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二十三 五色の海

 七月も残り約一週間となったとある火曜日。

 空は快晴、気温は朝から三十度を超え、絶好の海日よりとなった。


「はじめまして、石井ももこといいます。今日はよろしくお願いします」


 ミニバンのスライドドアが開いたとき、車中の男たちに向かって石井さんがお辞儀をした。

 事前に伝えていたのが、追加でもう一人乗せてほしいという情報だけだったせいか、谷村が三人を代表して俺たちの関係を尋ねてくる。


「妹……ではないよな?」

「違う。諸事情があって説明しづらいけど、彼女に近いようで正式には彼女じゃないというか、わかりやすく言うと彼女の見習いというか、そんなとこ」


 なにそれ、と運転席の堀川が眉をひそめる。

 肩越しにこちらを振り返ってはいるものの、石井さんとは目を会わせようとしない。


「なにって見習いだよ」

「だから見習いってなんだよ。ぜんぜんわかりやすくねーよ」

「つっこむな、ややこしくなる。ここは嶋本の中にだけ俺たちの知らない制度が存在するってことで納得しておくべきだ」


 不服そうな堀川を助手席の谷村がなだめた。

 谷村のファインプレーには感謝しなければならない。

 なぜなら、見習いというのは石井さんが言い出したものであり、俺が却下できなかったから成り立っているだけであって、それがなんだと聞かれても実は俺にもよくわかっていないからだ。

 外野から深く追求されたら俺だって困る。

 俺と石井さんが車に乗り込むと、堀川の真後ろで限界まで背もたれを倒して寝ていた伊藤が薄目を開けた。まぶたの隙間から鋭い眼光がのぞく。彼は石井さんの姿に一瞥をくれると、なにごともなかったかのようにまたまぶたを閉じた。


「こら伊藤、寝るなら、シート起こしてからにしろ」

「起こしたら眠れんやろ」


 睡眠モードの伊藤は一切動こうとしない。

 しかたなく、三人掛けのはずが二人掛けになってしまった最後列の座席に石井さんと並んで座る。


「なんか狭くてごめん」

「ううん、そんなに狭くないよ?」


 俺は狭いんだけど。とくに下半身が窮屈なんだけど。


 下半身といえば、本日の石井さんはミニスカートをはいている。

 これは間近で太ももを観察してもよろしいということなのだろうか。

 毎度気前よく生足を見せてくれるところは彼女のいいところだ。が、反面、胸もとのガードが固いのが惜しまれる。

 今日は水着が見られるからいいか。などと考えていたら、緊張ぎみな石井さんがこっそりと三人の名を聞いてきた。

 そういえば紹介がまだだった。


「えーと、ドライバーが堀川で、メガネかけてインテリ風を装ってるけど大失敗してるのが谷村で、そこで寝てる顔が怖いやつが伊藤」

「もう少しまともに紹介できないのか」


 俺の簡潔で的確な紹介が気に障ったのか、谷村がそそくさとファッションメガネを外し、細い目をサングラスの内側に隠す。


「わかればいいんだよ。ね」


 石井さんに同意を求めると苦笑いされた。


「ええと、みなさん大学生?」

「そう、全員俺が受ける予定の大学。ちなみに三人とも同じ年に入学したはずなのに、いまでは学年がばらばら」


 なるほど、と石井さんが微妙な表情を見せたのと同時に堀川が車を発車させた。


 車はまもなく高速に乗った。

 伊藤は爆睡、谷村はスマホとお見合い、さらに昨日バイト先で会ったばかりの俺と石井さんのあいだにも会話は少なく、車内の主役はもっぱらカーオーディオから流れる音楽のみだった。

