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十三 夢のつづき

「嶋本さんを選んだら、ほんとにいてくれるの?」

「いるよ。隅っこで正座してる」

「あはは。なんで正座」


 欲張ると良いことがなさそうだからと言って石井さんは七夕飾りを選んだ。

 予想通りの回答だった。彼女は本気で俺を困らせるようなことはしないのだろう。

 リビングへ戻る前、二人で家中の照明をつけてまわった。

 作業が終わると石井さんは「これで、きっと、大丈夫」と自分に言い聞かせるように大きくうなずいた。


 返却されたバッグから、たたんでしまっておいた飾りを取り出す。広げたり重ねたりしてひとつひとつを完成形に戻していく。

 その様子を石井さんが熱心に見ている。

 なかでも七色のカラーホイルを組み合わせたひと品がお気に召したようだ。


「この形、すごく好き」

「それはかんたん。折って切れ目入れるだけでできる」

「こっちは笹かな? これもかわいい。あっお星さまもある!」


 髪飾りならぬただの紙飾りを手にして、彼女は幼稚園児のようによろこんでいる。

 はじめての贈りものがこども向けの折り紙作品かと思うとなんだか申し訳なくなった。


「アクセサリーとかじゃなくてごめん」

「ううん、自分で買えないもののほうがうれしい。ほんとはね、嶋本さんがつくったもの、なんでもいいからひとつ欲しいなって思ってたの」


 取り出した七夕飾りはすべて石井さんの部屋に飾った。ベッドから部屋を見渡して明るい気分になるよう配置を考え、なるべく彼女の手が届きそうにない高い位置にくくる。


「ありがとう。八月七日まではこのままにしておくね」


 満足そうな笑顔を見て玄関に向かう。


「ここまででいいよ」


 靴をはこうとする石井さんを制して、おにぎりの礼を述べる。

 白ウサギともお別れだ。

 今度の土曜日に図書館に行くね、と石井さんが手を振った。


「わかった。それじゃあ、おやすみ」

「おやすみ、気をつけて」


 予定を上回る長時間滞在の末、訪問形跡をばっちり残してドアを閉める。

 帰国したご両親は突如出現した七夕飾りを見てどう思うだろう。

 エレベーターの中で優梨に宛てたメールを打った。電話ではなくメールを選んだのはいまの時間帯は仕事中だと思ったからだ。


『久しぶり。

 まだ大学生にはなってないよ。

 いつどこに行けばいい?』


 短い文章をつづるのにずいぶん手間取った。

 風除室のあたりでメールを送信する。履歴は削除。


 携帯には母と妹から二件ずつ着信が残っていた。夕食はどうするのか、どこでなにをしているのか、おおかたそんな用件だろう。

 冷房に慣れた肌は、外界の生暖かい空気に触れると数分歩いただけで汗ばみはじめた。

 だんだんと家族への言いわけを考えるのが面倒になってくる。

 いいかげん実家を追い出されるかもしれないと危惧しつつも、足は自宅と反対方向へ向かっていた。






 廃人ハウスの呼び鈴を鳴らすと、出迎えたのは部屋主の谷村ではなく堀川だった。

 俺の顔を見るや否や「お、珍しい」と目を丸くする。

 堀川とは高一からのつきあいになるが、ここ数か月は顔を合わせる機会がぐんと減っていた。


「谷村は? バイト?」

「いえーす。終わったらそのまま出かけるってさ」


 市松模様の床には雑誌、酒瓶、DVD、ゲーム機、ダンベル、大学のテキスト等が雑然と散らばり、あちこちに和風な意匠の間接照明が置かれている。

