番外編 高瀬 恒一
朝、会社に来た時点で、今日はもう余裕がなかった。
部長からのメールは短く、期限だけが赤字で書かれている。
部下のミスじゃない。
でも、責任は自分に来る。
ネクタイが曲がっているのに気づいたのは、
席に着いてからだった。
直す気にもならない。
三浦透が立っているのが視界に入った。
静かなやつだ。
声も小さい。
正直、何を考えているかわからない。
「これ、どうなってる」
声が強くなったのは、
怒りよりも焦りのせいだった。
透は言い訳をしなかった。
メモを取り、短く答えた。
その姿を見て、高瀬は内心で息をつく。
(逃げないだけ、ありがたい)
怒鳴れば簡単だ。
でも、怒鳴った後に残るのは、
仕事が遅くなる現実だけだ。
宮本のところに透が行くのを見た。
宮本は正論だけの男だ。
ああいうのは、感情を挟まれない分、楽だろう。
自分は違う。
感情が先に出る。
それを自覚しているから、
余計に抑えきれない日がある。
午後、真鍋部長の部屋から透が出てきた。
資料を二枚持っていた。
あいつ、ちゃんと考えてる。
高瀬は気づいた。
自分が部下に求めているのは、
完璧な答えじゃない。
「投げないこと」だ。
定時を少し過ぎた頃、
フロアには人が減っていた。
透はまだ席にいた。
声をかけようとして、やめた。
今日は、それ以上関わらない方がいい。
(静かにやれる日も、必要だ)
帰り道、高瀬は思う。
部下は、
弱く見えるわけじゃない。
ただ、自分よりずっと慎重なだけだ。
怒らせないようにしてるんじゃない。
仕事を壊さないようにしてる。
それに気づいた時、
胸の奥に、少しだけ苦いものが残った。
もし、
あの日もう一度やり直せるなら。
声を荒げる前に、
こう言えばよかった。
「今日は、時間ない。
結論だけ教えてくれ」
それだけで、
お互い、もう少し楽だったはずだ。