 五つ目のジャンクションを過ぎたあたりで、気を遣ったのか堀川が話しかけてきた。


「嶋本さあ、二、三週間くらい前にバーの人と会うって言ってたじゃん? あれからどうなった?」

「ああ、それは俺も気になっていた」


 谷村もスマホから目を上げる。

 会えば優梨の件を聞かれるだろうとは予想していた。

 石井さんの存在がなければ、手短にことの経緯を話す気にもなったかもしれない。けれど、さすがにいまはそういう気分ではなかった。


「どうもこうも。とくになにも」


 窓の外を眺めている石井さんをちらりと見つつ華麗に受け流したつもりだったが、谷村はなにもないわけがないと追撃してくる。

 ふだん俺がなにをしようとたいして関心を見せないくせに、優梨の件だけはやけに食いつきがいい。

 べつに面白味のある話題でもないだろうに。

 年末年始に廃人ハウスで廃人になりかけていた俺の姿は、彼らに少なからぬインパクトを与えてしまったようだ。


「言っとくけど、優梨と別れた件とその直後に俺がドラ爆のシマと呼ばれるようになった件とはまったくの無関係だからな」

「だれも麻雀の話はしてねえよ」


 谷村はため息を吐いてから後席を振り返った。


「ももこちゃんはなにか聞いてない?」


 急に話を振られた石井さんはわずかに身構え、とまどいがちに俺の顔色をうかがってきた。

 ほうっておけばいいと視線で伝えようとしたのだが、残念なことに伝わらなかったらしい。

 それどころか正反対の意味にとらえられてしまったらしい。


「はい、ええと、なんだかいろいろとあったみたいです」


 彼女がそう答えたのを皮切りに、興味津々の谷村とのあいだで問答がはじまってしまった。


 石井さんは谷村の問いに逐一まじめに答えを返す。

 さらにいえば、彼女は俺と優梨が再会した日の出来事を(おそらくは俺が話すよりも)非常にわかりやすくぺらぺらと暴露、もとい解説してくださった。

 好意的に解釈すれば、一生懸命俺の代弁役を努めようとしてくれていたのだろう。

 自ら話す手間がはぶけるので口は出さなかったけれど、今後のためにアイコンタクトの練習はしておこうと思った。


「なんだ、振られたって言うからてっきり成金男に寝取られたんだと思ってたら、実は寝取ってたってオチか」


 石井さんから必要な情報を引き出し終えた谷村が感心したような声を漏らす。

 すると、それまでおとなしく車を運転していた堀川も会話に加わってきた。


「いやー、寝取るもなにもさ、バーの人とその男のあいだにはもとからなんにもありませんでしたって話だったんだろ?」

「あほか。なんでもない女に自分の店任せるわけないだろうが。その上で女が乗り換えたのがわかったから男がキレたんだろう。おまえそんなくそまじめに女の言いぶん信じてたらいつか痛い目にあうぞ」

「あ、そういうもんなの? まあ俺はそこまで深く女と関わんないから問題ないけど」


 自信満々に言い切ってから堀川は「なんだ賭けは引き分けかあ」とつまらなそうにこぼした。

 なんだろう、いまとてつもなく不謹慎なワードが聞こえてきたような。


「賭け?」

「嶋本がどんな用で呼び出されたのか三人で賭けてたんだ。俺は復縁を申し込まれるに一票、伊藤は借金を申し込まれるに一票、谷やんは寂しかったからひまつぶしに呼んだに一票」

「勝手に引き分けにするな、三択なら俺の勝ちだろうが」


 谷村が口を挟むと堀川がすぐに反論した。


「どこが? さっきの話のとおりなら、ただのひまつぶしじゃなくてれっきとした近況報告じゃん。借金はもうなくなったってこととか店を辞めたってことを引っ越す前に知らせときたかったんだろ」

「……」

「なに黙ってんだよ」

「……いいや、その純粋さに免じて引き分けにしといてやる」

「は?」


 そんなやりとりをする前席の二人に、俺は思い切り冷ややかな視線を送った。


「キミたち人を賭け事の対象にするとか、よくないと思うな、そーゆーの」

「だってバーの人が関わると、不思議とおもしろおかしい展開になるじゃん。嶋本が女の人と同棲したあげく勤労青年と化すなんて、前までは想像もつかなかったわけだし。さてはまたなんかやらかすんじゃないかって、俺たちも気になってたんだよ」


