四精霊2!
「よし、開けるぞ……」
この雪山で手の中に伝わってくる熱が、その向こうの気温を如実に思い描かせる。
観音開きのノブをしっかりと握りしめると、それまでのかじかんでいた手がほぐされていくような感覚を覚え、これから向かう先にモンスターが潜んでいるかもしれないという状況にも関わらず扉の向こう側へ早く入りたいという思いにさせた。
「うおっ……」
果たして、想像通りの空気が二枚の扉の間から俺たちの顔に吹き付けた。
「あったかいね」
リンの声にも心なしかほっとしたようなものを感じる。
扉の向こうに続いているのは、誰が用意したのか分からない燭台が一定間隔に並ぶトンネル。
背後にそびえ立つ石壁と岩をくり抜いたようなそれが奥へと伸びていて、その奥の下り階段から立ち上ってくるのだろう熱風が、寒さに凍えていた俺たちを迎え入れた。
「よし、進もう」
「うん。気を付けて」
その歓迎してくれているような温かさの中、剣を抜いてトンネルを奥へ。思った通り、温かい風が頬を撫で、寒かった外へと吹き抜けていく。扉が温かかったのも納得だ。
「流石は火の精霊の領域……」
煌々と照る燭台と、奥から吹き抜ける温風。一歩外に出れば極寒の雪山だとは到底思えないその快適なトンネルは、しかしその一番奥、深く深く降りていく階段を進んでいく途中で、徐々にただ快適なおもてなしという訳ではないと、俺たちはようやく悟り始めた。
「……暑いな」
どこまでも下っていくような気がする長い階段。途中で折り返し、そしてまた折り返し、つづら折りのようなそこを歩き続け、一番下に到達する頃には周囲の気温も相まって俺もリンも薄っすらと汗ばんでいた。
――そして階段を進む間ずっと吹き上がってきていた温風がどうやって生まれているのか、俺たちは、その風に硫黄の臭いが混じり始めた頃に知ることになった。
「これ、温泉……?」
「みたい……だな……」
それが地底湖と呼ばれるものなのだろうか。階段を下りて行った先に広がっていた、広大な湖。ボコボコと沸騰し、硫黄の臭いが辺りに充満している。
そうした湖の中にいくつもの小島が点在し、それらをごつごつした石の道が繋いでいる。
他に道のようなものはなく、加えて湖の対岸には先に続く道が見えているとなれば、ここを進んでいくしかない。
「行こう」
「うん……」
ボコボコと茹っている中に足を踏み入れる。もし眼鏡をしていれば、この一歩で何も見えなくなること請け合いの真っ白な湯気が辺りを包み込んで、小学生の頃避難訓練で煙を再現した中を歩かされた時の様に、自分の足元ぐらいしか見えない。
「見えにくいから、落ちないようにな」
半分以上は自分に言い聞かせるつもりですぐ後ろのリンに叫ぶ。目を凝らしても1m先さえ怪しい中で、見えるものと言えば歩いている道のすぐ横、その視界でも見える距離にある沸騰する湖だけ。
「了解。火傷じゃ済みそうにないね」
リンの声には、なんとか気張って発声したようなものを感じた。
――恐らく間違いではない。俺自身、全身に纏わりつくような湿気の中では声すら出すのに力がいると、今の一言で実感しているのだ。
「ふぅ……」
その高温多湿の極みの中、迷路のようになった道を歩いていく。
温泉と言ったが、実態としてはサウナと同じだ。どこまで進んでも全身に熱いものが纏わりついているような気がしてくるほどの暑さ。日本の八月が突然戻ってきたようなその中を、何度も行き止まりにぶち当たりながら進んでいく。
「……また外れだ」
「……また?」
「仕方ない。戻ろう。さっきの分岐を右だ」
「そっちはその前に行かなかった?」
「……ああ、そうだった。じゃあその前の分岐を反対に……」
頭が回っていないのが自分でも分かる。暑さが集中力を確実に奪っている。
全身が火照ったように暑く、先程から汗が滝のように流れ続けている。
