④ー7僧
④湖の城と海の島
7 僧
薄曇りの空の下、ちょうど頬に一雫あたるほどの微かな雨粒が落ちてくる。
いつもなら気にならない聴き馴染んだ、風と波の割れる音が、今日はやけにうるさく感じた。
「こんなことを、二度と起こしてはいけない」
海辺に打ち上げられた無数の亡骸の中に立つ、一人の僧は、誰に言うでもなく、言葉を発した。深い悲しみの中に、覚悟があった。
首まで覆うように着付けられた着衣の襟元の布を手で引くと、口元を覆う。
荒波に運ばれてきた遺体は冷え切って、腐臭を撒き散らす事こそなかったが、その疲れ果てた彼ら、彼女らの肉体を、不用意に感知することは憚られた。せめてこのまま、彼らが目指した神の領域へ行けるよう、丁重に葬ってやろう。
波には記憶がある。
無作為に生じ、流れ去る。
同じ形はない。それでも、寄せては帰す。繰り返す。
何度も何度も。
軽やかに転がされる砂粒の一つ一つに意味はなくとも、折り返しのリズムは、壮大な時間軸全体で、どこか人の思考に似る。
だから波に触れると、不意に思い出す。
波が記録した、過去の記憶を。
まだ寒い冬の海だ。
頬を撫でる、痛みにも似た冷たい海風が、確かに自分がここに生きていることを思い出させてくれる。
海辺から遠く海を見遣ると、水平線でぼやけて霞が掛かる。薄い灰色に混じりあう空とも海ともつかない場所に、打ち込まれた楔のような黒壁。
「あれは、瘴気で出来ているのでしょうか」
トバリが声に出す。ひとり呟くにしては、はっきりと。
見渡す限りひとけのない海岸に、風が吹き、砂が舞う。
「アズマ近海の海底には、高密度の魔力が滞留しているのです。そこから海面に上がってくる瘴気を魔術で導き、あのような黒い壁になるのです」
いつの間にかトバリの背後に立った女性が、答える。頭を布で覆い、その隙間から見る眼だけでは、感情が読み取れない。
「瘴気に魔術を…。その可能性については勘案していましたが。魔術から生じたものに、魔術をかけるとは、ずいぶん特異な発想ですね」
「遥か昔、アズマの高明な僧侶が考案したものとされています。魔術により手繰られた大量の瘴気は、海流を変える程の重量を持ちます。この恩恵により、アズマは他国からの干渉を拒絶することができるのです」
女性は惜しみなく、つらつらと黒壁の仕組みについて語って聞かせた。
「拒むこと、そして隠れることがお上手なのですね」
一方で、トバリは少し含みのある言葉で応じた。
この数日間、トバリは自身の隠蔽の魔術を活かした偵察任務によって、このクニの情報を探ろうとしていた。
しかし、重要拠点への接触を図ろうとする度、阻まれた。
常に何者かに見張られているような視線を感じ、姿をくらますと、彼女達は立ち現れた。
向こうから仕掛けてはこない為、直接的な戦闘には至らなかったが、行動を起こそうとすると現れるので、偵察任務は完封されてしまうのだった。
「それで、ご用件は?」
「クジョウ・フブキ様が、お会いになるそうです」
普段、あまり感情を表に出さないトバリが、この時ばかりはため息を漏らした。
断ったとしても、この島にいる限りはつけ回されるのだ。それに、このクニの重要人物に接触することが、当初からの目的だったはずだ。
こちらの答えを待たずして、周囲にさらに十数名の刺客が姿を表す。
「ご同行を、」
「参りましょう」
トバリはせめてもの抵抗として、言葉を遮ってみせると、集団と共に姿を消した。
上之町、坂の上のお屋敷。
無限に襖を開いた先、その最奥に簾で顔を隠した人物がほくそ笑む。
暗い部屋に、蝋燭の灯りがぼんやりと、周囲のしつらえを照らしていた。
「愉しみね」
側女には目もくれない。話しかけているわけではないのだ。側女もそれをわかっていて、ただじっと押し黙っている。
「龍はどうやって殺すのかしら」
クジョウ・フブキは、先の尖った犬歯で下唇を噛んだ。