 悪びれもせずに堀川が言う。

 なんて悪趣味なやつらだろう。


「頼むからもうほっといてくれよ。いまの俺にはももちゃんという天使がいるから過ぎたことはどうでもいいんだよ」


 優梨とオーナーの関係がどうだとか、優梨の弁解の真偽だとか、俺にとってはとうに済んだ話であって、人から憶測でとやかく言われたくはない。

 暗い過去には目をつぶり、明るい未来だけを見つめるのが精神衛生的に最善の選択なのだ。

 頭の中で見え隠れしはじめた黒い影を封印し直そうと、癒やしの光を求めて隣を見る。

 すると、鳥肌でも立ったのか石井さんが両手で自分の身体を抱きしめていた。

 なぜか目を合わせてくれない。


「……もしかして天使はNGワードだったりする?」

「NGというか……嶋本さんにはもっとクールな感じでいてもらいたいなって」

「難しいことを言うね」


 この猛暑日にクールでいろとかなんの冗談だよ。

 鳥肌立つほど寒かったんならある意味クールだろうが。

 ていうか石井さんにドン引きされたのが何気にショックだよ。


 よし寝よう。

 だれも俺を気遣ってくれないし、乗り物での移動は寝るに限る。

 目を閉じようとしたとき、いつ目を覚ましたのか、今度は伊藤が話しかけてきた。


「そういや嶋本にはまだ言っとらんかったよな、うちの事務所移転したんやで。駅から徒歩三分とこに」


 閉じかけた目をこじ開けて見ると、伊藤は相変わらず睡眠体勢のままだった。


「へえ、よかったな。少しは広くなったのか?」

「ああ。約二十五坪」

「街中だろ? 家賃すげえ高いんじゃね」

「いや。十階建ての最上階で坪単価八千円」

「そこ絶対だれか一人くらい吊ってるよな」


 怖い怖いと谷村が首を振る。


「べつに何人吊っとろうが実害がなけりゃええんやて」

「所詮は事務所だしな」


 そのとき左隣からシャツの袖を引っ張られた。


「嶋本さん、事務所ってなんの?」

「こんないかつい顔してるけど、伊藤は会社も経営してるんだよ」


 石井さんに伊藤の副業を教えると、彼女は多少緊張が解けてきたのか「なんの会社ですか?」と自ら経営者に尋ねた。


「なんやと思う?」


 問い返されて石井さんは困ったように俺に助けを求める。


「俺も実態はよく知らないんだよ。ただのおぼっちゃんの道楽だから。こいつん家かなりの金持ちでさ」

「金持っとんのはうちのじいさんな」

「どっかの電機会社の会長らしい」

「え、そうなんですか」


 すごいですね、と石井さんが俄然伊藤に興味を示しはじめた。

 やっぱり女の子はみんな金持ちに弱いんだろうか。

 個人的には「金なんていくらあってもあの世には一銭も持っていけない」というばあちゃんの言葉を全力で支持するけども。


「で、ほんとはなんの会社なんですか」

「うーん、なんやろな、なんでもできるよう定款にはいろいろ盛り込んで、あれこれ手出しもしてみとるんやけどな」


 いまいち方向性が定まらん、と伊藤は眉間に深いしわを刻んだ。


「とりあえず来月は街コンでもやってみようかってなっとったんやけど、宣伝期間はたったの一週間やし集客方法にも難があるしで人の集まりが悪そうなんや」

「宣伝が夕方のラジオCMオンリーなんだってさ。募集対象は二十代なのに。初っ端から詰んでるよなあ」

「なんでラジオ? もっとほかに活用するもんがあるだろ」


 伊藤いわく、広報係として祖父から紹介された相手がラジオ局の人間だったらしい。

 多少名の知れたラジオのパーソナリティに司会を依頼することも決定し、先方と何度か打ち合わせも重ねてきたが、実行前からどうにも成功するビジョンが見えず、伊藤はむりに断行する必要はないと判断したそうだ。


