④ー8シャ
④湖の城と海の島
8 シャ
昼下がり、仕事が片付いて、部屋でひとり座っている。
ヨルはシオさんたちのところへ遊びに行っている。
特にやることもないので、ウルクを取り出して眺めて見たりする。
(「静かだ…」)
ババ様は、僕らが一通りの家事を出来るようになると、日中はどこかへ出掛けていくようになった。今までは心配して様子を見守ってくれていたのかもしれない。
開け放った扉から、空が見える。
(「特にすることもないな」)
ヨルと一緒に、シオさんのところへ行けばよかったかな。
あそこは女性だけの場所って感じで、いづらいんだよな。シオさん以外の人たちには嫌われているし…。
(「暇だな…」)
でも、悪い気はしない。大の字に寝そべってみる。
別に疲れてはいないけど。そういえば、家事全般を始めた時は、わからないことも多くてあたふたしたけど、今は、順序立てて、やることを組み立てたり、自分なりにやりやすいように工夫してみたり、普通に出来るようになった。やろうと思えばできるし、苦ではない。けど、生きていく限り毎日必要な最低限の仕事。
「自分一人が生きるのに必要な仕事量か」
苦とか楽とかじゃない。生きることそのもの。
何だかここに来るまでの数ヶ月、いや、そのずっと前からか。
ずっとバタバタだったな。でも、生きるのに必要なことって、こんなものか。今が一番暇なのに、やっと自分で立っているような感覚がある。不思議だ。
「にしても静かだなぁ…」
「では、鍛錬を始めます」
「はい!」
木造平屋、板張の床はきれいに片付けられて、道場へと早替わりしていた。
真っ直ぐ立つシオの前に女性たちは正座して並んでいる。その中にはヨルも混じっている。今日は特訓遊びの日なのだ。アズマの民族衣装を身に付けて、もうすっかり馴染んでいる。
「五行の修練は個人差があるけど、基本は同じ。まずは“一の型”を」
女性達は、各々、目を閉じたり、坐禅を組んだり、手を合わせたりし始める。
「はい!」
ヨルが手をあげる。
「はい、ヨルちゃん」
「はじめの型って何ですか?」
「自分の存在を理解することかな」
ヨルは黙って考え込む。
「ふふ。まずは何も考えずに目を閉じて、静かに。そして心を穏やかな状態に」
シオはヨルの後ろに回って、両肩に手を置く。
「力を抜いて、息するのを忘れちゃダメよ」
ヨルはちょこんと正座で、手を膝に置いたまま、小さく呼吸した。
室内に、風が吹き込む。ヨルの乱れた前髪を、シオは優しく撫でて直してやる。おでこが少し熱を帯びる。
ヨルの体から生じた瘴気を、パタパタと埃でも払うように風に霧散させる。
痺れた手の痛みから、ヨルの内、奥底に秘められた魔性の存在を感じとった。
「今はまだ、ダメだよ…。君を守る人がいる限り。共に生きる人がいる限り」
風は止み、ヨルの体の熱も引く。
「どお?」
「いい感じ」
ケロッとした表情のヨルの頭を撫でて立ち上がる。
「みんなここで、生きるのに必要なことを学んでる。食べる事、そのために必要な準備。身なりを整えること、後片付け。心の平穏の為には、環境を整えることも必要よね。そういったことが自分で出来ると、自分一人分の存在感が、段々と掴めるようになってきます。たとえ環境が変わっても、臨機応変に対応できるくらいに。まず、そういった一人前の仕事ができるようになる事。それを持って、柔軟に動けるのが“一の型。一の型を習得することは魔術だけでなく、皆さんの生活にもいい効果があります。戦いなんて嫌って子も、まずは一の型を取れるようになりましょう」
シオは女性達の間をぐるりと一周し終えると、元いた場所に戻ってきた。
全体を見回すと、皆の反応に満足したのか、笑顔を見せる。
「そこから先、その力をどう使うのかは、みんなの自由よ」
全体へ向けられた言葉だが、その視線はヨルに向けられていたようにも思えた。
ヨルは、言葉の意味は理解できなかったが、自身に向けられた温かな心に、何だか笑顔になった。
「あ」
空に夕陽の色が混じりだしている。ただぼーっとしているだけで時間を過ごしてしまった。そろそろヨルを迎えに行かなくちゃ。
キッ
遠くの廊下で、軽く床の軋む音。
手入れは行き届いていて綺麗なのだが、古い建物なので、歩くと音が鳴る場所がある。
ただ、人が踏むにしては軽い音。足音が近づいてくるわけでもない。ババ様じゃないな。
自然に鳴ったのだろうか。
誰もいない広い建物であることを思い出して、少し不安な気持ちが起こる。
お寺だしな。近くに墓もある。いや、これは余計な事を考えてる。考えるな。
ウルクを手に持って部屋を出る。
廊下に出た途端、それと目が合った。
頭を布で覆って、その隙間から、双眼だけが見えている。
ウルクを持った拳で殴った。
拳は空を切る。
おばけは素早く身を逸らすと、後方に引いて距離を取った。
刹那の判断を誤った。もし、寺の関係者だったらどうするつもりだったんだ僕は。
「あの、すみません…」
「…。」
返答はない。いきなり殴りかかってくるやつに謝られても嫌だよなぁ。
なんだか知らないが、やたら心臓がバクバクする。ビビってないけど!
