閑話 皇族少尉の訓練日和
アカツキ・スメラギ少尉は、大戦艦≪奥穂高≫に配属されてから忙しい日々を送っていた。
教育係の中尉の下、まず大戦艦の各部署に挨拶回りさせられ、そして各部がどんな働き方をしているのかを知るために下働きでタライ回しにされていく。
一つの部署に慣れ始めたところで、次に部署へ。どうにか働き方を覚えたところで、さらに次。必死についていっていると、さらに次。
新発見と新知識を得ながら、その倍以上の怒声を浴びる毎日。
アカツキが皇族であろうと、アマト皇和国人なら尊敬して止まない今生皇の息子であっても、そんなことは関係ないとばかりのシゴキの日々。
精神と体力を削られ続ける毎日に、アカツキは夜に狭いベッドに倒れ込むようにして眠る。
そんな高ストレス下の環境でも、アカツキの顔は何時も晴れやかだった。
その表情に、教育係の中尉は疑問を抱き、「どうして、そんなに楽しそうなのか」と質問した。
「楽しいです。この艦に居る誰もが、僕のことを普通の新米少尉と扱いますから。それが嬉しいんです」
アカツキの真っ直ぐな気性からの言葉に、教育係の中尉は苦笑いしかできなかった。
そんなアカツキの真っ直ぐさは、自然と人に好印象を持たせるものでもある。
各部署にタライ回しにされ続ける度に、その部署の人員に好かれ始めた。
叱られたり怒られたりする声は、やがて細かく教える声へと変わった。
通路ですれ違う時に『邪魔だ』と睨まれることがなくなり、会釈や一言二言挨拶が交わされることが多くなる。
ぞんざいに規定量だけ盛られていた食事は、もっと食べろとばかりに大盛りになる――小食なアカツキには厳しい量で逆に苦しい思いをする。
そうして配属されて3ヶ月が経つ頃には、皆に親しまれる末っ子のような立ち位置に、アカツキはなっていた。
ここからようやく、アカツキは艦長候補生としての教育を受けることになった。
艦長候補生が覚えるべきことは山のようにある。
まずは軍艦乗りの長として必須な、複数艦隊での運動の仕方から単艦での操艦の技術まで網羅する必要がある。様々な戦況に合わせた膨大な戦術をテンプレートとして学び、それから細かな違いがある状況に適した判断を養っていく。
艦隊戦の際に、どの艦種だとどれぐらいの物資が消費されるのか、失われる物資を補給するにはどのような手続きが必要なのかも学ぶ。
艦内戦闘で負けないよう、個人の戦闘技術を育む必要もある。射撃訓練から組み打ち、無重力下での戦闘法まで、専門職にも負けない技量になるべく教育される。
ここまでは、士官学校で行われた教育を高強度にしたもので、馴染みのある軍人技術を向上させるための課程だ。
しかし艦長とは軍艦の顔となる人物でもある。艦の中や戦いの場だけが活躍場所ではない。
艦の代表として国の重鎮と会食することもあり得るため、テーブルマナーや会話術を学ぶ必要がある。
国民に見られた際に失望されないよう、身だしなみから立ち振る舞いまでを完璧にしなければならない。
しかし、礼儀を完璧にするあまり、四角四面でつまらない人物であってはならない。
必ずユーモアが身についていないといけない。
相手を不快にさせない軽い冗句や、自己の教養を嫌味なく伝える詩や詞の作り方。相手の胸襟を開かせる酒の付き合い方に、流行を取り入れる宴会芸のやり方。
そんな軍人としてというよりも、人間味を増すための学びも行っていく。
アカツキは、士官学校主席という個人能力の高さで軍人技術を、皇族として生まれ育った環境からの育ちの良さから人間味を増す教育を苦にしなかった。
そのため配属されて半年を越える頃になると、新米艦長としてなら何処に出しても恥ずかしくない、立派なアマト星海軍士官となっていた。
この頃になって、アカツキは大戦艦≪奥穂高≫のブリッジに上がることを、教育係の中尉の許可の下で許された。
大戦艦≪奥穂高≫の頭脳と言えるブリッジに入り、アカツキは目を輝かせる。
この場所にいる誰も彼もが、新米少尉には声をかけるだけでも恐れ多い者たちだ。
