親友を探す夢日記弐
夢日記・弐 ―青の部屋にて―
5月20日
あれから三日が経った。
親友の行方は、まだ分からない。
あのノート――「夢日記」は机の上に置いてある。
何度も捨てようと思ったけれど、不思議と手が離れない。
ページを閉じていても、時々中から紙が擦れるような音が聞こえる。
夜、寝室の暗闇の中で、インクの匂いが微かに漂う。
まるで、夢が部屋の隅で呼吸しているようだ。
5月21日
夢を見た。
場所は、青い光に満ちた部屋。
壁も床も天井も、青い膜のようなもので覆われていた。
その中央に、あいつ――親友が立っていた。
声をかけようとした瞬間、彼は口を開いた。
「ここに来たのか」
その声は、懐かしいのに遠かった。
彼の目の中に、無数の文字が流れていた。
まるで、誰かがノートの上に書き続けているように。
手を伸ばしたけれど、触れた瞬間に青い波紋が広がって、彼は消えた。
目が覚めると、枕元のノートが開いていた。
ページの真ん中に、青いインクでこう書かれていた。
「ここは、夢の底じゃない」
5月23日
夢と現実の区別が、ますます曖昧になっている。
昼間でも、壁の影がゆらゆらと波打つことがある。
時計の針が一瞬止まって、すぐに逆回転する。
それが幻覚なのか、夢の影響なのか、もう判断がつかない。
ノートを読み返すと、知らない文章が増えていた。
「探すな。書け。」
まるで命令文のようだ。
だが僕は逆らうつもりはない。
なぜなら、書くことでしか“あいつ”に近づけない気がするから。
5月25日
夢。
また青い部屋。
壁に無数の扉がある。全部、同じ形。
親友の声が、どこか遠くから響く。
「開けるな。どれも俺じゃない」
しかし、声が止むたびに扉の一つが勝手に開く。
中には「僕自身」が立っていた。
眠そうな顔。手にノートを持っている。
そいつがゆっくりとこちらを見て笑った。
「お前も書く側になったんだな」
叫んだ瞬間、目が覚めた。
胸の上にノートが置かれていた。
ページが風もないのに勝手にめくれていく。
最後のページの隅に、小さな青い猫の足跡があった。
5月26日
外出しても、夢の残り香がついて回る。
街の看板の文字が時々入れ替わる。
「書籍」→「追跡」→「寝籍」。
誰かが僕を通して“夢を書き直している”のか?
夜、風呂場の鏡に曇りができた。
その曇りの中に、指で書かれた文字が浮かんでいた。
「青の部屋で待つ」
気づけば、手にノートを握りしめていた。
指先が冷たい。
青いインクの匂いが指紋の奥まで染みついている。
5月28日
夢。
今度は扉の奥に入った。
廊下が永遠に続いているようだった。
壁には、僕と親友が昔撮った写真が飾られている。
しかし、どの写真の中でも、親友の顔だけが黒く塗りつぶされていた。
途中で足元にノートが落ちているのを見つけた。
開くと、誰かの筆跡でびっしりと文字が並んでいた。
「君が書く夢は、もう現実に届いている」
「彼を探すたび、君は遠ざかる」
「どちらが夢かを決めるのは、筆を持つ者だ」
ペンを持つ手が震えた。
ページが滲み、青が深く沈むように広がる。
その中から、親友の声がした。
「もう書かなくていい」
5月29日
目を覚ますと、部屋の空気が重く沈んでいた。
時計は止まり、外の鳥の声も聞こえない。
ノートの表紙が変わっている。
「夢日記」ではなく、こう書かれていた。
「親友を探す夢 ―完―」
完?
終わったのか?
そんなはずはない。
だって、まだ会っていない。
まだ、“声”を聞いていない。
ページをめくると、最後の行に小さく書かれていた。
「会いたいなら、青の部屋のドアを開けろ」
5月30日
決めた。
今夜、夢であの部屋に戻る。
もう逃げない。
たとえそれが帰れない道でも。
寝る前、ノートを開き、ペンを握る。
ページにこう書いた。
「青の部屋へ行く」
書き終えると同時に、視界が暗転した。
夢の記録
青の部屋。
扉は一つだけ残っていた。
床には親友の影が伸びている。
声が聞こえる。
「書いたね」
「やっと来たんだね」
振り返ると、親友が立っていた。
表情は穏やかで、どこか眠たげだった。
僕は駆け寄った。
だが、途中で足が動かなくなった。
床が柔らかく沈み、指先が文字になっていく。
親友が微笑む。
「俺はもう、外にはいない」
「ここでしか、生きられないんだ」
僕は叫んだ。
「じゃあ俺も、ここに残る!」
彼はゆっくりと首を振った。
「残るってことは、書かれるってことだよ」
その瞬間、親友の体が紙のように透け、風に溶けた。
足元にノートが落ちていた。
表紙には新しい文字が浮かび上がる。
『夢日記・弐 青の部屋にて』
著:彼
6月1日
目を覚ました。
机の上には、見慣れないノート。
表紙には僕の名前が書かれている。
開くと、最初のページにこう記されていた。
「彼を見つけた」
インクはまだ乾いていない。
指で触れると、かすかに温かい。
ページの隅で、猫の声がした。
「よかったね」
その声は確かに、あいつの声に似ていた。
6月3日
近ごろ、眠るたびに同じ夢を見る。
青の部屋の机の上で、誰かがペンを走らせている。
その筆跡は僕のものではない。
けれど、書かれているのは確かに僕の記録。
もしかすると、今この瞬間も――
誰かが“僕の日記”を読んでいるのかもしれない。
そう思うと、背中が少しだけ冷たくなる。
でも、不思議と怖くはない。
だって、その“誰か”が親友であるなら、
僕はまだ、夢の中で生きているということだから。
6月5日
今日もページを開く。
青い光がふっと漏れる。
そこには、見覚えのある二つの影。
ひとつはあいつ。
もうひとつは、ペンを握る僕。
猫の声が囁く。
「これで終わりだと思う?」
僕は首を振った。
ページの下に、ゆっくりと書き加える。
――「夢は、終わらない」
青い光が揺れ、文字が滲む。
それはまるで、次の物語が生まれる合図のようだった。




