07. 私、暗示にかかったのお兄様?
※ 2025/10/29 修正済み
◇ ◇ ◇ ◇
宰相アンリには、別の顔があった。
錬金術師として王都の大学でも、たまに講師をしていたのだ。
その中でもアンリが有名になったのは『近未来に置ける催眠療法』と称して著書も出版していた。
内容は、悩める人を催眠状態にした後、本人の思考や感覚、無意識など合図や言葉で誘導して暗示をかける。
特にアンリは、心の病に陥っている人が自身で解決していく手助けとして「暗示」は有効活用できると医術関係者たちに推進していた。
アンリ自身の催眠療法は諸侯貴族の中でも好評だった。
彼が若くして宰相に抜擢されたのも、筆頭公爵家の嫡男という地位は勿論だが、王族含めた高位貴族たちのセラピストとしての役割も大きかった。
◇ ◇
アンリの執務室にある奥の小部屋。
セピア色のガス燈に煌々と照らされた、アンニュィな雰囲気のある部屋だ。
室内にはビロードの夜空を描いたタペストリーが壁に飾られており、その下に大きな水晶球が置かれて、七色の光が神秘的に煌めいていた。
なにやら嗅ぐわかしい白檀の香りが充満している。
ファデは香りを嗅ぎながら、心地よい長椅子に横たわっていた。
すぐ傍にはアンリが錬金術の講師の白い衣装を纏って座っている。
──お兄様、いつもと雰囲気が違う。
なんだか、教会の司祭様みたい。
「さあファデ、体を楽にしなさい。お香の匂いはどうだい?」
「ええお兄様、とても良い香りで落ち着くわ」
「良かった。では始めようか。まずは香りを愉しみながら目を閉じてごらん」
「はい、お兄様⋯⋯」
ファデは言われた通りに目を閉じた。
部屋中、とても良い香り、なおかつ座り心地のよい椅子なので、ファデの身体も心もリラックスしていた。
「いいかい、何も怖がることはない。目を閉じて私の質問に答えるだけでいいよ」
「はい……」
「答えは思った事を話せばいい。直感でもいいし上手く答えられなくてもいい。何より心で思った事を素直に話せばいい。わかったね?」
「はい」
「ではいくよ。まず君はどんな性格の殿方を好ましく思うかね? 顔じゃないぞ、性格だよ」
「え……あ、そうですね。優しくて誰に対しても思いやりのある方……」
「ふむ、他には⋯⋯何でも思いついたら言っていいよ」
「う、う〜ん……そうね、私にだけ特別に優しい方、それから私にだけ、とびきりの笑顔を見せる方!」
「うん、いいね。他には?」
「そうですわね⋯⋯ちょっと、ドジなところがあったほうがいいわ。だって完璧すぎるとこっちが萎縮しちゃうから」
「なるほど──まだ他にもあるかい?」
「そうね、いけないことはいけないと、誰にでもいえる方かな? 正義感が強くて……私のために怒って助けてくれる……あっ!」
ファデははっとして思わず閉じていた目を開けた!
突然、ファデの脳裏にはあの日の、自分を庇ってくれたユリウス王子の顔が浮かんだ!
──やだ、なぜユリウス殿下の厳ついお顔が?
だが、ファデが更に驚いたのは、浮かんだユリウスの顔は、普段、気にも留めてなかった厳つさではなかった。
「あ……何⋯⋯」
ファデはなぜかユリウスの顔を思い浮かべると、頬がぽっぽと火照ってくるのが分かった。
「…………」
アンリはファデの様子を見て、手ごたえを感じたのか満足げに口角を上げた。
「うん、わかった。もう目を開けていいよ」
ファデは兄の言葉で慌てて目を閉じてから、また目を開けた。
「ファデ、質問は以上だ。起きていいよ」
──え、もういいの?
ファデは随分早いなあ、と思いながら起き上がった。
アンリはファデに近づきに微笑を浮かべながら言った。
「さあ、ファデ、これで私がお前に伝えた『暗示』だが既にかかったよ」
「え?」
ファデは驚いた。
「お兄様、あの~こんな簡単なのですか?」
「ああそうだよ。確か来週、双子の王子の生誕祭があったね。ファデはユリウス王子と踊ると言っていたが……」
「ええそうです。ユリウス殿下の生誕祭がおこなわれる夕方の部から出席します。──殿下のパートナーとして、アル殿下が無理やり私に出席しろと命令したから。ご自分の夜部では、ハニー嬢をエスコートするそうよ⋯⋯」
ファデは急にしおれた花のように暗くなった。
だがアンリはそれを聞いて、更に銀縁眼鏡の瞳をキラリと光らせた。
「そうか、ならばちょうど良い。いい機会だから行っておいで。祝賀会には婚約者が決まっていない貴族令息も大勢来るだろう。この時期の学園で催すパーティーはそんなものだ──私はファデに『暗示』をかけた。きっと今までとは違う新しい視界が見えるはずだよ」
「新しい視界──?」
「ああ、さっきお前自身が言った好ましい性格の殿方なら、お前の眼にはとびきり美形に見えるはずだ。少なくともアル王子の顔は、暗示をかけられたお前の眼には醜く映るだろうな」
「まあ、アル殿下が醜いなんて……とても信じられない……」
「ふふ、嘘かどうかその眼で確かめてごらん!」
アンリはにこにこ顔で言った。
「そして、もし心の目で視た美青年がいたら、その時はファデ、絶対に彼を捕まえなさい! もうね、その男と分かったら淑女のマナーとか度外視するんだ。その美青年を絶対に他の令嬢に取られては駄目だよ。──心の眼でみる聡明な淑女はどこにでもいるからね、いいね!」
「は……はい、お兄様……」
ファデは狐につままれたような気がしたが、兄の云う言葉は常に正しい、と信じきっていたので素直に頷いた。