「とにかくいったん仕切り直さなあかんから街コン自体は延期やな」


 しかしながら会場はすでに押さえてあり、一度中止になったことが原因でこのまま企画倒れになってしまうのも不本意だと伊藤は言う。

 先のことも含めて考えた結果、今回は関係者の顔合わせ兼景気づけという名目で、会場だけは予定通り使わせてもらおうという結論に至ったらしい。

 イベント会場となるのは都心の一角にあるアメリカンダイニングバーで、オーナーの好意により一日十五万円で店を貸し切らせてもらえるそうだ。


 借し切り料金が良心的なのでそちらもコネなのかと聞いてみると、そのとおりだという。

 やはり世の中カネとコネなんだなあと痛感する瞬間である。

 おぼっちゃんのひまつぶしは、俺のような一庶民には理解しがたい次元にあった。


「嶋本も参加するやろ?」

「俺まだスタッフやるなんて言ってねえよ」

「タダ飲みに興味は?」

「タダか……」


 内輪の打ち上げではあるが、もとは百人単位のイベントを想定していたため、関係者だけでは人数が少なすぎて店を貸し切りにする意味がない。

 そういった事情から伊藤は周りに声を掛けて適当に関係者以外の人間も集めさせているという。

 つまり、破格で店を貸し切らせてくれるオーナーへの義理立てで、イベントがなくなる代わりに完全に自腹で数十人規模の飲み会を開こうとしているようだ。


 本当におぼっちゃんの発想は突飛すぎる。

 ビジネスマンの集まる打ち上げそのものに興味はないし、参加したら次回からイベントスタッフとして駆り出されそうな点も気にかかる。だが、タダで飲み食いできるという甘いフレーズにはぐらりと心が揺らいだ。

 返答に悩んでいると、伊藤が唐突にスマホのディスプレイを俺の眼前に差し出してきた。


「なんだこれ」


 一枚の画像だった。

 リビングダイニングのような広々とした空間の隅に、やたらでかいベッドが置いてある。

 窓際には事務机とデスクトップパソコンがあった。


「新事務所」

「これが? 広いな。前んとことくらべたら倍以上あるじゃん」

「住もうと思えば住めるんやで」

「だろうな。ひときわ存在感放ってるベッドがあるし」

「シャワーと即席キッチンもな。おまえそろそろ家から追い出されそうやて言うてたやん。もし使いたけりゃあここの鍵渡すから好きに使ってもええよ。まだものもそろっとらん殺風景なとこやけどな」