 在室者は堀川のみだった。

 部屋主と常連三人の中でもっともマイペースな人物は、パチスロ雑誌をつかむと革張りのラブソファにふんぞり返った。


 椅子ソファはひとつしかない。ので、適当にスペースを確保してテーブルの脇に座る。

 テーブル上には定期試験の過去問が広げられていた。七月上旬という時期から察するに、この部屋に集う学生たちはまもなく試験期間に突入するはずだ。

 雑誌を熟読中の堀川を見上げる。


「明日も朝から?」

「の予定。ノリ打ちでもする?」

「いいや。てか試験勉強は?」

「あー。それなー。しないといけないんだけどさあ」


 なにをすればいいのやら、と頼りない返答が返ってきた。


「レポートはなんとかなっても筆記は対策しようがないよね。授業出てない、谷やんみたく過去問くれる先輩もいない、でお手上げ」

「まず授業出ろよ」

「ごもっともです」


 堀川は長々と嘆息した。


「語学とかさあ、再履修だと一回生の中にねじこまれるから出づらいのなんの。席も一番後ろで完全に離れ小島」

「おまえも一回生じゃん」

「まあね、けど三年も通えばフレッシュな気持ちは消え失せるからさ。数か月前まで高校生だったやつら見てるとむなしくなってくる」

「んなこと言われたら俺来年受かった場合どうすりゃいいんだよ」


 すると堀川は同類なかまを見つけたかのようにぱっと目を輝かせた。


「来年は仲良くいっしょに一回生やろうなっ!」


 びしっと親指を立てる。

 だめだこいつ、もう一留する気だ。すでに二留してんのに。

 高校時代、飛び抜けて成績が悪かった俺たちは、何度もそろって補習や追試を受けた。苦難をともにする同志としてしだいに友情も深まっていった。だが、それとこれとは話が違う。

 他人事ながら少々心配になってくる。

 宅浪の俺と違い、堀川は留年すればするほど学費がかさむ。やがては除籍も現実味を帯びてくるかもしれない。


「過去問は自分で受けたやつがあるんじゃないのか。去年とか一昨年の」

「ない。むりそうなのはぜんぶ試験サボった」

「伊藤は? 学科同じだろ」

「奇跡的なほど履修ぜんぜんかぶってなかった」

「そこは事前に聞いてかぶせとけよ」

「あーそだね」

「って俺去年も言った気がする」

「言われた気もする」


 堀川は危機感もなさそうにへらへらと笑っている。

 俺に引けを取らず後先を考えない行動の多い堀川は、学業同様、交友関係も心もとない。

 入学当初から大学にほとんど顔を出さなかったせいで、構内で言葉を交わす間柄にあるのは、同じ学科に所属する伊藤とそのサークル仲間である谷村だけらしい。


 堀川は、いつかは彼女がほしいという願望はあるものの死ぬほど女が苦手、という変わった男だ。

 女子を避けて中高一貫の男子校へ進み、大学は地元の工業大学を選択した。

 しかし第一志望の情報工学科(男女比九対一)ではなく第二志望の応用化学科(男女比五対五)に配属されてしまい、絶望にうちひしがれてギャンブルに逃げたようだ。

 スロットを打っている最中でも隣に若い女性が座ると台を移動する徹底ぶりで、移動ができないときは俺を呼び出して代打ちを頼んでくる迷惑なやつでもある。


「まあ来年からは本気出すよ」


 そう言って堀川は雑誌に目を戻した。

 安心感のかけらもない言葉だが、E判定から志望校に現役合格した実績を持つ男なので、三浪の俺からはこれ以上なにも言えない。


 来年か。一年後、俺はなにをしているのだろう。

 無事大学生になっているのだろうか。

 石井さんとは?


