第2話「ラスボスだったけど、ビビります」
平原を抜け、街道をしばらく歩くと──
灰色の石壁が夜の蒼に浮かび上がるようにそびえていた。
《チホート》
旅人と冒険者の往来が多い、小さいがそこそこ栄えた拠点都市だ。
高い壁に覆われた街の正門には二人の門番。
その前で旅人らしき男が、険しい顔で詰問されている。
「身分証を出せ。提示できない場合、夜間入城はできん」
「いや、だから失くしちまって……明日ギルドで再発行しようと──」
「規則だ。帰りな」
追い返される旅人。
門番たちは無愛想というより、“仕事として徹底している”という感じだ。
(正面から行ったら駄目だな)
身分証を持っていない俺が行けば、先の旅人と同様追い返されそうだ
ならば…。
(飛び越えるか)
夜風に紛れ、城壁の影へと歩を移す。
人気のない一角に足を置いた瞬間──
足元から体の中心へ静かに魔力を流した。
《身体強化》
《隠密》
筋肉がわずかに軋み、気配が薄くなる。
月の光を頼りに助走し、一気に跳躍する。
視界がぐんと開け、石壁の上が近づいてくる。
手をかけ、音を立てずに乗り越えると、向こう側は暗い裏通りだった。
(……よし、誰にも見られてないな)
影から影へ、足音なく着地する。
(マナバスでスローラへ向かうつもりだったが…
今後のためにも身分証は必要だな)
無事、街への潜入した俺は街の冒険者ギルドへ足を向けた
◇
「いらっしゃいませ。冒険者ギルドへようこそ」
ギルドの扉を押し開けると、受付嬢が柔らかい笑みを向けてくる。
内部は暖炉の火で明るく、外の冷たさが嘘のようだ。
「冒険者登録をお願いします」
「では、まずはこちらの水晶に手を。当ギルドのランクを測定いたします」
(目立つと面倒だ…スローラに着く前に何かあったら困るし…)
水晶に手を置くと、水晶が青く輝き、内部に金色の線が一瞬走るが
すぐに緑色の線に変色する
「フムフム 魔力量は平均よりやや高いですね。
身体能力の値も、戦士系の初級者としては悪くありません。
総合判定──Cランク相当です」
よし。
“それなりに強い一般冒険者”として最も怪しまれないライン。
うまく抑えられたみたいだ
受付嬢はテキパキと書類を整え──
ふと首を傾げた。
「ところで……お名前は?」
あ。
どうしよ。
名前なんて適当に浮かぶだろうと思っていたが、
いざ“初めて名乗る”となると喉が詰まる。
(アワワなまえなまえねーむしめいめいしょううう ぜんぜんでてこないっ!!……)
「あ、ア……アスノ・ぱウわぁッーで!」
舌が思いっきりもつれた。
受付嬢が一瞬瞬きをしてから、仕事の顔に戻る。
「アスノ・パウワー様ですね。登録いたします!」
「あっ、ちょっ…パウワーじゃなくてパワ──」
言い終わる前に、カンッ! とカードに刻印が押された。
「お待たせしました! アスノ・パウワー様のギルドカードです!」
机の上に、逃れようのない現実が置かれた。
「……ありがとうございます(終わった……)」
こうして──
世にも奇妙で珍妙なラスボスが誕生した
これが俺の新しい人生の名前となった。
(……まぁ、いっか。慣れればたぶんカッコよく聞こえるだろ……たぶん)
そう自分に言い聞かせながら
ギルド内で購入したエール(初めて飲んだ)を啜っていると
「いたたた、薬草摘みは腰にくるなぁー」
「食べても美味くないしな、次はもっと美味い草の仕事を受けるぞ」
「美味い草って何よ… アークはさぁ…食べることしか考えてないの?」
ドクン
軽やかな口論。だが、そこに混じる名を聞いた瞬間、胸の奥がひとつ脈を打つ。
(この声……)
女の声 ―耳に残っている。モニター越しの記憶が、
身体のどこかで鋭く振動する。
振り向くという動作の前に、時間が一瞬だけゆっくりと回る感覚があった。
そこにいたのはゲームで何百回も見た二人の姿だった
青い髪が長く太い三つ編みのツインテールに結われ、
にこやかに口角を上げて笑う少女。ミーナ
その隣には金髪翠眼の青年。-アーク 腰に手を当てた立ち姿、
何気ない仕草でさえ眩しく見える。
画面越しに何度も見て、何度も“背中を追った”主人公。
画面では何度も見慣れたはずなのに、実物はやはり違う。
見慣れたアクション、聞き慣れた調子、そして画面にはなかった“温度”
──それらが同じ空間にあることの不可思議さ。
想像していた輪郭よりも鮮やかで、匂い立つように“生”をまとっていた。
息をするたびに、そこにいるという確信が胸を打つ。
(……なんで……ここに……)
理解よりも先に、呆然とした感情だけが身体の中で膨らんでいく。
視界がほんのわずか揺れた。
手に持っていたエールのジョッキが、かすかに滑る。
「あ──」
バシャッ!!
重い水音が、ギルドの空気を裂いた。
木の床に散ったエールが光を反射し、波紋のように広がっていく。
その音に反応して、アークがこちらを見た。
金色の前髪の隙間からのぞく翠瞳が、真っ直ぐこちらを見据える。
その瞬間、時間が止まる。
アスノの胸に浮いた驚愕も、息を呑んだまま固まった表情も、
エールの滴る音さえも──
世界が音ごと凍りついたかのようだった。
(………ッ…)
生唾を飲み込む音が頭に響く
この日、主人公とラスボスの視線が初めて交差した