 うまい話には罠がある。

 当然ながら伊藤の提案は単純な善意からではなかった。

 彼は卒研に向けて忙しくなる自分に代わり、事務所の留守を預かる人間を必要としているらしい。


 伊藤の事務所は現時点ではあくまで書類上の「本店の所在場所」でしかなく、会社として本格的には機能していない。

 だから留守番といっても電話や来客対応等の業務は発生せず、たまにポストを開けて会社宛ての配達物をチェックするだけでいいそうだ。

 そのお留守番係に加えて開催日未定のイベントスタッフを引き受けるなら、という条件つきで、伊藤は新しい事務所の使用許可を俺にくれると言う。

 見知らぬ人間を雇うよりは、気心の知れた友人に任せたほうが気楽だというおぼっちゃん独自の謎理論から生じた案件だった。


「俺の周りに嶋本以上の暇人はおらんしなあ」

「おまえそれ俺の現状わかって言ってる?」


 いますぐに実家から出て行けと言われるようなことはないにしろ、模試の成績は振るわないし、人生いつどんな不幸が起こるかもわからない。

 なによりつぎに受験に失敗したら、来春からは確実に自活を余儀なくさせられる。

 提示された条件を飲んで臨時の住処を確保しておくのは悪いことではない気がした。

 少ない労力で都心にタダで住めるなんて素晴らしいではないか。おぼっちゃんが経営する怪しい会社の事務所という点に目をつぶりさえすればだが。


「……という話が出てるんだけど、ももちゃんはどう思う? 俺街コンのスタッフやることになるかもしれないんだけど」


 先週、石井さんの前では街コンには行かないと断言してしまった。よって俺の一存では決めかねる。

 いやだと言われたら断ろうと思ったけれど、反対されることもなく意外とあっさりお許しが出た。

 お家がいまより近くなるかもしれないね、とにこやかに言われてしまった。どう反応したらいいんだろう。

 無事取引が成立すると、伊藤は満足そうに伸びをした。打ち上げの日時と場所を告げ、ふと思いついたように石井さんを見る。


「嶋本の彼女も来たらええやん」

「いやだめだ。てかまだ彼女じゃないから」


 石井さんは未成年なのだから夜間の酒の席には連れ出したくない。

 俺が止めると、本人もせっかくだが親が心配するので遠慮すると断った。

 まじめやなあ、と伊藤が眉を寄せる。


「ほんならだれでもええわ、何人か女の子連れて来やあ。谷村にも言うたんやけど、現状関係者が男ばっかで華がないんやて」

「嶋本にだれでもいい何人でもいいなんて言ったら、人選やら連絡が面倒だなんだと理由をつけて、絶対だれも連れて来ないぞ」


 気が向いたらと答えるよりもはやく谷村に図星をつかれた。

 俺の言動はそんなに先読みしやすいのだろうか。


「いい機会だから妹呼べよ。俺一回嶋本の妹を見てみたかったんだ」

「妹? あれでいいなら誘うだけ誘ってみるけど、行くかどうかは保証はできねえぞ」


 きげんのいいときに誘えばくっついてきそうだが、へたするとまた夜遊びをする気かとお小言をくらう可能性がある。

 無難な誘い文句が浮かばなかった場合に備えて予防線を張っておいたら、残りのノルマが三人も追加された。


「条件は最近知り合ったかわいい子で」

「気が向いたらな。堀川は?」

「誘ったけどいややって」

「イベントの関係者だけならまだしも、無関係な女の子もたくさん呼ぶ予定なんだろ? 俺が行っても居場所ないじゃん」


 堀川は合コンじみた状況が不満で気が進まないらしい。

 俺はいつものことかと納得したが、なにかと世話焼きの谷村は違ったようだ。


「居場所もなにも、参加者と適度に楽しく飲み食いすりゃいいだろうが」

「むり。俺谷やんみたいにだれとでも話せるタイプじゃねえし」

「じゃあ無心で揚げ物でも食ってろ」

「だからそうまでして行きたくないんだって」


 うんざりとしたように言葉を返したあと、堀川は魂でも吐き出しそうなほど長々と嘆息した。


「どうした、運転代わるか?」

「いい。俺さあ、ここんとこ萌え台ばっか打ってたんだよ。女の子が隣に座ってこないようなやつ。したらだんだん二次元の女の子もアリかなーって思いはじめちゃったんだよね」

「……」

「現実は女友達すらつくるの厳しいもんな俺」

「他人の趣味趣向に口出しする気はないし、おまえがそれでいいのなら止めはしないけど、うちにへんなグッズだけは持ち込むなよ頼むから」


 投げやりな堀川に対し、谷村はなにかをあきらめたようにそう言った。


「なんのお話?」

「ももちゃんは知らなくてもいいお話」


 首を捻る石井さんに、堀川は度を越して若い女性が苦手なのだと端的に伝える。


「本人は言わないけど、小学校でトラウマ級のひどい目に遭ったんだと思う。だからなるべく半径七十五センチ以内には近づかないでやってほしいんだ」


 はあ、と生返事をすると、石井さんは遠慮がちに運転手に尋ねた。


「あの、堀川さん、海は平気なんですか? 女の子いっぱいいますよ」

「はっ!? ああ、うん、と、遠目に眺めるぶんには……」


 話しかけられるとは思っていなかったのだろう。焦った声で堀川が答える。

 見なくとも顔が引きつっているのが容易に想像できた。

 赤信号のタイミングでよかったと思う。ハンドル操作的に。

 石井さんには、堀川の運転中は不用意に声を掛けないよう言っておいたほうがいいのだろうか。


「こういうやつなんだよ。Tバックの店員に接客されるのは断固拒否するくせに、ビキニを遠くから見るのはOKとか」


 わけわからんよな、と谷村が肩をすくめる。

 ふだんは味方のいない堀川だったが今日は違った。

 石井さんが思わぬ援護射撃を繰り出したのだ。


「私も小学校からずうっと女子校だったので、異性が苦手っていう気持ちはすごくよくわかりますよ。男友達もゼロでしたし、男の人とおつきあいするなんてもう雲の上の話みたいな感じで」

