湧いてくるのだろう。

 俺には彼女の好奇心が理解できない。

 過去を受け止める勇気や、いま以上に重い荷物を背負う覚悟が自分に備わっているとは思えないから。


「元カノさんのこと、まだ好きなんですか」


 淡々とした問いかけに息をのむ。

 同時に得体の知れない息苦しさに襲われる。

 質問に対する思考を身体が拒否しているようだった。

 いつもの数倍の時間をかけてすこしずつ息を吐き出すとすぐに息苦しさは消えた。かわりに、手や脇にじっとりとした汗が残されいた。


「好きかきらいかでいったら好きだと思うよ。きらいになって別れたわけじゃないから」


 平静を装ったつもりでも、声にはどこかぶっきらぼうな響きがあった。

 苦々しい記憶を消すために一度きつくまぶたを閉じる。

 石井さんの大きな瞳が俺の一挙手一投足をとらえている。薄暗い闇の中でもそれがわかった。

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