おばけは強く踏み込んでこちらに突進してくる。足音がしない!やっぱりおばけじゃん。
この時の僕の思考回路について、一応説明させて欲しい。なぜなら行動描写だけでは、なぜそのような行動に至ったのか、訳がわからないと思われて、変な奴と思われれてしまう恐れがあるからだ。まず大前提として、この瞬間の僕は混乱していた。一つには、敵はおばけかもしれないということ。もう一つは、おばけじゃなかったとして、人にいきなり殴りかかるという、とんでもないことをすでにしでかしてしまったという後悔、自責の念。とにかくこれらの点から、暴力は絶対にいけないという思考のロックが瞬間的に掛かった。いや、冷静に考えたらおばけとかいないし、寺の関係者が足音も立てずに忍び寄ってきたりしないなんてことは、まあわかるさ。でもここ異国だし、見知らぬ島国だし。何が普通かなんてわからないじゃないか。何が起こったっておかしくないんだぜ。何が言いたいかって?僕は悪くない。悪くないもん。どうか許してやって欲しい。…うん。では、どうぞ。はぁ…。
「あぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああー!!」
相手の突進を待たずして、僕は絶叫しながら裸足のまま外へ飛び出した。
ほとんど地面に倒れ込む格好になりながらも、受け身をとって体を起こす。
「あぁ!何っ?!」
息も切れ切れに文句を言うので精一杯だ。心臓の高鳴りが止まらねぇぜ。
「はぁ、はぁ、はぁ、」
僕のいなくなった廊下から、お化けはこちらを見下ろしている。平然としてる。いや、平の状態しらんけど。距離を取って明るい場所からみると、なんだ、アズマ式の民族衣装を身に付けている。なんかこう、ボヤけたりもしていないし、普通のアズマ人じゃないか。なんで顔を覆っているのかは知らないが、そう言うファッションなんだ。なんだ、人だ。よかった、
屋根の上、遠くの廊下、庭、そして背後の森まで。
同じ背格好のお化けが、音も立てずにゾロゾロと現れた。いや、初めからずっとそこのいたのかもしれない。ずっと囲まれて、見られてたのかもしれない!
やばいやばいやばいっ、めっちゃ
「こわっ!!」
もはやなんの躊躇も無く、ウルクを引き抜くと、爆速で魔力を流す。過去最強握力でウルフの柄を握り締めている。吹き出した瘴気が自分の周りを囲むと、やっと少し落ち着く。いやそれにしても怖い。なんだこいつら。なんだこいつら!なんか喋って。
「あまつさえ、水は垂れる…」
なんか喋った!魔術か?でも素手だ。両腕を前に出し、手の指を合わせて何か呟いている。
(「来る!」)
瘴気を濃密に折重ねる。瘴気で織り上げた布を噴射の勢いも借りて素早く右腕から背を越して左腕まで巻きつける。重さを感じるほど、質量がある。触れる瘴気。自分の意思でコントロールできるようになってきた。
おばけの一人が屋根から飛び降りて、向かってくる。
魔具は持っていない。しかし手から生じた水の魔術が身体を這い回っている。動きが魔獣のように早い。でも、
「殴れるなら、怖くない」
黒い布で覆った右の拳を、瘴気の噴出で加速して放つ。自分でも驚くほど速い。
インパクトの瞬間、おばけは身に纏った水の魔術を全面に押し出して衝撃を防ぐ。見た目以上の重量を感じるが、瘴気の噴出を更にかけて押し込むと、後方に吹き飛んで、建物の壁にぶつかった。
「…。」
言葉こそ発しなかったものの、おばけ達の間に動揺が走ったのを感じ取れた。それに何より、殴れた。殴れるなら、何とかなる。
「あまつさえ、水は垂れる 粒立てばいとおし 千里を流れ、万物へそそぐ やがて一滴、天から垂れる “みずうり”」
「灯火はあとを引く 誓うは約束のかがり 与うは公然の節理 奪うは友なきけぶり“びくに”」
「放る一枚の金 流転する対価 一閃の価値 鈴なりにこぼれ落ち 鳴るは黄金郷の鐘“じゃりきん”」
魔術の詠唱がこだまする。
おばけ達は各々、発現した魔術を纏い、その矛先がこちらに集中する。一段ギアを上げたようだ。
「ふぅ…」
その隙に一呼吸とる。
今は何だか、やれる気がする。どうせ自分にできる事をするだけなんだ。余計な怯えは捨てよう。僕は僕だ。こんな状況なのに、落ち着いてるな。
ウルクから瘴気を流す。おばけ達ほどではないが、右腕から左腕へ。両腕に巻き付ける。拳を握り込むと、さらりとした手触りがある。気のせいか、両手から瘴気が出たような。
「やってみるか」
五行を身に纏ったおばけ達、“者”が一斉に襲いかかる。
「消えた…。まず初めに鼻に抜ける芳醇な香りが広がってー、かと思えば消えたよ〜」