「……ねぇリヒト、一度上に戻って涼もうよ。どこをどうやって通ったか目印を残しておけば、戻ってきても――」
「いや、それは駄目だ。それじゃ時間がかかりすぎる」
間違えたと分かる分岐に戻ったところでのリンの提案。だが、俺はそれを却下して進むべき道に向かう――心の中に生まれた彼女の提案に従いたいという誘惑を何とか振り切って。
「多分……こっちの道であっているはずだ……」
実際、水をかぶったような汗をぬぐって目を凝らすと、先程までより近くに対岸の道が見えている。間違いないはずだ。
「あと少し……あと少しでここを抜けられるはずだ……もうひと頑張りだ」
今回もまた、半分近く自分を鼓舞するように口に出す。
――そこに返事が返ってこないことに気づいて振り返る。
「リン?」
「え、あっ、ごめん。ぼうっとしていた……」
「気を付けてくれよ。落ちたらただじゃ済まない」
言いながらしかし、彼女が無事なことに安堵する。この暑さはそれを心配しなければならない程だ――だからこそ、すぐにでも抜けなくては。
「……よし、対岸が見えてきたぞ。もう少しだ」
纏わりつくような不快感の中で力を入れて声を出し、ようやくたどり着いた蒸気迷路のゴール。ようやく転落を恐れなくていい広い地面にたどり着いた――そこで一瞬、俺は寝落ちしたような感覚に襲われた。
「リヒト?リヒトってば」
「……っあ!ああ、ごめん。なんだ?」
「大丈夫?ぼーっとしていたけど」
「あ、ああ……大丈夫」
多分、暑さで体力を消耗しているからだろう。そう結論付けて目の前の道を進んでいく――寝不足のように頭が痛い。
「……」
まあ、気にしている場合ではない。頭痛の多くは原因が分からないなんて話も聞いたことがあるし、実際にそういう目に遭ったこともよくある。その上そうしたケースは例外なく少し時間が経つと勝手に収まっていた。
道を進むと更に下へと続く坂になっていて、これまた何度も折り返した先、それまでの湯気の白とは対照的な、赤い世界が俺たちを待っていた。
「これは……」
「マグマ……だね」
目が痛くなる程に赤々としたそれが、川の様にどこかから流れては、別のどこかに流れていく、たどり着いたのは、その上にアーチの様にかかっている石の道。
下は大火事、上は大洪水などというなぞなぞのような組み合わせに思わずため息が漏れる――加えて、なにかムカつきのようなものも覚える。
「ぅ……」
「リヒト?どうしたの?」
まずい――本能が体に異常をきたしていることを察し、理性がそれを押しとどめる。
俺は大丈夫だ。ただちょっと疲れているだけだ。
だから大丈夫だ。思っているような理由じゃない。
頭の中に浮かぶ一つの可能性。この環境が生み出したその仮説を頭の中から無理矢理捨てる。その場合、俺の知る限り大ごとだから。つまり、手遅れだから。
「ねえ、大丈夫?」
大丈夫だ。そうだ大丈夫に決まっている。
だってほら、さっきまで滝の様に流れていた汗だってぴたりと止まっている。
「ふぁあ、あいしょうぶ……だいしょーふあから……」
「えっ?」
ああ、大丈夫。大丈夫だから――そう言ったはずなのだが、どうにもろれつが回らない。
「――に?本と――丈夫?」
リンが何か言っている。この距離なのによく聞こえない。
返事は……やめよう。声を出すと疲れる。
「ちょっと――ヒト、聞こえている?本当に――」
とにかく先に進もう――そう思って踏み出した足に感覚がない。
「!?」
気づいた時、俺の体はぐるりと転がっていた。
それで地面に転がった――のだと思う。よく分からない。
「ぁ……」
急速に遠のく意識の中でわかったのは、唐突に体の下にあるはずの石の感触がなくなったこと。
そして、それまでいたはずの石の橋の全体が見えて、それが急速に遠ざかっていくことだった。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に