「え、まじで? 俺も中学から男子校だったよ」


 すばやく振り向いた堀川は、石井さんにシンパシーでも感じたの顔つきが生き生きとしていた。


「堀川ー、俺も高校から男子校」

「俺も大学から実質男子校」


 会話に便乗しようとした俺と谷村を「うるさいな」と一蹴し、堀川は俺の知る限りほぼはじめて自分から女の子に質問を投げかけた。


「小学校からずっと女子校って……まさかお嬢様とか?」

「いえ庶民です」


 にっこりと上品に笑う石井さんは、知らぬ間にまた眠ってしまった資産家の孫よりもよほどお嬢様っぽかった。

 以後車内ではとりとめのない会話がつづき、彼女の緊張もだいぶ解けたようだった。ので俺も安心して眠ることにした。




 海に着いてからは谷村たちとは別行動になった。

 石井さんの水着は、ベースとなるマーメイドブルーのワイヤービキ二の上に、白いニットの三角ビキニを重ねたデザインだった。

 水色と白の色合いがさわやかで、真夏の暑い日差しの下に幾分かの清涼感をもたらしてくれる。


「どうかなあ」


 恥ずかしそうにパーカーを脱いで水着姿を披露する様子がまたかわいらしい。

 よく似合っていると褒めると、うれしそうに顔を輝かせた。

 ただし、気になる箇所が一点。普段着のときよりも胸もとにボリュームがある。

 案外着やせするタイプだったのかと思っていると、なんと自らネタばらしをしてくれた。


「実は嶋本さんの好みに合わせてボリュームを調整してみました」

「調整?」


 するのはいいけど、それをばらすことはないんじゃないだろうか。

 この無邪気さが石井さんらしいといえばらしいけど。

 そのまえに俺は巨乳好きだなんてにおわせた覚えはない。もちろん大きければ大きいに超したことはないが。

 なぜだろうと頭に疑問符を並べていると、石井さんがまたまたネタばらしをしてくれた。


「優梨さんを見て、スレンダーなのにしっかり胸がある人がタイプなのかなあと思って。当たり?」

「……」


 そういうことか。

 まさかあのランチでの収穫がソレってわけじゃないだろうな。

 優梨の胸の膨らみは盛りに盛った成果なんだよ、と教えてあげたほうがいいのか黙っていたほうがいいのか、果たしてどっちだろう。




 別行動を開始してから約一時間後。

 水遊びに飽きた石井さんが浜辺で砂遊びをはじめたころ。

 少し離れた位置から彼女を観察していると、近くを通りかかった谷村が、一人ではナンパがはかどらないと愚痴をこぼしにきた。

 堀川は端っこに立てたパラソルの下から動こうとせず、人の多さに辟易した伊藤はプライベートビーチにするべきだったというセレブなお言葉を残して車に戻ってしまったそうだ。


