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異世界安全衛生マニュアル  作者: 九木圭人
選ばれし者
7/10

選ばれし者6

「くっ……」

 背中を冷たいものが流れていくのがわかる。

 トロールは恐ろしい。

 俺など話で聞いたことしかないが、それでも多くの先輩冒険者の話に登場する目の前のモンスターについて、楽観的な意見は一つとしてなかった。


 どうする?いや、どうするもこうするもない。

 こいつと戦っても勝てるビジョンが全く浮かんでこない。普通のモンスターとさえ戦ったことのない俺にトロールのような、熟練の冒険者でさえて手こずるような上級モンスターはあまりにも荷が重すぎる。


「!」

 その上級モンスターの目をじっと見る以外に何も出来ないでいる俺の肩に、ポンと柔らかい感触が触れる。

「抜いて」

「えっ」

「大丈夫だ。適合者にも剣と同じ加護が働く」

 完全な加護ではないが、トロール一体なら十分だ――そう言った彼女の声は、不思議なほどそれを信じてみる気持ちにさせるものだった。

 そうだ。やるしかないんだ。

 どの道逃げるには距離が近づき過ぎている。背中を見せて逃げ出したところで、顔の似ているゴリラの半分の知能もない凶暴なモンスターには先制攻撃のチャンスを与えるだけだ。


「よし……」

 そのことを認めるように牙をむいて威嚇するトロールに正対し、意を決して剣を抜く。

「ッ!」

 瞬間、錆だらけの剣が青白い光に包まれる。

 岩から抜いた瞬間に発したそれより遥かに小さな光だが、しかし剣の全体を覆ったそれは神々しく輝いていて、確かに大丈夫だと思わせるだけのエネルギーを感じた。

 そして、エネルギーを感じたのは剣だけではない。

 俺自身全身から力がみなぎるのを感じる。

 体が軽い。手に持つ剣も、金属のはずなのにまるで羽毛のように重さを感じない。

 眼が冴え、頭の中が晴れ渡る。

 今なら何でもできそうな気がする――これが加護の力か。


「よし……!」

 淡く発光する剣を構え、同時にトロールがこちらに突っ込んでくる。

 咆哮と共に爪を振り上げてこちらに突っ込んでくるその姿は、普段ならすくみ上ってしまうほどの恐ろしさだ。

「ッ!」

 だが、今は違う。

 その巨体に見合わない高速の突進と、そこから振り下ろされる斬撃と呼ぶべき爪の一撃ですら、今の俺には見切ることが出来る動きだ。


「ガアァッ!!」

 濁った叫び声をあげながら空振りした怒りを上乗せするように反対の腕が降りぬかれる。

 最初の一撃と同様にやや後退し、今度は少しだけ上体をのけ反らせることで紙一重に躱す。

 目の前を通過していく奴の爪。しかしその距離の近さに反して、精神的には余裕がしっかりとある。

 むしろ二度の空振りによって、目に見えて冷静さを欠いているのはトロールの方だ。

「ゴオッ!」

 再びの咆哮。同時に貫手のように突き出された右腕。

 それが伸びきる瞬間に合わせて、膝をつくほどに屈みこむ回避姿勢から奴の脇をすり抜けるようにしてすれ違う――同時にその脛を真一文字に切り付けて。


「オオオォッ!!!」

 奴が叫ぶ。

 聞いていた話:トロールの皮膚はゴムのようで、その下の分厚い脂肪と相まって傷をつけるのは難しい。

 だが今の一撃は、ほとんど抵抗もなく切り裂いていると確信できた。

 振り向きざまに剣に目をやる。淡い光に包まれた刃には血の跡はないが、しかしその向こうにいるトロールは明確に動きを鈍らせている。


「ゴガアアアアッ!!!!」

 そして、その動かない足を引きずるようにして更に突進。当たるを幸いとばかりに腕を振り回してこちらに迫ってくる――先ほどよりも遅いスピードで。

 大振りなフック気味の一撃を屈んで躱し、その揺り戻しのような反対からのアッパーを後退して躱す。

 僅かに開いた間合い。それを詰めるべく、まっすぐ突き出してくる爪――いわゆるゾーンに入ったとは、きっとこういう状況をさすのだろう。その突き出す瞬間が手に取るように分かった。

「ッ!!!」

 故にその瞬間の、人間でいう手首に当たる部分を、突きが伸びきった瞬間に合わせて下から斬り上げる。

「ギッ――」

 奴が怯む。

 流石に手首から先が宙を舞えばそうもなろう。

 始めて恐れを抱いたようにたたらを踏み、自ら後退しようとするトロール――だが、遅い。


「おおおお!!!」

 その後ずさりよりも前に一歩踏み込むと、斬り上げた剣を今度は袈裟懸けに振り下ろす。

「ギギャ!!!?」

 それが、トロールの断末魔であることは直感が教えていた。

 大きく切り裂かれた傷。崩れ落ちていく奴の体。その状態でなおも牙をむき続けるその頭めがけて、唐竹割りにとどめの一撃。

 兜のように固いと聞かされていたその頭蓋に、しかし淡く輝く聖剣の刃はまるで豆腐を切りつけたようにあっさりと沈み込んでいった。


 トロールが、声もあげずにその巨体を横たえる。

「やった……?」

 返事はない。それが何よりの証明。

「はぁ……っ、はぁ……っ!」

 脅威が去ったことを知り、肩で息をしながら剣を鞘に納める。加護があるとはいえ、体に負担が全くないという訳でもないのだろう。

 だが、得られた成果からすれば、この程度の疲労感など何もないに等しい。


 こちらに来て半年。

 始めて倒したモンスターがトロールというのは、恐らく武勇伝として語れる類の話だろう。


(つづく)

今日はここまで

続きは明日に

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