05. 兄アンリの激怒
※ 2025/11/29 修正済み
◇ ◇ ◇ ◇
ファデは降参した──。
「……わかりました。アル殿下、私個人は側妃を御受けしてもかまいません。ですが直ぐに即答はできません。今夜、私から兄を説得します、返事は後ほど家令より伝えるという事でよろしいでしょうか?」
「ああ、ありがとう! やはり君は僕の婚約者だ!」
アル王子はファデをぎゅっと抱きしめた。
思わず抱きしめられたファデは目を丸くした。
──はあ! アル殿下が私を抱きしめるなんて⋯⋯何年ぶり?
ファデはぽおっとなって、一瞬夢見心地になった。
「ファデ嬢!!!」
ユリウス王子は呆気にとられた。
『ああ⋯⋯ファデの馬鹿!』
『屑王子のいいなり阿呆ファデ~!』
『お人好しすぎる……』
ファデの心声たちは悲しげに呟いた。
アル王子は勝ち誇ったように弟に言った。
「はは、決まったな。ユリウス、父上には僕から説明する。お前は絶対に口を噤んでろ、兄からの命令だ!」
「くっ⋯⋯」
「──それから来週、学園で行う僕らの生誕祭だが、僕は夜の部だけ出てハニーをエスコートする。昼の部はお前の生誕祭だからな。ファデをエスコートしろ!僕からお前にやるバースデープレゼントだ」
「──兄さん、まだそんな事言ってるの?」
「何だ? ファデが僕の側妃になる前に、お前が可哀そうだから、少しだけファデを貸してやるっていってるんだ、ありがたく思えよ!ははは」
ユリウス王子の赤く戸惑った顔に、ほくそ笑みながらアル王子は笑った。
「ファデ嬢をモノみたいに言うな!」
その後も王子たちの兄弟ケンカは続けられた。
気弱なファデには二人の争いにとても耐えられず、そそくさと逃げるように生徒会室を出ていった。
◇ ◇
「けしからん! 我が妹が正妃でなく側妃だと!?」
「アンリお兄様……」
「前からアホ王子と思っていたが、奴は脳みそがイカレ野郎だな! 王国きっての名家、メルローズ公爵家の娘を側妃など言語道断!世界の理が狂う、俺は絶対に許さんぞ!」
いつも冷静沈着のアンリが珍しい怒号が、部屋中に飛び交った。
アンリとファデにお茶を出していた若いメイドは、アンリの癇癪に恐れをなして部屋から出て行くほどだ。
ここはメルローズ公爵本邸の居間──。
天上には大きなシャンデリアが照らす、調度品は最高級のものばかりだが品位があり落ち着いた室内だ。
ファデの兄のアンリは、公爵家の当主であり、王国の宰相でもある。
銀髪長髪を後ろに束ねた精悍な顔。
すらっとした高身長。
ファデと同じすみれ色の瞳だが、ぶ厚い銀縁眼鏡をかけてるため傍からは眼が良く見えない。
眼鏡を取ればアル殿下に勝るとも劣らず、水もしたたる美男子なのだが宰相になってからは、常に眼鏡をかけていた。
二人の両親は既に他界している。
数年前、亡き父の後を長兄のアンリが爵位を継いだ。弟たちも今は所帯を持って分家している。
アンリには幼い息子が一人いるが、妻は残念ながら若くして病いで他界してしまう。
愛する妻を亡くしたアンリは、一時酷く心を病んだ時期もあったが、息子や妹のファデがいてくれたお陰で、心病から立ち直った。
現在は宰相となって政務に邁進していた。
ファデとは一回りも年齢差があるので、アンリはファデの兄というよりは父親に近い存在でもあった。
常に“冷静沈着で狡猾なアンリ公”と、王都の社交界では恐れられているが、ことファデに関しては“妹を溺愛する兄馬鹿”ともっぱらの評判である。
◇
「アンリお兄様……うっ、ごめんなさい。私だって本当は側妃など嫌ですう⋯⋯だけど、だけど側妃でもアル殿下のお傍にいたいの……だって小さい頃からアル殿下だけをお慕いしてきたのです──今さら殿下と離れるくらいなら、修道院にかけこみますう!」
ファデはひっくひっくと泣きながら、アンリに訴えた。
兄の前だとファデは途端に幼女になる。全てをさらけ出せるくらいアンリを信頼していた。
「修道院? あわわわ⋯⋯ファデ、それは駄目だよ、そんな事、言わないでおくれえええ!」
先ほどまでカンカンに怒っていたアンリも様変わりする!
実はファデには分かっていた。
お兄様は私が“修道院に行く”と泣きつけば、何でも言う事を聞いてくれると⋯⋯。
兄馬鹿のアンリは、アル王子に怒り狂った気持ちを一先ず抑えて、にこやかにファデにほほ笑んだ。
「なあファデ……大きな声を出してすまなかった。けっして私はお前に怒った訳ではない。どうか許しておくれ」
アンリは泣いている妹の身体を抱きしめて、幼子にするように妹の頭をスリスリと優しく撫でた。
更にファデをソファに座らせて、涙を指で拭って鼻もかませてあげる。
ようやくファデが泣き止むと、今度は彼女の好きな林檎ゼリーを、アンリ自らがスプーンでゼリーをすくって
「あ〜ん」とファデに食べさせてあげた。
赤子のように、いたれり付くせりのファデは素直に口を開けた。
こんな風に常に自分を甘やかしてくれる兄がファデは大好きだった。
◇
「それで〜ファデ、お前はアル王子の側妃になると、その場で承諾してしまったのかな〜?」
「いいえ……私個人は了承してもいいと言ったけど、宰相であるお兄様に相談するといって、その場では保留にしたの」
「ふむ、その点は顔面フェチでも公女としての冷静さはあるのだな、感心、感心!」
アンリはホッと安堵した。
「だがな〜前から思っていたが、お前はアル殿下の外見が好きなんだろう? アイツでないとどうしても嫌なのか?」
「──ええ、私、アル殿下のお顔が大好き! 王族特有の金髪碧眼で大聖堂の壁画の天使が、そのまま大人になったような美しさなんですもの! アル殿下を一日中、眺めてるだけで幸せなの。でも……」
「でも……なんだね?」
「正直にいうとあのハニー嬢が正妃で、私が側妃なんて嫌だわ。……おまけにハニー嬢と御子まで作ったなんて⋯⋯婚約者の私には、殿下はおでこに数回キスしただけよ。それも子供の頃だもの。ファデだって、ファデだって殿下の御子が欲しいわ!」
ギョッとするアンリ。
内心アンリの心はこうだ。
──お前は子供の作り方も、何も知らないネンネのくせに!兄をゾッとさせるんじゃないと、ファデに言いたかったのだが──。
とはいえ今度は妹が純粋な眼をして『ではお兄様、私に子供の作り方を是非教えてください!』と聞かれそうな気がして沈黙した。
アンリは冷や汗タラタラ眼鏡の奥でジト眼になる。
そんなアンリの心配をよそにファデは言った。
「お兄様、ファデはアル殿下を信じたいの! 私が子供の頃、初恋の嘶きを聞いた優しかったアル王子様がどうしても忘れられないのです!」
「ああ──ペガサスの嘶きか……ふう~っ、これは弱ったものだな」
アンリはペガサスの嘶きと聞いて、府に落ちたのか大きく溜息を吐いた。




