三話 ジオ・シルヴァ
「──んお、目を覚ましたかい。神様」
目覚め、ふと横を向くと、その声の主だと思われる椅子に座ったグラスを持った男の姿が見えた。
見た目で判断するに年齢は、三十歳後半くらい。目は空色をしており、髪は一点のくすみのない金髪。恐らく地毛だろう。整った顔立ちをしているが、目の下の隈と無精髭があるせいか、その顔立ちは二日酔いの中年のように見えてしまう。心なしか舌足らずのような発音をしているため、もしかすると相当な酒飲みなのかもしれない。
確か、塔の前で倒れた時もこの声を聞いた気がする。あの後この人は助けてくれたのか。
多分こう言う時、まずは礼をすべきだろう。命の恩人、は少しばかり大袈裟かもしれないが、俺はあのままじゃどうにかなってしまっただろう。
「・・・あ、助けてくださりありがとうございました。おかげでだいぶスッキリしました」
「おう、そうかいそりゃよかった。しかしあんたを見た時仰天したぜ。まさか神様があんなとこで倒れてるなんてよ」
「あはは・・・何だかパニックになってしまって・・・神様?」
そう、先ほどから気になっていた。なぜこの男は俺のことを神様と呼んでいるのだろうか。俺はただの人間だ。確かに、窓に映ってたのは俺ではなかったが、腕を見ても先程の鋼の鱗のようなものはなく、体も至って正常極まりない具合である。そんな俺を不審に思ったのか、男は怪訝な表情で突然声を張り上げてこう言った。
「おぉいまさかあんた覚えてねえのか?こりゃほんとに飲みすぎかね・・・まあいいか。じゃあ俺があの時のことを事細かに説明してやる。まず、あんたがあそこに倒れていた時あんたは神像の姿になって倒れてた。んで、俺はそんな神像をどうすべきか悩んだんだ。そしたらよ、後ろから自警の連中がすんげえ形相で追ってきたんだよ。本気でかかってくる十人ちょっとの自警連中相手に、俺はなす術なく捕まりかけてたわけよ。そしたら倒れてたあんたがいきなり立ち上がってよ。
そんで歩き出した。ゆ〜っくりゆ〜っくりあいつらに迫ってった。そっからどうなったと思う?」
突然の問いかけに俺は一瞬戸惑う。
数秒悩んだ末に答えた。
「・・・話し合いで解決しようとした、とか?」
回らない脳で言った。
男は仕切りに笑いだし、その様子を俺は困惑しながら見る他なかった。
「ひ〜・・・まあ、それならすげえ平和なオチだな!しかし違うんだな〜」
俺は少し不満げに「じゃあ、何だったんですか?」と問うてみた。すると男は「実はな」と突然真剣な表情になって、持っていたグラスの飲料を口に含むと言った。
「・・・わからん」
「は?」
男は至って真剣な表情をしている。どうやら本当にわからないらしい。これでよく事細かに説明するって言ったもんだ、と俺は呆れながら男を睨む。するとそれに勘付いた男は俺の方を片目でチラリと見ながらグラスを口元に持っていく。口元にグラスを持ったまま、男は不満げに言った。
「当たり前だろう、見えなかったんだから。いつの間にか勝負はついてたんだよ。だから詳細な様子はわからん」
「けどな」
と男は続ける。
「あの時確かだったのは、一瞬で連中は泡を吹いて地面に倒れてたことくらいだ。あとは何もわからん。それに、その後神像の姿は消えてた。代わりにあんたがそこに倒れてたけどな」
この話の内容だと、俺があの時窓に反射して見えていた鎧みたいなのは、俺がこの世界に来て最初に見たあの像と同じもののようだ。そしてそれをこの人は「しんぞう」と呼んでいる。これが仮に神の像、神像なのだとしたら俺は気を失っている間、実質的に神になっていたことになる。だとしたらこの人の言う俺が一瞬のうちに、「自警連中」というのを倒したというのも、一時的に神になっていたからできたことなのだろうか。
「ちなみに、そのしんぞうっていうのは、神様のことですか?」
俺がそう問うと男は唖然とした表情になって「お前、まさか知らねえのか?」と言う。一体何のことなのか俺にはさっぱりなため、俺は無意識的に「はい」と訝しげに言った。