 彼女のまっすぐな目と照れた表情が思い浮かび、ふと気恥ずかしさを覚える。

 あとから冷静に思い返してみると、やはりキスはまずかったのかなと思う。 

 かわいい女の子と二人きりになったのだからしかたがない、と開き直ることはできる。が、果たしてそれが誠実な行為かと問われたら、どうだろう。

 石井さんの基準がわからない。怒ってはいなかったようだが。


「なあ堀川、セージツに生きるって難しいよな」

「は? どーしたよ急に。なんか悪いもんでも食った?」


 サケおにぎり一個、と答えたとたん、石井宅では感じなかった空腹が強い自己主張をはじめた。

 考えたら昼もまともに食事を取っていない。


「だけ? あーなんだ、腹減ってんのか。金ないなら素直にそう言えよ。出前でよけりゃおごってやる」


 堀川は俺の返事を待たずに谷村のノートPCを開き、まだオーダーを受けつけている店を探しはじめた。

 所持金不足で満足に食事が取れていないと勘違いされたようだ。

 空腹も金欠も事実だし、友人の好意には素直に甘えておこうと止めはしなかった。というのも、堀川がこうして気前良く振る舞うのはたいがい懐が潤っているときだからだ。

 きっと現時点では収支がそこそこのプラス域にあるのだろう。

 最近調子はどうだと尋ねると、堀川はよくぞ聞いてくれたとばかりに振り返った。


「今月は絶好調」


 ウォレットチェーンをかるく持ち上げ、得意そうに歯を見せて笑う。

 チェーンの先にある財布には、種銭と本日の勝ちぶんを合わせて万札が三十枚ほど入っているらしい。景気のいい話である。

 日夜すっかすかな俺の財布とは大違いだ。


「お、ピザ屋が一軒だけぎり間に合う」


 一分でメニューを決め、一分で必要情報を入力する。

 数十分後に届いたピザと堀川が持参したというビールでささやかな酒盛りをした。

 ピザをひと切れ消費したとき、優梨からの返信メールが届いた。思っていたよりもはやい。今夜は仕事が休みだったのだろうか。

 メールを開くと、そこには待ち合わせのための最低限の情報が、つまり日時と場所が記されていた。

 金曜の夜七時、駅前のファミレス。

 金曜? 金曜って明日、いやもう今日だ。週末の夜に仕事休むってなにがあったんだ。


「新しい彼女?」


 スマホに目を落としていた俺に堀川が尋ねてくる。

 否定して、相手の正体を明かす。と、意外そうな顔をされた。


「もしかして、バーの人?」

「そうバーの人」

「また連絡取ってんだ」

「いきなり向こうからきて、なりゆきで」

「へー」


 よかったなあ、と堀川がしみじみとつぶやく。

 俺は面を上げて首をひねった。


「よかった? なにが」

「なにって、まだ逆転の可能性残ってそうなとこが?」


 堀川はピザから三匹のエビを丁寧に排除している。

 エビを見ると昔捕ったザリガニを思い出して心が痛むらしい。


「嶋本ってふだんあんまなにかに執着することないだろ。人にもものにも金にも。あるならあるで、ないならないで、どっちでもいいやって空気出してんじゃん。なのにあのバーの人だけは最初から扱いがほかと違うように見えたからさあ」

「そうか? ふつうにしゃべってただけなんだけど」

「積極性の問題ね。別れたときもめちゃくちゃ沈んでたろ。高三で願書出し忘れて浪人確定したときも、はやめに進路が決まって良かったって平然としてたおまえがだよ、数か月つきあっただけの女に振られたくらいで落ちこむなんて、俺にはかなりのカルチャーショックだったんだって」


 俺は文化なのかよ、という疑問はさらりと無視された。

 二人が出会ったきっかけは自分にもある、だからひそかに気にしていた、と堀川は言った。


「うまくいくといいなあって思ってたんだ」




 雑誌と雑談と各種電子機器で時間をつぶし、外の闇が薄れはじめたころ、始発に合わせて堀川が部屋を出ていった。

 一人残された俺には、依然として家に帰る気力がわいてこない。家族との会話が憂鬱だ。

 昼寝のおかげで冴えていた目も徐々にまぶたが重くなってくる。

 仮眠を取るためソファに横になり、窓の外から聞こえる鳥のさえずりをBGMにうとうとしていると、早起きな妹からメッセージが届いた。


『なにしてんの? お母さんがお兄ちゃんのベッド捨ててマッサージ機買おうかなって言ってるけど』


 まじか。ついに恐れていた事態に発展してしまうのか?

