四精霊18
「やったか……?」
最早羽ばたくことも無く、ただそれまでの慣性だけで跳びながら雲の中に沈んでいく、ハーピーだった代物。
あれはもう浮かんでは来ないと、その一瞬見えたものだけでなんとなくわかった。
「ナイス、リン」
そう言った時初めて、俺は自分の手が聖剣の柄から離れなくなっていることに気が付いた。
「あれ……この……」
何とかして指を開こうとするが、ギチギチに柄を締め付けるだけの存在となった五本は、まるでそこだけ他人になったかのように一切俺の意思を受け付けない。
「大丈夫?」
その塊になってしまった手を、リンの細長い指が覆った。
「あっ……」
「ゆっくり力を抜いて。痛かったら言ってね」
ひんやりと心地いい彼女の手。
――いや、これはただ心地いいだけではない。
まるでその辺の石と同じような冷たさ。以前に触れあった時のそれと似ているが異なる、決して寒くないはずなのに、極寒の中に長時間放置された金属のような無機質な冷たさだ。
その指が、俺のそれを一本ずつ丁寧にほぐして柄から引きはがしていく。
「……すまない。ありがとう」
何となく、それについて口にするのは憚られるような気がして、ただ礼だけに留める。
「さて、あれが風の精霊の祠だね」
当の本人は一切そんなことは気にしていない様子で、ぽつんと佇むその祠の方へと足を進めていく。
「あ、待ってくれ」
その背中を慌てて追いかける。別に引き離されているような距離ではないし、彼女が特別急いでいる訳でもない。
ただ何となく、言い知れぬ不安のようなものが、発作的に胸の内に巻き起こっていた。
「やり方はさっきの火の精霊の時と一緒だ。そこの皿に剣を」
「あ、ああ」
言われるがまま、大きな磁器製の皿の上に剣を安置する――手に触れた黒く艶のある石は、リンの手と同じ感触と温度だった。
その手の指がしっかりと組まれ、その主がこれまた何もない祠の前に跪いて祈りの姿勢をとる。
「……風の精霊よ。疾き風よ。我ここに祈りを捧げん。偏に邪悪を払わんがため、ひと時その力この剣に貸し与えん」
詠唱を終えるのと同時に何もない祠から吹き抜けた風が、リンの白銀の長髪を波打たせる。
ただのそよ風――その時はそう思えたそれはしかし、祠の中に現れたグリフォンが、その頭と同じ鷹の翼を羽ばたかせて、獅子の体をリンへと飛びかからせたのと同時に突風と呼ぶに相応しいものとなって俺たちに叩きつけられた。
「ッ!!?」
思わず目を閉じ、腕で覆う。質量を感じるほどの強風が駆け抜け、その中で辛うじて開いた目には、リンの体へと飛び込んでその中に消えていくグリフォンの姿があった。
「……これでよし」
そう言って立ち上がったリン。
思わず腰を落として両足を踏ん張ることで何とか耐えていた俺に比べ、彼女は力を入れていた形跡がまるでない。
これが加護の力なのか――そんな感想は、振り向いた彼女の顔で吹き飛んだ。
「リン……?その目、どうした?」
「えっ?」
振り向いたリンの目は、俺の知るそれではなくなっていた。
長く整ったまつげの、涼やかで切れ長な彼女の目。色白の肌によく映えるダークグレーの瞳は、祈りを挟んだ今はライトグリーンに変わっていた。
「私の目、どうかした?」
「いや、目の色が変わっている。自分ではどう見えているんだ?見え方が変わったりは?」
驚ている俺とは対照的に、当の本人は静かに首を横に振るだけ。
「ううん。目も他の所も、なんともない――」
そう言って、言い終わるか否かのところで、決してそんなことはないと証明するかのように、彼女の体はぐらりと揺れ、そのまま糸が切れた人形のように力なく倒れ込んだ。
「おい!?」
「ぁ……」
こちら側に向かって倒れてきたため、地面に叩きつけられるギリギリのところで抱きかかえることは出来た。
――腕の中は、氷像を抱いているような冷たさだった。
「ごめん、ちょっと立ち眩みを起こしただけ」
「大丈夫なのか?」
言うべきか、言わざるべきか。
一瞬の葛藤。
「うん、ごめん。ありがとう」
「本当に大丈夫か……?体、凄い冷たいぞ」
言わないでいて手遅れになるよりは、今はっきりさせておいた方がいい。
「そう……かな?」
だが当の本人は一切自覚症状なし。
自分の体を抱きかかえるようにしているが、そこに一切違和感は覚えていないようだ――冷たい手で冷たい体をさすっても分からない気はするが。
「とにかく、一旦戻ろう。あの司祭なら何か知っているかもしれない」
そう言いながら彼女を抱き起すと、俺たちは来た道を戻る方向に歩き出した。
果たして、戻ってきた俺たちを見た司祭は全て分かっていた。
「……聖剣の精霊よ」
「はい?」
出迎えるや否やリンを呼び、それから水晶玉を二人の間に挟むように持ち上げる。
「……あの、何を?」
「大人しくしておれ」
それだけ言うと、司祭は何事かを口の中で詠唱し始める。
直感的にただならぬ事態だと悟り、俺もリンも従うしかなかった。
やがて詠唱を終えると、水晶から放たれた光がリンを包み込む。
薄く、ベールのような光。それが彼女をコーティングするように広がって、そして消える。
「これでよし」
「一体何を?」
訝しがるリンと俺に、司祭は役目を終えたのだろう水晶玉を置いてからしっかりと顔を見据えて口を開いた。
「四精霊の力は強い。その力をいくつも宿すとなれば、常人には耐えられるものではない。勿論、聖剣の精霊なら耐えることは出来る。出来るだろうが、それでも一切負担がかからないという訳でもない。その急激な負担の増大に体が追い付いておらなかった。とはいえ、今の処置でその辺りの調整も済んだ。残す精霊の領域はあと一つ。最後は土の精霊の領域。どうか無事に戻られよ」
どうやら、そういう訳だったようだ。
「よし、リヒト!次に行こう!」
「ッ!」
処置は済んだ。もう大丈夫だ。
だが、呼びかけと同時に俺の手を握ったリンの手は変わらずに冷たく、俺を見る瞳はどちらもライトグリーンのままだった。
(つづく)
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続きは明日に




