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追想

 バイトの休日はできるかぎり優梨の休みと合わせるようにしていた。

 たまに二人で街中へ出かけるときもあったけれど、比率的には家の中でごろごろして過ごす日のほうが多かった。

 その日もやはり昼間から窮屈なベッドに並んで寝ころび、年越しカウントダウンをどうするかで意見を交わし合っていた。


 優梨は東京方面に行きたがっていた。そのころ彼女はしきりに腹痛を訴えていたため、俺はできるだけ近場で済ませたかった。

 東京はまたつぎの機会にすればいいと言うと、横で携帯をいじっていた人間がそれなら来年はルミナリエにも行きたいと言い出して話が飛んだ。

 イルミネーションなら、なばながまだ間に合ったはず。そう言うと、優梨はじゃあセンター試験が終わったら見に行こうと提案してきた。


 先の予定ばかりが埋まっていき、翌日の予定だけがまともに決まらない。

 そんな状況下で優梨の携帯が鳴った。

 嘆息して電話に出た彼女の口調は、寝そべっていたときとは一変して業務的なものになっていた。

 あいさつ、気温について、体調について等々、当たり障りのない会話をしたあと、「え、はい、いますけど」と応えながら彼女はいきなりベッドから抜け出した。


 落ち着いた声とは裏腹に、表情からは焦りがうかがえた。

 二つ三つ短い言葉のやりとりをつづけ、投げるように携帯を床に置くと、急いで服を着はじめた。

 なにごとかと首を傾げる俺に「ごめん、ちょっと下まで行ってくる」と言い捨ててコートも羽織らずに部屋を飛び出していった。


 ひとまず服を着なければと思ったのは、優梨を追いかけて上着を届けようとしたからなのか、なんらかの直感がはたらいたからなのか、よくわからない。

 ともかく、優梨よりもずっと鈍い動きでシャツやジーンズを身につけ、ダウンジャケットを着こみ、ポケットの上から貴重品の存在を確認し、黒いロングコートをクローゼットから取り出した。

 ブーツに片足をつっこもうとしたとき、にわかにドアの向こうが騒がしくなった。なにかを早口にまくしたてる優梨の声がして外側からドアが開いた。

 来客でも連れて帰ってきたのかと顔を上げると、優梨ではなく顔見知りの人物が目に入った。

 上質なスーツに身を包んだ端正な顔立ちの男で、歳は三十半ばらしいが、見た目はもっと若く見えた。


 互いに互いを認識し合うと、男は静かに「おまえか」とつぶやいた。

 なぜオーナーがこんな場所にいるのだろう。そう思ったものの深くは考えられず、まずはあいさつをしようとかるく会釈をしかけた。

 すると、その瞬間、左のこめかみあたりに衝撃が走った。ついで肩にも。


 オーナーの後ろで優梨が悲鳴を上げた。

 殴られて背中から壁にぶつかったのだと気づいたのは、オーナーが靴もぬがずに室内へ上がりこんで来たあとだった。

 闖入者はざっと部屋を見渡し、開きっ放しのクローゼットに歩み寄った。


 俺の部屋でなにをしている。

 フリーターごときにこの女がどうにかできると思っているのか。

 優梨は俺の女だ。

 身のほどをわきまえろ。

 要約するとそんな内容の言葉が矢継ぎ早に飛んできた。


 状況の変化にまったく頭がついていかず、一言一句正確には聞き取れなかったが、彼が俺をひどく蔑んでおり、そうすることで湧き上がる怒りを発散しているのだということはわかった。

 そのほかにも俺の人間性を否定するような語句が大量に頭の上を通り過ぎていった。

 けれども、つい数分前まで恋人と信じて疑わなかった女を突如現れたべつの男に「俺の女だ」と断言されたショックは、俺から正常な理解力やら思考力やら発話能力やらを根こそぎ奪い去っていた。


 オーナーはクローゼットの中から冬タイヤの入った袋を引っ張り出した。

 タイヤの存在にははやくから気づいていたし、優梨のものではないこともわかっていた。こういう形で持ち主が発覚するとは夢にも思わなかったが。

 なぜその一本だけをこの部屋に保管していたのか、などという間抜けな質問をする気力もなく、ぶつかった壁にもたれたまま呆然と成り行きを見届けるしかできなかった。

 オーナーは優梨の携帯を拾い上げ、裸足で部屋の入り口に突っ立っている優梨をわずらわしそうに突き飛ばした。


 いますぐここから出て行け、俺と張り合おうと思うなら、せめて俺と同じくらい稼げるようになってからにしろ。

 最後はそう言い残して部屋から出ていった。

 優梨にはひとことも声をかけずに。


 部屋は急に静寂につつまれ、俺はこめかみの鈍痛と手にしたままのコートをもてあましていた。

 床の上にへたりこんでうつむいていた優梨は、氷を買いに行くと言って力なく立ち上がった。

 引き止める自分の声は、まさに氷のように冷たかったと思う。殴られた箇所よりもべつの部分が痛かった。


「状況がよく飲みこめないんだけど。ここってオーナーの?」


 またその場に座りこみ、優梨は弱々しくうなずいた。


「俺にずっとうそついてたのか」

「ごめん」

「で、あっちが本命?」

「そういう言いかたは……」


 俺にはないものが彼にはあって、俺に決してできないことが彼にはできるらしい。だから優梨も彼を選んだのだろうか。

 たにかに、どれほど思いを募らせたってそこには金なんか一銭も生まれやしないけれど。


 肯定も否定もせず、優梨が俺を見た。

 その怯えたような表情を目にしたとき、終幕に向けてのカウントダウンがはじまった気がした。

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