④ー14従
④湖の城と海の島
14 従
視界が赤く霞む。
滴る血のせいか。
それとも赤く光る魔術紋様のせいか。
揺れる。
ラプソディア・ラクスが距離をとって魔術を飛ばしてくる。圧縮された魔術の斬撃は、まるでお伽話の妖精のように輝きながら、ひらひらと、それでいて素早く飛来し、体を切り裂く。
ここへきて距離を取った攻撃に切り替えたのは、こちらの変身を警戒してか、もしくはそれを促しているのか。確かに私がここで本当の姿を晒せば、この広間くらい一瞬で吹き飛ばしてしまうだろう。火を吹き、城を焼き、騎士達を踏みちぎり、最後には人界の英雄、姫騎士に首を斬り落とされる。それでお終い。竜として生きてきた長い時間の幕切れとしては、悪くない。よくある騎士の伝説の通りだ。
トバリはうずくまりながらも、強く拳を握り締めた。
素早くスカートの内側から残りの魔具を取り出して、飛来するラプソディアの魔術を防ぐ。鋒ほどの小さな欠片のようだが、見た目以上の威力がある。連撃に手から魔具が弾き飛ばされる。その度魔具を持ち替える。
何をやっているのだろうか。
ただ突っ立ったまま、鋒から魔術をこぼれ落とすラプソディアに対し、トバリは懸命に魔具を振い、撃ち落とす。手数も、魔具の扱いも、実力差は歴然としている。
七つの魔具、最後の一振りが弾き飛ばされ、後方の床に落ちると、虚しく音を広間に響かせた。
私は何も持たない。
何の目的も持たない。
何をすべきか、そもそも自分自身が何者なのかも覚えていない。
黒雲の中を、強風に身を任せて飛ぶか、何者も寄り付かないような断崖絶壁の地に爪を掛けて、ただ遠くを見つめるか。いや、何も見ようとはしていなかった。このぼやけた薄靄のようの時間が永遠に続くように思えた。
虚ろだ。
「魔獣の王、黒竜よ。貴様に命ずる」
一人の男がやって来た。魔族の王よ、遠路遥々よく来たものだ、などと話す気も起きない。しかし魔獣の王とは。いつの間にそのように呼ばれるようになっていたのか。
一人になりたくて、業火を吹きかけてやるが、魔王には効果がないようだ。
「我が娘の一人を、預かってほしい」
飛び去ろうと思ったが、この男なら、どこまでもついてこられるだろう。拒絶の意を込めて睨みつける。
「お互い永く生きた。温情や友情を期待しての事ではない。最後は貴公に任せる。それまでのひと時、娘のそばにいてやってくれ。対価は、人の身を成す魔術」
無視していたつもりが、最後の言葉が、なぜだか耳についた。その様子を肯定と見たのか、魔王は詠唱を誦じ始める。
「千年郷の…」
魔王が言葉を終えた時、黒竜は人の姿となった。
無意識にその詠唱を口ずさんでいたのだ。
「どうして私は」
人の姿となったトバリは、自分自身に困惑した。
魔王は去り際に、一言だけ残していった。
「いつか、その意味がわかる時が来るさ」
「うおっ!?」
居城が勇者率いる魔王討伐軍に攻め落とされている間ずっと、ヨルとそれを守護するトバリも、隠し部屋で身を潜めていた。一通りの戦闘が終わり、人界の者どもが引き上げていく最中、隠し部屋の扉が開かれた。
勇者タローは、室内のふたりを驚いた様子でじっと見つめると、そっと戸を閉めて去っていった。
その晩、廃墟と化した城に、タローは再び現れた。
「ここは危ない。逃げるなら今のうちだぞ」
タローの手引きで、人界軍の本隊が来る前に、城を抜け出すことができた。
その際、事情を察したタローは、魔王討伐とは全く別の行いとして、ふたりが逃げ切れるよう、手助けをした。
「これやるよ」
手渡された魔具の使い方や意味も知らなかった。
「お前さん、人に化けるのはいいが、瘴気がダダ漏れだぜ。魔術と合わさって、それで隠せるはずだ」
ラプソディアの斬撃で、引き裂かれた服の内から、その魔具、勇器“オウル”は姿を表す。トバリの腰から胸までを引き締めるコルセット。魔術で緻密に編み込まれたそれは、防具でもあり、魔獣の瘴気を押さえ込む魔道具でもあった。
