沈黙する森2
崩れかけた霊廟を越えて新たな道に足を踏み入れる。
先程までと同様にまっすぐ奥へと続いていくその道は、しかしそれまでとは草木の成長度合いが明確に異なっている。
深い緑色に生い茂った木々のトンネルをくぐり、足元を黄緑色の絨毯のように覆っている草地の道を進んでいくと、気温が少し下がったかのような感覚さえ覚える。
暑い季節でも、この辺りは涼しくて居心地のよさそうな清浄な空気が満ちていた。
「なっ……」
「これは……」
だから、その道を越えた向こうに現れたものが、荒れ果てた村の残骸であった時、俺もリンも、そのあまりに場違いな荒れ果てた姿に思わず言葉を失って立ち尽くしていた。
森の中に現れた、奥へと細長く伸びた開けた場所。周囲を一段高い木々や、その根がしっかりと張り巡らされた地層に囲まれ、数軒の家屋――だったのだろうボロボロの残骸だけが辛うじて崩れ落ちずに残っている、小さな集落のなれの果て。
「これは……エルフの里に一体何が……」
恐らくそうなる前は、この静かな森の中にひっそりと佇んでいて、そこに同じく静かに暮らすエルフたちがいたのだろうというのは、なんとか吐き出したという様子のリンのその言葉から察することが出来た。
そしてその問いかけの答えはすぐに頭の中に浮かぶ――俺にも、リンにも。
「……急ごう!」
「ああ!」
廃墟と化したそこを抜け、奥へと続く道を更に進む。
少し進んでは同じような廃墟に当たり、またそこを抜けては再度同じような廃墟が現れる。
数軒単位で集住していたのだろうエルフたちの里。しかし今では見る影もなく、生物のいる気配すらない。
やがていくつ目か分からない集落を抜けた先に、ちょっとした丘が現れると、俺たちはその頂上にそびえ立つ古木に向かって駆け上がっていく――そこに一つの人影を見つけて。
「「ッ!!」」
「ほう……やはり来たか」
そして登り切ったところで足を止める――そこにいた人物と、それの放つ禍々しい気配を感じて。
ボロボロのローブからのぞく、爬虫類のそれを彷彿とさせる二つの目。
そして何よりその下で笑みを作る――というより、口の形に顔を引き裂いて笑みに見せているような不気味なそれが、直感的にこの人物の危険性を俺に訴えていた。
「やはりロマリーで始末しておくべきだったかな……?」
その引き裂いた口から聞こえるはずの言葉には不思議なエコーがかかっていて、それもまた、この人物の異常さに拍車をかけている。
「お前は……」
ロマリーの遺跡で出会ったローブの魔術師。いや、最早魔術師であることを捨てた魔物。
「貴方がヴェトル……ッ!」
リンの言葉に、ローブの下の顔が残虐にほほ笑む。
「いかにも。私がヴェトル……愚かにも君が立ち向かおうとしているフィンブルスファートを蘇らせる男だ」
やはりだ。
確信に至った瞬間、それを待っていたかのように奴の双眸が俺を見据える。
「ッ!?」
そしてその瞬間、俺は人生で初めて金縛りというものを体験した。
体の内側を鷲掴みにされたように、全身が竦んで動かない。
「なあ少年。どうだろう?」
そしてそんな事などまるで知らないといった口調で、彼は俺に持ちかけた。
「もし君が聖剣を捨てるというのなら、逃がしてやってもいい」
「!?」
「今君は感じているはずだ。私と……私を待っているフィンブルスファーンの力を。そしてそれが君たちとは比べ物にならない程のものだと」
その言葉をどれほど否定しようと考えても、動かしがたい事実としか、俺の脳は受け取れなかった。
多分これが動物的な本能というものなのだろう。目の前の男は――いや、男の姿をした怪物はこれまでのどんなモンスターよりもはるかに恐ろしい存在であると、全身の細胞が警報を鳴らし続けている。
「君が聖剣を捨てるというのであれば、いますぐ君を元の村に帰してやることだって出来る。一瞬で、簡単に」
まるで通販番組の司会――勿論、そんな代物ではないことなど分かっている。
「君とて分かっているはずだ。君たちでは私に――」
「黙れ!」
リンが口を挟み、そして体もまた俺と奴との間に割って入った。
しかし当のヴェトルは、それにも一切態度を荒立てることはなかった。
「……やはり、お前もそうか」
代わりに見せたのは、分かりやすい程の哀れみの表情。
「所詮エルフの作り出した精霊だ。聖剣の精霊といえどエルフの長老連中と同じ、何も分からず、現実を受け入れられない愚かな小娘。……お前とて本当は分かっているのだろう?彼我の悲しい程の力の差が」
それが図星であるという事は、彼女の背中しか見えない俺にも、小さくびくりと震えた肩で察することが出来た。
――それはつまり、俺たちはどちらも理解してしまったのだ。今の俺たちはヴェトルに勝てないという事実を。
「まあいい。少年、君に一つ、ヒントを上げよう」
「ヒント……?」
「そうとも。これを見れば、戦うか帰るか、どちらの選択が正しいか、すぐにわかるだろう?」
いうや、ローブの下から腕が水平に伸びた。
色黒とか黒い衣服とか、そういう次元を超えた、人の腕の形に削った精巧な石炭の彫刻のようなそれ。
その指先が光を発するや、奴とリンの間の空間が歪む。
「ッ!!」
そしてそれを認識した次の瞬間には、リンの体が浮き上がっていた。
「うあああっ!!!」
透明の腕――そうとしか表現のしようがない。
彼女の体はぴたりとその両腕が体に押し付けられ、その上から見えない何かが食い込んで、俺の位置からでもギチギチという締め上げる音が聞こえて来る。
巨大な腕が彼女の首から下全てを包み込んでいる――そして恐らく、その腕はその気になれば、人間の手が蚊やハエをそうするように簡単に、彼女を握りつぶしてしまうだろう。
「どうした?聖剣の精霊よ。少しは抗わねば死んでしまうぞ?」
「あっ……ぐっ……!!」
ヴェトルには当然分かっているだろう。リンが必死にもがいていることなど。
「……どれ、もう少し強くしてみようか」
「あぐっ!!あああぁぁぁっ!!!!」
「やめろ!」
俺の体が初めての金縛りから解けたのは、聖剣がその精霊の危機を救うために加護をもたらしたのか。
「ほう」
「おおおっ!!!」
俺は一気に奴へと駆ける。青白い光を纏った聖剣を振りかぶって。
きっと、これまでの人生で五本の指に入るほどの勢いで奴に突進し、棒立ち上体の奴に渾身の力を込めて聖剣を振り下ろす。
「!!?」
「なまくらが……」
そしてその一撃は、手が痺れるほどの強い衝撃と共に、奴の頭上数センチで、見えない何かにぶつかって停止した――それまで纏っていた青白い光が消し飛ばされるのと同時に。
(つづく)
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続きは明日に