「そうなんだよ。今いったい何を飲んだんだっていう。飲んですぐ後に思い出す味わいなんだよ、思い出になってるんだよ、この酒はよぉ」
「変だねぇー、いいねぇー」
まだ行燈に火が灯る前から、二人は飲み歩きを続けていた。
「あの、お客さん?」
「なんだい?」
本格的に営業を始める前の夕刻ということもあって、店の路地に面した扉は大きく開け放たれていた。訝しげな顔をしたこの店の大将が、外を指差す。
「お連れさんですかい」
大将の指差す先に、顔を覆った者が、一人立ち、店の中をただまっすぐ見つめていた。
「おぉ、悪りぃな。おいらに用事かな?」
クジョウ・サラサは席を立つと、うっとりと酒瓶を見つめるフェリオを店に残して表へ出た。
「何だい?」
「サラサ様。ご用心くだされ。あの者は海外からの侵入者、それに罪人の可能性ありと、捕縛命令が出されております」
「そうかい…」
サラサは何て事はなさそうに、頭を掻いた。
「この場は我々にお任せください」
周囲の建物の屋根には、同じ装束の“シャ”達が控えている。
「多勢に無勢だな」
呟くサラサをよそに、シャは店内に歩を進める。
それを片腕を上げてサラサが引き止める。
「俺ってやつはよぉ、どうも祭り好きでな。こんな場面じゃ、より見せ場のある方を選んじまう」
「フブキ様、お姉様からの命令ですぞ」
「そいつはいい、姉さんの鼻を明かしてやろう」
サラサの抵抗を感じ取ったシャは素早く五行魔術を展開する。“みずうり”を纏った回し蹴りを、サラサは腰を折って躱わす。その口元で詠唱する。
「放る一枚の金 流転する対価 一閃の価値 鈴なりにこぼれ落ち 鳴るは黄金郷の鐘“じゃりきん”」
ほとんど後ろに倒れるように体の軸をひねると、土を蹴り上げ、後ろ回し蹴りを軽やかに放った。
決して強い踏み込みでは無かった。そもそもが無理な姿勢から繰り出した蹴り。にも関わらず、カウンターを食らったシャは、その場から建物の屋根近くまで蹴り上げられた。
「これがサラサ様の“じゃりきん”。確率を引き当てる男…」
「やるしかないのか」
周囲のシャ達は混乱しつつも、的確に構えをとった。たとえ相手が誰であろうと、確実に任務を遂行する覚悟があるのだ。
「よーし、こい!」
クジョウ・サラサは楽しそうに両腕を広げた。
「ん〜」
フェリオはカウンター席でアズマ酒をゆっくりと舌で転がして味わっていただいている。
「見つけたぜ。刀ドロの仲間ぁっ」
廃病院の扉が、大袈裟に開け放たれる。この建物は、ところどころ傷んで穴が空いている為、出入り口ならいくらでもある。そんな中、ほとんど機能していない正面入り口のドアから入ってくるというのは、律儀にすら思えた。
「そのまま、集中を切らさないで」
この数日間で、何百回と聞いた言葉に、エミスはもはや反応すらしなかった。
ただ、上裸で座禅を組み、目は閉じているのか伏せているのかもつかない。ただ、燃え続けていた腕に炎はなく、全身をじっとりと汗で濡らしている。
「何の用かな。一応私有地ですよ」
エミスに変わって、丸メガネの医師がショーンに尋ねる。
「用があるのはそこのガキだ」
エミスにつかみかかる勢いで近づくショーンの前に、医師が割って入る。
「おいおい、坊ちゃん。見ればわかると思うが、こちらは取り込み中だ。後にしてくれないか?…もっと言うと、私は海賊が嫌いなんだ。それ以上近づくと殺すぞ」
医師の眼光に、ショーンは怯む。
「何だお前っ、こちとらそいつらに壊された船の事で、親父に大目玉喰らってんだ。追い返されてハイそうですかってわけにはいかねえな。そいつの仲間の黒煤野郎には落とし前つけてもらわねえとなんねえ。せめて居どころくらいは、」
医師が口元に人差し指を当てたのを見ると、ショーンは話すのを止めた。
「君のお仲間ってわけじゃなさそうだね」
「何だお前ら。シャに目ぇつけられてんのか」
「…。」
エミスは瞑想状態から醒めない。
二人は、建物を取り囲む暗殺集団の奇襲に備えた。
上之町の坂の上、高台の一等地にあるお屋敷。
シャ達に取り囲まれたトバリが、屋敷の主人に引き合わされていた。
「…。」
見上げた位置から、簾に隠されたその顔は見えない。
その様子を愉しむかのように、この屋敷の主人、クジョウ・フブキは、ただ黙ってトバリの様子を観察している。
しばらくそのまま沈黙が続いたが、トバリからの発言がないことに飽きたのか、フブキは側女に合図を送り、側女はすぐに茶の支度に係る。
「貴方のお仲間は、アタシの部下が、今に一網打尽にして連れてくるわ。生死問わずにね」
トバリに動揺はない。簾を挟んでふたりの視線が交差した。




