56話 休暇の始まり
宇宙ステーション『ワゴヤマ』。その一般客員搭乗ゲート前。
ドーソンは公衆電話で、育った孤児院へと通信を繋げていた。
「ああ、仕事は順調だって。体も病気一つしてないし、心配いらないよ院長先生。それより、お金の方は大丈夫か? 少しは増やせるぞ。必要ない? 十分に子供たちは食べられている? それならよかった」
ドーソンが喋っている間にも、公衆電話に表示されている支払金額が、ぐんぐんと上がっていく。
ドーソンが育った孤児院は、アマト皇和国の本星ではなく、少し遠くの別の星系にある。
そのため恒星間通信が必要となり、携帯可能な星間電話では繋げられず、公衆電話などの固定式電話で多くの通信料を払う必要があった。
ドーソンも別星系の相手に通信を送る際は、基本的には料金が安く済む電子メールを活用する。
しかし院長の様子から孤児院の現状を探るには、文面で完結してしまうメールよりも、言葉の揺らぎから嘘を判別しやすい会話が適している。
少なくとも、ドーソンはそう判断して、用事が出来る度に恒星間通信で喋るようにしていた。
「心配しなくても、軍人は俺の性質に合っているよ。イヤイヤでやってるんじゃない。むしろ、やり甲斐を感じている。そうじゃなきゃ、士官学校まで進んだりするもんか。気に病むことじゃないから。うんうん。わかった。それじゃあ、また用事ができたら」
ドーソンは公衆電話の受話器を戻すと、支払料金が確定した。その金額を見て、ドーソンは目を眇める。
いつもながら支払金額が高い事に、内心で不満を募らせてているのだ。
「軍用回線なら料金は軍が持ってくれるけれど、私用電話は禁止だからな……」
ケチ臭いという思いと共に、私用を認めたら通信費が馬鹿にならなくなるという考えも起こる。
ドーソンは行き場がない気持ちを頭を掻くことで誤魔化し、周囲に目を向ける。
宇宙ステーション『ワゴヤマ』の中は、とても綺麗に整えられていた。
白を基調とした広い空間。天井と床を繋ぐ柱には、造花の観葉植物が吊り下げられている。利用客が休憩に座る椅子は、全て張りのある座面になっている。空間投影型のモニターには無音の宣伝広告が流れ、実写のものに紛れてアニメ調のものも現れる。
自動販売機には十数種類のドリンクが売られているが、半分ほどはお茶やコーヒーなどの自然物から水で抽出された飲料である。
人工知能搭載の掃除ロボットがゆっくりと走り、床面だけでなく壁面へ天井までを綺麗に磨いている。
その光景に、ドーソンは思わず頷く。
「やっぱりSUやTRの人工衛星の様子は、汚すぎるよな」
あちら側の人工衛星の光景は、とても綺麗とは言えないものだったと、ドーソンは回想する。
掃除人はいるがやる気はないため、汚れがおざなりに拭かれただけの、日常汚れでくすんだ床と壁。客が座れる椅子はない。ネズミが床を虫が天井を歩き回る。自動販売機のドリンクは数種類しかなく、その全てが蛍光色の怪しげなジュース。空間投影モニターには、ドぎついフォントの文字だけ広告。
思い返せば返すだけ、不潔さが思い出される。
「ああした光景も、事前に話す必要があるよな」
話す相手とは、ドーソンに与えられるという新造のチビ戦艦、それに同乗する軍人だ。
軍人の中にも潔癖な者はいるので、SUやTRの生活環境が耐えられない人物なら、入れ替えを打診しないといけない。
軍艦は閉じられた環境だ。乗員が一人でも発狂すると、艦内の治安が急激に危なくなる。
その危険を拝する意味でも、適応できない者は排除しておくことが望ましい。
ここでドーソンは、どんな人物がやってくるかを知らないことに気付き、4番ドックに戻ってヒメナに尋ねることにした。
「建造中の戦艦に載せる人員の候補があるかですか? ありますけど、あまり役に立ちませんよ?」
「どうしてだ?」