「・・・ああ〜なるほどそういうことか・・・
まあいいや、そう、あれは神だ。人間たちの中で広く信仰されている『絶対神 サイバレガンド』の像だ。あれはどうやら俺がこの国にいる前からあったものらしいんだがあの神について俺は何も知らないに等しい。ただ、信仰が広まった頃、人間は大きな転機を迎えたらしいということだけは知ってる。人間の歴史の始まりってのは、なかなかに単純だな」
「あ、あの!」
「ん?どうした?」
「その、さっぱりなんですが・・・もう一度要点を教えてもらえますか?」
俺は頭を掻いて苦笑いを浮かべながら言う。男は「すまんすまん」と言ってグラスをひと啜り。どうやら飲みきったようだ。グラスを机に置いて、酒瓶を手に取り、次の一杯を注ぎ始める。注ぎながら、男は何となしに言った。
「あんたは神になった、ってより一時的に神になる能力を手に入れた、それだけ知っときゃいい。後は流れで知ることになるさ」
ちょうど二杯目を注ぎ終わった頃、男は「さ、次は俺からの質問だ」と言ってまた俺に向き直り、今度は見たこともないほど凛とした頭脳明晰な雰囲気を纏わせているかのような表情で俺を見る。
「あんたは神になれたわけだが、どういうわけか俺たちの事情を全くと言っていいほど知らない。誰もが知って信仰するサイバー信教のことも、それがきっかけで起きたサイバースの誕生も、現在進行形で起こっている龍族との戦争のことも。
あんたは突然現れた。神の姿でな。けど俺があんたを運んでいる最中、色んなことに気づいた。
あんたが着ていた服に道具に情報に・・・ありとあらゆるものはこの世界にはないものだ。少なくとも、俺が見たことのあるものは一つもなかった。
これらのことから二つの可能性が浮かび上がるわけだ。
一つは、あんたが『辺境からの旅人でそこでは独特な発展を遂げた未開の民族の住む場所だった可能性』。これはまずないだろうな。この国はほぼ他国との貿易はしない。有数の好戦民族の住まう国だからだ。
この国に人間以外の種族は住まうどころか入国もできない。すると、もう一つの可能性がかなり濃厚になってくる。
それは────あんたが『そもそもこの世界の出身ではない可能性』、だ」
びくり、と心臓が鳴る。しかし同時に別の違和感を覚えた。
先ほどまで酒を飲みながら愉快に、そして緩やかに語っていたこの男が、今はこんな真剣な表情をして名推理とも言える的を獲すぎた言動を淡々と語っている。
次々と釘打たれる証拠と真実に心底驚愕した。この男は一体何者なのだろうか。
この男の計り知れなさが何だか怖い。
何もかもを一つ一つの欠片をパズルのように組み合わせて俺の正体を全て当ててしまう、この男の不気味さが、今となっては青ざめるくらい、怖い。
「さあ、答えろ
────お前、異世界から来たんだろ?」
一瞬の静寂の末、俺は静かに頷く。すると男は集中から解けたように「はぁあ」と吐息を漏らし、一度背伸びをする。
「やっぱりな。服が変だったからまさかとは思ったが、本当にいるんだな、そんなやつ。都市伝説的な感じで聞いてたけど、まさか本当に会えるとは・・・酔いも覚めちまった。何だかどっと疲れたような気がするぜぇ・・・」
「・・・あなた、何者ですか?」
訝しげに俺は男に問う。男は一瞬悩んだが、何やら「神様の前じゃ隠し事したらバチ当たる」と呟いて、酒の入ったグラスを一気に飲み干すと、彼は言う。
「しがない冒険者さ。って言っても、俺は普通の冒険者なんかじゃないんだけどな」
「・・・というのは?」
問うと男は「まぁ、神様に隠し事は罰当たりか・・・」と言い、何やら長い金髪をあげて自分の耳を見るよう身振りする。
見ると、彼の耳はなぜだか尖っていて、長く、俺がよく知る耳の形はしていなかった。まるで、人間のものとは違うような形である。
「俺は長耳族、通称で言うところのエルフだな。
名前はジオ・シルヴァ。魔法力学、魔法薬学、召喚法学を修めている。一応、魔法は得意な種族だ」