選ばれし者2!
「はぁ……」
あの事故と不思議な出会いから半年。
俺は人里離れた山の中を歩いていた。
周囲に人の気配はない。この半年のうだつの上がらない生活に思わず漏らしたため息も、そよ風にざわめく草木の音にかき消される。
こちらの世界=あの女性が言っていた通りに転生した、かつて遊んだロールプレイングゲームのような世界で、冒険者という何でも屋になって六か月。これと言って特技も能力もない俺に出来るのは、精々こうして朝から山に入っては、薬草を探すような仕事ばかり。これが最下級の冒険者の仕事だと言われればそうなのだろうが、だからと言ってはいそうですかと納得など出来はしない――その報酬だけではどうにか死なない程度の生活しか出来ないとなれば尚更だ。
「はぁ……」
改めてもう一度ため息が出る。
その薬草だって、最近ではこうして奥地に入っていかなければならない。
加えてこの辺りに厄介なモンスターとして知られるトロールの目撃情報があると聞かされているとなれば、当然ながら足取りも重い。
――引きこもりをしていたことの埋め合わせでもさせようという事だろうか。だとすれば、神だか悪魔だか分からないが恐らくその類なのだろうあの女も、随分ひどい真似をするものだ。
「……と、言っていても仕方ないか」
ため息を一度中断。
とにもかくにも、薬草を集めてこなければ今日一日の稼ぎが得られない。となれば、せっかく拾った命を今度は餓死で失うことになる。
幸い薬草は植物学など全く素人だった俺でも見分けがつく姿をしているし、必要な分だけ取って乱獲しなければまたすぐに生えてくる。
重い足取りを何とかこれまで入ったことのない山林の中へと向ける。必要な分だけさっさと採取してさっさと村まで帰ろう。
――そう考えて足を踏み入れたその初めての場所。誰もいないはずのそこで聞こえたのは、確かに聞き間違え出ない人の声だった。
「……なんだ?」
おーい、おーい。誰かが呼ぶような声。
落ち着いたトーンの女声。確かにそう聞こえる声が俺を呼んでいる。
――いや、俺を呼んでいるのか?
「……」
足を止め、動きも止め、耳を澄ませて神経を研ぎ澄ませる。
思い出すのは昔田舎のじいさんから聞かされた話=山で誰かに呼ばれても絶対に返事をしてはならない。
怪談の類だと思われたが、何でも熊の鳴き声が人の声のように聞こえるとのことで、人間なら必ず呼びかけ以外の何かがあるという事だった。
翻って、今聞こえてきた声。俺の名を呼んだ訳でもなく、ただおーいとだけ。
「……」
頭の中に最悪の想像が広がっていく。急速に、しかし高い解像度でもって。
脳みそをフル回転:クマと遭遇した場合の対処法などすぐに出てくるものではない。
「死んだふり……は駄目なんだっけ?」
実は効果がないという話はよく聞く――木に登ってやり過ごすのと併せて。
音を出すと逃げるという話はあるが、生憎鈴の類は持っていない。そもそも、音にも慣れてしまうという話も聞いたことがある。
「……」
かくなる上はすぐにこの場を離れるだけ――だが、背を向けて逃げていいのかさえもまた分からない。
目を離さずに後ずさりするべきor目を合わせずにすぐに距離を取るべき――どちらも聞いたことがあるが、どちらが熊の対処法なのかまでは覚えていない。間違いを引いたと分かった時には手遅れだし、そもそもその知識が正しいかどうかすらも分かっていない。
「……ッ」
どうする?どうしようもない?どうしてもっとちゃんと調べなかった。そんなものが必要になるなんて思わない。
頭の中で様々な声が言い合いを続け、その時間に比例してパニックも大きくなってくる。
おーい。おーい。
声は更に続く。
おーい、こっちに来てくれないか。
「……え?」
聞き間違いではない。それは確かに人の声。人間の言葉だ。
それを認識した時、俺の体はまるで安全が確保されたと言わんばかりに、その声の方へと足を進めていた。
他の誰かの気配のない森の中、木々に囲まれた小さな道を進む。
不意に道が開け、ちょっとした広場に出る。
そしてその広場から更に少し坂を下った先から、その呼びかけは聞こえてきている。
「こっちから……あ!」
声の聞こえた方向へ足を進め、その坂を下りる。
そこで見つけたのは岩場に囲まれた小さな泉――というか水たまりと、その中心に鎮座している、椅子のような大きな岩と、そこに刺さっているひと振りの剣。
直感:その剣が声の主。
何故だかは全く分からない。だが、確かに声は剣から聞こえてきた。
「……」
剣の前に立って辺りを見回す。やはりこれまで同様、人の気配はない。
剣の刺さった岩の周り、牙のように切り立った岩に囲まれた、水に濡れて苔むした岩場に足を踏み入れると、不思議とそこだけひんやりと冷たく、かつ澄んだ空気が漂っているような気がした。
「これ……抜けるのかな?」
その剣と岩の姿を見た時に反射的に頭に浮かんだ考え=モンスターがいて、魔法があって、冒険者のいる世界であれば、こういう剣だってある。
そっと、その柄に手をかける。いつからここにあるのか分からない、所々錆が浮かんでいる西洋風の諸刃の直剣。その柄はしかし、まるで新品のように一切の劣化が見られない。
「ッ!!?」
そっとその柄に手を置くと、まるで吸い付くように手に馴染んだ。
「……抜けるのか?」
なら、抜いてみるか――頭の中に浮かんだその考えは、ノータイムで体が実行に移した。
少しだけ力を籠める。だが抜けない。
もう少し力を籠める。少しだけ切っ先が動いたような気がする。
「よし……ッ!」
手ごたえはある。
腰を落とし、両足を肩幅より広くひろげて、両手でしっかりと柄を持つ。
猫を助けようとして交通事故に遭い、それによって転生してきたこちらの世界。モンスターがいて、魔法があって、冒険者がいる――そういう世界でなら、剣を抜くことにも何か意味があるはずだ。このうだつの上がらない、薬草を集めて糊口を凌ぐ生活を一変させるような何かが。
「ふんっ……!」
その願望混じりの決意で剣を持つ手に力を籠める。
腰を下ろして両足を踏ん張り、一気に剣を引き上げる。
「ッ!!」
その瞬間、それまでの頑固さが嘘のように、剣は抵抗もなく岩から引き抜かれた。
「うおっ!!?」
だがそれは当然、行き場を失った俺の力が、自らのバランスを崩すことを意味していた――そして濡れた足場でのそれは、容易に地面から両足を放させた。
「わっ――」
一瞬、そんな声が出る。
景色がぐるりと回り、この後起こる現象に備えて体が縮こまる。
「ッ!!!」
後頭部に衝撃が走り、鈍く、湿った音が自分の内側から響いた。
頭を打った――そのことを理解するよりも前に、真っ赤に染まった視界が一瞬のうちに闇に包まれて、俺は意識を手放した。
(つづく)