そんな立場の者なら、一般社会では偉ぶって当たり前なのだが、ブリッジに居る誰もが自分の役職を忠実に果たそうと動いている。
操舵手は常に舵輪を握り、進行方向と計器とを交互に睨んでいる。
航海士は天測図にある星の配置を読み解き、艦の位置が適正かを把握し続けている。
観測手はレーダー盤をみつめ、怪しげな光点が出ていないかに目を凝らす。
誰もがアマト皇和国軍人として立派に職務に励む中、この艦の顔たる艦長へ目を向ける。
軍帽を阿弥陀に被り、背中を課長席の背もたれに押し付けるようにして座り、脚を半跏に組んで、暇そうに大欠伸をかましていた。
周囲とのあまりのギャップに、アカツキでさえ目を丸くする程の気の抜きようだった。
思わずアカツキがじっと見ていると、だらしない格好の艦長――ササク・アルマ少将がニヤケ顔を向けてきた。
「なんだ、アカツキ少尉。なにか言いたげだな?」
上官に会話を向けられたのなら答えなければいけない。
そう艦長候補生として教育され続けたこともあって、アカツキはすぐに返答した。
「はい。艦長は周りの皆さんと様子の違いがあるなと見ておりました」
アカツキが言葉を濁さずに真っ直ぐ言ってのけたことに、アルマ少将の顔のニヤケ具合が増した。
「不謹慎とでも言う気か?」
「僕――自分が受けた教育と違いがあることに、驚いているだけです」
「違いとは?」
「軍帽は正しくかぶり、背筋はシャンと伸ばす。脚は組んだりせず、顔は真面目に保つ。そう習いました」
聞きようによっては、アルマ少将の姿を全否定する言葉だ。
しかしアルマ少将は怒りはせず、むしろ笑った。
「あははははっ。その教えからすると、俺の格好はさぞかし落第だろう。じっと見てしまっての仕方ないな」
楽しそうに笑うアルマ少将とは裏腹に、アカツキを教育してきた中尉は頭痛顔だ。その中尉の姿は『教育に悪い』と語っているようだった。
その中尉と同じような顔をするのは、アルマ少将の横に控えていた、副長のチクイチ・リンゲ准将だ。
「艦長。アカツキ少尉というお客様がいるんですから、少しは見目に気を付けませんと」
「そこに居るのが他の少尉なら考えたが、アカツキ少尉なら要らない話だろ。初っ端の顔合わせの際に、俺の素を見せてるんだしな」
「それでもです。今日がアカツキ少尉が初めて目にする、仕事中のブリッジの姿なんです。いい思い出にしてあげたいではないですか」
「あーあー、分かったよ。真面目にやればいいんだろ、真面目によお」
アルマ少将は面倒くさいなと手を振ってから、その手を阿弥陀被りの軍帽へと伸ばす。そして帽子の鍔を握り、ぐっと引き下ろした。
その瞬間、アルマ少将の顔つきと姿勢が変わった。
終始ニヤケ顔だったのが、歴戦の軍人を思わせる鋭い刃のような表情に。脚を組むのを止めて背筋が伸び、背もたれに沿いながらも体重を預けない、まるで彫像のような迫力のある座り方になる。
アルマ少将がこの姿になった瞬間、ブリッジの中の空気も変わった。
仕事場所という種類の緊張感はもともとあったブリッジだったが、今は張り詰めた緊張感が充満している。
ブリッジにいる全ての者たちの働きぶりは、先ほどよりも更に洗練されたものになり、気の緩みが微塵もなくなっている。
がらりと変わったブリッジの雰囲気は、アカツキの教育係の中尉ですら、表情を硬くして姿勢を正して立つほどだ。
そしてアカツキは、生まれてから今まで感じたことのない緊張感に、呼吸を意識して行わないと出来ないようになっていた。
肩で息をするアカツキへ、アルマ少将が横目を投げかける。
「これが本当の大戦艦のブリッジの空気だ。感想を言うといい、アカツキ少尉」
「は、はい。自分が居るには、早い場所であると理解しました」
アカツキが呼吸に苦労しながら返答すると、アルマ少将の表情に軽くニヤケ具合が戻った。
「早い場所か。不似合いだとは言わないのだな?」
「はい。いつか必ず、大戦艦の艦長になりますから」