 撤去するのは勉強机のほうにして、せめてベッドは残して欲しいという意見は通るだろうか。

 まぶたも重いが気も重い。見なかったことにして目をつぶる。

 着替えに戻るのは家族が出払った昼にしようと決めて意識を手放した。




 ガチャガチャと鍵を回す音で目が覚める。

 どうやら主のご帰還らしい。

 アナログな目覚まし時計に目をやる。六時十五分。堀川が帰ってからまだ一時間と経っていない。


「来てたのか」


 驚く谷村に、片手を上げてあいさつをする。

 もたげた頭をもとに戻し、二度寝の態勢に入っていると、浴室へ直行する部屋主の言葉が耳に届いた。


「俺バイトあるからシャワー浴びてまたすぐ出るわ」


 ん? バイト?

 谷村のバイト先は一時俺も働いていた中華料理店である。こんな早朝から営業しているはずはない。

 違和感を覚え、急いで携帯を見る。

 デジタル表示の時刻は十八時十七分。

 十八時! 確実に朝ではない。

 仮眠のつもりが十時間以上も眠ってしまったようだ。しかも優梨との待ち合わせまでは四十五分を切っている。

 ここから指定の駅までは徒歩で約三十分。


 一気に血の気が引いてソファから飛び起きた。

 帰宅している時間的な余裕はない。が、寝ぐせは直したいし寝汗も流したいしできれば丸一日ぶんの汗を吸った服も替えたい。

 極度の潔癖症ではないけれど、夏場に着用二日目の服で女性と会うのには抵抗がある。

 カラスの行水並みの速さで浴室から出てきた谷村に、焦り半分でシャワーを貸してほしいと頼んだ。


「借りたら返せよ」

「返すよだれも盗まねえよ! あと服、俺の服なんか置いてなかったっけ!?」

「服? なんだ突然」

「駅行かないといけないんだ、七時までに」


 焦っていたせいで充分な説明にはなっていなかったが、清潔な着替えが必要だという意図は伝わったようだ。


「なるほど、デートか」

「違うけど、ほらあれ、こないだの、あのおまえに連絡きたっていう」

「ああ、バーの人?」

「そうそうバーの人!」


 ていうかバーの人ってなんなんだよ!

 勢いよく浴室の中折れドアを開いた俺の背後で、谷村がなにかを思い出したようにクローゼットをあさりだした。

 あったあった、という声につづいて紙袋が飛んでくる。


「誕生日プレゼントだ」


 誕生日なんてとっくに過ぎた、と言いかけて、五月ごろから久しくここには顔を出していなかったのだと気づく。

 紙袋の中にはラッピングを施された衣類があった。リネン素材の白シャツに黒のTシャツ、そして派手なボクサーパンツ。


「シャツは俺と伊藤、勝負パンツは堀川からな。感謝しろよ」

「するする。助かったよ、ありがとう」


 シャツは当然、パンツも非常にありがたい。この際はければなんでもいい。たとえチェリーピンクな柄がちらついていようとも。

 友人たちに心から感謝の念を捧げ、谷村と競うように十五分で身支度を整える。

 部屋を出る間際、海行きの件は後ろ向きに検討中だと伝えると、感謝の心が足りないと文句を言われた。






 金曜の午後七時前。

 駅前のファミレスはほどよく混み合っていた。

 窓際の喫煙席に座る優梨の姿を見つけるのにそれほど時間はかからなかった。

 胸もとまであった栗色の髪がさっぱりとしたショートヘアに変わったことをのぞけば、記憶そのままの彼女がそこにいる。

 歩をゆるめ、頬づえをついて窓の外を眺める彼女の横顔をできるだけ長い時間目に焼きつけた。

 疲れているような、しかしどことなく余裕がうかがえるような、目に映るあらゆるものに失望しているような表情。


 優梨と外食をした回数はそう多くない。

 魚介類を好む彼女に、ソムリエのいる寿司バーやら、はまぐりの専門店やら、水上庭園つきの海鮮料理店やら、俺なら絶対に選ばないような店に何度か連れていかれた程度だ。

 ファミレスははじめてだった。店内で待ち合わせをすることも。


 窓から外された優梨の視線が俺をとらえる。

 あたりの雑音が音の意味を失う。

 頬づえを解いた彼女が見せたのは、くもりのないきれいな笑みだった。

 いつか見た夢のラストを思い出す。胃が妙にきりきりした。

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