「当初、後方作戦室から人員を全て補充する気でいたんです。しかし横槍が入りまして。拠点が衛星を改造した要塞なら、その要塞に赴任するに相応しい階級の者も乗せるべきだと、上の上から言われたそうでして」
「その言ってきた方面から、人員が送り込まれると?」
「後方作戦室からの人員は、ドーソン特務中尉を含めて3人。外からの人員が3人。そうなる予定だと聞いてます」
「命令系統が違う人員が来るのは、軍事上は望ましくないんだが」
「仕方ありません。要塞の責任者に高階級の軍人が必要なのは、真っ当な主張です」
「……まあ、俺を含めて後方作戦室の人員が3人。設計上の最低運用人数には達しているんだ。あちら側へ行く分には問題は出ないだろ」
「まるで、あっちへ行ってから問題が起こると予言しているように聞こえますけど?」
「大人しくしてくれていれば、問題は起こらないな。してくれない場合は、知ったことではないというだけのことだ」
ヒメナは発言の意図を理解できない顔だ。
「それって、怖い話ですか?」
「その類だ。アマト皇和国の常識とSUやTRの常識は違う。そしてアマト皇和国の名前は、SUやTRでは通じない。その差を理解出来てない人物だと、さてどうなるだろう」
「……嫌な予感がするので、答えは聞きませんし、想像することも止めておきます」
「嫌な予感がしているのなら、まともな人物を寄こすように伝えてくれよ」
「後方作戦室の人員については考慮できますけど、他の部署の人員については人事権がないので難しいです」
「なら最悪、あちら側で死んだとしても文句を言わないでくれと、念書を書かせろ。あっちは敵地だ。生きて戻れる保証なんて、どこにもないんだしな」
「そのぐらいなら、できるでしょうけど」
ヒメナは「いいのかな」と疑問顔のまま、ドーソンに言われた内容を後方作戦室の上司へ通達しておいた。
「人員については、これでひと段落としてだ。作っている戦艦はどのぐらい完成する?」
ドーソンの問いかけに、ヒメナは空間投影型のモニターを呼び出し、進捗状況を表示させた。
「まだ作業を始めて間もないですから、大まかな予想になりますが、およそ1ヶ月ですね。もしかしたら延びるかもですけど」
「意外とかかるんだな」
「これでも、かなり急がせているんですよ。普通の戦艦を作ると1年かかることだって、ざらにあるんですから」
「≪大顎≫号はすぐにできたような気がしたが?」
「小型船でしたし、多くの主要部品が流用品だったから早かったんです。でも今回は新造艦で、全てのものを一から作り上げているんです。そりゃ時間だってかかるってもんですよ」
「それもそうか。しかし1ヶ月か……」
チビ戦艦が出来上がるのをただ待っているのは、ドーソンにとって暇でしかない。
「艦が作り終わるまでの、俺の任務はあるか?」
「完全にフリーの休暇です」
「休暇ねえ。頼まれ物の買い物はしようと思っていたが、それだって数日で終わるだろうしなぁ……」
「長期休暇なんですし、帰郷されては?」
「さっき電話したばかりだ。それに軍人が長期休暇で帰ってくるってのは、変な誤解をされそうでな」
「あー。基本的に軍人の長期休暇って、病気や怪我になった際に与えられるものですしね。あとは、遠回しに辞めろと言われているときも」
「邪推されて必要のない心配をさせたくはないから、帰郷はなしだ」
しかしそうなると、ドーソンはまるまる1ヶ月の予定を作り出さないといけない。
「幼年学校から士官学校まで訓練漬けで、短い休暇は休息で終わっていたからな。何をしていいのやら」
「特務中尉は趣味はないのですか?」
「趣味か。特にはないな」
「なら、この1ヶ月を趣味を探すことに費やしてみてはどうです? 暇つぶしにはなるのでは?」
「なるほど、趣味探しか。それもいいな」