アカツキが大言壮語を吐くと、アルマ少将の真面目な表情がとうとう崩れ去り、先ほどまでのニヤケ顔に戻った。
「いいぞ、その意気だ。ま、俺としちゃ、艦長なんて成るもんじゃねえといっておくけどな。責任と気苦労ばっかで、肩が凝るったらない」
アルマ少将が肩を回しながら、背中を背もたれに預け、脚を半跏に組み直す。
その姿に、リンゲ准将は溜息を吐いた。
「艦長候補製へ、実際の艦長がかけるべき言葉じゃないでしょう、いまのは」
「仕方ねえだろ。俺の本心なんだから。大戦艦が好きじゃなきゃ、面倒な艦長職なんて辞退していたんだからな」
アカツキは緊張感が霧散して呼吸がし易くなったことを感じながら、目を瞬かせる。
「アルマ艦長は、大戦艦が好きなのですか?」
「ああ、大好きだ。大戦艦はどれも、アマト皇和国人が技術の粋を集めて作り上げた、堂々たる威風がある。俺としちゃ、大戦艦を嫌う男がいるはずがないと信じている」
「大戦艦が好きだから、艦長になったのですか?」
「下手な間抜けに大戦艦を任せて、他愛のない理由で沈んでもみろ、アマト皇和国の粋の大損害じゃねえか。そんな損害を出すぐらいなら、超有能な俺が艦長で腕を振るった方が、大戦艦も無事に運行できるし、アマト星腕の治安も守れるし、俺は大戦艦を愛でられるしで、三方良しと判断したのさ」
アルマ少将の自信たっぷりの発言に、リンゲ准将は呆れ顔だ。
「事実、アルマ少将以上に大戦艦の扱いを分かっている人が少ないんです。なので、多少人格と勤務態度が拙かろうと、引き下ろすわけにもいかないわけで」
「あははははー。実力でなら反対意見を語る口を黙らせられるのは、アマト皇和国の軍部の良いところだよな」
「笑いごとじゃないのですが……」
アルマ少将とリンゲ准将の掛けあいで、大戦艦のブリッジに和やかな雰囲気が流れる。
アカツキは二人の様子を、これが艦長に必要なユーモアなのだと受け取った。
そうアカツキが納得していると、アルマ少将が再びニヤケ顔を向けてきた。
「こんなに早くブリッジに上がる許可が出たんだ。ちょっとだけ、ご褒美をやろう」
「褒美ですか?」
「金品や酒は、あまり好きじゃなさそうだからな。だからアカツキ少尉が好きなものの情報を与えよう」
「好きなもの、ですか?」
アカツキは自分の好きなものを脳内に列挙して、どのことかなと首を傾げる。
その様子を、アルマ少将はくつくつと笑いながら見た後で、褒美の情報を伝えた。
「ドーソン・イーダ少尉についてだ。彼はいま、特殊な任務についていて、アマト皇和国の軍人初となる成果を挙げたという。その成果を理由に中尉に昇進させるよう、後押しされているんだそうだ」
「ドーソン君が、中尉に推挙……」
予想外の話に、アカツキは思わず唖然としてしまった。
新米少尉になって半年足らずで昇進の話がでるなんて、異例中の異例。
アカツキはドーソンの事を友人だと思っていて、将来を争うライバルになるとも思っていたが、これほどの早い昇進は想像の埒外に過ぎた。
呆気の取られたままのアカツキの肩を、アルマ少将は強めに叩いて正気に戻させた。
「いいか、アカツキ少尉。ドーソン・イーダ少尉に負けないよう励む気なら、悪戯に急いではいけないからな。確りと、着実に、しかし可能な限り早く実績を積み上げて行くことが肝要だ。そう心掛ければ、必ず追いつく。お前さんの歩いている場所は、アマト星海軍のエリート街道だ。真っ当に歩いていけば、最速で昇進できる道だからな」
まるで発破をかけるような言葉で、アカツキの目的意識に火がついた。
「はい。ドーソン少尉に負けないよう、着実に励むことにします!」
意気が高まった様子のアカツキを見て、ドーソンは頷いてから顔を正面へ向けた。
その直後、ドーソンの表情のニヤケ具合が強まった。
『しめしめ。上手く焚き付けられた』
そう語っているも同然の表情は、アカツキからは見えず、しかし横にいるリンゲ准将には見えている。
リンゲ准将は、アルマ少将が悪い癖を出したと、頭痛を堪えるような表情になった。