「あいつらなにしに来たんだ? 役立たずにもほどがある」

「さあ……雰囲気を楽しんでんじゃねえの。堀川は毎年のことだし」


 ほとんど動きもしないのに、帰りはなかなか満ち足りた顔をしている。実に変わった男だ。


「俺にはあんな特殊な楽しみ方はできん。嶋本少しくらい協力してくれよ。後ろでにこにこしてるだけでいいからさ。なんならにやにやしててもいい」

「断る。俺にはほらご覧のとおりビーチに舞い降りた天使がいるんで」


 砂でなんらかの芸術作品(お城?)を作成中の石井さんを指さすと、谷村は「ついに暑さで頭にトドメを刺されたか」と目をそらした。


「いやいや、かわいいだろ? パッドやニットの重ね技でバストアップ効果を狙うなんて涙ぐましい努力をしてるとことかさ」

「珍しくもない努力だと思うぞ」


 かわいいのは認めるけど俺のタイプじゃない、と谷村は興味なさそうに言って石井さんに目をやった。


「にしてもまたやばそうなのに引っかかったよな」

「やばそう? ももちゃんが?」

「あれでいままで一人も彼氏いたことがないとか確実に地雷だろう」

「たんに出会いがなかっただけじゃね。女子校育ちだし」

「それが事実ならますます危険な予感がするぞ。男というか恋愛そのものに身勝手な幻想を抱いてそうだ」

「いいじゃんべつに。そういうお年頃なんだって」

「そうかもしれんが……あんまりももこちゃんの前で人畜無害なお兄さんぶるのはやめろよ」

「有害なお兄さんを演じろと……?」

「んなこと言ってねえ。端から見てるとおまえあの子の保護者みたいなんだよ」

「保護者!?」


 思わず声が大きくなった。

 唖然とする俺に同情とも憐れみともつかない視線が向けられる。

 谷村はかるく息を吐き、


「しかたない、俺がお嬢さんにほんの少しだけ現実を教えてきてやろう」


 そう言って石井さんに近づいていった。


 突如現れた人影に日光を遮られた石井さんは、反射的に顔を上げた。

 相手の顔を確認すると、丸くした目を細めてあいさつでもしたようだった。


 いくらか距離があるのと周囲の雑音とで二人の声は聞こえない。

 谷村との短い対話の中で石井さんはしきりに首を傾げていた。

 やがて、ひと仕事終えたという空気をまとって颯爽と谷村が戻ってくる。


「はーすっきりした」

「なに話してきたんだ?」

「おまえのえげつない本性を暴露してやった」

「まじか。暴露するほどの本性が俺にはあったんだな……冗談はいいからさっさと吐け」

「ただの忠告だよ。毎日連絡取り合ったり頻繁にデートしたりっていうありきたりなつきあいかたは、ものぐさ王の嶋本には期待しないようにって言っただけだ」

「なんだそんなことか。俺の性格なんてももちゃんはとっくにわかりきってるよ」


 俺がマメな人間ではないのをわかっているからこそ、石井さんは定期的に会う機会をつくろうとしている。

 怠惰な俺と律儀な彼女とでしっかりバランスはとれていると思う。


「そうか? あの子がわかったつもりになっているだけか、おまえがそう思い込んでいるだけじゃないのか。てかそもそもおまえなんでこんな離れた場所にいるんだ」

「真剣にやってるからじゃましちゃ悪いと思って?」


 発言の意図が読めず、今度は俺が首を傾げる番だった。

 だが、自分で振っておきながら谷村にはこの話題を掘り下げる気はないらしい。

 まあ自由にやってくれ、とつぶやき、サングラスを上げてこめかみの汗をぬぐった。


「それより嶋本に謝ることがあるんだった」

「は? なにした」

「例の打ち上げの話だけどな、伊藤に頼まれて参加してくれそうな子を片っ端から誘いまくったはいいが、俺はどうも間違ってバーの人まで誘ってしまったらしい」


 予期せぬところで出現したバーの人という名詞に、一瞬頭がフリーズする。


「はい?」

「タダ飲みに釣られてもし来てしまったら悪かったってことで、先に謝っておく」

「ああ……それならまあ、来ないだろ」


 谷村が絡んでいるなら俺も関わっている可能性がある、と優梨は考えるはずだ。

 タダという言葉に釣られて頓着なしにのこのこやってくることはないだろう。俺じゃあるまいし。時期的にも引っ越しの直前で忙しいだろうし。

 気にするなと伝えると、谷村はほっとしたようにサングラスをかけ直し「用はそれだけだ。気が向いたら助っ人に来てくれ」と告げて去って行った。


 その後はしばらく芸術家石井の作品づくりに協力した。

 カップルさながらにビーチで戯れたりもした。

 おかげでかなり日焼けしてしまった。

 それでも石井さんは終始楽しそうで、我ながらこの海ミッションは成功したのではないかと思えた。

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