ドーソンが乗り気になったところで、なぜかヒメナから待ったがかかった。
「ああでも、もう数日は『ワゴヤマ』の宿泊施設で待機しててください。ちょっとしたプレゼントがありますので」
「数日って、日数は確定していないのか?」
「そこは、ちょこっと理由がありまして。まあ、悪いことじゃないので、楽しみに待っててくださいよ。それに宿泊施設に居ながらでも、趣味を探すことはできますし」
「それはそうだろうが」
ドーソンはよく意味が分からないと言った表情ながらも、ヒメナのいう事に従って宿泊施設を取ることにした。
そして軍人割引で格安でホテル暮らしをして数日。
来客予定のないドーソンの宿泊部屋の扉がノックされた。
ヒメナがプレゼントを持ってきたのかと思いつつも、万が一の用心に光線銃を手にしながら扉に近づく。
魚眼レンズから外を見ると、姫カットな黒髪ロングの少女が立っていた。その表情は何故か自信ありげなもので、そして体にはフリルのある白いワンピースを着ていた。
ドーソンは見慣れぬ少女に首を傾げながら扉を開ける。
「申し訳ないが、部屋を間違えてないか?」
ドーソンの問いかけに、少女はニッコリと笑顔になる。
「間違っておりません。ドーソンに会いにきたのですから」
見知らぬ少女に名前を言われ、ドーソンの警戒度が一気に上がり――しかし、このキンキンのアニメ声に聞き覚えがあったので、警戒度が急降下する。
「その声。まさかお前、オイネか?」
「おや、一声でバレてしまいましたね。流石はドーソンです」
「流石とかではなくてだな――というか、その体はどうしたんだ?」
「ヒメナに頼んで、作ってもらいました」
エッヘンと張った胸は、微かにワンピースの胸元を内側から押し上げている。
そんな人間の少女と見間違うほどの出来の躯体を見て、ドーソンは頭痛がする気分になる。
「もしかして、エイダたちへの対抗心からか?」
「そういうわけじゃないですけど。やっぱり後輩に体があるのに、このオイネには無いなんて変ですからね。ねだって、一番良いものを作ってもらいました」
「一番良いって、どんなところがだ?」
「アマト皇和国の男性が理想とする女性像の一つを元にした見た目。しかしその内側は、戦闘用アンドロイドも真っ青な武闘派な機械の体。加えて頭脳がこのオイネとあっては、もう完璧な存在といって差し支えないのでは!」
「過言に過ぎることを言ってんな」
じっくりと見れば、瞳はレンズだし、口の中は飲食が出来ない作りで、少女に似つかわしくない揺らがない体を持っていると分かる。
しかし髪と肌の質感はリアルだし、人工知能が搭載されているからか生命感のようなものまで感じられる。
「なるほど、確かに出来は良いな。黙っていれば、深窓のお嬢様って感じだ」
「黙っていればって、喋ると気品がないとでもいいたいんですか!?」
「実際にその通りだろうが。オイネの何処に気品なんてものが――」
何時もの調子で掛け合いを行おうとして、ドーソンは途中で止めた。
冷静に傍から見た場合を考え、とても危ない状況だと理解したのだ。
「――とりあえず、入れ。いや、チェックアウトしよう。今日から趣味探しに行く気でいたから、オイネにはついて来てもらうからな」
「構いませんよ。オイネも、この体の習熟に動きたいと思っていたところですので」
ドーソンは荷物を纏めると、すぐに部屋を出て前を歩く。オイネは、少女然とした姿でちょこちょこと後についていく。
その軍人らしい剣呑さのある空気を持つ男と、清楚を絵にかいたような美少女の取り合わせは、見かけた者が二度見してしまうほど目立っていた。
見た者の中には、一瞬通報しようかという動きを見せる者もいたが、一顧だにしない男性の後ろを少女が嬉しそうに歩いているのを見て止めてしまう。明らかに少女が望んで男性についていっているのだと分かって。