ただ遠くの一点だけを見ていたラプソディアの瞳が揺らいだ。
魔具を弾き飛ばされ、服を破られ、コルセットのみのほとんど下着姿となったトバリが、真っ直ぐと立ち、それを見返す。
「“勇器”は人界の宝。先の勇者が、どのような判断をしようと、それは人の為のものです」
「あら、これ以上脱がすのですか。騎士道に反するのでは?」
「獣が騎士の何を知る!」
ラプソディアの飛ぶ斬撃を、今度は完璧に躱わす。そのままトバリは姿を消す。自身の“隠蔽”の魔術に、勇器“オウル”の力を掛け合わせることで、完璧に姿を消すことができる。
自らの大振りに苛立ったのか、ラプソディアは刀身に大がかりな魔術を仕込み始める。放つ前から広間に雷鳴が轟く。
「もういいわ、終いにしましょう。ゲントは何をしているのかしら。早く終わらせて、私たちは先へ進む。新しい世界へ」
攻撃の前や、自分以外の誰かも隠す時、微かに瘴気が漏れ出してしまう。ラプソディアのように瘴気に敏感な人間には、こちらの存在がその瞬間にバレてしまうのだ。
姿を隠したトバリは静かに呼吸を整えて、集中する。
おかしな話だ。
魔王と勇者。ふたりに渡された魔術と魔具を使えば、再び永遠に姿を隠していられる。それで元通りではないか。でも、また当てもなく彷徨うには、“今”が後ろ髪を引く。
手渡されたのは、人として生きるための道具。そして今、行く先を指し示してくれる人がいる。どこへ向かったらいいのか、わからないから。今はただ、そばにいさせてほしい。その為に、人であろう。貴方に従い、心を知ろう。
現れた瘴気に居場所を掴んだラプソディアが魔術を放つ。
雷撃は床を割りながら瘴気ごとトバリを直撃した。
「何を…」
ラプソディアの放った魔術の雷撃は瘴気の壁に阻まれ、ジリジリとその前で散っていた。
コルセットの胸元の紐を大きく緩めたトバリが、その服装とは裏腹に、優雅に立っている。
瘴気が圧縮され二枚の扉となっていた。
「我が主の邪魔はさせません。私たちの居場所は、私が守る。“Knocks”ここは通しません」
指先を揃えたトバリの両手の動きに連動して、二枚の黒い扉は動いた。確かに魔術が顕現している。魔具ではなく、瘴気に。
「それはタロ…、勇器の力ではないのね。瘴気を媒介に魔術を顕現するなんて…」
「可能性はありました。魔力が魔術を顕現する時に排出される煙。ただの排気であるはずの瘴気に魔術を巡らせる方法。瘴気がまるで魔術のように意思を汲んで動くのを、お見かけする事がありました。決定的だったのは、アズマの黒璧です。地底を流れる魔力が海底を割り瘴気を噴出する。それを壁として操る技術。瘴気が魔術を帯びていた」
「あそこには頭が痛くなるから近づかないのよ。そう、アズマにそんな技術があったのね。それがあの人の言っていた、魔王討伐の可能性…なら、…何かしら」
ラプソディアは自身を見るトバリの視線の変化に気がついた。
「いえ、やっと貴方らしい表情になったものですから」
「私らしい?…何を言っているのかしら」
「もう自分を傷つけるのはおやめなさい。貴方は今、十分に傷ついているんです。そのことに、気づいてあげて下さい」
「私は無傷だけど?あなたこそ尻尾巻いて逃げなさいよ」
ラプソディアは剣を振って、鋒でトバリを指差す。
「最後まで、主人のそばを離れるつもりはありません。心に従う。貴方もそうだったのでしょう」
ラプソディアは剣を下ろす。
間を置いて、再び刀身に魔術が顕現し始める。
「もう終わりにしたいのよ」
そばにいると、決めた人を失うのは、どんな気持ちだったのだろうか。トバリには想像もつかなかった。だからこそ、せめて彼女がこれ以上自分を傷つけるのを止めたいと思った。
「貴方を止めます。“ノックス”!」
「タローはもう、いないのよ…」
振り下ろす細剣は落雷となって、放たれる。
トバリの黒壁、瘴気の扉がそれを受け止める。




