川島 梓
川島梓は、人に頼られることが多い。
それはたぶん、断らなさそうな顔をしているからだ。
朝、席に着くとすぐに声がかかる。
「梓ちゃん、おはよー。昨日の資料さ、ちょっと見てもらっていい?」
振り向く前からわかる。
榊原先輩だ。
距離が近い。
声も、視線も、タイミングも。
「いいですよ」
言ってしまってから、
自分のスケジュールを思い出す。
(今日、詰まってたんだっけ)
榊原先輩は悪い人じゃない。
むしろ、親切だ。
椅子を引き寄せて、画面を覗き込んでくる。
「ここさ、前も似たのやったよね。
ほら、この言い回しの方がさ——」
梓は頷きながら、メモを取る。
(教えてくれてる。
でも、今じゃなくてもよかった)
その「今じゃない」が、
毎回うまく言えない。
昼前、今度は中西先輩からチャットが来た。
《この件、任せるね》
それだけ。
資料も説明もない。
質問を投げると、しばらく既読がつかない。
(放置されるのと、踏み込まれるの。
どっちが楽なんだろう)
梓は結局、自分で調べて進めた。
午後、廊下で三浦透とすれ違う。
軽く会釈。
彼はいつも静かで、必要以上に近づいてこない。
(あの距離感、ちょっと羨ましい)
でも同時に思う。
(冷たいって、思われないのかな)
夕方、榊原先輩がまた来た。
「ねえ、さっきのさ。
ちょっと言い過ぎたかな?」
梓は一瞬、言葉に詰まる。
本当は、
言い過ぎたわけじゃない。
近すぎただけだ。
「大丈夫です」
そう答えたあと、少しだけ付け足す。
「次から、先に声かけてもらえると助かります」
榊原先輩は目を丸くして、それから笑った。
「そっか。ごめんごめん」
その笑顔に、罪悪感が胸をかすめる。
(線を引くって、
誰かを傷つけることだと思ってた)
帰り支度をしながら、梓は思う。
世話を焼く人も、
放っておく人も、
どちらも自分なりにやっているだけだ。
自分ができるのは、
全部を受け取ることじゃなくて、
受け取れる範囲を伝えること。
近づかないことは、
冷たさじゃない。
自分が壊れない距離を、
ちゃんと選ぶことだ。
梓はバッグを肩にかけ、
静かになったフロアを後にした。




